第1話

文字数 1,942文字

 小学四年生の頃、トイレの個室の中でぶつぶつと独り言を言っているところを聞かれて以来、なるべく独り言を言うのは辞めようと決意してから早六年。結局高校二年生になった今でもその癖は抜けておらず、学校からの帰り道に独り言を呟いてしまう日々だ。

 明日は英単語のテストがあるんだよなぁ。勉強しなきゃかなぁ。今日もそんなことを考えながらまだ騒がしい教室を後にする。
 階段を下りている時、数人の同級生と思しきかわいい女子とすれ違った。特に挨拶を交わすわけでもないのに少しどきっとする。このコミュ力皆無な自分も高校に入れば変わるかと思ったのになぁ。自分の靴が入った下駄箱の扉を開けて何事も無かったように靴を取り出し履き替える。
「はあー。……結局どっちが好きなんだろ、私。」
そう小さく零した瞬間、後ろから声がした。
「どっちって、何が?」
声にならない声を上げ振り返ると、後ろにはクラスメイトの男子がいた。名前は確か、
「お、大前くん。なんでもないよ、」
彼の反応を見るに、どうやら名前は合っていたようだ。良かった。
「ふーん。なぁ吉村って自転車通学だよな。」
「そ、そうだけど……?」
「んじゃ、途中まで一緒に帰ろうぜ。」
にかっと笑ってそういう彼に、私は断ることも出来ずこくりと頷いた。
 駐輪場まで二人して自転車を取りに行き、並んで校門を出る。
 気まずいなぁ、なにか話題を……というか、こんなところクラスメイトに見られたら。あーだこーだと考えていると、大前くんが口を開いた。
「さっきの話なんだけどさ、」
えぇ、続けるんですか……と思いながらうん、と相槌を打つ。
「なんか迷ってるの?俺、相談聞いたりするの得意だから話したいこととかあったら気軽に相談してな。」
前を見ながらそう言う彼はいつもと違って少し切なそうな顔をしていた。いつもにこにことしている彼にも、こんなに儚げな表情ができるのかと驚く。
 まるでそれに引き付けられるかのように、気がつけばするりと声が出てしまっていた。
「……私ね」
夏の太陽に照らされたていたであろうアスファルトの上をゆらゆらと車が通り過ぎていく。自転車のカラカラという音がやけにはっきり聞こえた。
「中学生の時、気になる女の子がいて。その子が他の友だちと遊んだりしてるのを見るとなんか、もやもやした気持ちになって。でも、初恋の人は男の子で。」
 話し出した私に大前くんは何も言わず聞き続けてくれる。
「自分は女だってちゃんと分かってるし、えっと、初恋の人よりは、その女の子に対しての気持ちはふわっとしてるから、よく分からなくて。そんなふうに自分でもよく分からない気持ちを、誰かに相談するのも申し訳なくて……。女の子のこと好きなのかもよく分からないし、それ以来好きになったこともないし」
自分でも何を話しているのかよく分からなくなってくる。なんで話してしまったのか。後悔と不安が募る。
「なるほどなー。それでどっちが好きなのかってことか。
ちなみにさ、今好きな人いる?」
「い、いないけど」
「そっか。
俺はいるよ。ずーっとその人のことばっか考えてた時もあるしそうじゃない時もある。これって変?」
「普通のことじゃないかな。私もすごく好きって時と、好きっていう時あったし。」
これは推しの話だけど、まぁ同じようなものだしいいだろう。
「でしょ?そのもやもやもそれと同じだよ。それが仮に『好き』だったとして、ほかの『好き』と比べて無かったことにしちゃうなんて寂しいよ。……それにさ、そういう不完全なところも含めて人間なんだよ。きっと。」
大前くんの「きっと」という言葉はそうであって欲しいという願望にも聞こえた。
 大好きと好き。大きさは違えど同じ好き。私の彼女を好きだった気持ちは、確かに初恋の彼には劣っていたかもしれない。でも。
「そっか。そうだよね。好きでいいんだ。ありがと!私、ちょっと急ぐからまた明日ね!学校で!」
大前くんはまだ何か言おうとしていたけれど
「うん、また明日。」
とだけ言って手を振ってくれた。
 私は自転車のサドルに跨りペダルを強く踏み込んだ。漕ぎ出して少ししてから聞こえてきたまた今度でいっか、という大前くんの声は聞こえなかったことにした。

 ——私は誰かに認めて欲しかったんだろうか。さっき大前くんと話してから妙に心が軽い。「好き」に大きさの違いはあれど形は同じ。そういうところも含めて自分なんだ。ちゃんと自分を認めてあげることも大切なんだと気づけたきがする。
 明日改めて大前くんにお礼を言おう。そして、聞かなかったことにしてしまった彼の言葉も、きちんと聞こう。何か私に出来ることであれば力になりたい。

「私は私。不完全なままでいい。」
 そう小さく呟いた独り言は茜色に染まった、どこまでも広い空に消えていった。
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