第1話

文字数 2,000文字

「あ~しんどい」
 普通に歩いている人には、まず意識しないなだらかに続く長い上り坂を、ボクは登っている。うちの家は、このめんどくさく続く坂の上にある。
 冬もようやく終わりを告げ、晴れた日にはお日様の力強さを感じられるある日。ボクは、散歩がてらに本屋に出かけた。行きは天国、帰りは地獄なのはわかっていた。
「くっそぉ、電動車椅子を買ってくれー」
 独り言にしては、かなりの大声で叫んでいた。ダラダラ続く坂道を、必死に登ってゆく。わかってはいたのだけれど、お天気に誘われて出てきたのがまちがいだった。二の腕の筋肉が「もうだめだ!」と悲鳴を上げている。鉛のように重く、乳酸が蓄積している腕が限界だと、脳に信号を送りはじめている時だった。
「押すわよっ」
 背中から声がかかり、ボクの車椅子は電動アシスト自転車のように軽快に進み出した。
「なんで、おまえがいるんだよ」
「うっさいわね。もう大人になりかけなんだから、まずはお礼から言いなさいよ」
「それはそれは。どうもありがとうございます。紗代さま」
「あー、ウザっ」
 背中で、大きなため息がして、急に車椅子が前の重さに逆戻りした。腕に力を入れてタイヤを止めた。振り返ると腰に手をやった制服姿の紗代が立っていた。
「なんで、押すのやめるんだよぉ」
「かわいげの微塵もないあんたに、愛想を尽かしたのよ。バァーかぁ」
「かわいげがないのは、お前のほうだろ。家がお隣で幼なじみの車椅子のイケメンに手を貸せよな」
「はぁ、どうせ親切にするならもっと素直なヤツにするよ」
 そう言って、すたすたとボクを追い越して坂を上がっていこうとする紗代に懇願する。
「わかった。わかったから、ほらあそこの自販機でなんでも好きなモノを奢ってあげますから、ボクを見捨てて行かないでください」
 もう、タイヤを止めておくのもしんどくなり、ブレーキをかけながら言った。
「はじめから、そういう風に素直に言えばいいのよ。じゃあ、わたしの好きなもの好きなだけ買ってくれるんだよね」
「いや、そんなこと言った覚えは・・・」
「はああ!」
 順光になって、嫌そうな紗代の顔がはっきりと見える。
「あっ、いえ。好きなだけ奢らせていただきます。財布と相談で」
 少し先に行っていた紗代は、ボクのところに戻ってきて車椅子に手をかけた。
「じゃあ、行くよ」
「ああ」
 アシスト機能が復活して軽くなった車椅子を漕いで、50メートル先の自販機を目指して二人は進んだ。

「三本で許してあげる」
 と言って、ボクの財布を戻してくれた。
「雅樹は、コーラがいいんだよね」
 紗代は、腕にかかえていた三本のうちの一本をボクに差し出した。
「ありがとう」
 自販機のある場所の隣には、小さな公園になっている。ボクたちはその公園に入り、紗代は少しお尻が窮屈そうなブランコに腰を下ろしてミルクティーのボトルを開けた。
「紗代は、なんであそこにいたんだよ」
「ああ、雅樹が本屋から出てくるのが見えて、こっそりあとを尾行したんだよ」
「お前は、探偵か?なんで声をかけてくれないんだよ」
「いやぁ、雅樹がいかがわしいことをしないかと見張ろうかと。それにほら、雅樹は前に言ってたよね。『オレは、なるべくなら人の手は借りたくない』って。だから、自力でどこまで行けるのかなぁって思って」
 ボクは、ブランコに座った紗代の隣でコーラのボトルに口をつけた。
「そんなこと言ってたっけ」
「雅樹には、雅樹のプライドがあるんだろうなって、後ろから見てたの」
 紗代も、ボトルのミルクティーを口に注いだ。
「雅樹を見てたら、途中で叫んでたから、ここはわたしの出番かなって思って声をかけたのよね」
「うん、助かったよ。飲み物を奢らされたけどな」
「これは、雅樹が言ったんだからね」
「わかってる。冗談だよ」
「ここの公園、なつかしくない?ちっちゃい頃、よく遊びに来てたよね」
「覚えてるよ。紗代が、ボクがブランコに乗らないのが気に入らなくて、ちっちゃな体でボクをブランコに乗せてくれたよな」
「その頃からわたしって雅樹に優しかったよね」
「ああ、そのあと無茶苦茶に背中押されてブランコから落ちそうになったんだけどな」
「あははは、雅樹ったら必死でブランコにしがみついてたのがおもしろかったな」
「るっせい」
 紗代は、一人で大笑いをしてボクの背中をポンポン叩いた。
「でもね、あの時わたしはうれしかったのよ。雅樹と同じブランコで遊べて」
「そうだな。紗代のおかげでブランコの怖さもわかったしな」
「なによ、それ。あのね、雅樹。たまには人を頼ってもいいと思う。そうしたら、また楽しい想い出が出来たりするんだからね」
 春の空気が、オレンジがかった光を揺らしている中、
「さあ、家までもうひと頑張りしようかな」
 そう言うと紗代は、ブランコを大きく漕いで、勢いよく夕陽に向かって飛び出した。
 宙を舞う紗代の背中には、透明にキラキラ光る妖精の羽がボクには見えた。
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