砂場に人生のすべてがあるとは
文字数 2,225文字
健太を連れて、近所の公園へやって来た。大きな遊具のある、子どもたちから人気の公園だ。
今日はとことん健太に付き合って、思いっきり遊んでやろうと決めていた。下の子が産まれてからというものの、何かと健太には我慢ばかり強いて、可哀想な思いをさせているから。
晴天に恵まれた週末、家族連れで賑わう公園で、健太は子どもが鈴なりになって遊んでいる巨大なタコ型の遊具には向かわずに、誰もいない砂場を独り占めにしてもくもくと遊んでいる。 私に似たのか、この子は群れずに独りでいる事を、好むタイプなのだろう。構うことはない。友達の数が、人間の価値に繋がるなんて事はないのだから。
「ホラ見て、パパ! お山! お山!」
「おぉ、でっかいのができたな」
大好きな砂場で砂まみれになりながら、ザクザクとスコップで砂を掘り、山にして固め、巨大な砂山を作り上げ、屈託なく笑う健太。妻によれば、幼稚園の先生から
「近頃めったに笑わなくなり、少し乱暴が過ぎるのが気になっているんです。おうちでも、注意して見守ってあげてくださいますか?」
なんて言われただなんて、嘘のようだ。いったい、健太のどこを見ているんだ。こんなにもイイ子なのに。
下がった目尻、太目の眉、色白で髪には少し癖がある。
「息子さん、お父さんとそっくりですね」
私と健太が歩いていると、みな口を揃えてそう言う。私の愛しい息子。
健太が見ていない間に、手早く足元に小さな砂の山を作り、こっそりその中に、健太のお気に入りの郵便トラックのミニカーを埋め込んだ。
「健太、宝の山ができたぞ。何が入っているかな?崩してごらん」
私の言葉に目を輝かせ、砂山を崩してあさり、砂の中に手を突っ込みミニカーを探りだした彼は
「見つけたー! お山からトラックが出てきたよー!」
と、無邪気にはしゃぐ。
「ボクも!ボクも宝のお山、つくるー! パパはあっちに行ってて! 見ちゃダメだからね!」
「はいはい」
健太に追いやられ、私は砂場から少し離れた木陰のベンチに腰をかけた。ベンチの側に置いた、ベビーカーに目をやる。小さな妹は、すぅすぅと寝息をたて、まだ夢の中にいるようだ。
「久し振りに、友達に会いたいの」
そう言った妻のために、今日は私が一日、子守り役を買って出た。
しっかりと化粧をし、華やかなデザインのワンピースとヒールの靴を身につけ、いそいそと妻は出掛けていった。
私に背を向け、健太は一心に砂山をこしらえている。一体、何を隠そうとしているのやら。
暖かい陽射しにうつらうつらとしている内に、いつしか私は、ストンと深い眠りに落ちてしまっていた。
ふと目を覚ますと、太陽はすでに傾き、空は紅く色を変え始めている。思いの外、長く眠ってしまったらしい。
「パパー! 見てー!!」
大小いくつもの砂の山をこしらえ、自慢気に砂場から手を振る健太の姿に
「おぉ、いっぱい作ったなー」
と声をかけ、彼の無事にひとまず安堵し、傍らのベビーカーを覗いた。
― ベビーカーの中は、もぬけの殻だった。
……あの子は、あの子はどこに行ったんだ?
身体中の血が凍りつき、指先が震えだした。妹はまだ5ヶ月だ。ベビーカーから抜け出して、一人でどこかに行けるはずはない。だとしたら、誰かに拐われたのか? 自分が寝ている間に? 一体、誰が?
最悪のシナリオが、頭の中を駆け巡る。
「パパー! 宝のお山だよー。色んなもんが入っているよー」
健太の声を遠くに聞きながら、辺りを見渡す。だが、日が暮れはじめた公園には、私達のほかに誰も人影は見当たらない。
「このお山には、何が入っているでしょーうか?」
健太は砂山に飛び乗り、蹴りを入れる。崩れた山のなかから、
「じゃーん! スコップでしたー!!」
と、赤いスコップを取りだし、掲げて見せる。
「こっちのお山には、何が入っているでしょーうか?」
そう言って、健太は次々と、砂山を脚で乱暴に崩していく。
……待てよ?
砂場の真ん中にそびえる、ひときわ大きな山の頂上から覗いている、アレはなんだ? 白いヒトデのような……、アレは一体なんなんだ?
