環る ーめぐるー

文字数 21,403文字

環る -めぐる-

 「此度の縁談は殿下のご上意だそうですね。おめでとう」
 太閤から譲り受けたとみられる立派な茶碗に、今日は桜湯が入っている。寧は茶碗の中で花びらを舞わせるようにふわりとした仕草で茶碗を客人に差し出した。
 「茶は『お茶を濁す』を連想してしまって、おめでたいお話にはどうも不似合いな気がしてならないの。ですから今日は桜湯をいただきましょう。これは醍醐の桜。今年の春、うちの侍女が漬けてくれたのですよ」
 「お心づかい、痛み入りまする」
 今日の茶話会の主役、安岐は小さな手で茶碗を受け取り、まだ「合格点」と言われそうな拙い所作で一口いただく。
 「お相手は馬廻衆のお一人でしたわね。たしか徳川の大軍を寡兵で破った際の知略を見込まれて大名に昇格したお方のご子息だとか」
 もう一人の客人、細川珠(のちのガラシャ)の耳にも噂は届いているらしい。珠も桜湯を味わいながら顔を綻ばせる。
 齢十五になったばかりの安岐は、初夏の桃のようにふっくらした白い頬を薄紅に染めた。
 母が早世し、相談相手も少ないまま育った安岐が、父に連れられ大坂に来てから親交を深めるうちに姉とも母とも慕うようになった二人。珠と寧は、その顔に自らの輿入れの頃を重ねて微笑む。
 「真田左衛門佐どのと仰いましたわね。殿下のお気に入りで、あなたのお父上である大谷刑部どのや実質的に城を取り仕切る石田治部どのからも一目置かれているそうですよ。家来衆から話を聞いた侍女が色めき立っていましたわ」
 「そうそう。鳴り物入りで大坂に来てすぐ馬廻衆に抜擢されて、うちの虎之助(のちの加藤清正)や市松(のちの福島正則。清正と正則はともに秀吉の遠縁である)も随分と意識している様子。皆で殿下をお支えするのですから、仲良くして欲しいのですけれどね」
 「そのような……」
 安岐は恥じらいながら声を絞り出した。
 「そのような立派なお方の奥が、わたくしで良いのでしょうか」
 「もしかして、まだ会うていないから迷うのかしら」
 「……それもあります」
 大名家の婚姻はほとんどが政略結婚だった。正室として迎えられる立場であっても、婚家の敷居をまたいで初めて相手の顔を見るのが常である。寧のように恋愛結婚できたのは、秀吉がまだ名もなき武士だったから。珠は親同士が懇意という理由で幼少時からそれとなく細川家に嫁ぐよう仕向けられた節はあるが、それでも夫・熊千代(細川忠興)の顔をまともに見たのは婚礼の席が初めてであった。
 源氏物語や華やかな絵巻を読みながらゆかしく育った姫君なればこそ、古来からのしきたりも充分に知っている。だが、それゆえ輿入れに夢はあっても相手に不安を持つのは致し方ないのかもしれない。
 「まったく知らない家の者となるのですからね。でも心配はご無用。お相手の人となりは、この寧が保証しますわ。幾度か殿下の遣いで屋敷に来てくれたけれど、とても礼儀正しくて聡明で、見目もたいそう爽やかな若者でしたよ」
 「あ、いえ……その、わたくしが……」
 「?」
 「真田さまがたいへん立派な殿方だというお話は、父から聞いております。そのようなお方が、わたくしを見てがっかりなさらないか心配なのです」
 一瞬、寧と珠は顔を見合わせた。その沈黙は、すぐに愉快そうな笑いに変わる。
 「まあまあ、何をそんなに思いつめてと心配すれば……」
 「もう。北政所さまも珠さまも、からかうのはよしてくださいませ」
 「からかってなどおりませぬ。そなたは、この上なく可愛らしい姫ですよ。お相手…そう、源次郎と言ったかしら。とてもお似合いだわ」
 寧が安岐の隣に両手で人の形を作ってみせる。
 「自信を持ちなさい。大谷刑部さまに頼まれて以来、料理や裁縫はこの珠が仕込んだのですもの。何事も飲み込みが早くて細やかな気遣いが出来るあなたならば、必ず良き奥方になりますわ」
