エクスプレス

文字数 13,679文字

 神奈川県海老名高校、通称エビコーの鉄道研究部部室。
 この鉄道研究部は稀有なことに女子ばかりである。男子禁制としたわけではないのだがいつのまにかそうなった。そしてこの部員たちは『総裁』と呼ばれる部長以下、鉄道研究ということにして鉄道模型作りや旅行に明け暮れている。最近ではその鉄道研究を「乙女のたしなみ・テツ道」などといいだしてますますその活動に励んでいる。
「詩音ちゃんNoveljam行ってきたんだね―」
 そう呼ばれて微笑んでも口に手を当てて絶対に歯を見せずに穏やかに笑う彼女は武者小路詩音。この鉄研の書記であり文芸担当である。彼女を編集長としてこの鉄研の部誌「シーカムライン」が発行されるのだ。
「楽しゅうございましたわ。この体がもうちょっと丈夫だったら著者として参戦したかったのですが、そうはいかないので観戦者として拝見しました。素敵でしたわ」
 Noveljamとは現在は2日間集まって集中的に小説本の制作を企画から電子書籍としての発行までを一気にやってしまう創作競技会である。
「なかでもこの『天籟日記』と『WE’RE MEN’S DREAM』のチームに注目してしまいました。2日間の制作が過ぎたあとも小説世界をどう展開するかというNoveljamの競技は続くのですが、この二作は二次創作展開を募集しているのです。つまり私も二次創作で参加できるかもしれないのです」
「詩音ちゃんも参加できるのかー。いいねー」
 そう語尾を伸ばしていうポニーテールの鉄研部員華子はビデオカメラで撮った鉄道動画の編集作業の真っ最中だ。
「『天籟日記』はとくに19世紀末の世界のお話なので楽しいのです。皇妃エリザベートのちょっと後の時代。私は宝塚歌劇『エリザベート』が大好きです。幼い頃、お父様に連れられてマイバッハに乗って行った東京宝塚劇場で観劇したのを思い出しますわ」
「詩音ちゃん8000万円のマイバッハ乗ってるのに関心持たないんだもんなー」
「自動車のことはよくわからないのです。最近マイバッハにプルマンという名がついていて、プルマン客車とどういう関係があるのかと不思議に思えてならないのです」
 詩音は素で疑問に首を傾げている。
「ああああ! 詩音ちゃんそういう仕草も癒やし系だよ―!!」
 その棟に突然飛び込む大きな髪飾りをつけた子が御波(みなみ)である。
「御波も詩音の胸で充電し過ぎだよ。誤解を招くよ」
 そうPCで鉄道模型ギミックのプログラミングの手を休めて言うのがカオル。切れ長の目で学校中からカオル王子と慕われているのだが女の子である。
「うむ、こうして昼休みに昼餉として我が鉄研各艦、補給が順調で善き哉。今日の放課後は抜錨して東京へ買い出し作戦に出撃するぞよ」
「なんでも『艦これ』風味に言わないでください総裁。ヒドイっ」
 そうツッコむのがツバメ。イラストなど担当である。
「総裁、DMMにアカウント持ってないのに艦これネタやるんだもんなー」
「陸サーファー、海スキーヤーみたい」
 鉄研部員が次々と指摘する。
「うぐ。とはいえ詩音くんも二次創作でNoveljamに参戦するのか?」
 総裁はそう目と蒸気機関車の髪飾りを輝かせて聞く。
「でも創作、私にも出来ますでしょうか」
「やだなー、私でもできるのに私より読書量豊富な詩音ちゃんができないわけないわよ」
「そうかもしれないけど、御波ちゃん、いつまでだきついてんの?」
 いつものように、きゃいきゃいとたわむれている鉄研部員たちである。
「うぬう、最近読者から苦情が来てのう」
「え、なんですか!」
「鉄研なのに最近鉄道旅行のシーンが少ない! と」
「それは軍資金がないから仕方がないよー」
「お金ないもんね、私たち」
「久々に東京の買い出し行くために随分我慢したもんね」
「バイトするわけにもいかないし。カオルちゃんはしてるけど」
「ボクもしかたなくです!」
 カオルが反駁する。
「詩音ちゃんはお金困ってないと思うけど」
「え、そうでしょうか。私、月のお小遣いが使い切れないのですが、みなさんは」
 詩音は驚きの顔になっている。
「お小遣い使いきれない、って言ってみたいなー。嘘でもいいから。ヒドイっ」
「詩音ちゃん歩く身代金状態だもんねー」
「でも詩音ちゃんプレゼンツで旅行行きたくても」
「私たち!」「ぼくたち!」
 ぱっちーんと手を合わせる部員たち。
「非実在女子高校生だもんね! キラッ☆」
 息を合わせたあと。
「ふー。もーだめだー」
 ため息もまたみんなでコーラスになるのだった。



