第1話

文字数 5,425文字


今日は4月7日、高校の入学式だ。
試着室でしか、袖を通していない制服はまだすこしぎこちない。
玄関先で幼馴染のあっくんを待たせているので、前髪が決まらないが適当な折り合いをつけることにし、鞄を肩に掛けた。
「行ってくる!」と、玄関で見送ってくれる両親に手を振り、学校へ向かった。
家から学校までは自転車に乗れば十分ほどで着く。
坂を上がって校門が見えると、あとは住宅街にしては広すぎる道を、一直線に進むだけだ。ここは、両端に桜の木が植えられており、春にはきれいな桜色でいっぱいになるので、彼女はこの道をとても気に入っている。
入学式が一通り終わると、最後にクラスが発表された。全部で7クラスあり、私は2組。幼馴染のあっくんも同じクラスだった。

家に帰ると、真っ先に行宮(いきみや)神社に向かった。
「花、入学式行ってきたよ!聞いてよ、またあっちゃんとおんなじクラスだったんだー」彩は笑いながら言った。
「え、そうなの?私たちあっちゃんとずっと一緒だね」花もつられて笑った。
「明日は花の番だから、部活紹介ちゃんと見てきてね」
「うん、もちろん」
「じゃあ、また明日ね。報告楽しみにしてる」そういうと、彩は神社を後にした。

––––今日は、部活動紹介です。部員の皆さんは新入生に自分達の部活の魅力をアピールしましょう!––––
新入生は学校の体育館に座らされ、舞台の上でそれぞれの部活の人たちは、劇をやったり、紙芝居をしたりと色々な方法で楽しい部活だとアピールし、私たちを勧誘しようとしていた。
––––続いては、バレー部です!––––
バレー部は他の部活とは違う異質の雰囲気を出しており、部長1人だけしか舞台に出てこなかった。それからは淡々と、部活の内容、活動日など説明していった。どうやら、この学校のバレー部は関東屈指の強豪校らしく、中でも監督は元女子バレー日本代表のコーチをしていたほどでその腕は全国でも3本の指に入るらしい。運動神経があまり良くない花は、絶対に入りたくないなと思った。それと同時に、彩が好きそう…。とも思った。
––––最後に、軽音部の方お願いします!––––
「えーと、軽音部です。ゆるくやってます。説明はめんどくさいので、とりあえず演奏するので、いいなと思ったら入部してください。」と、気だるそうにしゃべるその調子は、いかにも女子から人気がありそうだった。
「あの人、超絶イケメンじゃね。スタイルいいし、花が好きそう」と、隣であっくんがからかってくる。いますぐにでも顔面を蹴り飛ばしてやりたかったが、周りの人がいるのでなんとか堪(こら)えた。
そうこうしている間に準備が整い、舞台は暗転した。最初はギターから始まった。次にベース、ドラム。と高校生らしい爽快な音楽が体育館中に鳴り響いた。携帯で音楽を毎日聴いていた花だが、生の演奏を聴いたのは初めてだった。胸の中から音楽が自分の体を押し上げてくる感覚に、花はすっかり魅了されてしまった。

––––
「どうだった、部活。なんかいいのありそうだった?」
「…軽音部かな。」
「いいじゃん、軽音部!そこにしようよ」
「でも…彩はバレー部がいいでしょ?あそこ、すごく強いんだって。彩、昔からバレー好きだったし、だから…」
「いいって。たしかにすごく魅力的だけど、軽音なら私も興味あるし、なによりそれが一番平等じゃん」
「で、でも…また私のわがまま聞いてもらっちゃてるし…」
「いいの、私たちは1人になりきれない、中途半端な存在なの。だから、足幅を合わせて歩いて行かなきゃいけないの。」
花は何も返せなかった。
「ごめんごめん、暗い話はもう終わり!さっそく明日、軽音部行ってみますかー」

その帰り道、花は『私たちは中途半端な存在なの。』という彩の言葉を反芻(はんすう)していた。
ほんとうは、彩はバレーをやりたかったんだろうな…でも、私の番になったらみんなに私たちのことバレちゃうし。花は、ボロボロになって部屋に置かれていたバレーボールを思い出した。
「ごめんね…」
思わず口からこぼれ落ちた。そうすると、栓が抜けたようにボロボロと涙がこぼれた。自分に対する不甲斐なさ、彩に対する申し訳なさで胸がいっぱいになった。

