約束
文字数 4,977文字
ベッドから降りられるようになるまではとジェムの病室への出入りを禁止されていたアリシアは、毎日クリスタと共にセドリックの元を訪れては、その容態を確かめ、案ずるだけでなくその詳細を書き留めては対処を教わっていた。
そして今日、ようやく面会が許可されると、すぐさまそのドアを叩いたのだ。
言われたとおりの、できるだけ飾りの少ないエプロンドレスを身につけ、髪も乱れ落ちぬように同じ色のスカーフに収めて。
これは、セドリックの助手として何かと手伝いを務めるクリスタと同じ、看護に向いた格好だと聞いている。
(焦ることはないわ、むしろ落ち着いて…)
「どうぞ」
と短く応えが返ってくるまでのわずかなあいだに、アリシアは深呼吸をひとつ。
ドアに手をかけ、後ろ手に扉を閉めて、目を上げる。
「アリシア。…どうしたの、そんなとこにいないでこっちおいでよ」
寝巻き姿のジェムの、いつもと変わらぬ快活でやわらかな声。でも、その顔には濃紺に仕立てられた眼帯が掛けられていることに、どうしても一瞬怯んでしまう。
「…ジェム」
ぎゅ、と手にしたものを両腕で抱くように力を込めた。セドリックとクリスタの話を聞きながら書き留めた、ジェムの介助や手当ての心得の紙束。
ここから先は、私が責任をもってジェムのお世話をするのだと、強引にもセドリックに了承を取り付けて、慣れないながらもアリシアなりに必死に覚えたのだ。
「…怖いかな。でも、コレ外すと傷あるし、余計に怖がらせちゃうと思うんだけど」
困り顔で、そのままベッドを降りようとするジェムに慌ててアリシアはそちらへ駆け寄った。
「ダメよ!無理して降りたら…」
「大げさ。これでも部屋の中だけなら歩いたりしてるんだから」
それでも、ベッドの足元の部屋履きの位置を探るのに大きく首を回し、ベッドの柵をつかんで動くのだから、以前ほどの機敏さは感じられなくて。
「ほら、平気」
笑う口元。ひとつになってしまっても、そのヘイゼルの瞳はいつもと変わらずきらめいている。
「ジェイムズ……っ」
思わず抱きついたアリシアを、さほど変わらない背丈のジェムが片腕で抱きとめると、おずおずと、たまりかねてそのまま一度、ぎゅっと力をこめる。
……顔が見えないまま温もりだけが感じられて、そこに確かに命があることに、安堵のため息がこぼれた。
「ごめん」
「ごめんなさい!」
同時にこぼれた声に、また同時に弾かれたように顔を上げて、ひどく近い距離で目が合った。
ヘイゼルの隻眼と琥珀色の瞳が見合って、息をのむ。
生きていてくれてよかったと、そう思って安堵するだけでこんなに心臓が跳ねるのものなのだろうか。
「…きみが無事でよかった。きみが正しかったね、あんな危険な目に遭わせてしまって、ごめん。あの後、どこもケガはなかった?」
「あなたこそ…あんな無茶して!死んでしまうところだったのよ?あなた一人ならきっと逃げられたのに、私たちをかばったせいで、こんな…」
運ばれてきたジェイムズは全身血まみれで、その大半が仕留めた海賊のものだと聞かされても生きた心地がしなかった。
「本当に、死んでしまったかと…」
その半顔を覆いつくす包帯はとうに赤黒く染まっていて、処置を焦るセドリックに向かって必死に問いただした。
「目が潰れている。早く処置しなければこのまま死にかねないんだ、退いていなさい」
そう言われて、ただ神に祈ることしかできなかった。
…神さま、どうか。
どうかジェムを助けてください。その代わりに、私にできることならなんでも。
「アリシア、きみ…髪は、どうしたの」
ジェムはようやく、スカーフの下で結っているものとばかり思っていたアンバーの髪が、ずいぶん短くなっていることに気がついた。
「切ったのよ」
「どうして?」
そう言ってさりげなく目をそらすアリシアに、ジェムはあえて遠慮なく踏み込んで問いかける。
