第1話

文字数 5,837文字

・被害者:S(男子大学生19歳)
・死因:全身を殴打されたことによる内臓破裂。
・凶器:金属バットのような硬い棒状のもの。
・第一発見者:被害者のアパートの大家(女68歳)と警察官(二名)。
・発見の経緯:被害者は三カ月の家賃滞納があり、大家は催促のために午後二時頃、部屋を訪れた。部屋からうめくような声が聞こえたため、ノックをし「どうしました?」と声をかけるが返事はなし。怖くなり、その場で110番通報。臨場した警察官とともに大家の持っている合鍵で玄関を開けた。その際、ドアチェーンがかかっており、警察官が機材を使ってチェーンを切断。大家と警察官が部屋に入り、倒れている被害者を発見。警察官が要請した救急車で搬送されたが、病院への到着とともに死亡が確認された。



「どう思います?」
 後輩の新米刑事が聞いてきた。
「どうって、何がだ」
 俺は苛立っていた。事件から三日。何の進捗もないからだ。
「密室殺人なんて本当にあるんですね」
「そんな小説みたいなもん、ねえよ」
 俺は馬鹿なことを言っている新米の頭をこずく。
「被害者の部屋の窓は、全て内側から鍵がかけられていて、玄関はドアチェーンがかかっていたんですよ。それに、大家さんが部屋に行ったとき、まだ被害者は息がありました。ってことは、殴打されてすぐだった。犯人はいつ逃げたんでしょうか」
「大家が嘘をついているかもしれないだろ。ドアチェーンだって、外側からかけられるものもある。そんなことも知らねえんじゃ刑事やってられねえぞ」
「でも、鑑識さんは、あの長さのドアチェーンを外からかけるのは難しいって言ってましたよ」
 俺は捜査資料を丸めて新米の頭を叩く。
「馬鹿野郎。難しい、って言ったんだろ。不可能とは言ってねえよ」
 俺は煙草を取り出してから、捜査会議室が禁煙であることを思い出し、煙草の箱を机に投げる。
「凶器はどこへ行ったんですかね」
 新米が、俺に叩かれたところを抑えながら顔をしかめている。そんなに痛くねえだろ、軟弱者が。しかし、凶器が見つかっていないのは事実だ。現場からも、大家宅からも、周辺からも、見つかっていない。加えて、被害者の家の中には、被害者以外の痕跡が何も残っていない。指紋も、足跡も、髪の毛一本も、見つかっていない。現代の技術をもってすれば、痕跡がゼロというのは土台無理だ。それこそ、風で吹き飛んでしまうような微量の、フケの一粒や、垢の一欠片でも、拾い上げるだろう。
 被害者を動かしてきた痕跡もない。犯行現場はあの部屋だ。大家の証言「うめき声」は虚言だ、と仮定したとしても、救急隊員が搬送するとき被害者はまだ微かに息があった。大家が犯人だとしたら、なぜ死亡を確認する前に自ら警察を呼んだ? 息を吹き返して被害者に証言されたら終わりだ。アパート前にあるコインパーキングの防犯カメラに被害者宅の玄関がちょうど映っていたが、それは大家の証言を証明していた。防犯カメラの死角(窓?)から入室したと仮定しても、そのあとどうやってその鍵を内側からかけたのかわからない。
 さらに、被害者がVRゴーグルと呼ばれるヘルメットのようなものをつけたまま倒れていたことも謎だ。VRゴーグルをつけていたから誰かが部屋に入ってきたことに気付かなかった、というのは仕方ないとして、一発殴られたら、驚いて普通はゴーグルをはずさないか? つけたまま殴打され続けたのはなぜだ?
 俺を苛立たせているのは、現場の状況だけじゃない。被害者に全くと言っていいほど交友関係がないことだ。大学はとっくに行かなくなっており、アルバイトもしておらず、親の仕送りは、オンラインゲームの課金に消えていた。
「ネトゲ廃人ですね」
 新米に言わせると、そんな言葉があるらしい。ゲームにのめりこみすぎて、現実社会に支障をきたす状態。そこまで行ったら依存症なのではないか、と思う。調べてみると、ゲーム依存の人専用の更生施設があるらしい。やっぱり病気じゃねえか。そのことと今回の事件が関係してくるかは、わからない。でも、とにかく一日中引きこもって「ネトゲ」とやらを昼夜問わずやっていたとなると、交友関係が皆無で、彼の人となりを知ることも難しく、ましてや恨んでいる人物など、どう探しても浮上しなかった。恨むほど関わっている人がいないのだ。
「おい、被害者がやっていたゲームはどんなゲームなんだ」
 俺は、ゲームに疎い。新米に聞くと、奴も疎いなりに調べたようだ。新米は愚図だが、愚図なりにやることはやってもらわないと困る。
「最近流行りのメタバースってやつを使ったゲームで、『メタ町まち暮ぐらし』というものです。仮想空間の中で【フレンズ】と呼ばれる他のプレイヤーと一緒に生活をしたり、ゲーム内で使えるお金を稼いだり、そんな感じのゲームでした」
「メタバース……ねえ」
 俺は横文字が苦手だ。
「被害者が最後にやっていたゲームもそれか?」
「はい。ログが残っていたようです」
 被害者が最後に会っていたのは、現実世界の人間ではなく、仮想空間の【フレンズ】たち。俺は、その【フレンズ】たちに、話を聞くしかないと思った。仮想空間だとしても、一緒に生活したり、ゲーム内で使える金を稼いだり……。結局は怨恨か金のトラブルだろう。現実社会と変わらないのだ。
「その【フレンズ】とやらは割れているのか?」
「はい。被害者の【フレンズ】は三人。三十代会社員の男性と、四十代の主婦、二十代のアルバイト女性です。このゲーム内では、【フレンズ】の認定がされないと交流できない仕組みになっているようで、被害者が交流を持っていたのはこの三人のみで間違いないと思われます」
「よし、その【フレンズ】とやらに聞き込みにいくか」
「はい」
 俺は新米を連れて捜査会議室を出た。

