第1話

文字数 2,061文字


 心とは?

 ――私が教えてあげる!

 感情とは?

 ――ほら、笑えるじゃん!

 それらは、私にはありません。
 正確には失ってしまいました。
 いや、壊れてしまったんだと思います。
 楽しいこと、悲しいこと、嬉しいこと、辛いこと。
 私の心のうつわは、もう何も受け止めてくれない。
 きっとこれは、彼女と出会った日から運命で決まっていた。
 
 今でも忘れられない、なんて事のない普通の日。
 そんな日に、私は特別な出会いをしました。

「私達、恋人にならない?」

 意味がわからなかった。
 ふらっと立ち寄っただけの公園で、いきなり女の子に話しかけられた。
 そういうのはお互いをわかり合ってから、なんてそんな事の前に言わなきゃならない。

「私達は二人とも女の子だよ?」

 そう、私も女だ。
 恋人は男と女でなるもののはず。
 それが常識で普通。
 みんなと同じに囚われてきた私の人生。
 いや、私だけではなく、多くの人がそうだと思う。

「だから、面白いんでしょ?」

 それを彼女は壊しにきた。
 少しくらい、逸れたくなってしまった。
 魔が刺したと言ってもいい。
 だから、少し付き合ってみようって思った。
 
「まぁ、努力するくらいなら……」
「嬉しい! それでいいよ!」

 その笑顔に心を奪われて、私はきっと彼女に惚れた。
 きっと努力をした時間は、ほんの数十秒。
 思い返せば、この時にはもう好きだった。
 
「あれ〜、顔が真っ赤だぞ〜」
「……うるさい」
 
 好きになる前にできた恋人を、私は好きになった。
 おかしいと思うでしょ?
 でも、それが私の普通になってしまった。
 心のうつわは、彼女で満遍なく満たされた。

「はやく!」

 一緒にいるだけで幸せだった。

「これ似合うよ!」

 彼女にどう思われるか、気にしない日はなくなった。

「……私を好きになれた?」

 そのキスで、もっと好きになった。
 
「もう、とっくに好きだよ……」
 
 唐突にできた同性の恋人。
 突然始まった恋人のいる日々。
 私の心は、うつわまで彼女の色に染まりきった。
 元の私が誰だったのか、それがわからなくなるくらい。

「私ね、もう生きられないの」
「……え?」
「ごめん。でも、私も――」

 ベットの上でしたこれが、最後になってしまった。
 その次の日から、透明な壁が私達を遮った。
 忘れる事のできない彼女の姿。
 いてもたってもいられずに、私は叫ぶ。

「私は、彼女の恋人です!」
「……規則ですから。申し訳ありません」

 周りから突き刺さる視線。
 気持ち悪いものを見てしまったという空気に包まれる。
 この時に、この世の中がどれだけくだらないのかを知ってしまった。

 ――いつか、結婚できたらいいね!

 二人の部屋で話題になった時、どうでもいいと思っていた。
 何かを形に残さなくたって、繋がっていられると信じていた。
 でも、ただの紙切れの重さを知った。
 私達が感じている心の繋がりより、紙一枚を提出して成立する繋がりの方が強いと、くだらない現実を突きつけられた。
 私達は願ってもなれない関係を、男と女なら紙切れ一枚で手にできる。
 その事実は私の心を壊していく。
 
 ――ありが、とう
 
 そうして何も伝えられず、ガラス越しにみることしかできないまま、彼女はこの世からいなくなった。
 もう、誰もいなくなってしまった家に帰り、何もかもを全て枯らして私は思う。

「間違っていたのかな?」

 そうでないと信じたい。

「わかってなかったのかな」

 そうであれば、楽だったのかもしれない。

「なにも残らなかった」

 彼女のなに一つも理解できなかった。
 そして残ったのは、彼女に染まった心のうつわだけ。

「もう、壊れちゃったよ」

 私はもう、なにも残せなくなった。
 心に入ってくる感情は溜まることなくすり抜ける。
 何も感じることができなくなった。
 思い出と喪失感、そして割れた心。
 それだけが、今の私。

「……やっと、見つけたよ」
 
 何年経っても、うつわは何も戻る事はなかった。
 色も形も、何もかもがあの時のまま。
 中身でさえ、あの時から何も変わらない。
 その形のまま、生きる意味を見つけた。
 だから、やっと伝えにきた。
 
 ――生き、たかった

 あの消え入るような言葉は、粉々の心に残ってる。
 全てを投げ出したら、きっと私は許してもらえない。

「普通は、人生は本当にくだらなかったよ」

 あの日、彼女を選んでよかった。
 ここに満ちている普通がどれほど退屈でくだらないのか、私は知ることができた。
 だから、それを教えてくれた彼女に今度は伝えたい。

「きっと、ここではない場所で逢えるよね……」

 ここは本当につまらないって伝えたい。
 あなたが生きたいと願うほど、いいところなんかじゃない。
 それを教えるために、私はちゃんと歩く。
 私達に相応しい場所で再会した時に、ちゃんと笑って話せるように。
 こんなくだらない世界を、すぐに離れられた事は幸せだったって、彼女には笑ってもらいたいから。
 この心を、もっとあなたに染めて逢いに行く。

 ――すき、だよ

 私さえいれば、きっとあなたを幸せにしてあげられる。
 

 
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