 「はい……」
 母というお手本が側に居ないまま育った安岐は、果たして自分が婚家で恥ずかしくない振る舞いが出切るのかどうか不安を隠せない。
 「デウス様の教えに、『夫婦は健やかなる時も、病める時も、貧しき時も、寄り添い支え合うものである』とあります。必要なのは立派なお支度でも何でもなく、生涯にわたって夫と添い遂げる覚悟なのだと、わたくしは解釈していますよ」
 珠は、安岐の不安を和らげるよう菓子を勧めながら諭した。
 「お相手がお断りなさらなかったのでしたら、彼の方は既に心を決めてあなたのお返事を待っていらっしゃるのでしょう。殿下に直接進言もできる大谷刑部さまほどのお方が何も仰らないのも、お相手がこの上ない方であるからこそ。でしたら飛び込まない理由などありますまい。すべては神の御心のままに、ですわ。生まれながらの運命と定められていたのならば、怖れずにお進みなさい」
 そこまで言って、珠はふと我に返った。寧を済まなさそうに見て肩をすくめる。
 「まあ、わたくしとした事が北政所さまの前で……申し訳ございませぬ」
 しかし寧は菩薩のような微笑みで頷くだけだった。
 「よいのですよ。禁教令は殿下がなさっていること。髪を下ろしたわたくしには、最早関係のないお話ですわ。御仏は異国の神様に焼きもちを焼くようなお方ではありませぬし」
 「それはデウス様も同じにございます。博愛の御心の中にはお釈迦様や天照大神は勿論、世界の民が信ずる神仏がすべからく含まれていると、わたくしは解釈しております」
 「そうそう。神様同士が仲良しなんだから、つまらない縄張り争いなんて要らないのにねえ」
 秀吉のキリシタン追放令は、年を重ねるごとに苛烈を極めていた。しかしそれは政治的な建前。
珠も京都や大坂では夫の顔を立てて神社仏閣に寄進を惜しまずにいるが、夫の不在時には寺院を装った礼拝堂にキリシタンを集めて学びを深めている。神道を崇めながらも天下人の意のままに振り回される朝廷、煩悩とは無縁であったはずの僧侶が武器を持ち戦う世を経て訪れた秀吉の治世に疑問を持つ者が増えつつある世において、異国の教えに救いを求める者が増えることもまた然りだと寧は理解していた。
 「ともあれ、此度の縁談はこの上なく良いお話だと思いますよ。怖れずに飛び込んで御覧なさいな」
 「……ありがとうございます。今日お二方にお会いできて、ようやく決心がつきました。まずは先方に向けて、わたくしの気持ちをお文にしたためようと思います」
 「それは良い考えね。あなたはわたくし達にとって娘や妹同然ですもの。あなたには幸せになってほしいのよ」
 「北政所さまの仰るとおりです。かの若者ならば、きっとわたくし達の望みも叶いましょう。お幸せにね」
 「はい!」
 迷いが晴れた安岐は、二人に向かって深々と頭を下げた。

 「珠どの、少し」
 しばらくの歓談の後に安岐が寧の屋敷を辞去して。寧は帰り支度をする珠を呼び止めた。
 「どうか気を悪くなさらないでね……細川どのがあなたの信心を良く思っていないと聞きました。そのことで、あなたに辛く当たっているとも」
 「……」
 「同じ屋敷で暮らすのが辛いのであれば、この屋敷へお勤めにいらしてはいかがかしら?わたくしのように、京と大坂で離れて暮らせば心持ちも楽になりましょう。細川どのには、わたくしからお話を……」
 「北政所さまのお耳にまで家中の噂が届いてしまうとは申し訳ございませぬ。まして御手を煩わせるなど、畏れ多い事にございます」
 俯くと疲れにも似た陰りが見えるガラシャの顔に、寧も眉根を曇らせる。
