第1話 次男の帰郷
文字数 4,171文字
次男の帰郷
○昭和20年8月下旬、関東北部T県S市〜山がちな盆地N郷村の農家、山田家
「もう、太郎は帰ってこないかもしれんのう」
農家の主人、山田大造(67)は満州に出兵した長男の安否をやきもきしながら心配して毎日を送っていた。
「心配しても、しょうがないでしょ。天に任せるよりありませんよ。陸軍省から死亡通知がきてないんだもの、どこかでちゃあんと生きていますよ」
妻の秋江(68)は、一歳上の女房でもあり夫より楽天的なものの考え方である。
「もう、東京の大本営はおろか、陸軍省そのものが解体して、関係者は書類を焼却して離散しとるいう話だ。恐らくその中に、太郎の死亡通知もあったのかも知れん、そうなったら...」
大造は、目を伏せた。
「縁起でもない...嫁に来たハルの気持ちを考えて下さいな。女だって、やりきれないもんですよ」
秋江は、仏間で供物をあげている嫁の秋江(28)をチラッと見やった。
「もし、太郎が駄目になったら、次郎に期待するしかない。家督は、次郎に譲ろう」
大造は、モンペ姿のハルを見遣った。腰と乳が張り、襟もとから色気が漂よう女盛りである。
「もし、太郎も次郎も居なくなってしまったら...」
「よして下さいな。もう、復員船が下関や門司に到着してるって話じゃありませんか。もそっと気長に待ちましょう、終戦から間もないんですから」
秋江は、朝食の支度を整えると味噌汁を大造によそった。
「おっ、今朝は秋茄子の味噌汁か。秋茄子は嫁に食わすなとは言うが...畠があっても、種子がなくてはどうもならんのう」
大造がハルの女盛りの腰付きを見遣ると、ハルは恥ずかしく視線を逸らしてもじもじした。
「山田さん、郵便ですよ」
終戦後の新生警察になっても引き続き駐在の職を引き継いだ野原(38)が、速達の封書を持ってきた。
「どこからじゃ」
大造は、箸を置いて卓を立った。
「東京の陸軍省から...たぶんは息子さん達の安否でしょう」
野原は、それだけ言うとそそくさと銀輪で走り去った。
「た、た、太郎が満州で戦死した...」
大造は、文面を見て茫然自失となって天井を仰ぎ、秋江はそれをひったくると激しく泣き出したが、ハルは何かを覚悟していたかのようにただ押し黙っていた。
○N郷村山田家、9月下旬の刈り入れ時
山田家の棚田は一面の黄金色、豊かな稔を実現した。大造と秋江、ハルの三人は暁前には起き出し刈り入れの収穫に忙しい。
農作業は、午前中の10時頃に遅い朝食を摂り、昼過ぎの2時頃には腰も痛くなるので終了、遅い昼食となる。
刈り入れの鎌を納屋に仕舞えば万事終了となるが、作業後に鎌を研ぐのは嫁のハルがやることになっている。
「お義父さん、後はやっておきますから..」
ハルが、砥石を取り出して鎌に水をやり研ぎ出すのを見届けると大造は母屋に引き揚げる。
「研ぎ終わる頃には、母屋で婆さんが飯の支度して待ってるから」
大造は、いつもの紋切り型の台詞を言うと10間余り離れた母屋に向かうことにしている。
(長男の太郎は戦死したが、次郎はまだ見込みがありそうだ。それにしても、嫁が元気で、働き者でよかった。今年は豊作だしな)
母屋に帰ったものの、大造は何か落ち着かない。腰に刺したキセルがなくなっているのだ。
大造は、棚田を回って探してみたがない。
「納屋で落としたんかな」
大造が、納谷を覗こうとすると何やら人熱がする。大造は、辺りを憚るようにして木戸を僅かに開けて中をそうっと覗いた。
「ああ❤️」
ハルが、モンペの下だけをずらして秘裂の豆をしごいて自慰行為にふけっていた。秋の陽光を受けて、秘裂を這う指先が透明な愛液でぬらぬらと光っている。
(女盛りじゃ、無理もないわい)
大造は、鎌が散乱して研ぎがそっちのけになった納屋を見ないふりをし、僅かに空いた木戸をさっと閉めて母屋に帰った。
○N郷村山田家の茶の間、昭和20年11月の朝餉
