第1話

文字数 1,999文字

 朝靄の中、車が駅に着いた。
「気を付けてね」
お母さんは車から降り、荷物を手渡して心配そうな笑顔で力なく、手を振った。
カコも小さく手を振った。
お父さんは車のハンドルを握ったまま前を見ていた。

 駅の構内を三番線を探して歩く。
早朝の駅に人は疎らだ。
いつもは両親とよく来る駅なので、見慣れているはずだった。
掃除をしたばかりなのか、足下の床が濡れている。

(あれ?こんな階段があったっけ?)
通路の左に下りる階段がある。通路をまっすぐ進んで地下に下りれば三番線。
(ここから下りた方が早いかも)
カコはその階段を降りた。
降りると、そこはやっぱりホームだ。
始発列車が止まっていて、ドアが開いている。
乗っている人は見えない。なんだか、すごく得をした気分で真ん中の車両にカコは乗り込んだ。
放送はなく、すぐにメロディが流れ、ドアが閉まった。
予想外の早い出発にカコは少し不安になった。
列車はそのまま室内灯だけを光らせながら、真っ暗な線路を走り出す。
室内が一瞬真っ暗になった。が、室内灯は点滅した後、また元通りに明るくなる。
斜め前の椅子に座った一人の少年がこちらを見ている。
「カコだろ、ミクに会いに行くのか?」
「誰?」
「忘れたのか?ゲンだよ。もっと小さい頃遊んだだろ」
「そうだっけ?」
「まあ、いいさ。一緒にミクのところへ行くなら」
「ミクって誰?」
「ミクもずっと昔に少しだけ遊んだ。僕らは幼馴染みたいなもんだ」
「ふうん、そうだっけ」
カコはポケットを探った。友達の所へ行くのに降りる駅をメモしてあったはずだった。でもいくら探しても見当たらない。
「どうした?」ゲンが聞いた。
「降りる駅がわからなくなったの」
「この列車は終点でしか降りられない。そこにミクがいるよ」
(どういうことだろう)
なぜか、カコは不安ではなかった。ゲンのことはよく覚えていなかったが、ゲンがいることで安心できた。
「ゲンはどこへいくの?」カコは聞いてみた。
「カコと一緒だ」
「でも、さっき終点でしか降りられないって」
「降りたところが終点になるんだ。カコは今、何がしたい?」
(何がしたいか、か。わからないな。それよりも・・・)
「お父さんと、お母さんに仲直りしてほしい。別れたら嫌だな。あの時に私がはっきりしていたら良かったのかな」
「あの時?」
―お父さんとお母さんは、私が学校に通い出してから、よく喧嘩するようになった。私に対する教育方針の違い、それがきっかけみたいだ。
私は聞かれた。「カコはどうしたいの?」
私はいつもこう答えた。「何でもいい」
だって、何がしたいか、わからないから・・
二人は諦めたような顔になり、溜息をついた。
それからずっと仲が悪い―

「『あの時』は戻らない。列車は戻らない。ここまで見た景色をよく思い出して、考えないとこれからが決められない。景色が暗闇なのは見ようとしなかったからだ。そして、君はもうどうすればいいかを答えてくれた」
外から光が射しこんだ。
「ねえ、この列車は一体何なの?」
「ただの時の流れ。みんなこれに乗っているんだ。君が景色を思い出し、考え、行先、終着駅を決めるのは僕だ。これで、決められる。僕に任せろ」
 
ゲンは、カコの手を握った。そのままドアの前に立つ。
ドアが開いた。
真っ白な光に包まれた。
誰かが立っていた。女の人?お母さん?
「ミク、会うのはずっとあとだ」ゲンがその人に言った。
その人は優しく頷いたようだった。
ゲンに手を引かれ、進むと、別の列車に乗った。
「新たな始発列車だ」ゲンの声が聞こえたけれど、姿は見えない。
カコは椅子に座ったが、すぐに眠くなった。

 目を覚ますと、大人たちに囲まれていた。
「ああ、気が付いた。カコ!わかる?お母さんよ。ちょっと!お父さん!」
私は頷いた。近くにお母さんの顔が見える。背中と頭を支えられているのがわかった。
スマホを持ったお父さんが人込みを分けて来た。
「お!気が付いたか、カコ!」
「あなたは転んだのよ。頭を打ったのかもしれないって。駅の人が連絡してくれたの。よかった。今、お父さんが救急車呼んだから」
「うん。でも大丈夫そう。それよりね、私、ピアノは辞める。そしてね、英語を習いたいの。いつかいろいろな国の人と話がしてみたい、それから・・・」
「どうしたの、カコ。急に」
「ああ、びっくりだよ。とにかく病院に行って落ち着いたらみんなで話そうな」
「うん」
(心配するな。僕に任せろ)心の中で、声が聞こえた。

 それからのカコはやりたいことで忙しくなった。両親は、なによりもそれが嬉しいらしい。

 あの列車。
ゲンは、過去をよく見て、よく考えて、今行動することをカコに教えてくれた。ずっとあとで、美しく輝くミクに会うために。
ゲンもミクも自分自身だったんだと、カコは今そう思う。
生まれた時、一瞬だけ一緒だったんだ。
でも、カコにとって、より輝くミクにいつか会わせるために導いてくれているゲンはずっと自分の中にいるヒーローとなった。

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