法螺吹絵師の罪深い日常

文字数 4,990文字

9月とはいえまだまだ暑かったせいか、絵師(えし)は公園の木陰に"アトリエ"を広げていた。オレは気合いを入れて、キャップを深く被った。
「……また来たのかよ」
アトリエに近付いたオレに気付くと、絵師は露骨に嫌な顔をした。
「オレの勝手だろ。ここは公園なんだから」
負けじとオレも、生意気な顔を浮かべて言い返してやった。
「俺のアトリエに寄るなっつーの。小学生(ガキ)はあっちの砂場で猫のウ◯コでも探してろ」
オレは絵師の暴言を無視して、木の下に広げられたシート(自称アトリエ)に踏み入った。一応、靴は脱いでやった。


初めて絵師に会ったのは、ひと月位前。
夏休みの宿題で写生をしようと近所の公園にやってきたオレは、公園の真ん中にある大きな木の下にシートを広げて絵を描いている絵師に出会った。
絵師は折り畳みのイスとキャンバスを広げて、なぜか公園の片隅に置いてある古いベンチを描いていた。
写生の参考にしようとオレの方から絵師に近づいた。それがオレ達の出逢いだった。
それからひと月。
絵師は毎日公園に居た。
朝の訪れと共にどこからともなく現れて、夜の訪れと共にどこかへ消えていく。
それ以外の時間は、公園でずっとベンチの絵を描いていた。絵師が食事をしてる所を見た事は一度もないし、たまに公園のトイレに立つ位で、それ以外はイスから動くことはない。
大学生なら学校は?
社会人なら仕事は?
家族がいるなら生活は?
未だに何もわからない。というか、教えてくれない。
わかった事といえば、絵師は絵に関する事以外全く興味がないという事。
シートの上にいつも何枚か絵を並べてるけど、売る為じゃない。自分の絵を眺める為。絵師は自分を天才と呼び、自分の絵を溺愛してるから。
それが、この1ヶ月でオレが知り得た絵師の事。

「おい、勝手に見んなっつーの」
折り畳みイスの背もたれ裏、収納ポケットから黙ってファイルを引き抜いたオレに、絵師が言った。

旅行記。

表紙にそう書かれた数冊の古いファイル。
「ことわったら見ていいのかよ?」
「いいわけねーだろ」
「じゃあ聞かねー」
昨日で旅行記①を見終えていたオレは、絵師の苦情を無視して旅行記②を手に取った。
そしてこの先に、オレがこの絵師の元へ通う一番の理由があった。



ファイルの一番最初には、オレンジ色の時計の絵が挟んであった。
初めて"これ"を見た人は、きっとこれが絵であることを疑う。けど、これは間違いなく絵だ。絵師がまるで写真みたいに描いた絵。しかも、色鉛筆しか使わずに。
動画サイトで海外の人が色鉛筆だけで写真みたいな絵を描いてる動画を見たことがあったけど、この絵師はそれと同じ事をオレの目の前でやってみせた。悔しいけど、絵の腕

は一流だと思ってる。もちろん、本人にそれを言う気はないけど。
ただ、オレの目的は絵を眺める事じゃない。
「この時計、何だ?」
「そいつは、時計の国に行った時に描いた、時計の国の王様の肖像画」

ーーここから始まる、絵師の法螺話だ

「なんだよ、時計の国って」
「時計の国は時計の国だろ」
絵の説明を求めると、絵師は絶対に法螺話を始める。何の根拠もない、誰も得しない、ただの嘘。ただの嘘のハズなのに、絵師は急に口数が増える。
「どこにあんだよ?」
「知らねーよ。目隠しとヘッドフォンされたまま拉致られたんだから」
その拉致られ方もいつも一緒。
「時計の国の王様が俺に肖像画描いて欲しいってよ。噂ってどこまでも広がるんだな。ほら、俺って天才だろ?」
その理由も、口癖も、毎回一緒。
「時計が生活してんのかよ?」
もちろん、嘘だってわかってるけど、オレはあえてその法螺話に乗ってやる。
「当たり前だろ。時計の国なんだから。朝なんかうるせーよ?時計(じぶん)は鳴るわ、自分の目覚まし時計は鳴るわ。単純に人間界の倍鳴るね」
「時計なのに目覚まし時計使ってんのかよ?!
「時間わかんなきゃ生活不便だろーが」
「自分も周りも時計なんだろ?!
「馬鹿かお前」
ちなみにこれも絵師の口癖。
「自分の長針短針は感情表現に使うだろ。怒った時は"10時10分"になるだろ」
「そういう使い方してんの?!じゃあ"この時"王様どんな気持ちなんだよ?」
「えー?7時半だろ?……"白い髭の気持ち"でいいんじゃね?」
「それ見た目だろ?!感情じゃねーし!」
ちなみに、オレと話してる間も絵師は一切手を止めない。キャンバスとベンチから目を反らさない。オレに向けられているのは嘘に塗りかためられた言葉だけ。
「そういや王様言ってたわ。"近頃のデジタル(わかもの)は、何を考えてるかわからん"って」
「デジタル時計に針はねーからな!」
「うっせーなー。お前毎回何がしたいの?ツッコミの練習したいの?」
「ツッコミじゃねーよ!そっちが嘘ばっかつくからだろ!」
「嘘じゃねーって言ってんだろ」
そう。オレがここに来る最大の目的は、絵師の法螺話を言い負かしてやる事。
いつか絵師に「全部嘘でした。ごめんなさい」そう言わせる事。自信過剰なこの法螺吹きに、ひと泡吹かせてやる事だ。



