第5話

文字数 2,288文字

「木が全然なくなったな」

「ああ、すごいな。どこまでも草が広がっている」

 一晩を越し、朝から森の中を歩き通した2人は、草原へとたどり着いた。

 東の村で生まれた時から、森の中の暮らししかしたことのないクアトとコーバスにとっては、木のほとんどない景色は目新しいものであった。

「風が吹いている……」

 深い森で暮らしていた2人には、風というものは湿った重たいものが常であり、こんなにもサラサラと流れるせせらぎのように、草を緩やかに靡かせながら通り過ぎていく風も初めて味わうものであった。

「コーバス、ここなら風の魔法が使えるんじゃないか?」

「そうだな。森の中じゃ風の力を感じづらかったから、使うこともなかったが……」

 コーバスはそう言うと、風の流れの中に拳を突き入れて、自然の営みに願いを伝えようと試みた。

「見ろよ、コーバス。お前の周りで風が渦巻いてきたぞ」

 地面の草の風にたなびく向きが、コーバスを中心とした円形に広がっていく。

「……ダメだ。これ以上はできない」

 コーバスが握り締めていた手を解くと、風たちの流れは元の形に戻っていった。

「すごいよ。どうやってやってるんだ?」

「俺も理由はわからないさ。ただ……簡単に言うと願うんだ。自然の力の向かう方向に逆らうのとは違うんだが、力を貸して貰えるよう願うんだ。そうすると少しずつ魔法が使えるんだ。自分との相性もある。俺は永らく火に関わる魔法を生活の中で使うことが多かったから、比較的得意だがな。風に魔力を込めるのは初めてだったから、今回はいまいち感覚がわからなかった」

「それでもすげえよ。風の動きが変わってたぜ」

 魔力を注がれなくなった空気は、自然のあるがままの姿で吹き流れ続けていた。

「この風が向かう場所に風の神殿があるって言っていたな」

「ああ、ここからは風を追っていけばいいんだ。きっと」

 2人の髪がなびいている。今まで一度も出たことのなかった森から一歩足を踏み出したことで青年たちは今、少しだけ成長したことに気がついていない。

「昨夜はお前少し臆病になっていたけど、巡礼の旅も順調な始まりになりそうだな」

「っ、べっ、別に臆病になんてなっていなかった」

「そうか? まあ、別にそこは追求はしないけどよ」

 軽口を叩いてクアトをからかうと、赤い顔をして反論してくる。コーバスがそれを面白がっていると、どこからかか細い声のようなものが聞こえた。

「おい、今何か聞こえなかったか?」

「何言ってるんだ、何も聞こえないよ。森を出たら今度はコーバスが臆病になったのか?」

 ニヤニヤ笑いながらクアトは先ほどの仕返しとばかりにコーバスに言い返したが、コーバスは警戒を緩めなかった。

「確かに聞こえた。風の音に邪魔されてるだけだ。耳をすませてみろよ」

 ふざけているわけではなさそうなコーバスの様子を見て、クアトも訝しげに周囲を見渡す。狩人の鷹のような目は、異変にすぐに気がついた。

「コーバス! 景色が歪んでいるぞ。俺の指の先だ」

 クアトはそう叫ぶと同時に、何もない空中を指さした。コーバスがその指の先を目で追うと、ほんのわずかに、一部分だけが濁った水を通したように空中で景色が歪んでいた。

「……なんだあいつは、獣じゃないな……魔物の類か?」

 目を凝らしても形は何も見えないが、異常事態が起きていることだけはわかる。コーバスは掌に火球を作り出すと、それをクアトの指の先の空間に向けて放った。

「……ムダ」

「喋った!?」

「だから言っただろ! 何か聞こえたって!」

 火球は歪んだ景色を通り過ぎて掻き消えた。

「ちくしょうっ! 火じゃダメか」

「魔物の類なら、光で祓えるんじゃないか?」

「光で攻撃する手段を持っていない! 俺が使える光の魔法はヒールくらいだ!」

「……コーバス、俺の矢にヒールをかけろ」

「矢にヒール? お前何言って……」

「はやくっ! 試したいことがある」

「っ、わかったよ」

 クアトが弓にかけた矢にコーバスがヒールの魔法をかけた。先端から小さな輝きが走り、矢が薄らと光りだす。

 そのまま無言でクアトは狙いを定めて矢を放った。狩人の手は速く、その間にかかった時間はまばたき1回ほどの出来事であった。

 輝いた矢が歪んだ景色を通過した瞬間、魔物の断末魔が響いた。

「……耳がつんざかれるかと思った。クアト、お前すごいな。ヒールをまとわせた矢で魔物を撃ち抜くなんて考えもつかなかったよ」

「俺も偶然思い付いただけだ……うまくいったみたいで良かった」

「ソウソウ、偶然ノ産物デアッテモ、ソレハ全テ知識ニナルカラナ。無駄ナモノナド何一ツナイ」

「そうだな……って、誰だ!?」

「ツレナイナ。オ前達ガ今ブチヌイタ一介ノ魔物デスヨ」

 今度ははっきりとその姿が見えた。フワフワと頼りなさげに浮かんだ人の体のような存在が一体。フードをかぶった顔は見ることができない。覗き込んだ先にはどこまでも暗闇が広がっていそうだ。

「倒していなかったのか……」

「倒シテイナイネ。マア、オレハ元々光属性ノマジシャンダッタカラ、光魔法ナンテアビテモ、ムシロココチヨカッタケド」

 そう言って魔物らしき存在はケタケタと声を立てて笑った。

「元々マジシャンだった……?」

「どういうことだ。お前、魔物とは違うのか?」

「怖イ顔スルナ。チャント説明シテヤル。オ前達、巡礼ノ旅ヲシテイルンダロウ?」
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