 聞き込みの結果は芳しくなかった。
 三十代の会社員の男性は、犯行時刻、会社で仕事をしていた。何人も証言するものがいて、被害宅との距離を考えると、犯行は無理だ。四十代主婦は、カルチャースクールで刺繍を習っている最中であった。こちらも証人が多く、被害者宅との距離から考えて犯行は不可能。最後の一人、二十代の女性に至っては、犯行の前々日から海外旅行に行っており、帰国したのは犯行があった翌日。容疑者三人のアリバイが確定したことで、捜査はまた振り出しに戻った。
「おい、コーヒー買って来い」
「はい」
「返事が小せえよ!」
「はい! すみません!」
 俺は聞き込みから戻り、新米にコーヒーを買いに行かせた。共犯者がいてアリバイ工作を行ったとも考えられるが、それらしい怪しい人物はいない。それに、いくら頼まれたからといって、見ず知らずの人間を金属バットで滅多打ちにできるだろうか。被害者の殴打は相当な数だった。犯人像は、顔見知りで強い恨みを持つ人物。代理殺人とは思えない。
「先輩、これ」
 新米が買って来たコーヒーは、俺がいつも飲んでいるものではなかった。
「お前、俺が好きなコーヒーも覚えられねえのかよ。クズが。苛立たせやがって。人間観察の能力もねえんじゃ、刑事失格だな、お前は」
 俺が拳を振りあげるふりをすると新米はヒッと言って頭を抱えた。怯えた猿みたいな顔しやがって。俺は缶コーヒーを開けて給湯室のシンクに捨てた。

 捜査の進捗がないまま夜になり、着替えを取りに自宅へ戻ることにする。帰り際、新米が声をかけてきた。
「思いついたことがあるんですけど……突飛な考えなので、まず先輩に聞いてもらいたいんですけど」
「なんだよ」
「被害者は、ゲーム内で殺されたってことはありませんかね?」
「は? どういう意味だよ」
「調べてみたんですけど、人間の脳は結構いろんな錯覚を起こすらしいんです」
「錯覚?」
「はい。先輩、幻肢痛げんしつうって知ってますか?」
「げんしつう?」
「事故などで手や足を失った人が、ないはずの手や足に痛みを感じることがあるそうです」
「ああ、聞いたことがあるな」
「その治療に、鏡箱かがみばこというものが使われるそうです。片手を失っている人の場合、両手を机などの上に置いて、その間に鏡を置きます。そして、手があるほうに鏡を向けるんです。それで鏡を覗くと両手ともあるように見えますよね」 
 俺は想像してみる。
「ああ、健康なほうの手が鏡に映るから、もう一方の、失ったほうの手もあるように見えるな」
「はい。その方法で、健康なほうの手に痛みを和らげるような治療をすると、幻肢痛が回復するという報告があります」
「お前、よくそんなこと知ってるな」
「はい。彼女が看護師なんです」
 俺は思い切り新米の頭を叩いた。
「馬鹿野郎。仕事中にニヤニヤしてんじゃねえよ」
「すいません」
「それで、その幻肢痛の治療が何だっていうんだ」
「最近では、その鏡箱の代わりにVRが使われる治療があるそうです」
「つまり、失った手足を仮想空間で取り戻し、そこを治療することで、実際の幻肢痛も回復する、ということだな」
「その通りです」
「それで?」
「つまり、今回は、その逆が行われたのではないか、と」
「仮想空間で滅多打ちにされて、脳が実際にダメージを受けたと錯覚して体を負傷し、死に至らしめた、ということか?」
「はい」
 俺は真剣な顔の新米の眉間を、グーで殴った。
「お前みたいな若いもんが考えそうな仮説だな。だが、いくらなんでも飛躍しすぎている」
「僕もそう思ったので、まだ先輩にしか言えてません」
「馬鹿なりに、賢明な判断だ」
「でも、一度だけ体験してみませんか? 被害者がハマっていたゲーム『メタ町暮らし』」
 そう言うと新米は、紙袋を差し出した。中には、黒いビデオデッキのような四角い箱が入っている。
「こっちはVRゴーグルです。先輩の家で、コンセントにつなげば操作できるようにセットしておきました。【フレンズ】登録も済んでいます」
「お前はどうするんだ」
「僕は、寮に戻って起動します。三十分後『メタ町暮らし』の中で会いましょう」
 捜査が停滞しているのは事実だ。新しい発見があるとは思えないが、被害者がのめり込んでいたというゲームを体験してみるのは悪くない。俺は新米からゲーム機とVRゴーグルを受け取って、自宅へ戻った。