家に帰ると、涙で真っ赤になった私の目をみて、お母さんは少し驚いたようだったが、事情を察したのか、優しく微笑み、紅茶とクッキーを出してくれた。
言いたくても言えない。気持ち悪くて吐き出したいのに、喉から声がうまく出せない。
長い沈黙が続いた。
お母さんは何も言わなかった。ひたすら私が喋り出すのを待ってくれた。
「私たちって、中途半端なのかな」
そう言い出すと、いままで溜まっていた全てが溢れて止まらなくなった。泣きすぎて胸が苦しい。酸素が足りなくなる。体全身で空気を吸い込む。もう死んでしまいそうと思うほど息が苦しい。だけど涙は止まらない––––。
「落ち着いた?」お母さんは優しい笑顔で問いかけた。「うん。」と、花は言った。
「花、あなたたちは二人で彩花(あやか)なの。彩(あや)と花(はな)、二人で彩花。中途半端なんかじゃないわ。半分半分でひとつじゃないの。それぞれを足し合わせてふたつなの。彩には彩にしかできないことがあるわ。もちろん、花にだってあるでしょ?それを同じ体でできることって、とても素晴らしいことだと思うわ。––––お母さん、双子として生まれてくるはずだったあなたたちのどちらかがお腹の中で死んでしまったと聞かされた時は、だてにご飯も食べられなかったわ。でも、こうやって今、目の前にちゃんと二人が存在していることが、お母さんとっても幸せなの。」そう言うと、お母さんは私を抱きしめて泣いた。

––––
今月で妊娠7ヶ月目を迎える香織(かおり)のお腹は目に見えて重そうで、歩くのも精一杯だった。今日は、調子が良く香織から散歩の提案をしてきたので、直樹(なおき)は快諾した。
二人の住んでいるアパートは、東京都の緑化キャンペーンの対象であったため、すぐ近くに、全面芝生の大きな公園ができたばかりだった。
二人は、そこでちょっとしたピクニックをすることにし、昼食は直樹がサンドイッチを用意した。香織は直樹がサンドイッチを作っている間はリビングにあるソファで横になっていた。自分は何もせず横になっているのが申し訳ないと思ったのか、香織は手伝えなくてごめんね。と言ってきたので直樹は、いいのいいの、ゆっくり休んでて。と言った。
公園に着くと、平日の昼間ということもあり、人はまばらだった。
二人は、日陰のある大きな木の下に座ることにした。
今朝作ったサンドイッチは香織が作るほど形は綺麗ではなかったが、学生時代に飲食店でバイトをしていたおかげか味は悪くなかった。
食事を終えた二人は、芝生の上に寝転がった。ここの芝生はとても気持ちいので、すぐにでも寝れそうだった。
「ねえ、あなた。この子たちの名前は何にする?」と、香織は訊いた。
「そうだね。彩と花はどうかな。」と、直樹は言った。「周りの人たちに彩(いろど)りを与えるような人になって欲しいという願いを込めて、彩(あや)。花のように、いるだけでみんなが優しい気持ちになるような人になって欲しいと言う願いを込めて、花(はな)。」どうかな?といった表情で香織を見つめた。
「とってもいい名前ね」と、香織は微笑んだ。
「早く生まれてきてほしいなー」と、直樹は杪夏(びょうか)のまだ暖かい風を感じながら、雲ひとつなく青く住んでいた空を見上げて言った。まるで、僕たちのようにどこまでも青く、幸せな未来が待っていると直樹は信じて疑わなかった。
それが、儚い夢に過ぎなかったと思い知らされるまでは…。

香織の体調が悪化したのは、ピクニックに行ってすぐの、一週間後のことだった。
直樹が仕事から帰ってくると、玄関から廊下越しに部屋のものが散乱しているのがわかった。香織は普段から小綺麗にしている性格なので、直樹をますます動揺させた。
「香織!どこにいるの?」と呼びかけ、部屋に土足のまま上がった。
すると、香織は電話機が置いてある棚のすぐ近くでエプロンをしたまま倒れていた。直樹は一瞬、体が全く動かなくなった。おそらく、料理を作っている最中にお腹の痛みがひどくなり救急車を呼ぼうと思ったが、その手前で力尽きてしまったのだろう。直樹は一瞬、怯(ひる)んだもののこれは一刻を争う。と本能的に直感し、急いで救急車を呼んだ。
約十分後、救急隊員が到着した。そのまま直樹は一緒に救急車に乗り込み病院へと急いだ。

午後十時から緊急手術が行われ、終わったのは深夜の二時だった。
医者によると、香織の一命は取り留めたものの、お腹にいる赤ちゃんのどちらかは、もう助からないらしい。直樹は、なんで自分達なのか。神様なんていないのではないか。どうして、大切なものがこうも簡単に奪われてしまうのか。と、行き場のない思いをひたすらぶつけた。