 「殿下の心ひとつで思い悩む者が増えていく様は、わたくしとしても心苦しいのですよ。拾(豊臣秀頼)が生まれた事で殿下に疎まれたと思い込んだ孫七郎(豊臣秀次)は腹を召し、殿下はそれを裏切りと受け止めて孫七郎の妻子三十名あまりをあのような形で死なせた……ここ何年かで殿下はすっかり人が変わってしまいました。やること為すこと、おかしな方へと進むばかり。キリシタンへの弾圧も殊更に厳しくなりましたし、あなたへの風当たりが強くなれば熊千代どのも保身に動かねばなりますまい」
 「離縁か処断か……いずれも明るい未来でない事は覚悟しております」
 妹とも娘とも可愛がってきた珠を案ずる寧の心情を汲んでか、珠は胸に手を当てた。着物の袷(あわせ)の中に忍ばせた久留子(クルス)に触れているのだろう。
 「始まりは熊千代さまご不在の寂しさと自分の探究心であったのだと思いますが、わたくしの心は既に熊千代さまよりもデウス様の方にあります。熊千代さまのお変わりようが辛くないと申せば嘘になりますが、デウス様の教えでは離縁を認めていないので細川の妻でいるだけ……ただ教えに従っているのみなのです」
 安岐に話した事と矛盾しますが、と珠は口許を無理矢理つり上げた。
 「この先、いかなる運命が待っていようとも、わたくしは信ずるものを曲げるつもりはございませぬ。ただ、わたくしが変わってしまった事で熊千代さまも変わってしまわれた。生涯添い遂げる誓いを破った責は、いつか問われるでしょう……デウス様がわたくしを罰するか、それともお赦しになるか。召される時が来たら、お沙汰に従う所存です」
 「あなたの…あなた自身の心はそれで良いのですか?」
 「もう、明智の家から嫁いだ頃には戻れませぬ。水色の桔梗は色あせ、点てた茶も冷めてしまいました」
 既にない実家に、茶人である夫。珠はそうなぞらえて、寂しげに北政所の屋敷を辞去した。
 夫の変貌に心折れぬため、自分も新しい支えを得て変わらなければならない。が、その変貌がさらに夫婦の距離を遠ざけていく。溝は深くならなくとも、幅が少しずつ拡がっていく。
 聚楽第という側室用の城を設け、側室との間に生まれた子を溺愛する夫を見るのが辛くて出家という名目で市井に移り住んだ寧にも珠の気持ちがよく分かる。
 すがる者がなければ、誰も一人では生きていけないのだ。
 男は気を紛らわせようと…ときに取り巻く者の数が己の甲斐性だと思い込むが如く側室にそれを求め、夫に操を立てるしかない女は目に見えぬ神仏に救いを求める。
 これは裏切りではなく信仰なのだと自分を騙してでも。

 翌年の春。天下統一を果たした関白秀吉が音頭を取る中で、真田安房守の次男・左衛門佐信繁と大谷刑部少輔の長女・安岐の婚儀が執り行われた。
 そして祝言から最初の年明けを迎えてすぐ、太閤は死んだ豊臣秀次に代わり小早川秀秋を総大将に立てて二度目の唐入りを決行する。
 しかし、太閤がその戦果を知る事はなかった。
 慶長の唐入りは、太閤の死によって終止符を打たれたからである。

 太閤の死により、浪速のことが夢のまた夢となって。
 実のところ、日ノ本じゅうの兵を動かし金子がどこからでも沸いて出ると錯覚したまま黄泉の客となった秀吉の財は、本人の感覚とはまるでかけ離れたものであった。
 日ノ本の大名を滅ぼし、その財を勝者が分け合っていた戦国の世から泰平の世へ。既に国内には奪って分かち合う財がない。だから太閤は膨大な土地や財を求めて唐入りしたという側面もあった。
大名達をつなぎ止めるには、金を配り続けるしかない。
 太閤の晩年から財政に危機感を募らせていた石田治部がどうにか金子をかき集めようと奔走しても、無い袖は触れなかったのだ。
 奉行が知っている大坂の懐事情を、大老が知らぬ訳がない。
 豊臣の内部分裂があってはならぬとした前田利家はまだ幼い豊臣秀頼の後見役として家臣団…特に秀吉に敬意を払わぬ家康に睨みを利かせていたが、老いには勝てず秀吉の一周忌を待たずに死去した。
