そして、誰もいなくなった家

文字数 1,993文字

母が亡くなった。
これで、この家に住む者は誰もいなくなったという事だ。

兄も私も弟も家を出ていったきりのため、父が亡くなった後は母一人でこのだだっ広い家に住んでいた。
私たち兄弟が呆れるほどに、この家に、この土地に、固執していたのだ。
確かに田舎の大きな家と、広い土地である。先祖がこの土地に悪い龍を封じ、二度と現れないよう結界と共に家を建てたとか、そんな話もある。

そんな立派な家を絶やしてはいけない、と母は躍起になっていたのかもしれない。
ただ、立派な家と土地、それらは遠い遠い昔の話である。
今はただの限界集落に建っている大きいだけの古い家だ。暮らすにはとても不便なのだ。

母は亡くなる直前まで小さな飾り手毬を手の上で転がしていたらしい。亡くなった時に枕元に置かれてあったことで、それが知れた。
この家には、なぜか飾り手毬がたくさんあった。

母は、なぜか、娘の私だけはこの家に戻ってくると信じていたようだ。その期待に応えられずに申し訳ないと思うが、この家に戻る気はさらさらない。
兄も私も、弟も、それぞれすでに別の土地で家庭を持っているのだから。

葬儀は家の慣例に則って、葬儀会場は使わず、家の奥座敷を開放して行った。
だが、座布団は色あせている上にペラペラ。
表替えもしていない畳は、くたびれまくっていて、この家の衰退を表しているかのようだった。

墓は敷地内の裏の小さな林、北方向に細い細い道があり、そこを行くと一族が眠るうちだけの場所がある。
一人一人の墓石があるわけではないが、10基ほどは建っている。立派な墓石のものもあれば、雨風にさらされまくって丸く小さく苔むした石だけのものもある。
今後、この場所の手入れは誰がするのだろうか…。

葬儀も納骨も終わり、親族たちもそれぞれ帰路についた。
私たちは、家の中の物の処分、蔵の中の物の処分、家の解体などについて話をするためにもう一泊することにしていた。
誰もこの家に戻るとは言わない。処分するにはもったいないと思われるものも多数あるが、どうにもならない。

3人でそれぞれため息をついて、毎月集まって少しずつ何とかしていこう、ということになった。
高校を卒業するまで使っていた和室にいくと、あの頃のまま吊るしの飾り手毬が下げられてあった。
埃まみれになってしまっているそれは、曾祖母が作ったものらしい。元は祖母が飾っていたものだが、祖母が亡くなった後にここに吊り下げて飾っていた。
子どもの頃にも見たことがあり、その頃は何とも思わなかったが、なかなか手が込んでいるものだった。
ただ、豪華な錦の糸はすっかりと色を失ってしまっている。

その他にも、ケースに入れて飾られている日本人形や、押絵の羽子板や飾り絵。
それらに埋もれるように置かれている



……なぜ、新しい手毬があるのだ……

母は亡くなる直前まで小さな飾り手毬を手にしていた。
この吊るし飾りの手毬は祖母が飾っていた。

では、



自分の意思とは異なり、右手がすぅっとその手毬に伸ばされていく。

母は娘の私だけはこの家に戻ってくると信じていた…なぜ信じていたのだ……。

手にしたらダメだ。
おそらく、



本能でそれを悟った。
手を下ろしたいのに、勝手に動いていく右手。満身の力を込めて左手で右手を抑えつけた。
数分かけて、右手を下げることに成功すると、酷く息が切れていた。

「に、兄さん…、衛兄さん。聡」

か細い声で兄と弟を呼ぶが、無駄に広い家、私の声が届くとは限らない。
手毬や押絵たちから目を背け、急いで兄や弟の姿を探す。

娘だけは戻ってくると信じてたとはいえ、()()が一つだけ用意されていたとは限らない。

「兄さん! 聡!」

声を張り上げ兄たちを探す。
ここに縛り付けられたら、私たちそれぞれの家族はどうなる。

客間にいた兄が、まだ新しい飾り手毬に手を伸ばしかけているのが見えた。
聡の「野分姉さん、どうかしたの?」という声が聞こえる。

「毬に触っちゃダメ!!!!」

そうじのために出して来ていた箒で兄の手の先にある手毬を払いのける。

「聡、毬に触らないで!」

もう一度叫び、驚いたままの目のをしている兄の手を引いて弟を探す。
弟も、この家にいた時に使っていた部屋にいた。
どうやら二人とも触ってはいないようだ、と安心はしたが、そのまま二人の手を引っ張って家の外に出た。

「もう、出よう…この家も、このまま閉めて近づかないようにしよう…片付けもやめよう」

私の言葉に、弟は頷いてくれたが、兄はよくわからないという顔をしていた。

誰もいなくなった後、この家が、この土地がどうなるかわからない。
けれども、ここに縛り付けられたくはない…。


悪いけれど、私は私の生活が大事なのだ。

古い古い錠前でガシャンと鍵を閉めて、家に封をする。



そうして、この家には、誰もいなくなった。
多くの飾り手毬だけは今も家にいる。


                  了
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