不詳 種
文字数 1,864文字
第三可能世界の老人から抜き取った巫女神の依り代の種のようなものは、始めぶよぶよとして、人間の臓器に近い弾力を持っていた。
大きさは腕一抱え分くらいあり、ラグビーボールのような形をしていた。これがどうやって老人の体に入っていたのか不思議に思った。
俺はその種を空中に浮かせて色々に回して見ていた。回されることで空気を体表中に循環させられて震えている。
その種は粘る液体を糸のように垂らして、抜き取りたてには桃色にぬめりを帯びていたが、段々と色が赤黒く変わり始めた。種の大きさも少し縮んで来たようだった。
外気に触れて急速に変化していく。
表面に付いた粘液が落ち切ると、種は乾いて節くれだってきた。それは老化のようにさえ思えた。
それでもそのままに見ていると、さらに変色し段々と黒ずんでいった。
時間とともにできた凹凸も、今度は膨らみ、真円に近づいていくようだった。
俺は不思議に思って、この種を割ってみようと考えた。
右手を前に出し、人差し指で宙に線を引いた。
その線が描く意識が種に当たると微かな抵抗があった。それでも構わず線を動かしていく。
種に切れ目が入った。
そうすると突然に種に強固な防御壁が張られたのを感じた。この世の力とは思えなかった。
これはどうやら種の抵抗というよりも、巫女神の抵抗らしい。
俺はそれにまったく構わずに、その抵抗を楽しむかのように、ただゆっくりと線を動かせた。
種は空中から逃げようと震えていた。線の通過から身を逸らせようと必死だった。しかし、種はその場で微かに振動するだけで、逃げるどころか動くことすら出来なかった。
その間にも、種はますます黒くなり、最早見えなくなった。おそらく人間の目には見えないものになった。光りを吸い込む漆黒であった。
俺はかまわずに作業を続ける。
種は震えている。
巫女神の抵抗が可愛らしく愛おしいものに思えて来た。
俺はすぐに割っては詰まらないと思い直し、漆黒の皮を一枚ずつ削るように剥いでいった。一皮剥ぐたびに種は幾度も痙攣の波を経験し、時々びくびくと血が巡るような動きを見せた。身をよじるように恥ずかしがった。
種を見てもそれがわかるようだった。
俺はますます面白く思って、楽しくなって、わざと時間をかけてさらにゆっくりと皮を剥いでいった。
始めラグビーボールだった種の先端には突起が小さく残って、たまにそこをつんと突いてやった。辺りの空気を震わせるほどに種は身悶えた。
俺は種を弄ぶうちに、あと何時間でもやっていられるという気持ちとともに、一思いに破ってやりたいような優しさも芽生え始めた。
それが本当に優しさなのかどうか、一考の価値はあるとは思うが、種はすでに意識もなくなりかけていた。
種に意識があるのならば、最早限界に近かった。
それで、俺は種との楽しい戯れを終わりにすることにした。
右手の人差し指で切るのをやめて、中指と薬指とで薄くなった漆黒の皮を切り開くようにしてやった。
突然に角度の違う方向からやってきた刺激に種は驚いて、本当に最後の力を振り絞って抗った。そして打ち震え、わななき、力を使い尽くしたかのように種は上向いた。
上に向かって種の切り口が開いた。
俺はそれを無理矢理に目の前に引き寄せて覗いてみた。
そこには光りがあった。
中は空洞で光りに満ちていた。
空洞というのは正確ではない。光りの収まる場所であった。
種の口を閉めてやると光りは消えた。また開くと光りがあった。
それは外の漆黒の皮から世界の力を取り込み、中に光を満たすものだった。
俺が老人からこの種を抜き取ったときに、何かの力が働いて、新しい依り代のところへと飛んでいこうとしていた。
それを俺は逃がさずに捕まえた。
第三可能世界の光りの循環の仕組みは壊されたことになるのだろうか。
または、この種の中に他のものを入れたとすれば、俺のような存在でなくとも世界の仕組みに干渉できるのだろうか。
世界に干渉する手段などない。そうだ、ただそのように考えれば世界は変わる。しかし、人間というものはそれでは納得はしないのだ。
理屈のつく集団的なシステムが必要になってくる。
この種はそのシステム的な手順を取りながら世界に干渉できる可能性があるのではないか。
巫女神の体や意識を使って世界に干渉する。
それが巫女神たちが恐れていることなのだろうか。
俺はなんだか愛おしくて、今度は手のひらで種を優しく撫でてやった。
種は疲れ果てて眠っているようだった。
それでも俺は満足を感じていた。