「詩音くん」
 詩音はいつのまにか、眠りの中にいた。
 私は昼餉の松花堂弁当をいただいて、そのあといつものように寸時の昼寝をしていたはずですわ。拝読した『天籟日記』のお姫様の可憐さ、船乗りさんの力強さ、語り手の娘さんの怜悧さ、そして姫様の付き人の方の不思議さを味わって、ああ、ああいう方々との旅も素敵だな、と思っていたのです。でも目を開けるといつもの部室に戻ってしまう。フィクションとはそういう夢のような、素敵だけど儚いものですわ。
「詩音くん」
 呼ぶ声は総裁ですわね。いつものように山盛りの昼餉をいただいて一緒に昼寝をしていたはず。もう午後の授業がはじまってしまうのですね。素敵な昼休みもまた短く儚いですわ。
「詩音くん」
 ああ、この目を開けたら、あの『天籟日記』の素敵な、そして不思議ななにかの予感を感じる世界だったら、どんなに素敵なことでしょう。 

「詩音くん!」
 詩音が目を開けると、

 そこは石造りのアパートが並ぶ、ヨーロッパ。それも東欧の雰囲気の町並みのカフェだった。
「ええっ」
 詩音は目をこすった。
「えええっ」
 それを総裁が覗き込んでくる。
「呆れたご都合展開であるが、こういうことらしいぞ詩音くん」
「ええええっ」
「末端SF作家を著者として持つとこういう目に合うのは覚悟しておったが、さすがにこれはヒドスギル。すぐさま苦情をいれてやりたいのだが」
 総裁は手にしたiPhoneを見せた。カレンダーが1900年を示した上、電波が圏外である。
「これではどうにもならぬ。戻ったら『鉄研制裁』してやるとして」
「ここはどこでしょうか。どこかの街のようですが」
「詩音くんもわからぬのか? 君の手元の地図を見ると、ここはオーストリア第二の都市、グラーツであるぞよ。まもなく『天籟日記』の一行がトリエステからの列車でウイーンに向かう途上、ここを通過するのではないか?」
「……そうですわ。そのみなさんの通過を見送ろうかと思ったのです」
「さふであろうさふであろう。『天籟日記』も我々鉄研もフィクションであり、うかつにまぜると危険であるので、遠くから見ようという詩音くんの思いでこういうことになったのだ。まあよい。こうなったゆえ、せっかくだからこの時代をテツな視点で観察せむと思いけるのだな」
「……そうですわね。私も二次創作しようと思ってこの時代を調べていたのですが、いまいちイメージが沸かなくて」
「では、ここをはなれて駅へゆこう。グラーツ中央駅へ」
 二人はそう言うと、カフェからはなれたのだった。
「あれ、カフェのお代ははらわなくてよいのでしょうか」
「そんなことは著者に押し付けてしまうのがヨイのだ」
 詩音はちょっと考えると、微笑んだ。
「そうですわね」



