文字数 2,763文字

ミオのマスターは彼女の信条のもとに、ミオに正しくあることを望みました。
「約束なさい、ミオ。何があっても魔法を使わないと」
マスターは、死の床に横たわっていました。
痩せて枯れ枝のようになった指で、ミオの指をとって言います。ミオは涙を流しながら、首を振りました。
「どうしてですか。魔法を使えば、マスターだって死なずにすむのに」
マスターはかなり年をとっていますが、立派な魔女です。本当なら、人間の流行病で死ぬようなことはないのです。
素直に頷けないでいるミオに、マスターは真剣な目をして言いました。
「私たちが、人間の中で生きていくためです。良いですか、必ず守るのですよ。それが、あなたのためなのですから」
そうして、マスターは息を引き取りました。ミオは悲しみましたが、死んだ命は取り返せません。泣く泣くマスターの弔いの準備をはじめました。
ミオがマスターの体を燃やそうとすると、向かいの家のあるじが飛び出てきました。
「魔女のもえがらが、とんでくるじゃないか。そこで燃やさないで!」
それだけ言うと、けたたましい音を立ててドアを閉めました。ミオは呆然としました。向かいの家のあるじの子供の病気を、マスターがただで診てやっていたことなど、頭の中にうかんできました。
けれど、マスターのためを思えば、ことを荒立てるわけにはいきません。ミオは、マスターの体を棺にいれて海辺までいくことにしました。
大きな黒い棺を引きずって歩いていると、道行く人が眉をひそめます。
「魔女の死骸なんて。よくも町の中に穢れをもちこめたもんだ」
「忌々しいねえ。さっさと行っちまってくれ」
ある人はこそこそ、ある人は直接ミオに嫌悪をぶつけました。ミオは、俯いて唇をかみしめながら、歩きました。マスターもミオも、町に流行病がはやりだしたとき、のまず食わずで治療をおこないました。その無理がたたって、マスターは死んでしまったのです。
しかし、揉め事をおこすわけにはいきません。大切な棺がそばにあるのですから。
そのときです。
狭い通りから、小さな男の子が飛び出してきました。
「役立たずの魔女め!お前のせいで、とうちゃんもかあちゃんも、死んだんだ!」
男の子はわめくと、棺にとりつきました。そして、拳でガツン!ガツン!と蓋を殴り付けます。
「何をするんですか!」
ミオは悲鳴をあげました。小さな男の子を、ひきはがそうと、腕を掴みます。
「弟に触らないで!」
ミオは、男の子の後ろからきた少女に、突き飛ばされました。石畳の上に倒れこんだミオを、その少女の連れとおぼしき青年が踵で踏みつけていきます。
呻くミオを押し退けて、大人が男の子たちに、くちぐちに諌めの言葉をかけます。
「なんて無茶をする子達だ」
「魔女に、忌まわしい呪いでもかけられたらどうする」
「だってだって、ぼく我慢できなかったんだ!」
「そんなこと言っちゃだめ。あんたにまで何かあったら、姉さんどうしたらいいか」
ミオは倒れこんだまま、目の前で繰り広げられるやりとりを、ぼんやり眺めていました。ふと、
茶番。
そんな言葉がうかびました。そして、頭のどこかでぶちりと何かちぎれた音をきいたのです。
ミオは、棺の鎖を握りしめ、念じました。
燃えなさい。灰も残さないで。
ぱち、と火花がはぜる音がしました。二度、三度繰り返した後、突如として棺は真っ赤な炎に包まれました。
棺に群がっていた人々は、炎に気付くと、悲鳴をあげて我先に逃げ出しました。棺は尋常じゃない速さで燃え上がり、ついに火柱となりました。すさまじい熱風がふきつけて、逃げ惑う人々の皮膚を赤く膨れ上がらせます。
「たすけて!」
小さな男の子は、悲鳴をあげています。セーターの上で火が踊っていました。
「転がって消すんだ!」
男の子の姉の連れの青年が、小さな体を石畳に転がします。しかし、火は消えるどころか勢いを増し、青年の両腕にまでうつりました。肉のこげる臭いがし、青年は身の毛もよだつような悲鳴をあげます。
「水を!誰か!」
青年は叫びますが、だれも足をとめません。みな自分の逃げることで精一杯です。男の子の姉は、おろおろと青年と男の子を見比べていました。しかし、火の手がせまると、「ごめんなさい」と言い捨て、逃げていきました。絶望の悲鳴をあげたのは、青年だったのか、男の子だったのか。
どちらでもいいことです。いずれにしても、二人とも火だるまになっていましたから。
ミオは燃え盛る火の中、逃げ惑う人々を眺めながら、もはや火柱と呼ぶ他ない棺を引きずりました。棺の炎は、ミオの肌をも焼きました。
しかし、ミオがまばたきする間に、治ります。魔法を使っているからでした。
魔女の魔法は、人間の命を食らうことなのです。
人々はミオの炎に捕らえられると、青い光を吸い出されていました。あの光は、魂です。光は、ミオの体に飛び込むように入っていき、彼女の糧になるのです。
「ミオ、魔法を使わないで。あなたが人間の中に生きたいのなら」
マスターは彼女の信条のもと、ミオに正しくあることを望みました。
マスターは、人間が好きでした。
人間を食らって生きなければならない、魔女という在り方を憎んでいました。マスターは魔法を封じ、人間の命を刈り取らないことで、彼らの仲間になろうとしました。
――でも、その結果がこの惨めさなのです。
人々の命を吸い、ますます勢いを増す炎をつれて、ミオは海岸にたどり着きました。
いつしか、夜になっていました。まっくらい夜空の中へと、棺から吹き上がる炎が、白く煙を立ち上らせていました。
ミオは、生まれて初めて人々の命を食らいました。青白い光を放つ、自分の肌を不思議な感慨で見下ろします。ぽっかりあいた穴に、何かを落として来てしまったような。重いものを脱ぎ捨てたような……。
ただひとつはっきりわかるのは、マスターはもういないということだけでした。ミオは、砂浜に座り込みます。それから、火が小さくなって消えるまで、じっと海を見つめていました。

大がかりな弔いを終えて、ミオは旅支度を始めました。一人前の魔女となったら、独り立ちしなければならないからです。魔女同士、群れて住んではいけません。それも、人間が決めたことでした。
ミオはマスターの墓に花を植えました。自分が出発してからは、マスターのために花を供える人がいないからです。
魔女と言う生き物は、孤独でした。マスターのように、気を遣って生きていても、人間に気に入られることはありませんでした。
「どうせ独りになるのなら、おなじじゃないの。私は自分勝手にやって、堂々と独りになってやるわ」
ミオは、長いローブの裾を優雅にさばいて箒に跨がると、ブーツの踵を打ち付けて、空に浮かび上がりました。
それから、瓦礫の山となった町を一瞬見下ろしたあと、振り返りもせず、遠くに見える山の方へ飛んでいきました。
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