 利家の死で頭上の重石がなくなった徳川家康は、この機を待っていたとばかりに野心を露にし始める。
 利家の長男・利長をはじめ、言葉巧みに、あるいは罠に嵌められて徳川に取り込まれる大名が続出する中、石田治部少輔は崩壊寸前の豊臣家のとりまとめに奔走したのだが。
 やはり、忠義は金子には勝てなかった。太閤子飼いの者だからこそ唐入りでも先陣を切った加藤清正や、親の代から豊臣家との盟友関係を自負している黒田長政といった大名達は、戦の恩賞も棚上げされたままで家臣達に与える禄にも困っていたのだ。
 家康は彼らに接近し、ときに金子を用立てる事で恩を売り、彼らの困窮はすべて石田治部の『出し渋り』にあるのだと刷り込み非難のはけ口とさせた。その言葉を信じ込んだ者達は、未遂に終わったとはいえ石田治部暗殺までを企てるまでに対立を深めていった。
 見かねた上杉景勝が家康の横暴ぶりを諫めようとしたが、朝廷を味方につけた家康は逆に「上杉、大坂に叛意あり」として会津征伐の許可を取り付ける。
 何もかもを強引に推し進める徳川を倒し、豊臣政権下の安定を継続させる事こそが日ノ本に必要なのだと義憤にかられた上杉も受けて立つ姿勢を崩さず…むしろ挑発までして徳川を上方から引き離し…。
 日ノ本は、太閤の壮大な夢に逆行していくのである。


 「石田三成が挙兵したそうだ」
 あくまで朝廷からの派遣という建前から京都を発った上杉討伐隊が江戸にて家康と合流し、下野国にさしかかった頃。
 その報せを真田家が宿営している寺に持って来たのは細川忠興…珠の夫であった。
 「貴奴め、内府(家康)どのを逆賊として西国の大名に根回しをしておった。挙兵にあたっては、毛利が朝廷に口ききをしたらしい」
 「……かような事が……」
 「まんまと時間稼ぎに付き合わされたな。内府不在の大坂城ならば、さぞ動きやすかったであろう」
 「……」
 そう語る細川もけっして豊臣が憎い訳ではなく、ただ豊臣政権下における徳川内府寄り…というよりは反石田派という立ち位置に近い。石田治部少輔と懇意、なおかつ石田の盟友大谷刑部の娘を妻にした自分への牽制なのではと勘づいた真田左衛門佐は、敢えて淡々と受け答える。
石田の挙兵と内応への誘いを昨日のうちに忍び衆からの文で受け取り、今宵にも家族で去就を決める予定であることなどおくびにも出さずに。
 「徳川が大坂へ引き返して来ると睨んだのだろうな。治部少輔は、城下に暮らす豊臣家の人質を大坂城内に集めているという。娘が徳川の息子と縁組している伊達陸奥守の息子も入城させられたそうだ……さすが治部少輔、北を押さえて上杉を挟み撃ちさせぬよう手を打つとは抜け目がない」
 細川は源次郎の些細な顔色も見逃すまいとしている。ここは敢えて探られても痛くない範囲で腹の内を見せておくのも一手だろう。
 「我が家は、何事かあらば容赦なく我らを見捨てて生き延びるようにと妻に言い残してまいりました」
 源次郎は心の内を悟られないよう返す。実際、安岐にはそう言い聞かせてきた。
 「ははは、殊勝だな……いや、当然か」
 「生きてこその世でありますから」
 真田らしい、と細川はいささかの羨望をこめて微笑う。
 「まあよい。真田安房守の妻やそなたの細君は特別に実家での滞在を許されたそうだ。石田からすれば、盟友である大谷刑部の縁戚がこのまま徳川に付いていくなどと考えておらぬのだろう」
 「我ら一族は、このように全員揃って内府さまに従うております。それが真田の意思となりましょうが……」
 「真田家がこのまま会津征伐に従軍し続ければ石田や大谷への裏切りとなり、離脱して石田に与するならば徳川の怒りは免れまい。信濃国の…上田城と申したか、そこは間違いなく徳川勢に攻め込まれる……そなたの父も難しい判断を迫られるな。まあ、危うい橋を渡るのは慣れておろうが」