「すごい! 19世紀のヨーロッパの鉄道駅ってこうなのですわね!」
「ワタクシもこの風景には絶句感動である!」
 詩音と総裁は駅のシグナルブリッジ、いくつもの信号機をまとめて線路をまたいでみやすく掲げる橋状の構造物に登って目を丸くしている。
「空が広くて良いのう。あそこの見晴らしの良さそうな建物が信号扱所であろうの」
「欧州型の鉄道模型で見るだけだった風景が原寸大で動いていますわ!」
「ふむ、あの列車はウイーン行きの急行列車であるな」
「この時代の客車もボギー客車なのですね」
「さふである。かつては2軸や3軸のマッチ箱のような、車内を行き来できない馬車のような客車だったらしい。それが台車の上に大きな車体をのせたボギー車がそういった2軸3軸客車を駆逐しておるようだ」
「私たちの令和の時代で銀色の電車がペンキで塗られた電車を駆逐しているのと同じですね」
「さふなり。技術革新であろうの。ボギー客車は新大陸アメリカで発達したゆえ、欧州では新大陸式とも呼ばれておる」
「蒸気機関車も想像したより発達していますわね」
「より長距離をより速く走るために炭水車を装備しておるテンダー機関車と、機敏に前後進を切り替えられるタンク式機関車がこの時期にはしっかり棲み分けておるのう」
「いろいろ読んでいたら『天籟日記』の世界では義和団事件とほぼ同時期。清朝が衰退し終わっていく時代とのことですわ」
 その話になって、総裁の顔にすこし影が挿した。
「どうしたのです?」
「ワタクシは『天籟日記』を初めて読んだとき、あの冒頭にウキウキとした旅立ちではないなにかを感じたのだ」
 遠くで汽笛がなる。
「……私もです」
「詩音くんもそうだったか」
 二人は黙った。
 汽笛が何度も鳴っている。
「『天籟日記』には、時限爆弾のようなものが仕掛けられておる」
 汽笛が不安を広げるかのように大きく聞こえる。
「それは」
 そのとき。
「うわっ!」
「きゃああ!」
 二人の下から猛烈な煙が湧き上がった。
「ひいいい!」
 悲鳴を上げる二人。彼女たちの下を蒸気機関車が通過したのだ。
「汽笛鳴らして知らせてたのになぜ気づかないんだ!」
 煙突からの煙に二人を巻き込んだ機関車の機関士と助士が呆れ顔で言うのが、汽笛とともに離れていく。
「ワタクシたちの時代には出来ない体験である!」
 総裁は照れ隠しに言った。
「照れてもダメですわ」
 詩音は眉を寄せた。
「しかたない、ちょいと駅に洗い場を借りに行こう。すっかり全身煤だらけであるぞよ」
「蒸気機関車は見ているぶんには楽しいですが、こういうのは困りますわねえ」