「東京じゃ、マッカーサーちゅう将軍がGHQちゅうもんを作って、物資の統制をするそうじゃ。ウチは狭い棚田だども、今年は豊作じゃったが、この国はどうなるんだかのう」
大造は、新聞を渋面で見つめてから秋江を見た。
「神無月ですからね。神様はみーんな出雲に行っちゃたんでしょ」
秋江は、意地でも気楽である。
秋江が、家族にそれぞれ飯をよそると三人は黙々と箸を動かした。
ガラガラっと玄関が開く音がしたので、ハルが箸を置いて席を立った。
「まあっ、次郎さん!よくもご無事で」
ハルが、瞳を輝かせた。
「まだ、二十五だぜ。そう簡単に死ねるかい」
次郎は、ゲートルの脚絆をとりながらハルにウインクした。
次郎は、鼻筋の通った色白の長身、性格も爽やかな好漢である。
次郎は、居間にあがると両親、ハルを見回し、
「親父、色々あったけど満州から無事引き上げてくることができたよ。長春からの電車は大混乱だったけどね。兄貴は?もう帰っているんだろ。挨拶しないとな。ネエさん、どこだい?まさか...」
次郎は、仏間を見た。仏間には、果たしてまだ目新しい位牌があり、飯と水が供えられていた。線香の煙が寂しげに一筋立ち昇っている。
「太郎はな、満州で戦死した。陸軍省からの最後の便りだからな。間違いない...」
大造が訃報を告げた時、次郎はハルを見てはっとした。
ハルが女の目をして次郎を見ていたからである。
それから、男盛りの次郎と女盛りのハルが男と女の関係になるのにそう時間がかかろうはずもなかった。
二人は、歳用意と称しては夜鍋して納屋に篭り、囲炉裏に榾木を足しては情交を重ねた。
「ああ、次郎さん、すごい良い❤️」
ハルは、義弟の長大な男根を膣に受け入れ、蟹挟みで子宮に精を搾り取り何度も上り詰めた。それは、ハルがこの山田家で生きる為の女の本能のようなものであった。
「ああ、またイク❤️」「いいのよ、中にいっぱい出して❤️」
その年の暮れ、ハルに月のものが来なくなり、懐妊が発覚した。
「私は、悪い女。太郎さんの一周忌も終わっていないのに」
ハルがしなを作った。
「何が悪いもんか。死んだ兄貴だって草葉の陰で喜んでるよ。兄弟なんだからね」
強気の口調とは裏腹に何か割り切れないものを感じる次郎ではあった。
○N郷村山田家の居間、昭和21年1月の新春
鏡餅を神棚から卸して雑煮を作った賑やかな卓に近所の農家が新年の挨拶に集まっていた。
「いやあ、めでたい。めでたい。山田さん処は豪農じゃて。跡継ぎがいなけれゃ、田畠が荒れるって皆が心配してたところじゃ。それが、ハルさんがご懐妊とは」
西の家は、畠の地所を山田家から借りているので小作はあくまで低姿勢だ。
「ウチも陸軍省から太郎の死亡通知を貰った時には、目の前が真っ暗になったがのう。でも、幸い次郎がこうして帰ったからヨシとしなければな。ハルとのことは、キッチリさせる。今年の七月が太郎の一周忌に当たり、それが過ぎたら正式に祝言を挙げて皆さんにお披露目したい」
大造は濁酒で上機嫌に捲し立てた、
「さあ、今日は春から縁起がええ。皆さんも遠慮なくやってくれい」
卓に、握り飯と味噌汁、鮒や鯉の煮付け、アライが配膳されると皆から田植え唄が手拍子で披露された。
“畠起こせば〜春が来る〜
春が来たなら〜種子植える〜
腰が痛くて〜足腰立たず〜
飽きを知らずに~毎日励みゃ〜
秋が来る頃〜天恵む〜”
ハルは、皆の唄声を聴いて自らの腹を摩っていた。
「生まれて初めて、しあわせを感じるわ」
○N郷村山田家、昭和21年7月20(日)の旧盆、夕方
旧盆の夕刻、盆地に夕闇が迫る頃、旧軍の軍服に身を包んだ若者が、松葉杖を着きながらN郷村にやってきた。
「はあ、はあ、この辺だったよな。我が家は...誰か知り合いにでも会えばなあ」
「はれ?あんた大造さんとこの太郎さん?あんた満州で亡くなったんじゃ...」
大八車に青菜を積んだ西の家の婆が声をかけて来た。
「はい、正しく太郎です」
太郎は、虚しく姿勢を正した。
「でも、あんた左脚はどうなすった?」
婆が目を剥いて太郎の無い左脚を見つめた。
