忘れ草

文字数 1,114文字

「アーセニックイーターって知ってる?」
 私が首を傾げたので、桃花(とうか)は続ける。
「健康のためにヒ素を食べてる人たち」
 電車内のアナウンスにかき消されないように、私は耳を近づけながらたずねた。
「ヒ素って毒?」
「そ。子どもの時から慣らしていけば身体にいいんだってさ。でね、その事実を利用して毒殺事件なのに『被害者はアーセニックイーターだから、これは事故死』って主張する弁護法があったらしいよ」
「へぇ」
「もうヒ素は簡単には手に入らないし。ねぇ、(りん)。身近な猛毒ってなんだと思う?」
「……アルコール?」
「ニコチン。煙草を4本丸呑みしたら死ねる」
「やばっ」
 隣の人が聞き耳を立てている気配がするけど、桃花は構わなかった。
「誕生日が来たら煙草吸う」
「あと3ヶ月待ってくれない?」
「やだ。煙を分けたげる」
「やった!」
 ほんの一瞬、悲しげな顔が浮かぶ。桃花はうつむきかけた顔をあげて前をにらんだ。
「きっと怒られると思う」
「身体に良くないからって?」
「自分のものなのに」
「赤ちゃんに悪影響だからとか?」
 ぱっと桃花が振り向く。
「いいね。使える」
 目の前には選べる自由がなくて、選ばない自由しかない。
 自分を守るためなんだと思う。
 食い物にされないための毒。厄を落とすための毒。
 桃花の心には、のぞき込んだら死へと落ちてしまうような隙間があるから。
 私は願う。
 毒が効きすぎないようにと。
 だから私は桃花の観葉植物になりたい。
 あんまり太陽にあてなくてもいい。
 たまに水をくれるだけでいい。
 その隙間を無理にふさごうとしなくていい。
 風なら私にちょうだい。
 私は花を咲かせなくていいってわかってる。
 余計なことは聞かないよ。
 少し、空気を軽くするだけ。
『水をあげる』
 明日、目覚めるための理由になれないかな。

 
「ハッピ、バースデ〜トゥーユ〜」
 桃花がバースデーケーキがわりに煙草をくれた。
 おすすめの銘柄。
「吸って」
 と桃花は火のついたライターを差し出した。
 タバコの端が赤く燃え始め、口の中に流れ込む煙。
 最初はむせた。でもだんだんと深く息を吸い込めるようなった。案外すぐに馴染んだ。素質あるかも。
「もらうね」
 私が握りしめたままの箱から1本抜き取ると、桃花はなれた手つきでくわえた。そして顔を寄せる。
 合わせた先端に火が移っていく。
 笑顔を残して座り直す桃花。ゆっくり味わってから、不意に大声を上げた。
「嘘ばっかじゃん!」
 私が誕生日にあげた灰皿ケースに2人して灰を落とす。
 とても気分がいい。
 将来、肺がんになるかもしれないし、肺気腫で青い顔して喘いでいるかもしれない。
 窒息しそうな今に桃花を殺されるくらいなら、緩慢な自殺の方がいい。
 それだけ。

 






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