 駅の建物に向かう途中、操車場と車両基地が見える。
「あそこで客車の修繕をしてますわね。扉を作ったり屋根を葺いたり。匠の技ですわ」
「昔の客車は客車大工が作っておったので、客車は一両一両ちがっているため、形式図は正直『飾り』であったと聞く。日本の大宮工場でもかつてはそうだったらしい」
「扇形庫とターンテーブルも忙しそうですわ」
「あの中では機関車の整備が行われておるのだ。あそこで少年が下働きの庫内手から機関士に向けて修業の日々であるのだろう。ああいう徒弟制度はいかにも産業革命時代であるのだ。また操車場では、ねじ式連結器の運用だけでも見てて興味深いのう」
「連結作業の方、バッファと連結器の合間に体を入れて作業なさってますわ。あれでは大怪我は避けられないような」
「現代のYouTubeで見たことがあるが、安全の基準が今とは全く違うのだろうの」
「こんな危険な労働環境で福祉とかどうだったのでしょうか」
「この時代では保険も福祉もほぼなかったと言う説もあるが、ドイツではギルドがその代わりに互助を担っておったとも言われる」
「かえって今の日本の福祉がうまく機能してないことを思い出しますわ」
「ああいうものはいつも届いて欲しい人には届かぬからのう」
「あ、また列車が来ましたわ。機関車直後のあの装飾が素敵な客車は」
「おそらくワゴン・リ社、国際寝台車会社の所有する豪華客車であろうの。ああいう豪華客車はアメリカの家具大工ジョージ・プルマンが作ったプルマン社のNo.9がはじめなり。当初のプルマンの客車たちはそれほど豪華ではなかったのだが、丈夫で居住性も良かったために南北戦争での兵員輸送に大活躍した。そして暗殺されたリンカーン大統領の葬送列車にも使われ、それとともに車両限界が拡大されて大型客車が走れる路線が増えるとともに各界の名士がプルマン客車での移動を求めるようになった。そこでできたのがプルマン・パレス・カー・カンパニーであるのだ。ホテルカーや食堂車を擁し、カーペットやカーテン、椅子も布張りで図書館やカードテーブルまで備えた豪華装備に空気ブレーキやスチーム暖房まで装備した客車を実現。そんなプルマン社の客車はまさに当時の鉄道車両の革命児、パイオニアであるぞよ。それに学んで欧州ではじまったのがワゴン・リ社。それまで欧州の鉄道は寝台車も食堂車もなかったらしい。長距離列車そのものが少なく食事は途中下車して駅近くのレストランで喫食したのだ。それを寝台車からなる長距離列車を考案し運行したのがナゲルマケールスのワゴン・リ社である。客車のみを持って線路を持たず、線路と機関車を借りて運転する事業方式もかれらの発案なり」
「日本で言う上下分離方式ですわね」
「さふなり。現代のリムジン、マイバッハプルマンもきっとそのような居住性の革新ゆえプルマンと号しておるのだと思うぞ」
「そうですわね。今度お父様に聞いてみますわ」
「それがヨイ。欧州ではプルマン社とワゴン・リ社の寝台車競争があったのだが1886年、プルマン車は列車運行権と車両をワゴン・リ社に売却、ワゴン・リは欧州の寝台列車事業を独占するのだ。そんななか1882年、パリ・ウィーン間で豪華列車の試運転を行う。その成功で1883年からその列車をパリ-コンスタンティノープル間で運転する。それがオリエント急行であるのだ」
「あの有名な豪華列車ですわね」
「運転経路も運転形態も変えながら、同じ名でその列車が今も走っておるのは欧州の鉄道の奥深さであるのう」
「日本でも走りましたものね」
「さふなり。1988年、海を船で超えてオリエント急行の列車が日本を周遊したのだ」
「私たちの時代でもあまりのことに想像ができませんわ」
「国鉄からJRになる当時、バブルでもあったからのう。現在オリエント急行は鉄道衰退の時代を超えていまでも走っておる。なかでもベニス・シンプロン・オリエント・エクスプレスは足回りを160キロ運転に耐えうる最新のものに更新しておる。1930年からの客車が最新の列車と足並みをそろえて幹線を疾駆しておるのは鉄道車両の歴史保存という面で素晴らしい方向の一つである!」
「博物館に封じ込めた保存とは一線を画しますわね。素敵ですわ!」
「とはいえ」
 総裁は目を流した。
「こうして我らが生まれるよりはるか前の鉄道を見られるのも実に幸せであるのう」
「そうですわね。ロマンですわね」
「『天籟日記』はそういう背景も思わせてくれるのがヨイ」
 その時だった。
「君たちはどこの所属かね?」
 作業着のおじさんが声をかけてくる。
「所属?」
 おじさんは戸惑う二人を見て、ふーん、と鼻を鳴らした。
「なんだ、軍人さんではないのか」
「え、どういうことでしょう?」
 詩音は戸惑っている。
「軍服かと思ったぞ」
「ああ」
 総裁は納得したらしい。
「このわがエビコーの制服でそう判断なさったのであろう。ワタクシたちの制服は女子でもグレーのスラックスとボタンダウンに肩章ついたシャツにネクタイである。見ようによっちゃ軍服っぽいのだ。いささか野暮ったいのだが」
「でも私は可愛い制服のために志望校変えるほどではありませんわ。可愛い服なら私服で十分ですわ」
「さふであるな」
「そういえば総裁の甘ロリ私服、絶望的に似合わないと思いますわ」
「うっ、やはりそうなのか」
「それに、そもそもなぜオーストリアで私たち言葉が見聞きに普通に使えるのでしょう?」
「む、それがフィクションの中を生きる楽さと楽しさであるぞ」
「あ、そうですわね。と思ったけどこれも著者さんのご都合ではありませんか?」
「うむ、そうともいう」
「……ひどすぎますわ!」
 呆れて目を丸くする詩音。
「君たち、ナニ言ってるんだ?」
 おじさんも呆れている。
「いえ、話すのもナニですので」
「そうか。いや。俺も警察か軍人さんに言ったほうがいいかもなと思うことがあって」
「……なんでしょう」
「ここ数日、この駅を妙な人間がウロウロしててな」
 総裁と詩音はお互いを見てしまう。
「まあ君たちも妙といえば妙だがな」
 おじさんはため息をつく。
「君たちもそうだが、その男ども、東洋人っぽくてな。最近の中国のことを新聞で読んでたせいか、どうも気になる」
 また総裁と詩音は目を見合わせる。
「俺、俺のまわりとちがって、中国で今暴れてるという中国人のこと思うと、ちょっと複雑になる。俺たちにとって鉄道は進歩そのものだ。遠くまで速く行ける便利なものだ。だが……見方を変えると、鉄道も戦争の道具だ。兵隊と弾薬と物資を来てほしくない連中の鼻先におかまいなしにどんどん送りつけちまう。正直、たまらんだろうな。って」
 総裁はうなずいた。
「そう思ってるけど、最近もう一つ妙なものが出来て」
「なんでしょう?」
「妙なもの多すぎであるのだ」
 そういう総裁の向こう、遠くで奇妙な鳴り方をしている汽笛がある。
「あれだ」
 おじさんは呆れ顔である。
「なんでも『鉄の狼』らしいんだが」
「『狼』?」
 総裁と詩音の目が??になる。
「なんでも『陸提督』がこの帝国の将来を憂いて作った秘密兵器なんだそうだ。山の向こうで試運転と演習をしてるんだが、こうして俺もわかるような状態だから、ちっとも秘密兵器じゃねえよな。また動けなくなって救援機関車を呼んでるんだ」
 総裁が、しばらくして口を開いた。
「うむ、情報量が多すぎるセリフを聞いて、いささか困惑しておる……」