「敵の...八路軍の砲弾にやられました。名誉の負傷です」
太郎は、復員兵の紋切り型の挨拶をすると婆の指差す方向へと松葉杖をつきながら向かった。
「山田太郎一等兵っ!ただ今帰還しました!」
母屋の玄関を勢いよく開けたものの、父母の大造と秋江はただぽかんとするばかりである。
盆の迎え火がチラチラと揺れている。
「なんだ、父ちゃんも母ちゃんも唖然としてさ。そうだ、ハルはどうした?ハルに会いたい。積もる話もあるからな...」
太郎は、広い居間を見回した、
「居ないな...あっ、そうか納屋だな。あいつは働き者の嫁だからな」
太郎は、松葉杖をつきながらヒョコヒョコと納屋に向かった。
「おーい、ハル、今帰ったぞ!」
太郎が納屋を開けると、次郎とハルが熱く抱擁して接吻していた。ハルの腹は臨月が近く、張り裂けんばかりになっている。
「き、貴様、ハル!その腹はっ?」
「ご、ごめんなさい、あなたは満州で戦死したからって聴いたから、わたし寂しくて次郎さんと...」
ハルは下を向いた。
「兄貴!何だ今更、いっそ満州の土塊になってくれたら良かったのに...」
次郎は、太郎の左脚の無いのを見て跡継ぎを確信して強気に言った。
「何?この泥棒猫がっ、俺の女に手を出しやがって!しかも孕ませるとはなっ、盗っ人たけだけしいとはこの事よ」
太郎が松葉杖で次郎に撃ち掛かると次郎は斧を手にして、兄弟で殺し合いが始まった。
.......
翌朝、野原巡査が安否確認の為に山田家を訪れていた。
「なんでも、昨日の夕刻、西の家の婆が太郎さんを見たそうな。なんでも脚が無かったとか」
「やはり、見たんですか。私には見えませんでしたけど、家内も脚がない太郎を見たと言っていました...可哀想に太郎の奴、一周忌だから盆のこの頃に魂だけ満州から飛んで帰ったんだ。それで...」
大造がやれやれというふうに涙目になると、
野原は「でやがった」と独り言を言い、大造に敬礼すると身震いして銀輪でほうほうの体でまた走り去った。
○昭和20年8月下旬、関東北部T県S市〜山がちな盆地N郷村の農家、山田家
「もう、太郎は帰ってこないかもしれんのう」
農家の主人、山田大造(67)は満州に出兵した長男の安否をやきもきしながら心配して毎日を送っていた。
「心配しても、しょうがないでしょ。天に任せるよりありませんよ。陸軍省から死亡通知がきてないんだもの、どこかでちゃあんと生きていますよ」
妻の秋江(68)は、一歳上の女房でもあり夫より楽天的なものの考え方である。
「もう、東京の大本営はおろか、陸軍省そのものが解体して、関係者は書類を焼却して離散しとるいう話だ。恐らくその中に、太郎の死亡通知もあったのかも知れん、そうなったら...」
大造は、目を伏せた。
「縁起でもない...嫁に来たハルの気持ちを考えて下さいな。女だって、やりきれないもんですよ」
秋江は、仏間で供物をあげている嫁の秋江(28)をチラッと見やった。
「もし、太郎が駄目になったら、次郎に期待するしかない。家督は、次郎に譲ろう」
大造は、モンペ姿のハルを見遣った。腰と乳が張り、襟もとから色気が漂よう女盛りである。
「もし、太郎も次郎も居なくなってしまったら...」
「よして下さいな。もう、復員船が下関や門司に到着してるって話じゃありませんか。もそっと気長に待ちましょう、終戦から間もないんですから」
秋江は、朝食の支度を整えると味噌汁を大造によそった。
「おっ、今朝は秋茄子の味噌汁か。秋茄子は嫁に食わすなとは言うが...畠があっても、種子がなくてはどうもならんのう」
大造がハルの女盛りの腰付きを見遣ると、ハルは恥ずかしく視線を逸らしてもじもじした。
「山田さん、郵便ですよ」
終戦後の新生警察になっても引き続き駐在の職を引き継いだ野原(38)が、速達の封書を持ってきた。
「どこからじゃ」
大造は、箸を置いて卓を立った。
「東京の陸軍省から...たぶんは息子さん達の安否でしょう」