(だって、納得できない)
あんなにも美しい、よく手入れされた豊かに艷めく金の髪。
アリシアの自慢のひとつだったそれを、急に肩より短くしてしまうなんて。
「……神さまに、どうしても願いをきいてもらいたくて。私なりに大切なものを差し上げて、祈ったのよ。その願いはかなったわ、だからいいの。髪はまた伸ばせるもの」
そう笑うアリシアがそろりとジェムの頬に触れ、指先で目元にかかる髪をよける。
脳裏に、今はもう無い眼帯の下の快活な眼差しを思い描く。幼い頃からよく知っている、その好奇心にあふれた瞳。
「宝石みたいに、きれいな目をしていたのに…」
「何言ってるのさ、そんなのきみの目の方こそ。……あのさ、祈ってくれたの、きっと僕のことだよねって、うぬぼれすぎかな。ありがとうって、言ってもいい?」
ひとつ残ったこの目で、頬に赤みが差していくきみを見る。手を伸ばして触れてみたら、これまでにない欲が湧いてきた。
(どうしよう……キス、したい)
「どうして、分かっちゃうのよ」
戸惑うその頬が熱くて、ほんの少し寄せた眉が困った風情なのは分かっていて、それでも。
「そうだったら死ぬほど嬉しいって、思っただけだ」
そのまま、顔を上げるアリシアにジェムは自分の頬を指差した。
あの時胸に刻み込んだ、きみのの唇が触れた場所。
「あ…」
「約束通り、ちゃんと戻ったよ。だから、頑張ったご褒美がほしいな」
同じ場所にキスをねだると、赤かった頬が更に薔薇色になって。それから、ひとつ頷いて目を伏せたアリシアが、肩に手をかけてほんの少し背伸びをしてきて。
(怒るかな…)
見えないのをいいことに、ジェムはそのままアリシアの方へ顔を向けて、その唇を同じ場所で受け止めた。
「っ、へ…?えっ?」
目を見開くアリシアが驚いて飛び退くように離れようとするのを、一瞬早くつかまえて、自分からも掠めるようなキスをして。
照れくさくて、それでもまだ離したくなくて、腕のなかに閉じ込めて、初めてきみに「好きです」とささやいた。
「もう、言えばよかったなんて後悔したくないから、ちゃんと言う。アリシア、僕は……きみが大好きだ」
「ジェ、ム…」
「うん」
震える声に頷いて、少しだけ体を離して琥珀色の目をのぞきこむ。
「私が、好き、なの?」
「うん」
短くなった髪。そんなにまでして僕を救おうと祈ってくれたきみを、これまで以上に愛しく思うのは、きっとおかしなことじゃない。
「きみは?」
ねぇ、どうか、僕を好きだと言ってほしい。
そうであったらと願う思いを、確信に変えさせてよ。
「…置いていって、本当に後悔したわ。分かってるの、邪魔にしかならないって、でも…」
あの時のように、ぎゅっと抱きつかれた。
「二度とあんな思いはごめんよ。…好きな人が、あんな…死にそうな姿を前に何もできないなんて」
「っ……あ、あの、今の…」
(好きな人、って…)
その言葉。
きみの真摯な瞳の奥で、真昼なのにまるで星が揺れるようにきらめいた気がして。
「ええ。…ご褒美は、掠めとるものじゃなくてよ?」
少しからかう声の奥が、そっと震えているのが分かって、きっとそれは僕と同じ理由で。
だから。
「なら、ちゃんと渡してよ、お姫様」
そうわがままを言った僕の唇に、薔薇の蕾のような唇がやってきて、触れて、離れた。
「レディーに、なんて事させるの」
ちいさな呆れたため息はいつもどおりのアリシアと変わらないのに、確かに直に渡してくれたご褒美は、まるで僕の心臓に触れられたみたいに思えて。
やっぱりきみが好きだって、鼓動が叫んでたまらなくて。
もう一度、細い体を、ひとつになれたらいいのにと思うくらいにぎゅっと抱きしめる。
「あの洞窟で見つけた宝物、キスのお礼に受け取ってもらえる?」
それから、ベッドのかたわらに置いたかばんの中から、夕焼け色の耳飾りと、海色のコンパスを取り出した。
「きれい…」
