第1話
文字数 2,000文字
本日も晴天である。
海岸では、ちゃぷちゃぷと、チョコレートの波が打ち寄せては返す。
リンゴ飴の太陽が燦々照りつけ、ふわふわマシュマロの雲が浮かぶ。
まったく……お菓子な世界だ。
お腹は空かないし、時折降るサイダーの雨で喉を潤したいとも思わない。トイレに行く必要はなく。ここでは何も起こらない。ただ時間だけが過ぎてゆく。
この世界に閉じ込められてもう一年が経つ。
今日も日がな一日、チョコレートオーシャンを眺めていた。
やがて日は陰り、ボーロの月と金平糖の星が瞬く。流動的だったチョコは冷えて固まり波音は消える。眠るのだけが唯一の楽しみなので静かなことはありがたい。
よく眠り焦らないこと。それが精神を崩壊させずここで生きていくコツ。
また朝になった。艶やかなリンゴ飴が昇る。
チョコフォンデュタワーのスイッチを入れたように塊は溶けてまた波音を立て始める。
チョコミントなら忠実に再現できるのに海の色は褐色で舐めても甘くはない。プレーン素材を使い、手作りチョコでも作ってるのか?
一年間、推理した結論。ここはおそらく誰かの精神世界なのだろう。
あれはバレンタイン当日だった。
日曜なので大学はお休み。電車を乗り継ぎ、バイト先の工場の門をくぐったらこの有様だった。なので犯人は同級生の女子ではないはずである。
はて……そうなるとますます平凡な僕にこれほどの執着を持つ――プレゼントを渡すか否かで葛藤を引き起こす――人物に心当たりがない。
渡そうか渡さまいか。受け取ってもらえるかしら?
彼女は(女性であると信じたい)勇気がないのだ。
実年齢がどうであれ精神年齢はとても……幼い。あえて言うなら夢見がち。
大人の女性ならチョコに添えるギフトくらいは用意してしかるべき。例えば……
ブランデー・ネクタイ・ブレスレット・ボクサーパンツのようなもの。
けれどここにはお菓子しかない。お菓子で埋め尽くされている。
そしてやはりメインは大海を満たす、チョコレート。
安直かもしれないがそれはバレンタインデーの暗示。
市販品と迷ったか、キノコとか竹の子の残骸もある。
たぶん一年掛けた僕の推論は間違っていないと思う。
もう相手がどうあれ、受け取る準備はできている。
さぁ勇気だして。ホワイトデーには3倍返し。悩んでるだけの恋は時間の無駄さ。
なんなら本物のホワイトチョコを ――失礼―― けれど決して無下 にはしない。
この閉ざされた空間から現実に帰してくれるのならね。
今が絶好のチャンス。ここは逡巡 の世界。一年は相手にとっての数分、いや数秒の可能性だってある。重要なのは季節がめぐり、犯人に再びこの日を意識させるタイミング。
犯人が勇気を持てば、決断さえすれば、たぶん僕は助かる。
※
バタッガタチャン・バタッガタチャン・バタッガタチャン。
ベルトコンベアの騒音がまるで目覚まし時計のよう。僕を現実に引き戻す。なぜか僕はいつもの定位置に立っていて、見れば午前中にやるべき仕事はあらかた片付いている。
ウウゥゥゥーーーーー
昼休憩のサイレン。これも懐かしい。あちらでは波の音しか存在しなかった。
「吉村君」
振り返るとパートの竹内さんがそこに居た。
この工場には犯人候補が8人いる。一人一人潰していくしかない。
けれど彼女は中年のバツイチ子持ち。学生の僕とは不釣り合い。果たしてこの人だろうか? 彼女の中に僕に対するあれほどの情熱と逡巡が眠っているのか?
――大人に成りきれない幼い精神世界――
「ほら、由香里。お兄ちゃんに渡すものがあるんでしょ?」
見れば、子猫を抱えた女の子がひょっこり顔を出した。この子は確か……
「工場の忘年会で貰ったドールハウスのお礼がどうしてもしたいって」
あぁ、くだらないビンゴゲームの景品で側に居た子供にあげたのだった。
女の子はモジモジしている「ほら」背中を押されても動けないでいる。逡巡。
「がんばって作ったんでしょ? ふふ。ごめんなさいね。大人の男の人になれてないのよ。でも余程、嬉しかったのかしら……ほら」
「ありがとう」母親に子猫を奪われ、もう一度背中を押されて、女の子はようやく恥ずかしそうに小箱を差し出す。
「ありがとう」
僕は緊張を悟られぬよう、満面の笑顔でそれを受け取る。
バレンタインだからと言って、愛の告白だとは限らないのか。
……なるほど幼い精神世界だ。
……なるほど幼い精神世界だ。
……なるほど幼い精神世界だ。 蓋を開けてみればそのままじゃないか。
こうして事件は解決した。特になんということはない。一年は長かったけれど。
少女に対して恐怖は感じなかった。この手の能力は大人に成れば大抵は消える。
僕のように稀に保持している例もあるが、制御するのはそれほど難しくはない。
さて……ホワイトデーのお返しは何がいい? ミスは決して許されない。
海岸では、ちゃぷちゃぷと、チョコレートの波が打ち寄せては返す。
リンゴ飴の太陽が燦々照りつけ、ふわふわマシュマロの雲が浮かぶ。
まったく……お菓子な世界だ。
お腹は空かないし、時折降るサイダーの雨で喉を潤したいとも思わない。トイレに行く必要はなく。ここでは何も起こらない。ただ時間だけが過ぎてゆく。
この世界に閉じ込められてもう一年が経つ。
今日も日がな一日、チョコレートオーシャンを眺めていた。
やがて日は陰り、ボーロの月と金平糖の星が瞬く。流動的だったチョコは冷えて固まり波音は消える。眠るのだけが唯一の楽しみなので静かなことはありがたい。
よく眠り焦らないこと。それが精神を崩壊させずここで生きていくコツ。
また朝になった。艶やかなリンゴ飴が昇る。
チョコフォンデュタワーのスイッチを入れたように塊は溶けてまた波音を立て始める。
チョコミントなら忠実に再現できるのに海の色は褐色で舐めても甘くはない。プレーン素材を使い、手作りチョコでも作ってるのか?
