落語 元カノ幽霊
文字数 4,173文字
えー、
一席、お付き合いを願いますが。
ここで、いつもの小咄を一つ。
お前さん、夏だってえのに随分、暑苦しい格好だね？
へぇ、厚木から来たもんで。
まー、厚木から来たからって、別に厚着をするこたぁねぇんですがね。
えー、今回は夏に因んで、怪談話をさせて頂きますが、ま、怪談たって、怖いもんとは限らないわけで。文字どおり、怪しい談話でございます。
幽霊も様々でして、そん中には、ま、可愛い幽霊もいるわけですな。
長屋住まいの仁吉は、女房のお宮と平々凡々と暮らしていたんですがね。
「お前さん、ゆんべ、寝言言ってたよ」
お宮が、キュウリの漬けもんをポリポリさせながら、チラッと仁吉を見た。
「…寝言だ？」
仁吉は油揚げの味噌汁を啜るってぇと、怪訝な顔をした。
「…なんて？」
「たまやっ！って」
「！？」
仁吉はそれを聞いてビックリするんですがね。と言うのも、そのセリフはゆんべ見た夢の一コマだったんですなー。
「猫でも追っかけてたのかぃ？」
「…だろ」
仁吉は素っ惚けた。
次の朝。
「お前さん、ゆんべも寝言言ってたよ」
鮭茶漬けを啜りながら、仁吉をチラッと見た。
「…なんて？」
夢の件があるもんだから、不安げにお宮を見た。
「おゆう、好きだぜって」
「ゲポッ！」
仁吉はビックリした弾みで、鮭の小骨を飲み込んじまった。
「誰だい？おゆうってのは」
「…知らねぇな。“お湯(風呂)、好きだぜ”の聞き違いじゃねぇのか？」
「フン…どうだかね」
「ゲェッ！骨が喉に引っかかっちまった。ゲーーッ！」
「……」
お宮は、その夜、おゆうとやらの正体を暴くために、眠いのを我慢するってぇと、仁吉の寝言を待つわけですな。
障子から差す月明かりに、般若みてぇなお宮の顔が浮かび上がって、どっちかってぇと、お宮のほうが、幽霊みてぇだ。
「…ムニャムニャ…」
仁吉のほうは、気持ち良さそうに夢ん中だ。
「ァハハハ…クスグってぇょ、ぉゅぅ」
（！言ったぁ）
「ヮハハハ…コチョばいって、ぉゅぅ」
（！また、言った）
「ぁぁぁぁ…駄目だょ、そこは…ぉゅぅ」
（まただよ。何やってんだろ？夢ん中で…）
【仁吉の夢ん中】
えー、花火見物にやって来た、仁吉とおゆう。夜空に炸裂する花火を水面に映した、キラキラ煌めく隅田川の土手に腰を下ろすってぇと、いいムードで、寄り添ってるわけですな。
ヒューーーッ！パンパンパン！パッパッパーー！シュ～～～…
※
＊ ｜ ＊
＼ ／
※― ―※
／ ＼
＊ ｜ ＊
※
！
！
！
！
！
！
「たまや～っ！」
片手に団扇、もう一方でおゆうの肩を抱いちゃってる仁吉が、打ち上げ花火に声を上げるってぇと、
「ぅふふふ…」
おゆうが楽しげに笑うわけですな。
顔を戻した仁吉が、繁々とおゆうを見つめながら、
「おゆう、好きだぜ」
と、ま、ここまでが、ゆんべまでの夢のシーンでして。
今晩のも、また、その連ドラの続きだ。いたずら好きなおゆうが、花火そっち退けで、仁吉の腋の下をクスグってるんですな。
そして、おゆうの指先が徐々に下りてるってぇト書きだ。
「ぁぁぁぁ～ぉゅぅ…そこは…駄目だょ…」
月明かりに、ニヤケる仁吉を目の当たりにして、お宮は激しいジェラシーに身を震わながら、益々、オッカナイ顔だ。
（…おゆうとやらに負けてたまるかい…）
そこで、お宮は、おゆうに仁吉を逢わせない策を練るわけですな。
次の朝。
「…お前さん、ゆんべ、スゴかったわよ」
お宮は、鰺の干物をほぐしながら、チラッと仁吉を見た。
「…な、なにが？」
夢ん中の相手役の正体がバれたかと、仁吉のほうはオッカナびっくりだ。
「…鼾。煩くて眠れなかったわ」
「…そぅかぃ。そりゃ、すまなかったな」
お宮の話を鵜呑みにした仁吉は、一安心するってぇと、昆布の佃煮をご飯に載せながら素直に謝った。
「…お陰で、寝不足だわ。あ～～」
お宮は大袈裟な欠伸をするってぇと、胸に一物持った目を遣った。
その晩の事だ。
仁吉が床につくと、夢ん中におゆうが現れる時分を見計らって、ムニャムニャ言ってる仁吉に、
「仁吉さん、おゆうよ」
と、ひっくり返った声で話しかけた。
「…ぉゅぅ」
「私のどこが好き？」
「…みんな、好きだょ」
（チッ）
「特に、どこ？」
「ぅむ…だな…どんぐりみてぇな円らな瞳…バラのツボミみてぇなオチョボ口…ツキタテのモチみてぇに柔らけぇほっぺ…ェトセトラ…」
（くぅぅぅっ）
「愛してる？」
「ぁぁ。愛してるょ、ぉゅぅ」
（チキショーっ！）
「ネッ、お前さんっ！お前さんてばっ！」
お宮は、思い切り、仁吉の肩を揺すった。
「…ぅぅぅ…なんでぃ？」