 しばらく後、このグラーツ駅によろよろと救援機関車に牽引されてやってきたものがあった。
「あれは!」
 それは列車だった。しかしその窓は狭く、車体も随所に板が重ねて貼られていて、車体の屋根のないところに大砲と重機関銃が据えられている。そんなものをどっさり装備しているせいか、いかにも鈍重そうで、編成の真ん中には板で『隠された』とわかってしまう機関車が苦しくあえぐように蒸気を噴いている。
「これが『鉄の狼』だ」
 おじさんは呆れ顔で紹介する。
「あの。これ、いわゆる、装甲列車ですわね」
 詩音は口を押さえていてもあごが落ちてしまう。
「さふであろうの」
 総裁もボーゼンとした声である。
「でも、なんというか」
「『鉄の狼』なのになんで木の板で装甲しておるのだ?」
「それに前頭部に2つの銃眼のあいてる姿が」
「正直、しまりなく間が抜けておる」
「それにあちこちふっくらしてて、『狼』というよりなにかですわ。なんでしょう?」
「そのうえあのツノは何であるのだ……」
「あ、そか!」
 作業着のおじさんと総裁たちは一斉に言った。
「木製のツノブタ!」
 声が揃った。
「ああー、これで腑に落ちたのだ」
「そういうことですよね」
「納得しちゃったなあ」
 3人は笑った。
「こらー!!」
 その機関車から怒鳴り声が聞こえる。
「貴様ら! 帝国を侮辱した罪で告発するぞ!」
 目を見合わせる3人に、その怒鳴り声の主、軍服の階級章からみて将軍かなんかみたいな、それなのにちんちくりんのおっさんが腕を振ってハゲた頭から湯気を上げている。
「ええと。俺は機関庫にいろいろ仕事があるからな。じゃあ」
 作業着おじさんはそう言い残すとすっといなくなっていく。
「えええっ」
「おじさん、逃げた……」
「こらああー!!」
 ハゲ将軍の周りの兵隊たちも、将軍をなんだか嫌そうに見ている。
 そして作業着おじさんはいなくなったが、代わりに庫内手たちが集まってきた。
「『陸提督』も、お父さんがあの人じゃなきゃ、ここまで拗らせなかったよね」
「偉大すぎるお父さん持ってなくて俺、ほんと幸せだよ」
 その木造装甲列車は、結局駅じゅうの大騒ぎの末に、2両もの救援機関車に引きずられて、この操車場の南端の引込線に収まった。
「ちっとも」
「秘密兵器ではないのである!」
「総裁、力強く言ってもダメですわ」
「でもなぜあの装甲列車が歴史に残らなかったのであろう」
「そういえば総裁、装甲列車の歴史もお調べでしたわね」
「さふなり。この時代はまだ装甲列車といえばもっと粗末でもっとショボイ感じのものの写真しかないぞ」
「……そうですわね」
「しかしあのブタさン装甲列車、見ると野砲2門を備えた砲車、マキシム機関銃を備えた銃車を編成中心に据えた機関車から対称にそれぞれ連結しておる。機関車のすぐ脇には装甲客車。おそらく指揮車と通信車と烹炊車、食事を作る車両であろう」
「間が抜けた外観ですが、装備的には充実している、ということでしょうか」
「さふである。妙に進んだ設計であるのだ。残念ながらそれに比して機関車が非力すぎるのと、軽量化のために行った木の防御装甲の耐火性が弱点であろう」
「なるほど、なかなか的確な指摘だな」
 詩音と総裁は驚いて跳ね上がった。
 隣にあのハゲ将軍がいつの間にか来ていたのだった。