よく磨かれたその石は、とろりとしたつやを帯びて淡く光るようだった。
紅珊瑚の嵌め込まれたまわりを囲むように、小さくきらめく星屑のようなダイヤモンド。
「着けてみてもいいかしら」
「あ、じゃあ僕にやらせて」
そっと耳に髪をかけて、白い耳にあいたちいさな穴に、細いフックを慎重に通していく。
そうしてやれば、耳を彩る鮮やかな色は、すんなりとそこに収まって、揺れる度にちらちらとちいさな光をこぼした。
「うん、いいね。…よく似合う、とっても」
「ふふ、ありがとう」
色白の肌に、その赤はとてもよく映えていた。
贈り物に遠慮をするのはマナー違反。
まして、あの命がけの大冒険で得てきた宝物に、ジェイムズの思いがどれだけこもっているか。
だからアリシアは、その耳飾りが少し見ただけでも相当な価値のあるものだと分かっても、それを拒みはしなかった。
「ほんとは、もっと素敵な宝石箱も用意してあげたかったんだけど、この部屋から身動き取れなかったから…ごめんね」
「気にしないで、とっても素敵な贈り物よ。それよりもあなたの目が心配で…あのね、今日はあなたの外出許可も取り付けてきたのよ。セドリックが、行けるようなら散歩くらいなら大丈夫って」
それを告げると、ジェムは飛び上がるように喜んで、急いで靴を履く。
「わぁ、それすごく嬉しい!いい加減、部屋の中に閉じ込められてるのも飽き飽きしてたんだ」
喜ぶその声はいつものジェムと少しも変わらなくて、なのにさっきまでの、これまでにないふたりの距離を思い出して、アリシアは、こっそり頬を染めた。
(なんだかほんの少しだけジェムがおとなになったみたい…どきどきするじゃない、もう)
それからふたりは、手を繋ぎ慎重に階段を降りて庭へ降り、空と風を感じる外へと踏み出した。
高台にある診療所からは、きらきらと光る海が見通せる。いくつも行き交う船影と、風を受けてひらめく、アレクサンドロ商会のマークを染めつけた白い帆。
「いつか…」
手の中のコンパスに目を落として、ジェムが口を開いた。
ほの青く光るコンパスの針はゆらゆらと揺れて、何かを探すように動いて…それからぴたりと、北ではなく、隣にいるひとを示して止まった。
(なんだろ、まるでコイツに励まされてるみたいだな)
「いつかね、僕らがもっと大きくなったら…僕は、きみを連れて旅に出て、もっと世界を見てみたい。この怪我もあるし、思ってたより時間はかかってしまうかもしれないけど、安心してもらえるだけの腕は鍛えておくからさ。…だから、いつか僕と…」
言いながら、まるで求婚でもしているみたいだと思う。…実際、その通りかもしれない。
アリシアは、ふ、と軽い笑みを唇に乗せた。
「ジェイムズ」
「うん」
す、と海を細い指先で示して、短くなった襟足の髪が風に揺れるのを見た。
「行くなら、私も準備がいるわね。覚えることが沢山ありそう。…ねぇ、体が戻ったら、私にも剣を教えて」
「アリシア…?」
華奢な、簡単に手折れてしまえる可憐な花のような女の子の口から、まさかそんな言葉が飛び出すとは思わなくて面食らった。
「もし行くのなら、この前みたいにただのお荷物で終わる気はないわ。私も、船員の一員になるのよ、ジェイムズ船長。星を読むのは得意なの、航海士としてなら、着いていってあげてもいいわ」
きれいな笑みを彩る金の髪と赤の耳飾り。
腹の底から笑いがこみ上げるのを、ジェムは抑えきれなかった。
「アリシア!」
「きゃっ」
両腕で、お姫様を高く抱きあげて、そのまま踊るようにくるりと回る。
「きみってほんと最高だ!」
なんだろう、嬉しくてたまらないこの気持ち。
やわらかな草原にトンと彼女を下ろして、そのままぎゅっと抱きしめる。
「…女なのに生意気、とか言わないのね」
「言うもんか!きみより星に詳しい子を僕は知らない、きっとどこの船も羨むくらいの素敵な航海士になれるよ!」