時計の次は、公衆電話の絵だった。
「じゃあ、この公衆電話は?」
「それは電話の国に行った時に描いた大統領だな」
「嘘だね」
「だから嘘じゃねーって」
「また肖像画描けって拉致られたのかよ?」
「そうそう。どこの世界も偉い奴って自分の絵描かせたがるんだなー。権力を誇示したいんだろーな」
絵師は絵を描く手を休める事なく話す。
「なんで公衆電話が大統領なんだよ?」
「国の事情まで知るかよ。ちなみに、大統領夫人(ファーストレディ)はピンク色のーー」
「だろうな!」
「大統領ずっと愚痴ってたわ。"チャンネル登録伸び悩んでる"って」
「大統領動画投稿してんの?!
「そうそう。確か……"真夜中に幽霊が出る噂の公衆電話に丑三つ時に行ってみた"だっけ?」
「自分も公衆電話なのに?!
「視聴回数104回だってよ。電話だけに」
「全然うまくねーし!少ねーし!」
「不機嫌過ぎて、俺が肖像画描いてる間もずっーとスマホいじってたし」
「スマホ持ってんのかよ?!
法螺話にしては、毎回駄洒落の要素が多すぎた。



公衆電話の次は、おもちゃのお子様ランチの絵だった。
「これは?お子様ランチのおもちゃみたいな」
「あー、それはーー」
「どーせおもちゃの国の昼御飯で出たヤツってゆーんだろ?」
「え?!お前もおもちゃの国行ったことあんの?!
「ねーよ!」
「焦った。俺以外にも招かれた奴がいたのかと思った」
「嘘つけ!」
「嘘じゃねーって。そのランチ、国賓にしか出さない逸品らしいぞ」
「おもちゃじゃん!食えねーじゃん!」
「俺は味の話をしてんじゃねーの」
「なんでおもちゃの国だけ王様とか大統領とかじゃなくて、昼飯描いてんだよ?!
「馬鹿かお前。おもちゃの国に王はいない。おもちゃ達は誰にも統べられない。自由である事こそがおもちゃだ」
「うるせーよ!」
一瞬だけ手を止めて、空を見上げた絵師に、オレは今日一の声を張り上げた。
「暑いのに元気ねぇ」
その時、絵師のアトリエに犬を連れたおばさん……犬飼さんが近づいてきた。
オレと絵師の世界に、唯一接触しているこのおばさん。
絵師の話では、オレが初めて絵師に会う前から毎日顔を出してるらしい。犬の散歩のついで、という感じ。

も、いつも一生懸命で偉いわねぇ」
犬飼さんは、絵師とオレがそれぞれ適当に名乗った偽名を信じてる。そして、オレ達はいつものように

を入れ換えた。
「犬飼さんも暑い中お散歩ご苦労様です。クッキーちゃんも幸せですね、一生懸命な飼い主さんと一緒で」
絵師は爽やかイケメンスマイルを前面に押し出す。
「犬飼さん見て!田中の兄ちゃん、こんな上手に時計の絵を描けるんだよ!」
オレは夢と憧れに満ちた少年を前面に押し出す。
「ボク、いつか田中の兄ちゃんに弟子入りするんだ!」
「いやぁ恥ずかしいなぁ鈴木くん。僕なんかまだまだ全然未熟者なのに」
「おほほほ、二人とも本当の兄弟みたいでいいわねぇ。じゃあ、無理しないで頑張ってね」
そういうと、犬飼さんは公園を出ていった。
「……なーにが弟子入りだぁ。気持ち悪ぃ」
「そっちこそ、何が僕なんかまだまだ……だよ!絶対思ってねーだろ?」
公園入口の角を曲がった犬飼さんが見えなくなると、オレ達は直ぐにギアを戻した。
"これ"が絵師とオレが考えた作戦だった。
謎の若い絵描きが、周りに怪しまれずに一日中公園で絵を描き続ける為の作戦。
「誰のお陰でずっと公園(ここ)に居れると思ってんだよ?」
「……そうだな」
オレが言うと、絵師は考えるフリをした。
謎の絵描きよりも、

