カエデの恩返し

文字数 4,157文字


 「これはまた、ひどいね。」
岩だらけの渓谷で、ぎらぎらと照りつける陽ざしにうんざりしながらコケは言った。
すぐ側で自分と同じ様に生えている仲間もからだを揺らし同意を示す。
「湖の決壊で大洪水が起きたからね。ここは山の火砕流の大地を洪水が削ってできたところだから岩だらけだ。こんな場所に耐えられるのは、わたし達コケだけさ。」
それはそうだ、と思う。こんな環境、強い陽ざしと乾燥した空気は自分だってうんざりするのだ。きっとわたし達よりも水と栄養が必要な植物達には耐えられない。 
けれど。
「さびしいねえ。」
仲間が大勢いるから孤独ではない。が、違う。何かが足りないと思うのは何故なのだろうか。
この、岩に自分達がびっしりと生えた景色に違和感をもってしまうのだ。
「だいじょうぶさ。ぼく達はすぐ忙しくなる。」
「どうしてだい?」
「ぼく達は土台の土台だからだ。新しいものを増やしていくためのね。」
仲間の言っていることは少しも理解できなかった。けれど、この寂しさがなくなるのであれば「土台の土台」も良いかもしれない。コケは先の事に思いをはせながら風にまかせ身をゆらした。

 長い長い時が経ち岩の上に土ができた。深い茶色をしたそれらは太陽とは違う優しい温かさを持っていた。
コケは満足気に揺れる。
「長かったね。」
「まだまだだよ。これはまだ土台なんだ。」
「なんの土台だい?」
仲間は空を見上げた。つられて見ると青く広がった空で鳥が飛んでいた。そのくちばしから何かが落下してくる。
コケは慌ててそれを受け止めた。
「これは?」
「種だね。カエデだ。」
カエデ。葉の形がカエルの手に似ている木だ。こんな小さな種から大きな木が生まれるのか。
コケはそっと己の体で種を包み込む。乾燥しないように栄養が足りなくならないように。
いつか立派な一本の木になってほしいとコケは願った。ひどく満ち足りた気持ちだ。昔感じた寂しさはなくなっていた。
この子を守り、育てるために自分はここにいるのだと、コケは悟った。 

 意識がはっきりしたときカエデは母である木と離れたのだ、と知った。己を包む身を喰われ今ここにたどり着いた。
辺りを見回せば自分と同い年くらいの芽がちらほらと生えている。母にくっついていた頃とは違い草木が繁茂した深い緑色と茶色の景色はない。
「生まれたんだね。調子はどうだい?」
ふと聞こえてきた声にカエデは下を見下ろした。青々としたコケたちが心配そうに自分を見上げている。
わずかに頷けば安堵したように身をよせてくる。
「水は足りているかい?遠慮することは無いんだよ。」
かいがいしく世話をやきはじめたコケ達をカエデはじっと見つめる。どうして彼らはこんなに自分に親身になってくれるのだろうか。わざわざ保っていた水を与えてくれるなんて。
「なんで?」
ぽつりと漏らした呟きは辺りに響きわたったようで、訝しげな視線がいろんなところからとんでくる。
「何がだい?」
一番始めに話しかけてきたコケが優しく問うた。カエデはそのコケに視線をあわせる。
「どうしてこんなに優しくしてくれるの?ぼく、返せるもの何もないよ。」
「元気に生長していってくれれば充分さ。子供がそんな難しく考えるものじゃない。」
その声音に偽りはなくただただ、慈愛に満ちていた。カエデはしばらく黙っていた。コケはその様子を静かに見つめる。
「コケの気持ちはよくわからない。けど、ぼくは今一人で生きる事は難しい。だから………」
自身の気持ちを整理しながらカエデは言葉を紡ぐ。自分によりそったままのコケ達を見回しぺこりと軽く芽をさげた。
「お世話に、なります。」
 
 (こまったなあ)
カエデはコケ達に気付かれないようにひっそりと溜め息をついた。
カエデは芽が出てしばらく、コケ達の水分とその下の土の養分で生長していった。しかし生長していくにつれ、それらを足りないと感じてしまうのだ。しかし、コケ達にそれを言うのはあまりにも申し訳なさ過ぎた。彼らは精一杯水をわけてくれるのだから。
それを足りないと言ってしまうのは簡単だが同時に深く傷つけることになる。
何か良い案はないものかと辺りを見回したカエデはふと岩の下に広がる地面に目をとめる。
どこまでも広がるそれは自分の欲しいものをたくさん含んでいるように見えた。
そっと地面に向かって根をのばす。しかしそれをコケ達に隠せるわけもなく。
「足りてないんだね、カエデ?」
「……、……ごめん。」
こちらを見上げる彼等にカエデは消え入りそうな声で謝った。
途端にコケ達はけたけたと体をゆらして笑いだす。
「どうして、謝るんだい?」
「せっかくみんなが水をわけてくれているのにぼくはそれに満足できない。」
「それは生長したからだよ。そんな落ち込みなさんな。」
違う、と言いかけカエデは続きを飲み込んだ。
コケ達は自分に負い目をおわせまいと明るくいてくれる。だからカエデも黙り地面に根をおろした。
 自分は与えられているだけだ。芽をだしてからずっと。それで、良いのだろうか。このまま幹を太くし枝をのばし葉を繁らし実をつけ子孫を増やしていく。その過程のなかで自分はコケ達にできることはあるのだろうか。
 考えても考えても答えは見つからなかった。