一緒に行こうね、と額を合わせて笑いあって、ちょんと鼻先をくっつけて、照れくさくてくすぐったくて、手を繋いで、
それからふたりで、
約束のキスを、した。
そして今日、ようやく面会が許可されると、すぐさまそのドアを叩いたのだ。
言われたとおりの、できるだけ飾りの少ないエプロンドレスを身につけ、髪も乱れ落ちぬように同じ色のスカーフに収めて。
これは、セドリックの助手として何かと手伝いを務めるクリスタと同じ、看護に向いた格好だと聞いている。
(焦ることはないわ、むしろ落ち着いて…)
「どうぞ」
と短く応えが返ってくるまでのわずかなあいだに、アリシアは深呼吸をひとつ。
ドアに手をかけ、後ろ手に扉を閉めて、目を上げる。
「アリシア。…どうしたの、そんなとこにいないでこっちおいでよ」
寝巻き姿のジェムの、いつもと変わらぬ快活でやわらかな声。でも、その顔には濃紺に仕立てられた眼帯が掛けられていることに、どうしても一瞬怯んでしまう。
「…ジェム」
ぎゅ、と手にしたものを両腕で抱くように力を込めた。セドリックとクリスタの話を聞きながら書き留めた、ジェムの介助や手当ての心得の紙束。
ここから先は、私が責任をもってジェムのお世話をするのだと、強引にもセドリックに了承を取り付けて、慣れないながらもアリシアなりに必死に覚えたのだ。
「…怖いかな。でも、コレ外すと傷あるし、余計に怖がらせちゃうと思うんだけど」
困り顔で、そのままベッドを降りようとするジェムに慌ててアリシアはそちらへ駆け寄った。
「ダメよ!無理して降りたら…」
「大げさ。これでも部屋の中だけなら歩いたりしてるんだから」
それでも、ベッドの足元の部屋履きの位置を探るのに大きく首を回し、ベッドの柵をつかんで動くのだから、以前ほどの機敏さは感じられなくて。
「ほら、平気」
笑う口元。ひとつになってしまっても、そのヘイゼルの瞳はいつもと変わらずきらめいている。
「ジェイムズ……っ」
思わず抱きついたアリシアを、さほど変わらない背丈のジェムが片腕で抱きとめると、おずおずと、たまりかねてそのまま一度、ぎゅっと力をこめる。
……顔が見えないまま温もりだけが感じられて、そこに確かに命があることに、安堵のため息がこぼれた。
「ごめん」
「ごめんなさい!」
同時にこぼれた声に、また同時に弾かれたように顔を上げて、ひどく近い距離で目が合った。
ヘイゼルの隻眼と琥珀色の瞳が見合って、息をのむ。
生きていてくれてよかったと、そう思って安堵するだけでこんなに心臓が跳ねるのものなのだろうか。
「…きみが無事でよかった。きみが正しかったね、あんな危険な目に遭わせてしまって、ごめん。あの後、どこもケガはなかった?」
「あなたこそ…あんな無茶して!死んでしまうところだったのよ?あなた一人ならきっと逃げられたのに、私たちをかばったせいで、こんな…」
運ばれてきたジェイムズは全身血まみれで、その大半が仕留めた海賊のものだと聞かされても生きた心地がしなかった。
「本当に、死んでしまったかと…」
その半顔を覆いつくす包帯はとうに赤黒く染まっていて、処置を焦るセドリックに向かって必死に問いただした。
「目が潰れている。早く処置しなければこのまま死にかねないんだ、退いていなさい」
そう言われて、ただ神に祈ることしかできなかった。
…神さま、どうか。
どうかジェムを助けてください。その代わりに、私にできることならなんでも。
「アリシア、きみ…髪は、どうしたの」
ジェムはようやく、スカーフの下で結っているものとばかり思っていたアンバーの髪が、ずいぶん短くなっていることに気がついた。
「切ったのよ」
「どうして?」
そう言ってさりげなく目をそらすアリシアに、ジェムはあえて遠慮なく踏み込んで問いかける。
(だって、納得できない)
あんなにも美しい、よく手入れされた豊かに艷めく金の髪。
アリシアの自慢のひとつだったそれを、急に肩より短くしてしまうなんて。