野原は、それだけ言うとそそくさと銀輪で走り去った。
「た、た、太郎が満州で戦死した...」
大造は、文面を見て茫然自失となって天井を仰ぎ、秋江はそれをひったくると激しく泣き出したが、ハルは何かを覚悟していたかのようにただ押し黙っていた。
○N郷村山田家、9月下旬の刈り入れ時
山田家の棚田は一面の黄金色、豊かな稔を実現した。大造と秋江、ハルの三人は暁前には起き出し刈り入れの収穫に忙しい。
農作業は、午前中の10時頃に遅い朝食を摂り、昼過ぎの2時頃には腰も痛くなるので終了、遅い昼食となる。
刈り入れの鎌を納屋に仕舞えば万事終了となるが、作業後に鎌を研ぐのは嫁のハルがやることになっている。
「お義父さん、後はやっておきますから..」
ハルが、砥石を取り出して鎌に水をやり研ぎ出すのを見届けると大造は母屋に引き揚げる。
「研ぎ終わる頃には、母屋で婆さんが飯の支度して待ってるから」
大造は、いつもの紋切り型の台詞を言うと10間余り離れた母屋に向かうことにしている。
(長男の太郎は戦死したが、次郎はまだ見込みがありそうだ。それにしても、嫁が元気で、働き者でよかった。今年は豊作だしな)
母屋に帰ったものの、大造は何か落ち着かない。腰に刺したキセルがなくなっているのだ。
大造は、棚田を回って探してみたがない。
「納屋で落としたんかな」
大造が、納谷を覗こうとすると何やら人熱がする。大造は、辺りを憚るようにして木戸を僅かに開けて中をそうっと覗いた。
「ああ❤️」
ハルが、モンペの下だけをずらして秘裂の豆をしごいて自慰行為にふけっていた。秋の陽光を受けて、秘裂を這う指先が透明な愛液でぬらぬらと光っている。
(女盛りじゃ、無理もないわい)
大造は、鎌が散乱して研ぎがそっちのけになった納屋を見ないふりをし、僅かに空いた木戸をさっと閉めて母屋に帰った。
○N郷村山田家の茶の間、昭和20年11月の朝餉
「東京じゃ、マッカーサーちゅう将軍がGHQちゅうもんを作って、物資の統制をするそうじゃ。ウチは狭い棚田だども、今年は豊作じゃったが、この国はどうなるんだかのう」
大造は、新聞を渋面で見つめてから秋江を見た。
「神無月ですからね。神様はみーんな出雲に行っちゃたんでしょ」
秋江は、意地でも気楽である。
秋江が、家族にそれぞれ飯をよそると三人は黙々と箸を動かした。
ガラガラっと玄関が開く音がしたので、ハルが箸を置いて席を立った。
「まあっ、次郎さん!よくもご無事で」
ハルが、瞳を輝かせた。
「まだ、二十五だぜ。そう簡単に死ねるかい」
次郎は、ゲートルの脚絆をとりながらハルにウインクした。
次郎は、鼻筋の通った色白の長身、性格も爽やかな好漢である。
次郎は、居間にあがると両親、ハルを見回し、
「親父、色々あったけど満州から無事引き上げてくることができたよ。長春からの電車は大混乱だったけどね。兄貴は?もう帰っているんだろ。挨拶しないとな。ネエさん、どこだい?まさか...」
次郎は、仏間を見た。仏間には、果たしてまだ目新しい位牌があり、飯と水が供えられていた。線香の煙が寂しげに一筋立ち昇っている。
「太郎はな、満州で戦死した。陸軍省からの最後の便りだからな。間違いない...」
大造が訃報を告げた時、次郎はハルを見てはっとした。
ハルが女の目をして次郎を見ていたからである。
それから、男盛りの次郎と女盛りのハルが男と女の関係になるのにそう時間がかかろうはずもなかった。
二人は、歳用意と称しては夜鍋して納屋に篭り、囲炉裏に榾木を足しては情交を重ねた。
「ああ、次郎さん、すごい良い❤️」
ハルは、義弟の長大な男根を膣に受け入れ、蟹挟みで子宮に精を搾り取り何度も上り詰めた。それは、ハルがこの山田家で生きる為の女の本能のようなものであった。
「ああ、またイク❤️」「いいのよ、中にいっぱい出して❤️」
その年の暮れ、ハルに月のものが来なくなり、懐妊が発覚した。
「私は、悪い女。太郎さんの一周忌も終わっていないのに」
ハルがしなを作った。