一年間、推理した結論。ここはおそらく誰かの精神世界なのだろう。
あれはバレンタイン当日だった。
日曜なので大学はお休み。電車を乗り継ぎ、バイト先の工場の門をくぐったらこの有様だった。なので犯人は同級生の女子ではないはずである。
はて……そうなるとますます平凡な僕にこれほどの執着を持つ――プレゼントを渡すか否かで葛藤を引き起こす――人物に心当たりがない。
渡そうか渡さまいか。受け取ってもらえるかしら?
彼女は(女性であると信じたい)勇気がないのだ。
実年齢がどうであれ精神年齢はとても……幼い。あえて言うなら夢見がち。
大人の女性ならチョコに添えるギフトくらいは用意してしかるべき。例えば……
ブランデー・ネクタイ・ブレスレット・ボクサーパンツのようなもの。
けれどここにはお菓子しかない。お菓子で埋め尽くされている。
そしてやはりメインは大海を満たす、チョコレート。
安直かもしれないがそれはバレンタインデーの暗示。
市販品と迷ったか、キノコとか竹の子の残骸もある。
たぶん一年掛けた僕の推論は間違っていないと思う。
もう相手がどうあれ、受け取る準備はできている。
さぁ勇気だして。ホワイトデーには3倍返し。悩んでるだけの恋は時間の無駄さ。
なんなら本物のホワイトチョコを ――失礼―― けれど決して
この閉ざされた空間から現実に帰してくれるのならね。
今が絶好のチャンス。ここは
犯人が勇気を持てば、決断さえすれば、たぶん僕は助かる。
※
バタッガタチャン・バタッガタチャン・バタッガタチャン。
ベルトコンベアの騒音がまるで目覚まし時計のよう。僕を現実に引き戻す。なぜか僕はいつもの定位置に立っていて、見れば午前中にやるべき仕事はあらかた片付いている。
ウウゥゥゥーーーーー
昼休憩のサイレン。これも懐かしい。あちらでは波の音しか存在しなかった。
「吉村君」
振り返るとパートの竹内さんがそこに居た。
この工場には犯人候補が8人いる。一人一人潰していくしかない。
けれど彼女は中年のバツイチ子持ち。学生の僕とは不釣り合い。果たしてこの人だろうか? 彼女の中に僕に対するあれほどの情熱と逡巡が眠っているのか?
――大人に成りきれない幼い精神世界――
「ほら、由香里。お兄ちゃんに渡すものがあるんでしょ?」
見れば、子猫を抱えた女の子がひょっこり顔を出した。この子は確か……
「工場の忘年会で貰ったドールハウスのお礼がどうしてもしたいって」
あぁ、くだらないビンゴゲームの景品で側に居た子供にあげたのだった。
女の子はモジモジしている「ほら」背中を押されても動けないでいる。逡巡。
「がんばって作ったんでしょ? ふふ。ごめんなさいね。大人の男の人になれてないのよ。でも余程、嬉しかったのかしら……ほら」
「ありがとう」母親に子猫を奪われ、もう一度背中を押されて、女の子はようやく恥ずかしそうに小箱を差し出す。
「ありがとう」
僕は緊張を悟られぬよう、満面の笑顔でそれを受け取る。
バレンタインだからと言って、愛の告白だとは限らないのか。
……なるほど幼い精神世界だ。
……なるほど幼い精神世界だ。
……なるほど幼い精神世界だ。 蓋を開けてみればそのままじゃないか。
こうして事件は解決した。特になんということはない。一年は長かったけれど。
少女に対して恐怖は感じなかった。この手の能力は大人に成れば大抵は消える。
僕のように稀に保持している例もあるが、制御するのはそれほど難しくはない。
さて……ホワイトデーのお返しは何がいい? ミスは決して許されない。