それから、一週間経って香織の体調も安定してきたので、一時退院することにした。香織も最初ひどく動揺していたが、立ち直るのは直樹よりも早かった。なぜなら、まだ二人ともいなくなったわけじゃない。助かったこの子をしっかり育てなければいけないと感じ、一晩中泣いた後は、顔はもう頼れる母の顔になっていた。
––––それから三ヶ月後、無事出産することができた。名前は、彩花(あやか)。彩と花で合わせて彩花。三ヶ月前のあの日から、二人はそう決めていた。
初めての子育てに二人は手探りでとても苦労したが、それもまた幸せだった。
二歳前後になると、子供は自己主張が激しくなる、通称、イヤイヤ期と呼ばれる壮絶な親と子供の戦国時代が始まった。自分も昔こうだったのかと思うと、自分の親の偉大さを知った。
彩花の異変に気づいたのは4歳を過ぎたあたりからだった。
ある日、昨日の記憶が彩花にはすっぽりと抜けているようなそんな感覚がした。
彩花に訊いてみると、もう一人の女の子と毎日、交代しているという。
少し気になったので、香織は彩花を連れて、小児科に足を運んだが、すぐに「ああ、そのくらいの年頃だとよくあることですから。」と、一蹴(いっしゅう)されてしまった。
なんだか、もっと大ごとな気がして、行宮神社のおばあちゃんを訪ねてみることにした。なんでも、このおばあちゃんの言うことはいつも当たるので、前から困ったことがあると香織はここを訪ねるようにしている。

行宮神社は、双子の神様の聖地と呼ばれており、「双子の木」と呼ばれる二つの大木が祀られている。その木は全長四十メートルくらいあり、まったく形が同じで、左右対称に向かい合って生えている。香織たちはお腹の中にいる子供が双子だとわかったとき縁起がいいからと、ここの近くに引っ越してきたのだ。
行宮神社の鳥居をくぐると、おばあちゃんは落ち葉の履き掃除をしていた。
「おばあちゃん、久しぶり」と、香織は言った。
「おお、元気そうじゃな、ところでお嬢ちゃんと、もう一人お嬢ちゃんがここにいるね」
おばあちゃんは彩花の胸を指でさして言った。
「え?」香織はまったく理解できなかった。
「魂が、一つの器の中に二つ入ってしまっている状態じゃよ」
「どういうこと?」
香織は聞き返した。
「人間は元々、一つの器には魂は一つと決まっておるのじゃ。まれに二つ入ることはあるのじゃが、大体は生まれてすぐに反発しあって片方は消滅してしまう。お互いが助け合って交互に生きることに、この二つの魂は決めたようじゃのう。お嬢ちゃんは珍しいタイプじゃねえ」と、彩花の頭を撫でながら、おばあちゃんは言った。
「じゃあ、彩と花、二人とも生きてたってこと?」
「そういうことじゃろう」と、おばあちゃんは言った。「でも、一つだけ言っておかなきゃいけんことがあるんじゃよ」と続けた。
「いくら、仲良しの魂同士でも二十歳。つまり、成人じゃな。それを越えると魂は、必ず器には一つしか入れなくなる。」
「ということは、二十歳までに彩と花は、どっちが二十歳以降生きていくのかを決めなくちゃいけないってこと?」
「そうじゃ、それは魂同士が話し合いで決めることなんじゃよ」と言うと、おばあちゃんは、ついてきなさい。と双子の木の下まで歩いて行った。
「この木の下では唯一、自分に内在する魂と会話できるんじゃ。もっともわれわれは一つの魂しか持っていないから、会話はできないのじゃがな。」
おばあちゃんは、笑いながら言った。
「彩と花は自分の心の中では会話できないの?」と、香織は訊いた。
「無理じゃ。片方の魂が顕在しているときは、もう片方の魂はいわば気絶状態なんじゃ。それゆえ、片方の記憶はもう片方にはまったくない。幸いにも、彩ちゃんと花ちゃんの魂の入れ代わりは一日ごとと決まっているようじゃの。じゃから、毎日この木の下に来させなさい。そして、互いの記憶をうまく交換し合うのじゃ。そして、二十歳になるまでにどちらがこの体の所有権を得るのかも相談させなさい。」
おばあちゃんは、また明日来なさい。と言ってどこかに行ってしまった。

家に帰って、私は、彩と花二人とも無事だったこと。でも、魂が一つの器に二つ入ってしまっていること。二十歳までにどちらがこの先、生きていくか本人たちで決めなきゃいけないこと。を全て直樹に打ち明けた。
私たちは、彩と花が両方とも二十歳まで普通の学校生活を送れるようにと、このことは家族だけの秘密にすることにした。
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