いい気持ちで寝てた仁吉には、迷惑千万。不愉快極まりねぇ。
「鼾、煩いよ」
お宮のほうも、いかにも迷惑げに言った。
「…すまねぇ」
仁吉は謝るってぇと、寝返りを打って、背を向けた。
仁吉が熟睡しそうになると、また、仁吉の肩を揺すった。
「…ったく、なんでぃ？」
仁吉は不機嫌そのものだ。
「い・び・き」
「…またかぃ？…すまねぇ…」
そんな事を三日三晩やられた仁吉は、睡眠不足で、目の下にクマなんか作っちゃって、可哀想なもんだ。
お宮のほうは、昼間、ぐっすり寝てっからいいが、仁吉のほうは堪ったもんじゃねぇ。
とうとう、仕事中に居眠りして、金槌で自分の指を叩いちまった。
「痛てッーーーッ！」
お陰で目は覚めたが、棟梁に帰されちまった。
その晩。
三日分の寝不足を取り戻すかのように、仁吉は爆睡中だ。
（…さて、また、起こしてやろうかな）
と、お宮が仁吉の肩に手を伸ばした、その時。
風も無いのに突然、縁側の竹笹が葉音を立てて、騒めいた。
咄嗟に障子に目をやると、月光をバックに、黒い人影が影絵のように映ってた。
「ヒェッ」
お宮は、思わず息を飲むと、目を見開いた。
だが、瞬きした一瞬に、その影が消えた。目の錯覚かと、お宮がパチクリさせてると、
「ぉみゃさ～ん」
と、女の声が耳の側でした。ブッたまげたお宮が咄嗟に振り返ると、そこには、桃割れに結った若い女が、目ん玉をひんむいていた。
「ギャーッ！」
仰天したお宮は、悲鳴と共に後退りした。
一方の、寝不足が蓄積しちゃってる仁吉のほうは、白河夜船だ。なんも、聞こえちゃいねぇ。
「…突然にごめんなさぃ。私、ぉゅぅと申します」
正座しているおゆうが頭を下げた。
「ゲッ。…あんたが、浮気相手のおゆうさん？」
（団栗みたいな円らな瞳、薔薇の蕾のようなオチョボ口、搗き立て餅のように柔らかいホッペ…間違いない。確かに仁吉の言った通りの可愛い顔立ちだわ）
正真正銘のおゆうである事を、障子からの月明かりが証明していた。
「な、なんの用よっ」
「…実は、ぉ願ぃがぁって」
「な、なによ、お願いって」
「もぅ二度と、仁吉さんの夢枕には、現れません。…身を引きます。ですから、仁吉さんをグッスリ寝かせてゃって下さぃ。ぉ願ぃします」
おゆうは、深々と頭を下げた。
「ホントだね？約束だよ」
「…はぃ。ぉ約束します」
おゆうが円らな瞳で見た。
「…それより、あんた、うちの人のなに？」
「十八の私は、ぉなぃ年の仁吉さんと、ちっとばっかり、ぉ付き合ぃをしてました」
「…なんで、別れたの？」
「ご覧の通り、幽霊ですから、別れたんじゃなくて、死んだんです」
「！…どうして？」
「…ぁの日、花火見物に行った日、仁吉さんとジャれてて、過って川に落っこったんです。前日まで降り続いた長雨で水かさが増してて、思ったょり、けっこぅ、深くなってました。助けょぅとして、仁吉さんが飛び込んでくれましたが、川の流れは早く、私はみるみる川下に流されてしまぃました。泳げなぃ私は、溺れてしまったんです。…でも、仁吉さんのことが忘れられなくて…」
おゆうは、そう言って、悲しそうに俯いた。
「…そうだったの？そんなことがあったんだ？」
「…はぃ」
「…分かった。も、意地悪しない。夢ん中でなら、会ってもいいわ」
なかなか、出来た女房じゃねぇか、お宮は。
「ぇっ？ホントにぃぃの？」
「ええ。そんなことがあったなんて、ちっとも知らなかったから。夢ん中でなら、許してあげる」
「…ぁりがとぅござぃます…」
感極まってか、思わず溢れた涙をおゆうは浴衣の袖で拭った。
「…泣かないでおくれよ。困っちまうじゃないか。さあさあ、笑顔を見せて」
「…ごめんなさぃ」
おゆうは、団栗みてぇな円らな瞳を向けると、ニコッとした。
【仁吉の夢ん中】
「―と、言うことで、お宮さんの承諾を得たから、これからは思う存分、愛し合えるよ。けど、仁吉さんも、たまには、“お宮、好きだぜ”て、寝言言って、お宮さんを喜ばしてあげなよ」
おゆうのほうも、なかなか心が広れぇな。
「ぇーー？無理だよ。お宮と所帯を持ったのは、おめぇを失って、仕方なくだもん。好きだなんて、そんな、心にもねぇこと言えねぇよ」
「そう？やっぱ、無理？」
「…一応、心がけてはみるけどな…」
次の晩。
「…ぉみゃ」
（エッ！？ウッソー！私の名前を言ってくれたーっ！）
お宮は、咄嗟に仁吉に振り返るってぇと、あまりの嬉しさで、小娘みてぇに胸トキメかせると、仁吉の寝顔に、ニッコリした。
「お宮……………………参りでもするか？………ぉゅぅ」
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