 一人暮らしのワンルームで、黒い四角いゲーム機のコンセントを挿す。VRゴーグルをかぶると、思わず「うわ!」と声が出た。
 そこは、渋谷のスクランブル交差点だった。眩まばゆいネオン、喧騒、高いビル、星の少ない都会の空。あまりにもリアルだ。足踏みをしてみる。前へ進んでいる。四六時中この中にいたら、どちらが現実かわからなくなるような、妙な浮遊感に襲われることだろう。被害者が現実との区別がつかなくなっていたなら、殴られてもゴーグルを外さなかった理由も、理解できる。あの新米馬鹿もたまには役に立つ。
 そこへ「先輩!」と、声がした。振り返ると、新米が目の前にいる。
「これは想像以上だな」
「すごいですよね。本物そっくりです」
「ああ、自宅にいることを忘れそうだ」
「はい。僕も寮にいるとは思えません」
「これだけリアルなら、この世界の中でトラブルがあったとしてもおかしくないな」
「でも、まわりの人たちは僕たちを無視していますよね」
「ああ、そうだな」
「これは、【フレンズ】の認定をしていないので、交流できないそうです」
「俺の【フレンズ】は、お前だけ、ということか」
「はい。だから、やはり交流があった人物【フレンズ】たちが怪しいかと」
「そうだな。って、おい、もしかして、このゲーム内の世界だったら、どこからでも会えるんじゃねえのか?」
「そうなんです。海外からでもログインできます」
「海外旅行に行ってた女、洗い直しだな」
「実は、その女と、この世界で待ち合わせしています。一緒に会いにいきませんか」
「お前、すげえな。現実社会じゃただの能無しなのに仮想空間では出来がいいじゃねえか。いっそのこと、こっちに住んだらどうだ?」
「ははは。それもありですね」
 新米が「こっちです」というから、足踏みをして着いて行く。渋谷の、賑やかな通りを離れ、薄暗い路地へ入って行く。
「こんなところで待ち合わせか?」
「はい。人目を避けたいということは、やはり怪しいですね」
「ああ、そうだな」
 まるで実際の世界で張り込みをしているかのような感覚に襲われる。俺は今、どこにいるのだ? 自宅にいるはずだが、感覚としては本当に渋谷にいるのではないかと思う。

「先輩」
「なんだ?」
「いつもいつも、僕のこと、馬鹿だの愚図だの、言ってくれましたね」
「は?」
「僕は……先輩をパワハラで訴えて、自分は死のうと思っていたんです」
「何の話だ」
「例の【フレンズ】とは、待ち合わせしていません」
「はあ?」
「仮想空間での傷害が、現実に影響を与える。その事実に辿り着いたとき、僕がやりたかったこと、それは、これですよ」
 言うなり新米は、俺に体当たりしてきた。腹が一瞬、カッと熱くなる。
「お、お前、何を……」
 俺から体を離した新米は、刃渡り二十センチはあろうかという、真っ赤な血を滴らせた包丁を持っていた。顔も服も、返り血で真っ赤だ。
「凶器なんて、見つかるはずないんですよ。この世界で捨ててしまえばいいんですから。いくら現実を探したって見つかるはずないんです」
「お前……何を……」
「犯人は、海外からログインした女なのでしょう」
「お前……」
 ここは仮想空間だ。本当に痛いはずがない。しかし、信じられないほどに、焼けるように腹が痛む。俯いてみると、大量に出血している。この出血量じゃ、傷は肝臓まで達したか……。いや、ここは仮想空間だ、そんなはずはない……わかっているのに、眩暈がしてくる。
「早く止血したほうがいいですよ。出血量が多い」
 新米がニヤニヤしている。俺は早く現実に戻らなければ、と両手を頭に持っていく。これだ。VRゴーグルだ。これを脱げば……。俺は焦りながら、VRゴーグルを脱いだ。

 そこは自宅のリビングだった。俺は安堵して、思わずへたりこむ。床に手をつくと、ぬるっと生ぬるい感触がした。見ると、床は赤黒い血だまり。どきんと胸が鳴った。そんな馬鹿な。俺は自分の腹を触る。強い痛みとともに、どくどくと脈打ちながら出血している。

 俺は完全な密室の中で、目撃者もなく、凶器もなく、息絶えようとしている。唯一の【フレンズ】、新米は寮でアリバイを作っているに違いない。これが現代の完全犯罪か……と思ったところで、俺は意識を失った。


おわり
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