「何が悪いもんか。死んだ兄貴だって草葉の陰で喜んでるよ。兄弟なんだからね」
強気の口調とは裏腹に何か割り切れないものを感じる次郎ではあった。
○N郷村山田家の居間、昭和21年1月の新春
鏡餅を神棚から卸して雑煮を作った賑やかな卓に近所の農家が新年の挨拶に集まっていた。
「いやあ、めでたい。めでたい。山田さん処は豪農じゃて。跡継ぎがいなけれゃ、田畠が荒れるって皆が心配してたところじゃ。それが、ハルさんがご懐妊とは」
西の家は、畠の地所を山田家から借りているので小作はあくまで低姿勢だ。
「ウチも陸軍省から太郎の死亡通知を貰った時には、目の前が真っ暗になったがのう。でも、幸い次郎がこうして帰ったからヨシとしなければな。ハルとのことは、キッチリさせる。今年の七月が太郎の一周忌に当たり、それが過ぎたら正式に祝言を挙げて皆さんにお披露目したい」
大造は濁酒で上機嫌に捲し立てた、
「さあ、今日は春から縁起がええ。皆さんも遠慮なくやってくれい」
卓に、握り飯と味噌汁、鮒や鯉の煮付け、アライが配膳されると皆から田植え唄が手拍子で披露された。
“畠起こせば〜春が来る〜
春が来たなら〜種子植える〜
腰が痛くて〜足腰立たず〜
飽きを知らずに~毎日励みゃ〜
秋が来る頃〜天恵む〜”
ハルは、皆の唄声を聴いて自らの腹を摩っていた。
「生まれて初めて、しあわせを感じるわ」
○N郷村山田家、昭和21年7月20(日)の旧盆、夕方
旧盆の夕刻、盆地に夕闇が迫る頃、旧軍の軍服に身を包んだ若者が、松葉杖を着きながらN郷村にやってきた。
「はあ、はあ、この辺だったよな。我が家は...誰か知り合いにでも会えばなあ」
「はれ?あんた大造さんとこの太郎さん?あんた満州で亡くなったんじゃ...」
大八車に青菜を積んだ西の家の婆が声をかけて来た。
「はい、正しく太郎です」
太郎は、虚しく姿勢を正した。
「でも、あんた左脚はどうなすった?」
婆が目を剥いて太郎の無い左脚を見つめた。
「敵の...八路軍の砲弾にやられました。名誉の負傷です」
太郎は、復員兵の紋切り型の挨拶をすると婆の指差す方向へと松葉杖をつきながら向かった。
「山田太郎一等兵っ!ただ今帰還しました!」
母屋の玄関を勢いよく開けたものの、父母の大造と秋江はただぽかんとするばかりである。
盆の迎え火がチラチラと揺れている。
「なんだ、父ちゃんも母ちゃんも唖然としてさ。そうだ、ハルはどうした?ハルに会いたい。積もる話もあるからな...」
太郎は、広い居間を見回した、
「居ないな...あっ、そうか納屋だな。あいつは働き者の嫁だからな」
太郎は、松葉杖をつきながらヒョコヒョコと納屋に向かった。
「おーい、ハル、今帰ったぞ!」
太郎が納屋を開けると、次郎とハルが熱く抱擁して接吻していた。ハルの腹は臨月が近く、張り裂けんばかりになっている。
「き、貴様、ハル!その腹はっ?」
「ご、ごめんなさい、あなたは満州で戦死したからって聴いたから、わたし寂しくて次郎さんと...」
ハルは下を向いた。
「兄貴!何だ今更、いっそ満州の土塊になってくれたら良かったのに...」
次郎は、太郎の左脚の無いのを見て跡継ぎを確信して強気に言った。
「何?この泥棒猫がっ、俺の女に手を出しやがって!しかも孕ませるとはなっ、盗っ人たけだけしいとはこの事よ」
太郎が松葉杖で次郎に撃ち掛かると次郎は斧を手にして、兄弟で殺し合いが始まった。
.......
翌朝、野原巡査が安否確認の為に山田家を訪れていた。
「なんでも、昨日の夕刻、西の家の婆が太郎さんを見たそうな。なんでも脚が無かったとか」
「やはり、見たんですか。私には見えませんでしたけど、家内も脚がない太郎を見たと言っていました...可哀想に太郎の奴、一周忌だから盆のこの頃に魂だけ満州から飛んで帰ったんだ。それで...」
大造がやれやれというふうに涙目になると、
野原は「でやがった」と独り言を言い、大造に敬礼すると身震いして銀輪でほうほうの体でまた走り去った。