第1話

文字数 1,041文字

 高校の図書館で初めて借りた本は、聖書の絵本だった。何となく興味本位で、教養として知っておこうという程度だった。心に残ったのはサムソンの話。一度失敗して力を失いながらも、神に切実に求める中で最後の最後、再び力を与えられ自らの命と共に一矢報いる。たとえ一度失敗してもそれで終わりではない、受験の苦い思い出が残っていた私には救いだった。
 2年後、大学受験の勉強に苦しむ中でとあるニュースが流れてきた。「アニメ制作会社放火」最初は軽い小火程度だと報じられていたのが、日を追うごとに死者数は増え未曽有のテロ事件とみなされるようになった。私にとっては遠い場所で起きた出来事のはずなのに、涙が止まらなかった。これまで物語の力に何度救われてきたか、そしてそんな物語を通して多くの希望を与えている人たちがなぜ犠牲にならなければならないのか、ただ毎日自分のための勉強しかしていない私ではなくなぜ彼らなのか。世の中の不条理に初めて出会い生まれた問い。「神はいるのか。神がいるのならばなぜこんな世界を作ったのか」
 受験が終わり、母に連れられて教会へ行った。進学で実家を離れるので、最後にあいさつくらいはしておこうと、中学生ぶりに牧師さんと話した。私は問いをぶつけた。「聖書を学べば、世の中がどうしてこんなにも悲しいことばかり起こるのかわかるようになるのですか」牧師さんはゆっくりうなずいて言った「全部わかります」。
 4月から聖書の勉強が始まった。聖書人物の物語ひとつひとつに詰まった神との絆と愛の闘い。なによりもイエス様の孤独とその愛の生涯に触れた時、母の信じていたものが私の信じるものとなった。家の隅で一人祈っていた母の姿が思い返された。家族から否定され自身も体調が悪くなり教会に通えなくなりそれでも息子である私が神に出会うことを信じて祈り続けた母は、まさにヨブでありサライでありモニカだった。
 私が最近好きなのはヨシュア記だ。現実的に見たら不可能な状況においても、神を信じ二世たちと共に神の国を作るために戦っていった内容は、あらゆる社会課題に苦しむ国と世界を救うべき立場にいる私たち若者世代にも力を与えてくれる。「わたしはあなたを見放すことも見捨てることもしない。強く、また雄々しくあれ」どんな時でも神が共にいることを悟り、そして私の持つ力は全て私自身によるものではなく神から与えられているのだと悟り全体のために使っていく。そんな歩みをしたいと願う私の前を、神はいつでも先立って歩んでくださっている。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み