「……神さまに、どうしても願いをきいてもらいたくて。私なりに大切なものを差し上げて、祈ったのよ。その願いはかなったわ、だからいいの。髪はまた伸ばせるもの」
そう笑うアリシアがそろりとジェムの頬に触れ、指先で目元にかかる髪をよける。
脳裏に、今はもう無い眼帯の下の快活な眼差しを思い描く。幼い頃からよく知っている、その好奇心にあふれた瞳。
「宝石みたいに、きれいな目をしていたのに…」
「何言ってるのさ、そんなのきみの目の方こそ。……あのさ、祈ってくれたの、きっと僕のことだよねって、うぬぼれすぎかな。ありがとうって、言ってもいい?」
ひとつ残ったこの目で、頬に赤みが差していくきみを見る。手を伸ばして触れてみたら、これまでにない欲が湧いてきた。
(どうしよう……キス、したい)
「どうして、分かっちゃうのよ」
戸惑うその頬が熱くて、ほんの少し寄せた眉が困った風情なのは分かっていて、それでも。
「そうだったら死ぬほど嬉しいって、思っただけだ」
そのまま、顔を上げるアリシアにジェムは自分の頬を指差した。
あの時胸に刻み込んだ、きみのの唇が触れた場所。
「あ…」
「約束通り、ちゃんと戻ったよ。だから、頑張ったご褒美がほしいな」
同じ場所にキスをねだると、赤かった頬が更に薔薇色になって。それから、ひとつ頷いて目を伏せたアリシアが、肩に手をかけてほんの少し背伸びをしてきて。
(怒るかな…)
見えないのをいいことに、ジェムはそのままアリシアの方へ顔を向けて、その唇を同じ場所で受け止めた。
「っ、へ…?えっ?」
目を見開くアリシアが驚いて飛び退くように離れようとするのを、一瞬早くつかまえて、自分からも掠めるようなキスをして。
照れくさくて、それでもまだ離したくなくて、腕のなかに閉じ込めて、初めてきみに「好きです」とささやいた。
「もう、言えばよかったなんて後悔したくないから、ちゃんと言う。アリシア、僕は……きみが大好きだ」
「ジェ、ム…」
「うん」
震える声に頷いて、少しだけ体を離して琥珀色の目をのぞきこむ。
「私が、好き、なの?」
「うん」
短くなった髪。そんなにまでして僕を救おうと祈ってくれたきみを、これまで以上に愛しく思うのは、きっとおかしなことじゃない。
「きみは?」
ねぇ、どうか、僕を好きだと言ってほしい。
そうであったらと願う思いを、確信に変えさせてよ。
「…置いていって、本当に後悔したわ。分かってるの、邪魔にしかならないって、でも…」
あの時のように、ぎゅっと抱きつかれた。
「二度とあんな思いはごめんよ。…好きな人が、あんな…死にそうな姿を前に何もできないなんて」
「っ……あ、あの、今の…」
(好きな人、って…)
その言葉。
きみの真摯な瞳の奥で、真昼なのにまるで星が揺れるようにきらめいた気がして。
「ええ。…ご褒美は、掠めとるものじゃなくてよ?」
少しからかう声の奥が、そっと震えているのが分かって、きっとそれは僕と同じ理由で。
だから。
「なら、ちゃんと渡してよ、お姫様」
そうわがままを言った僕の唇に、薔薇の蕾のような唇がやってきて、触れて、離れた。
「レディーに、なんて事させるの」
ちいさな呆れたため息はいつもどおりのアリシアと変わらないのに、確かに直に渡してくれたご褒美は、まるで僕の心臓に触れられたみたいに思えて。
やっぱりきみが好きだって、鼓動が叫んでたまらなくて。
もう一度、細い体を、ひとつになれたらいいのにと思うくらいにぎゅっと抱きしめる。
「あの洞窟で見つけた宝物、キスのお礼に受け取ってもらえる?」
それから、ベッドのかたわらに置いたかばんの中から、夕焼け色の耳飾りと、海色のコンパスを取り出した。
「きれい…」
よく磨かれたその石は、とろりとしたつやを帯びて淡く光るようだった。
紅珊瑚の嵌め込まれたまわりを囲むように、小さくきらめく星屑のようなダイヤモンド。