 真田家が大名に上りつめるまでの道のりも危うい橋の連続であったが、細川家も相当の修羅場をくぐっている。
 足利将軍家が織田信長との軋轢によってあっさり滅んだ様、そして幕府にとって逆臣となった信長ですら本能寺にて横死、信長を討った明智光秀…珠の父はその信長の家臣であった羽柴秀吉によって『三日天下』という不名誉を背負わされた。目まぐるしく動く天下の行方を見定めるために盟友・光秀の行い…そしてその行く末までを黙殺した細川幽斎の子は、「さて、どう立ち回ったものか」と軽く笑う。
 「細川さまのご内儀は大坂城に入られたのでございますか?」
 これ以上腹を探られてはならない。源次郎は話題を変えた。忠興は「珠か?」と細い目の右側だけを器用につり上げてみせる。
 「あいつは、豊臣の人質となるくらいならば死ぬやもしれぬな……不穏な動きあらばすぐ止めるようにと屋敷の者には伝えて来たが、あいつの周りの者はみな儂に隠れてデウスの教えとやらに傾倒しておる。何をしでかすか分かったものではない」
 「!」
 「あいつにとって豊臣は父親の仇だ。立てる義理など最初からないからな」
 「ですが今は細川さまの……」
 「儂の……細川家のことも、あいつは恨んでおろう。本能寺で織田が滅んだ後、己が家を守るために明智光秀を見捨てたのは儂の父じゃ」
 少し愚痴を聞いてくれぬか、と細川は寺の縁側に腰を下ろした。源次郎は庭に膝をついたが、「構わぬ」という細川に促されて少し離れた隣に座る。
 「珠は何も言わなんだが、それが却って儂には重たかった。どうやったら償えるか、あいつの傷を癒やせるか……あいつが我が家に来た頃のように笑ってくれるのか、儂があいつを迎えた頃のように笑えるのか、もう儂にも分からぬ。珍しい絵巻でも、綺麗な着物や珍しい南蛮の品でもあいつの心は動かせなかったのじゃ。だから交友も思うままにさせ、興味を持った事くらいは好きに学ばせておったのだが……異国の神の教えとやらに触れてしまった事で、儂ら夫婦は更にすれ違うようになった」
 「……」
 「一度、珠は儂にも入信を勧めて来た事がある。既に殿下が伴天連追放を考えておられる事を聞いていた儂は即座に拒否したものじゃ。あいつは悲しそうな顔をしておったが、その頃の儂は家を継いだ重責をこなすのに必死で、大名家の奥としての行いをわきまえろと怒鳴る事しか出来なんだ」
 「それは、正しいご判断かと存じますが」
 一時期は異国との交易を目的としてキリスト教に入信する大名が続出したが、太閤が禁教令を敷いて伴天連(バテレン)と距離を置くようになってからは皆が遠慮して手を引いていた。一家臣が目をつけられればどのような仕打ちを受けるか知ったものではない。
 大名ひとりが取り潰しに遭えば、従う幾万人もの家臣や妻子が一斉に路頭に迷うのだ。細川という名門であっても目立つ言動は控えるのが正しい選択だろう。
 だが、と細川は息をついた。
 「そなたも知ってのとおり、武士の世界は何事かあらばすぐさま腹を切るのが当たり前じゃ。主のため、家のため、己が失態のため……様々に理由をつけるが、自死である事に変わりはない。かの備中高松城の水攻めの最中に太閤は本能寺の変を知り、和睦を急ぐあまりに敵方の城代の切腹を天晴と評価して中国大返しに臨んだ。そのことで腹切りが武士の美学とされつつある風潮を危惧した珠は、儂をキリシタンにする事で軽々しく腹を切らぬよう止めたかったのやもしれぬ……ああ、かの宗教では自死を禁じておるそうじゃ。その意図に儂が気づいたのは、太閤が死んでからだった」
 身内すら処断してしまう秀吉の治世下では、命を惜しむ時間すら与えられなかったように思う。にこにこと茶会に招かれたかと思えば、その翌日には腹を切った者もいる。ほんのわずかな不手際、あるいは謀略の一環として村人全員が磔にされた事など数え切れない。だが、家臣達はそれを当然のように受け止めて粛々と河原に屍を並べるしかなかった。