の方が怪しまれない。そう絵師に持ちかけたのは、オレの方だったからだ。
「一重に、俺の天才的な才能のお陰だな」
まぁ、この絵師がそれを認めるはずがないことはわかってるけど。
その後も、旅行記②に綴じられた他の絵の法螺話と散々討論したオレは、公園の時計を見てアトリエを立った。
「お、帰るか。さっさと帰れ。そして二度と来んな」
「うっせー。オレの勝手だろ。絶対に全部嘘の話だって認めさせてやっからな!」
「おい、何回も言わせんなよ」
アトリエを出て靴の爪先を地面に打ち付けていたオレに、絵師が言った。
「俺は法螺は吹くが、嘘はつかねー」
「法螺も嘘も同じだろ。何が違うんだよ?」
「自分で調べろ、そんなもん」
それ以上、絵師は何も言わなかった。
オレは犬飼さんと同じように公園の入口を曲がって道路に出た。
「……」
そして絵師に見えなくなった事を確認してからオレは……いや、"私"はキャップを取った。
キャップの中に押し込められていた長い髪が風に揺れて、私の肘をくすぐった。

絵師はきっと気付いていない。
毎日のようにやってくる少年が、実はずっと前に一度だけ会った少女(わたし)だって。

私がこの公園で初めて絵師に会った時、アトリエに広げられていた絵の数々に、私の心は奪われた。旅行記にあるような写真タッチの絵から、デッサンだけの絵、色鉛筆っぽい柔らかい色使いの絵。そんな様々な技法で描かれた鮮やかな絵の数々と、それを描いたであろう絵師の、キャンバスに向けられた真剣な眼差し。
「僕の絵を気に入ってくれたの?嬉しいなぁ。もちろん毎日見に来てくれて構わないよ」
写生の参考にしたいと声を掛けた私に、絵師は優しい笑みを浮かべてそう言ってくれた。思わず、胸が高鳴った。
当時の私には、それが絵師のギアが入れ換えられた姿だって気付かなかった。あの時は、その場に犬飼さんも居たから。
「……おいガキ、二度と俺に話しかけんな」
犬飼さんが去って、二人きりになった時、絵師が元に戻したギア(本性)に初めて触れた私は驚いた。
「俺は絵が描きたいんだ。ガキの手本になりたいんじゃねー。邪魔すんな」
「……でも、さっきは毎日来ていいって」
「それはあのおばさんに怪しまれないよーにする為。長く公園(ここ)にいる為には、怪しまれない事が一番だ。描きたい絵を描く為だったら、俺は何でもする。ホントは使いたくもねー言葉だって並べる」
「……」
ショックのあまり、私は何も言えなかった。
「考えてみろ?毎日公園で絵を描いている男に、小学生の女のガキが纏わりついてたら怪しまれんだろ。お前の気まぐれに迷惑すんのは俺なんだ。わかったら二度と来んな」
その夜……私は悔し涙で枕を濡らした。
きっとあれは、私の初恋だった。運命的な出会いだと思った。それを一瞬で蹴散らされた。
そして私は泣きながら決意した。

ーー絵師(アイツ)にひと泡吹かせてやる

次の日から、私は男装して絵師に会いに行く事にした。
弟の服と帽子を借りた。喋り声もなるべく低く、乱暴にした。普段なら絶対に使わないような言葉と態度を心掛けた。絶対に、絵師に(わたし)だってバレないように。

「ガキの手本のフリすれば、もっと怪しまれずに公園(ここ)に居られるぜ?」

そして、絵師にそう提案した。
きっとベンチが描き終わったら、絵師はこの公園を去ってしまう。それまでに、絶対「ごめん」と言わせてやる。その為だったら、私は何でもする。本当は使いたくない言葉だって並べる。

少女(わたし)の初恋を踏みにじった罪は重い。

自意識過剰な上に常識の通じない絵師が、私に謝ることは絶対にない。絵師の鼻を折るには、絵師の世界で挑むしかない。
だから私は、明日も男装して公園に向かう。
絵師が気付かずに送っている罪深い日常が、少しでも長く続くように。そしていつか、私が絵師の法螺話を言い負かして、絵師が私に深く頭を垂れる日が来るように。


おわり。




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