「ええと」
 うわ。気まずい。めっちゃ気まずい。
 詩音と総裁はちらちらと目を合わせてなんとかしてと祈っている。それを機関車庫から集まった庫内手たちが遠まきに見て面白がっている。
「あの、『陸提督』って」
「それはこの帝国でこの革命的な鉄の狼、陸をゆく戦艦を作ったことでついた私の名前である。帝国の国土防備にはまさにコレが必要なのだ!」
 ハゲ将軍は声を張り上げる。
「わがオーストリアハンガリー二重帝国海軍はデンマーク海軍と覇を競い、あのリッサ海戦ではヴィルヘルム・フォン・テゲトフ提督の指揮のもと優れた統率で、イタリア海軍の装甲艦の主力を勇猛果敢に撃破した。そして今もポーラ・トリエステ・カッタロを拠点としてアドリア海に鋭く睨みを効かせておる!」
 ハゲ将軍の演説に、総裁と詩音は目を見合わせる。
「しかし! 帝国はこのままの体たらくではいずれ全ての港を失い内陸国になってしまう! その時、この鉄の狼からなる陸上の艦隊がきっと帝国を守るのだ。私には、この鉄の狼の活躍により帝国臣民の平安が守られる未来がはっきりと見える!」
 総裁がなにかいいたそうにしているのを詩音は袖を引っ張って制する。
 そう、ほんとうにオーストリア海軍は第一次世界大戦の敗戦でホントに帝国ごとなくなっちゃうし、装甲列車はその後そのとおりヨーロッパとアジアの陸地を駆け巡った。残念ながらそれらはソ連やドイツや日本のものばかりだけども。
「ああ、これほどに先見性があるというのは辛いものだな! がっはっは!」
 総裁もこらえている。詩音も抑えている。というかこんな演説いきなりされても、すごくこまる。
「よし、今日は気分が良い。諸君にわが『鉄の狼』特製の牛のスープとパンを振る舞ってやろう。うまいぞ」
 ハゲ将軍はそういうと振り返って兵たちに烹炊車から食事を配るように命令した。
「こんなだったからオーストリア帝国って無駄遣い多くて滅びたんじゃないでしょうか……」
 詩音がこっそり言う。
「かもしれぬ」
「皇妃エリザベートさんもミルク風呂とか浪費すごかったって言うし」
「そうかも……」
 そう言っているとき。
「なんだと!!」
 ハゲ将軍の声が聞こえた。
「パルチザンがわが鉄路を妨害しようとしておる!?」
 総裁と詩音は気づいた。
 ああ、あの不審な東洋人だ!
「いかん! もうすぐトリエステからウィーン行きの特別急行『オオワシ』が到着する!」
 それって!
「賊の狙いはわが帝国鉄道の象徴『オオワシ』の妨害だ! 直ちに『鉄の狼』、出動だ!」
 いっぱいに汽笛を鳴らすブタさん装甲列車。非力だった機関車も3重連に増強して、雄々しく出発しようとする。
 だがそのとき!

 バーン!

 凄まじい音とともに、この操車場で入れ替え中の貨車がバラバラに引きちぎられた!
「カブース(車掌車)のブレーキが緩解されないのに機関車がつながった老朽貨車をいっぱいに引っ張ったのだ!」
 総裁がすぐに理解する。さらにその結果、引っ張っていた機関車がイキオイ余って転轍してない分岐器に突っ込んでいく。
 必死にブレーキを掛ける機関士。しかし間に合わない!
 機関車が転轍機に乗り上げ、壊してしまった!
 汽笛を激しく吹鳴するブタさん装甲列車。この駅を直ちに発車したいのだが、しかしそれどころではなかった。
 機関車の暴走で壊れた分岐器のせいでウィーン行きの各駅停車列車が出発できなくなり、それに邪魔されてトリエステ行きの小麦輸送貨車列車が行き止まったのだ。
「いかん!」
 感づいた信号係が必死の形相で信号を変える。
 だが、間に合わなかった。
 ザルツブルグからの列車がそのグラーツ駅構内に入ってきてしまったのだ。これでグラーツ駅の機回し線がふさがった。出発のために機関車を付け替えるはずのリンツ行き各駅停車は出発できなくなった。
 そしてそのホームにいる各駅停車のせいで、ラートシュタット行の油輸送のタンク貨車列車も動けなくなった。
 こんなことはありえないはずだった。
 でも信号所でも、駅でも、職員たちが冷や汗を浮かべて何度も運行規則を確認していた。
 そして、それは何度確認しても同じことだった。
「デッドロック状態になってしまいましたわ!」
 詩音に総裁もうなずいた。
「すべての列車がハマって動きようがなくなってしまったぞよ!」
 ハゲ将軍が怒鳴り散らしている。
「このままでは『オオワシ』が駅に入線できない! 駅の外で賊に無防備な身を晒して停車することになる! 緊急事態だ! 無閉塞運行するしかない!」
「しかし将軍! この状態で駅に列車をさらに受け入れることは、列車の保安上大変危険です! 衝突事故が起きかねません!」
「賊の襲撃と衝突、どっちが危険だ!」
 信号所長が震えている。どっちを選ぶ!?