 明日、ここに自分や自分の一族郎党が並ばないよう、己の振る舞いを戒めながら。
ほんの僅かな疑問でも、抱けばすぐさま秀吉に見抜かれてしまう。「人たらし」の眼は、目の前にいる者の表情など見ていない。目の動き・息づかい・言葉の緩急といった、他の者では気づきもしないであろう心の声を見抜くことから始まっていたのだから。
 だが太閤の死によって洗脳が解け、誰もがこれまでの治世が異常なものであったのだと気づかされた。徳川はそこに付け入ったのだが、人は心の奥底に秘めていたものがなければいかな言葉にも動かされる事はない。人質として大坂入りした源次郎よりも長く仕え、より多くの戦を戦ってきた細川は、徳川の甘言に動かされて初めて自分が実は何よりも処断を怖れていた事に気づいたのだろう。
 「しかし、気づいた時にはもう珠に頭を垂れて謝罪できる時期は過ぎていた。もはや珠の顔を見ても何から話を切り出して良いか分からなくなり、珠もまた儂に何かを語ることはなくなった。離縁の申し出も幾度か受けたが、どうしても首を縦に振れぬ……儂が珠をがんじがらめにしているのは承知だが、珠が居ない屋敷を想像するのも怖いのじゃ」
 まず家を守ることを使命として育てられ、武芸を磨き、教養や処世術を身につける。それらに忙殺される日々で細川の…いや全国の大名のほとんどの心は歪んで軋み音を立てている。悲鳴のような音を。
 源次郎にはそう思えた。
 そして、徳川家康や真田安房守のように己の歪みを諾と受け入れ、逆手に取って立ち回れる者はそう多くはない。つい十五年前まで信濃の国衆の次男坊であった源次郎だから見えるのだろうか。名門の生まれであればあるほど、生まれた頃から己の置かれた環境を疑う余地もなく……疑う事すら許されず、ただ家を守るように育てられているが故に、人の情のようなものと向き合う際に葛藤してしまうものなのかもしれない。
 情にほだされて一族滅亡の憂き目に遭った先人達の歴史を知っているだけに。
 「細川さまは、奥方さまを大切に思うていらしゃるのですね」
 「さあな。この気持ちが情なのか罪の意識なのかは、もはや自分でも分からぬ。どうやったら埋め合わせが出来るのかも、何もかも分からぬ」
 「そういったお心持ちでいらっしゃるのならば、まだ間に合うのではありませぬか?奥方さまに直接仰るのが憚られるのでしたら、文でお気持ちを伝えてみてはいかがでしょう」
 「文、とな」
 思わぬ提案に、細川の目尻の皺が拡がって見えた。
 「室町時代から続く名家の当主が、奥に恋文か?……ははは」
 「いえ、私もなかなか……その、殿下のご体調の事もあって伏見城に泊まり込む日が続いたことで、家を守ってくれる奥に感謝の意がきちんと伝わっているのか不安になりました。そういった時、机に向かって気持ちを整理しながら文をしたためていたのです。奥も同じで、面と向かって言いづらい事は今でも文で伝えてくれる事があります。そうやって互いの心を繋いでまいりました」
 一見すると他人行儀だが、その方が存外正直になれる。源次郎はそう打ち明けた。
 「心を繋ぐ、か……儂にとっては、どのような起請文より難しい文となりそうだが、そなたらしい手法じゃな。若さとはかくも羨ましいものであったか」
 「若輩者の浅い心持ちと自覚しておりますが、正直になるには一番の手立てだとも存じます」
 「今の世では正直者は馬鹿をみるしかないと思うておったが……心に留めておく」
 誰にも打ち明けられぬ心の靄を吐き出したからか、細川はすっきりした面持ちで立ち上がった。
 「そうだ。そなたの奥方は珠と懇意にしておったな。今の話は内緒にしてくれ。もしもこの先、儂の気が向いてうっかり珠に文をしたためてしまったら気恥ずかしくてかなわぬ……それと」