 地面からも栄養をもらったカエデは岩を包み込むようにして立つ、大きな大きな木に生長していった。
「大きくなったねえ、カエデ。」
コケ達がカエデを見上げ嬉しそうに言う。そのまなざしが少し気恥ずかしくてカエデは太くなった枝を揺らした。さらさらと葉が心地良い音をたてる。他の木々も面白がって枝を揺らしはじめた。
葉の音にみなが耳をすませた。穏やかな静寂のなか、葉と葉のすれる音だけが響く。
「大変だ、大変だ。」
そんな空気をこわしたのは、疲れた様子の一羽の鳥だった。ここらでは見かけないからきっと遠くから来たのだろう。
鳥はカエデの幹にちょん、と乗った。
「にんげんがたたかいを始めたよ。」
「またかい?」
コケが笑う。奇妙な笑い方だ。確かに笑っているのに歪んでいる。いつもこけは穏やかに笑うから似合わない。
鳥ははねを振り回す。
「前よりもっとひどいよ。細長い、とっても汚い銀色のものが空を飛ぶんだ。そいつらのお腹から、黒いものがたくさん出て……。」
こくり、と鳥はのどをならした。もりの植物も生物も息を飲んで続きを待つ。
「燃やしちゃうんだ。このもりとおんなじくらいの町を。火が消えたら死体がいっぱいあるんだ。」
「そんなのがここに来たら、わたしらはすぐに燃えてしまうじゃないか。せっかく長い時間をかけてここまでもりを築き上げてきたのに。」
他のコケが悲鳴をあげた。カエデは空を見上げた。
いつも通りの青い、そら。
そこに鳥が言った銀色のものが飛んでいるところを思い浮かべる。雲とは違い不自然な気がした。
「それは、ここに来ると思う?」
カエデはコケに尋ねた。
「さあね。にんげんの考えることはわからないよ。同族を殺すなんて。」
にんげん。
カエデはにんげんを一度だけ見たことがあった。まだ幹も枝も細かったころだ。
にんげんはカエデを見上げちょっと残念そうな顔をした。彼がさくさくと二本の軽そうな足を動かし奥へ進んだところで他の木の悲鳴が聞こえてきたのをよく覚えている。
まだまだ生長できた筈の木はにんげんが生きるために切り倒されたのだ、とコケから聞いた。それ以来にんげんは恐ろしいものなのだ、とカエデは思っている。
「でもどうしてにんげんは戦うの?同じ種族なんでしょう?」
「これは私の予想なんだけどね。」
コケは静かに言った。
「欲が底なしだからだと思う。」
「欲なら僕にもあるよ。」
「カエデのは生きるための最低限の欲だ。乾きそうになれば水を欲するし、腹がすけば栄養を欲する。でもそれはみんな同じだろう?」
「にんげんも?」
「そうだよ。やっかいなのはその先があることだ。食欲が満たされれば、物欲を満たそうとし満たされれば支配欲を満たそうとする。

「それで同族を殺すの?変なの。」
「ああ。変としか言い様がないね。それに……。」
コケはとりが飛んできた方をみた。ここからでは見えないが焼けた町のある方を。
「一度争いを始めればそれが本当の意味で終わることは二度とない。どうしてにんげんはそれがわからないんだろうね。」
静まり返った森にコケの小さな呟きはよく響いた。

 最近コケは困った様子でいることが多くなった。からだを揺らしながらあちこちに視線を向けている。
「どうしたの、コケ?」
カエデが尋ねるとコケは微苦笑をうかべた。
「こんなことお前に話しても仕方ないとは思うのだけれどね、場所がないんだよ。」
「場所?」
「仲間をね、増やしたいのさ。だけど私の胞子をとばせるところが無いんだよ。」
カエデはあたりを見回した。
岩だらけだったところは長い、長い年月を重ね森となった。下を見下ろせば幾多の木や草が繁っており新たに他の植物が生きることは難しそうだった。
それでもコケの力になりたくて、カエデは場所を探し、ふと岩を包み込むようにしてのびる自分の幹に目をとめた。
「あったよ!」
カエデは叫んだ。コケ達は驚き怪訝そうな視線を向ける。
「場所があったんだ。僕の幹だよ。みんな僕の幹に胞子を付着させれば良いんだ。」
「けれどカエデ。」
長年、自分を育てそばにいてくれたコケは戸惑うように言った。
「お前はそれで良いのかい?」
「良いっていっているじゃないか。」
焦れったそうにカエデは葉をゆらした。
かつてコケに育てられた自分が今度はコケ達の育つ場所を提供する。与えられてきた分、与えることができたのだ。これほど素晴しいことがあるだろうか。
「……じゃあ、お言葉に甘えようかねえ。」
コケ達は一斉に己の胞子をとばした。

 カエデ達の前ににんげんが五人、いた。
「……こうして、カエデの幹はこういうふうに緑でおおわれていくのです。」
そのうちの一人が他の人たちに自分達のことを話している。さかんに相槌をうっているなか、一番小さなにんげんがかん高い声をあげた。
「まるで、『カエデの恩返し』ですね。」
「お、いいことを言いますね。」
その子の言葉はカエデの全身に水のようにしみわたった。
恩返し。
「ぼくは恩返しができたんだ。」
呟くとコケ達は自分を見上げにっこり笑ってからだを揺らした。
にんげん達の話声が遠ざかる。
森は静かになった。
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