「うむ!!」
 総裁が声を上げた。
「こういうデッドロックの解消については、かくなるうえはアレしかなかろう!」
「どういうことでしょう?」
 詩音は怪訝な顔になった。
「詩音くん」
 耳打ちをしてくる総裁の言葉に、詩音は目を見開いた。
「ええっ!!」
 
 総裁がぱぱっと黄色のヒモを4つ肩章に巻きつけ、操車場構内を這っている電線を切って電話機を取り付けた。
 その姿はまるで『特務の青二才』である。
「ワタクシは特務鉄道将校サフィール大佐である!」
 サフィール? 誰だそれ? と操車場のみんな怪訝な顔になる。
 そりゃそうだ。語源は令和のJR東日本の新型特急E261系『サフィール踊り子』なのだ。
 でまかせにもほどがある!
「緊急事態につき、この操車場の指揮をワタクシが取る! 事故を起こした貨車の撤去を急げ。各機関車は罐の蒸気をいっぱいに上げろ。北6番線の列車をまず南ヤードに発車させる」
「北6番? あれ動けないですよ! 南ヤードには既に列車がいてふさがってます!」
「従え! 帝国鉄道本部の直轄命令である! 副官モンターニュ中尉を向かわせる」
 詩音はいきなり中尉にされてしまった。しかも名前もまたでまかせ、富山の観光列車の名前である。ひどいっ!
「中尉を向かわせた。中尉を運転台に乗せて南ヤードに向かわせ、そこにいる列車と連結するのだ」
「連結?!」
「あそこは引込線の有効長が長いので2つの列車をギリギリで縦列駐車のように収められる。連結して収めたらその後に北6番線に駅にいる列車を入れるのだ」
「……はい!!」
 駅構内と操車場で、パズルが始まった。

「この駅の運行規則がデッドロックを起こす可能性があることを見切って、そのトリガーのために貨車を引きちぎらせるなんて、どんな人たちなのでしょう?」
 詩音は白地に赤い帯を腕に巻いて、乗り込んだ機関車の機関士さんと話す。
「わからん」
 機関士が入換作業で忙しくブレーキとレギュレーターを操作しながら答える。

 そして機関車を降りて別の列車へ急ぐ詩音。
「それに総裁、私が乗ってる列車だけ移動可能として衝突を防ぐなんて、まるで『伝令法』みたいですわ。それに実際やってることは京急や名鉄がやってる『変態退避』ですわ」
 そう独り言を言いながら次々と動けない列車を乗り換え、1つずつ脱出させていく。
「これで最後の入れ換えですわ!」
 その時、ワシの装飾を付けた蒸気機関車牽引の、キラキラと煌く豪華列車が、ゆっくりと徐行で入ってきた。
「『オオワシ』!」
 鉄道員たちが敬礼するなか、その高い品格の列車が駅ホームに滑り込んだ。
 すぐに蒸気機関車の水の補給が行われる。

 詩音の目が、一瞬、釘付けになった。

 飾られた客車の窓の中で談笑している、藍色の漢服に似た民族衣装の女性以下4名の男女。
 まるでそれは、陽炎の向こうのことのように、輝きながら揺らめいていた。
「天籟の、ご一行……」
 詩音はそうつぶやくのがやっとだった。

 汽笛がフッと短く吐息のように鳴った。水の補給が終わったのだ。
 そして静かにその豪華な客車が引き出され、『オオワシ』は何事もなかったように、ウィーンに向けて発車していった。