 「?」
 「『正直に生きるのは、けっして愚かではない。なぜなら正しき世は偽りなき心から生まれるものだから』……幼き頃、父に連れられ訪ねた水色桔梗の屋敷でそう言われたのを思い出したぞ」
細川の言葉は己の心から出たものなのか、それとも真田の行動を予期してのものなのか。
 石田の挙兵による綱紀粛正がかかるという本来の用向きを伝え、ではと言い残して細川は自陣へと戻って行った。

 翌、未明。
 一晩籠もっていた薬師堂から戻った真田家の父子三名のうち、二騎の大将と彼らに従う兵が朝霧に紛れて会津討伐隊を離脱した。
 渡良瀬川伝いに北西へ、沼田に向かって。


 大坂。
 石田治部少輔三成が挙兵した文月から二月経ち、気がつけば立秋を過ぎていた。
 「大殿様やだんなさまは息災でありましょうか」
 石田治部の挙兵によって会津征伐を中断した徳川家康の本隊が大急ぎで西へ引き返している、合戦の場が何処になるのかという噂でもちきりの大坂。二の丸にある大谷家の屋敷に真田安房守の妻…安岐にとっては義母にあたる山手とともに籠もりながら、安岐は晴れた空を見上げて東に思いを馳せる。
 徳川の不在を待って挙兵した石田治部と大谷刑部はすぐに大坂を発ち、数日のうちに京都二条の徳川屋敷を陥落させた。安岐の弟・大谷大学助吉治も病身の父に従っている。今は近江や美濃へ進軍しているというが、それ以降の動きについては屋敷で待つ身には何も伝わって来ない。大坂城内に囚われた人質達も、今頃肝を冷やしている事だろう。
 「わたくし達に入城の命令がないという事は、上方に従ったのでしょうか。なれば上田が合戦場になっていないか心配です」
 「内府どのは東海道を進んでおられると聞きますゆえ、案ずるには及ばないとは思いますが……十五年ほど前にも、上田は寡兵にて徳川の大軍を破っているのです。よもや徳川が同じ過ちを繰り返しますまい」
 山手は当時の上田城で見た夫の圧勝を思い出したのか、東に眼をやった。
 「上方が有利なのでしたら、義姉上さまが大坂から脱出できたことは重畳です」
 徳川方と縁戚関係を結んだ真田伊豆守信幸(のちの信之)の妻にして安岐にとっての義姉にあたる小松姫は、石田治部挙兵の噂が流れた段階でいち早く大坂から姿を消していた。徳川の腹心にして四天王とも呼ばれる本多忠勝を父に持つ小松姫のこと、自分が人質に取られれば父と夫それぞれの立場が危ういと判断したのだろう。実家の本多家を頼ったのか、それとも上田か沼田へ向かったのかは安岐にも分からない。
 闊達な小松姫のような度胸と行動力があればと、安岐は珠の顔を思い出す。
 珠の夫・細川忠興は、石田治部との軋轢がある者の名を挙げるとしたら加藤清正、福島正則などとともに必ず登場するであろう。いずれも豊臣政権下の戦で先頭を切って戦った武の者達である。彼らは石田家を襲撃し、治部少輔を奉行職から失脚させた上に佐和山城での蟄居に追い込んだのだ。
 「細川さまの奥方さまは、いまだ大坂の出頭要請に応じていらっしゃらないそうですね。今は石田治部さまの兵が玉造の御屋敷を見張り、日々説得に当たっておられるとか」
 どう転んでも石田に与するとは思えない男の妻、それが現在の珠の立ち位置であった。これが太閤ならば見せしめとして珠や子供らを磔にするところだが、石田とて太閤のやり方すべてを踏襲したい訳ではない。今現在味方となっている大名達に要らぬ畏れを抱かせないためにも、本人が観念して自ら入城するのを待つしかなかった。
 「奥方さま」
 ふと庭の木立が揺らいだかと思うと、よく知った顔が庭先に現れ膝をついた。真田家に仕える素破(忍者)衆の一人である。
 「まあ、佐助ではないの。あなたがここまで来たという事は、殿に何かあったのかしら?」