奇声を発しながら、健太は片っ端から砂山を蹴り崩していく。
動揺のあまり、揺らいでいた視点が徐々に定まっていくと、砂山から苦しそうに突き出たそれが、『赤ん坊の手』だと、雷に打たれたように認識した。けれども私の足は、地面に縫い付けられたかのように動かず、ただただ、その場に立ち尽くすだけだった。
― あの宝の山の中には、あの子がいる。
私ではなく、私の親友に瓜二つのあの子がいる ―
妻が、
「久し振りに会いたい」
と言った『友達』とは、恐らくアイツの事だろう。
何年も前から、二人がそういう仲になっていた事には、薄々感付いていた。
― なあ、お・前・た・ちの子どもは、今あの宝の山の中に眠っているよ。
空を掴むように、突き出された小さな手は、固まり、動かない。
周りの山を崩し終え、健太の身体がゆっくり、最後に残されたその山へと向かっていく。
ああ、健太。
もしかして、お前も知っていたのか。
その赤ん坊の体内には、お前の大好きなママを俺たちから奪っていった男の血が、流れている事に...。
そうだ。
破壊してしまえ、健太。
跡形もなく、すべてを ― 。
これで全部、サヨナラだ。
今日はとことん健太に付き合って、思いっきり遊んでやろうと決めていた。下の子が産まれてからというものの、何かと健太には我慢ばかり強いて、可哀想な思いをさせているから。
晴天に恵まれた週末、家族連れで賑わう公園で、健太は子どもが鈴なりになって遊んでいる巨大なタコ型の遊具には向かわずに、誰もいない砂場を独り占めにしてもくもくと遊んでいる。 私に似たのか、この子は群れずに独りでいる事を、好むタイプなのだろう。構うことはない。友達の数が、人間の価値に繋がるなんて事はないのだから。
「ホラ見て、パパ! お山! お山!」
「おぉ、でっかいのができたな」
大好きな砂場で砂まみれになりながら、ザクザクとスコップで砂を掘り、山にして固め、巨大な砂山を作り上げ、屈託なく笑う健太。妻によれば、幼稚園の先生から
「近頃めったに笑わなくなり、少し乱暴が過ぎるのが気になっているんです。おうちでも、注意して見守ってあげてくださいますか?」
なんて言われただなんて、嘘のようだ。いったい、健太のどこを見ているんだ。こんなにもイイ子なのに。
下がった目尻、太目の眉、色白で髪には少し癖がある。
「息子さん、お父さんとそっくりですね」
私と健太が歩いていると、みな口を揃えてそう言う。私の愛しい息子。
健太が見ていない間に、手早く足元に小さな砂の山を作り、こっそりその中に、健太のお気に入りの郵便トラックのミニカーを埋め込んだ。
「健太、宝の山ができたぞ。何が入っているかな?崩してごらん」
私の言葉に目を輝かせ、砂山を崩してあさり、砂の中に手を突っ込みミニカーを探りだした彼は
「見つけたー! お山からトラックが出てきたよー!」
と、無邪気にはしゃぐ。
「ボクも!ボクも宝のお山、つくるー! パパはあっちに行ってて! 見ちゃダメだからね!」
「はいはい」
健太に追いやられ、私は砂場から少し離れた木陰のベンチに腰をかけた。ベンチの側に置いた、ベビーカーに目をやる。小さな妹は、すぅすぅと寝息をたて、まだ夢の中にいるようだ。
「久し振りに、友達に会いたいの」
そう言った妻のために、今日は私が一日、子守り役を買って出た。
しっかりと化粧をし、華やかなデザインのワンピースとヒールの靴を身につけ、いそいそと妻は出掛けていった。
私に背を向け、健太は一心に砂山をこしらえている。一体、何を隠そうとしているのやら。
暖かい陽射しにうつらうつらとしている内に、いつしか私は、ストンと深い眠りに落ちてしまっていた。
ふと目を覚ますと、太陽はすでに傾き、空は紅く色を変え始めている。思いの外、長く眠ってしまったらしい。
「パパー! 見てー!!」
大小いくつもの砂の山をこしらえ、自慢気に砂場から手を振る健太の姿に
「おぉ、いっぱい作ったなー」
と声をかけ、彼の無事にひとまず安堵し、傍らのベビーカーを覗いた。
― ベビーカーの中は、もぬけの殻だった。
……あの子は、あの子はどこに行ったんだ?
身体中の血が凍りつき、指先が震えだした。妹はまだ5ヶ月だ。ベビーカーから抜け出して、一人でどこかに行けるはずはない。だとしたら、誰かに拐われたのか? 自分が寝ている間に? 一体、誰が?
最悪のシナリオが、頭の中を駆け巡る。
「パパー! 宝のお山だよー。色んなもんが入っているよー」
健太の声を遠くに聞きながら、辺りを見渡す。だが、日が暮れはじめた公園には、私達のほかに誰も人影は見当たらない。
「このお山には、何が入っているでしょーうか?」
健太は砂山に飛び乗り、蹴りを入れる。崩れた山のなかから、
「じゃーん! スコップでしたー!!」
と、赤いスコップを取りだし、掲げて見せる。
「こっちのお山には、何が入っているでしょーうか?」
そう言って、健太は次々と、砂山を脚で乱暴に崩していく。
……待てよ?
砂場の真ん中にそびえる、ひときわ大きな山の頂上から覗いている、アレはなんだ? 白いヒトデのような……、アレは一体なんなんだ?
奇声を発しながら、健太は片っ端から砂山を蹴り崩していく。
動揺のあまり、揺らいでいた視点が徐々に定まっていくと、砂山から苦しそうに突き出たそれが、『赤ん坊の手』だと、雷に打たれたように認識した。けれども私の足は、地面に縫い付けられたかのように動かず、ただただ、その場に立ち尽くすだけだった。
― あの宝の山の中には、あの子がいる。
私ではなく、私の親友に瓜二つのあの子がいる ―
妻が、
「久し振りに会いたい」
と言った『友達』とは、恐らくアイツの事だろう。
何年も前から、二人がそういう仲になっていた事には、薄々感付いていた。
― なあ、お・前・た・ちの子どもは、今あの宝の山の中に眠っているよ。
空を掴むように、突き出された小さな手は、固まり、動かない。
周りの山を崩し終え、健太の身体がゆっくり、最後に残されたその山へと向かっていく。
ああ、健太。
もしかして、お前も知っていたのか。
その赤ん坊の体内には、お前の大好きなママを俺たちから奪っていった男の血が、流れている事に...。
そうだ。
破壊してしまえ、健太。
跡形もなく、すべてを ― 。
これで全部、サヨナラだ。