 その後部標識を、詩音はつい、指差して見送ってしまった。

「ええと」
 そのあと。
 駅の職員が集まるなか、ハゲ将軍は上機嫌だった。
「なんで上機嫌なんですか。鉄の狼、結局なんの役にも立ってないですよ!」
「それが役に立ったんだ」
「えっ」
「いい猫はどういう猫だ? ネズミを獅子奮迅して捕る猫か?」
 問を投げかけられた鉄道員たちは、わからないでいる。
「眼光鋭くネズミを震え上がらせる猫か?」
 まだわからない。
「一番の猫は、眠そうにしているくせに、なぜかネズミがいなくなるような猫だ」
 みんな、ぽかんと聞いている。
「本当の国防とは、そういうものであるべきだ」
 引きちぎられた貨車を見て、総裁と詩音は気づいた。
 朽ちた木と錆びきった鉄が散っている。
 事故だったのだ。『妙な東洋人』の仕業ではないのだ。
「ただの威嚇や戦争では真に国は守れぬ」
 ハゲ将軍はそう言うと、ポツリと言った。
「まあ、これもまだ、ただの父の受け売りでしかないんだが」
 気づいた総裁が目を伏せる。
「父には追いつけない。追いつける気もしない。いつまで経っても私は不肖の息子だ」
「あの、閣下、お名前は」
 詩音が聞いた。
「私の名はニコラウス・フォン・テゲトフ。海軍提督だった父ヴィルヘルム・フォン・テゲトフとおなじ少将になれたが、傾いた国というものは実を伴わぬ高位高官をむやみに作るものだ」
「傾いた国……」
 将軍閣下は、笑った。
「でも、きっとその傾きは復原できると信じている。この鉄の狼も、結局ただの破廉恥な木製のツノブタだとされて記録ごと全く残らないとしても」
 閣下はそう言って、寂しそうに遠くを見た。
 総裁も詩音もそれに掛ける言葉がなかった。
 だが、閣下は振り返り、近くに積まれた未使用のレールをさした。
「君たち……サフィール大佐、モンターニュ中尉。諸君はこの窮地を解決した功労者だ。その記念に、なにかしるしを残していくがよい」
 えっ。詩音は驚いた。
 素敵な思い出になったけど、これは残せるのだろうか。
「残そう」
 肩に4本の黄色の帯を付けた総裁が詩音を促した。
「リベットを使って印をつけよう。このレールはこのあと遥か彼方、東洋へ出荷されると言う」
 閣下の言葉を受けて、保線の鉄道員が、穴を開けたレールに焼けたリベットを、それとわかるように取り付けた。
「よし、これでよい」
 閣下は満足げだ。
「かたじけないのだ」
 総裁と詩音は閣下に一礼した。
「では、今度こそ我が帝国の味、牛のスープを振る舞おう」

 そのとき。

 さっと駅の風景がホワイト・アウトした。


 そして、そこには鉄研部室の風景があった。

「……」
 詩音は言葉もなく、手をにぎった。
 そして、ひらいて、またにぎった。
「詩音くん、午後の授業が始まるぞよ」
 総裁が急かす。
 その肩には、4本の黄色いヒモはなかった。
「……残念ですわ」
「なんのことだ?」
 総裁が微笑む。
 詩音は、それに答えた。
「素敵な、長い、そして……ちょっと寂しい夢を、見てしまいましたわ」



 その放課後。
 鉄研のみんなは海老名を出て、小田急とJRを乗り継いで電車で秋葉原を目指す。
 鉄道模型のパーツの買い出しである。
 途中、御茶ノ水駅で乗り換える。
「この御茶ノ水の駅も改装されてしまうのう」
 工事の仮囲いだらけの御茶ノ水駅を見て、総裁が言う。
「ええ。この古レールを使ったホームの屋根も、見納めになってしまいますわ」
 詩音はそのレールを見た。
 リベットが穴に変な形で取り付けられている。
 怪訝にそれをじっと見つめる詩音。
 しばらく、詩音は動かなくなった。

「詩音ちゃん、いくよー」
 呼ぶ鉄研のみんなの声に。詩音は振り返った。
「……おまちくださいませ!」

 詩音は、鉄研のみんなとともに、中央緩行線E231系の車内に収まった。

 後部運転台の向こうに、カーブに作られた御茶ノ水駅が、その屋根が遠ざかっていく。

「物語とは、斯様なものかもしれぬ」
 総裁がポツリと言った。
「えっ、それは何でしょう?」
 詩音の言葉に、総裁は答えた。
「よいのだ。なんでもない」

〈了〉

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登場人物紹介

長原キラ ながはらキラ:エビコー鉄研の部長。みんなに『総裁』と呼ばれている。「さふである!」など口調がやたら特徴ある子。このエビコー鉄研を創部した張本人。『乙女のたしなみ・テツ道』を掲げて鉄道模型などテツ活動の充実に邁進中。

武者小路詩音 むしゃのこうじ しおん:鉄研内で、模型の腕は随一。虚弱体質で高校入学が遅れたので実は他のみんなより年上。鉄道・運輸工学教授の娘で、超癒し系の超お嬢様。模型テツとしての腕前も一級。

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