「着けてみてもいいかしら」
「あ、じゃあ僕にやらせて」
そっと耳に髪をかけて、白い耳にあいたちいさな穴に、細いフックを慎重に通していく。
そうしてやれば、耳を彩る鮮やかな色は、すんなりとそこに収まって、揺れる度にちらちらとちいさな光をこぼした。
「うん、いいね。…よく似合う、とっても」
「ふふ、ありがとう」
色白の肌に、その赤はとてもよく映えていた。
贈り物に遠慮をするのはマナー違反。
まして、あの命がけの大冒険で得てきた宝物に、ジェイムズの思いがどれだけこもっているか。
だからアリシアは、その耳飾りが少し見ただけでも相当な価値のあるものだと分かっても、それを拒みはしなかった。
「ほんとは、もっと素敵な宝石箱も用意してあげたかったんだけど、この部屋から身動き取れなかったから…ごめんね」
「気にしないで、とっても素敵な贈り物よ。それよりもあなたの目が心配で…あのね、今日はあなたの外出許可も取り付けてきたのよ。セドリックが、行けるようなら散歩くらいなら大丈夫って」
それを告げると、ジェムは飛び上がるように喜んで、急いで靴を履く。
「わぁ、それすごく嬉しい!いい加減、部屋の中に閉じ込められてるのも飽き飽きしてたんだ」
喜ぶその声はいつものジェムと少しも変わらなくて、なのにさっきまでの、これまでにないふたりの距離を思い出して、アリシアは、こっそり頬を染めた。
(なんだかほんの少しだけジェムがおとなになったみたい…どきどきするじゃない、もう)
それからふたりは、手を繋ぎ慎重に階段を降りて庭へ降り、空と風を感じる外へと踏み出した。
高台にある診療所からは、きらきらと光る海が見通せる。いくつも行き交う船影と、風を受けてひらめく、アレクサンドロ商会のマークを染めつけた白い帆。
「いつか…」
手の中のコンパスに目を落として、ジェムが口を開いた。
ほの青く光るコンパスの針はゆらゆらと揺れて、何かを探すように動いて…それからぴたりと、北ではなく、隣にいるひとを示して止まった。
(なんだろ、まるでコイツに励まされてるみたいだな)
「いつかね、僕らがもっと大きくなったら…僕は、きみを連れて旅に出て、もっと世界を見てみたい。この怪我もあるし、思ってたより時間はかかってしまうかもしれないけど、安心してもらえるだけの腕は鍛えておくからさ。…だから、いつか僕と…」
言いながら、まるで求婚でもしているみたいだと思う。…実際、その通りかもしれない。
アリシアは、ふ、と軽い笑みを唇に乗せた。
「ジェイムズ」
「うん」
す、と海を細い指先で示して、短くなった襟足の髪が風に揺れるのを見た。
「行くなら、私も準備がいるわね。覚えることが沢山ありそう。…ねぇ、体が戻ったら、私にも剣を教えて」
「アリシア…?」
華奢な、簡単に手折れてしまえる可憐な花のような女の子の口から、まさかそんな言葉が飛び出すとは思わなくて面食らった。
「もし行くのなら、この前みたいにただのお荷物で終わる気はないわ。私も、船員の一員になるのよ、ジェイムズ船長。星を読むのは得意なの、航海士としてなら、着いていってあげてもいいわ」
きれいな笑みを彩る金の髪と赤の耳飾り。
腹の底から笑いがこみ上げるのを、ジェムは抑えきれなかった。
「アリシア!」
「きゃっ」
両腕で、お姫様を高く抱きあげて、そのまま踊るようにくるりと回る。
「きみってほんと最高だ!」
なんだろう、嬉しくてたまらないこの気持ち。
やわらかな草原にトンと彼女を下ろして、そのままぎゅっと抱きしめる。
「…女なのに生意気、とか言わないのね」
「言うもんか!きみより星に詳しい子を僕は知らない、きっとどこの船も羨むくらいの素敵な航海士になれるよ!」
一緒に行こうね、と額を合わせて笑いあって、ちょんと鼻先をくっつけて、照れくさくてくすぐったくて、手を繋いで、
それからふたりで、
約束のキスを、した。