 「ご報告いたします。大殿さまと源次郎さまは石田さまに付くため会津征伐軍を離脱、上田城へ戻られました。徳川軍は徳川秀忠を大将として分隊を組織、追撃の末に砥石城と上田城が襲撃されましたが……」
 山手が「またですか」という顔で次の言葉を待つ。しかもその顔に心配の色はない。安房守という稀代の策士に嫁いで久しいだけあって、山手は肝が据わっていた。
 「大殿さまは砥石城を若殿(信幸)さまに明け渡して油断を誘い、奇襲にて徳川勢の足止めに成功いたしました。秀忠公は上田から退却、関ヶ原に向かいましたが決戦には間に合わぬでしょう。無論、大殿さまも源次郎さまもご無事です」
 「真田は一家で袂を別ったという事ですね」
 「お三方で話し合われた末の結論だと源次郎さまは仰いました。石田と徳川、どちらが勝っても真田の家が残るためにと」
 「……殿らしいご決断ですこと。みなが無事であれば良しとしましょう」
 夫が上田で戦ったと聞いて肝を冷やした安岐の隣で、山手はゆったりと着物の袖を直す。佐助はさらに続けた。
 「拙者は仲間と手分けして、京都や大坂で上田の戦果を噂話として流しておりました。石田さまについた兵の中には、まだ様子見に徹したい大名が多いと聞いております。その方々の背を押して来いというのが大殿様のご命令であります」
 「ご苦労さまです。お務め、抜かりなく致しなさい」
 「痛み入ります。大奥様も若奥様もご健勝であらせられたと聞けば、殿もさぞご安心なさるでしょう。拙者はすぐに関ヶ原へ向かいます。もうじき石田さまと徳川内府との合戦が始まりますゆえ、仲間とともに顛末を見届け、上田に報告するまでが此度のお役目でございまする」
 ヒュッという風音を残して、佐助は庭から姿を消した。
 「関ヶ原、でございますか……」
 「真田は…信濃の民は、どのような苦境でも諦めぬ一族なのです。徳川を切り崩した功績は、石田が勝利した暁には大きな功績となりましょう。大殿は、もとより徳川に従うのを厭うておられました。必然であったのでしょう」
 山手は「安心なさい」と安岐の肩を叩いた。だが安岐の不安は拭えない。
 このまま上方は勝利を掴めるだろうか。
 夫は、そして父は、大坂に凱旋して迎えに来てくれるのだろうか。

 そして、そうなったら。
 どうあっても石田と共闘などあり得ない細川忠興とその家族…珠はどうなるのだろうか。

 その夜。
 外を行き交う喧噪で、安岐は目覚めた。
 薄物を羽織って縁側に出れば、うっすらと煙の匂いがする。何処かで火の手が上がっているようだ。安岐はすぐに侍女を呼び、下働きの男衆に様子を見に行かせるよう命じた。
 様子を見に行った男は、二刻ほどで息を切らして戻って来た。騒ぎに気づいた山手も安岐の部屋へ駆けつけて報告を待っている。
 「奥方さま、燃えていたのは細川さまの御屋敷でございました」
 「!」
 「それが、火消し役が手こずるほど酷い有様で……火が出る直前に大きな音がしたというので、どうやら火薬を仕掛けたのではないかという話です」
 障子ごしに報告を聞きながら、安岐の背中を冷たいものが走った。
 「そんな……珠さまはどうされました?」
 「屋敷から逃げ出した者も動転していて話にならないそうですが、火は奥方さまのご寝所から出たとか……ただ、逃げる時に血まみれの刀を手にした細川さまのご家来衆のお一人が『ご命令で奥方さまを斬った』と話していたのを目撃したとか」
 刀を手にした家来衆は煙に巻かれて行方知れずという。
 あまりの成り行きに、話を聞いていた山手はその場に倒れ込んだ。義母の世話を侍女に任せ、安岐は庭先に出る。
 禁教令が敷かれている中、安岐なりに珠を理解しようとかじったばかりのデウスの教えの一つが脳裏をよぎった。
 (たしかキリシタンの教えでは自害が禁じられていたはず……では、珠さまは)
 西軍有利の報に夫の身を案じた末か、それとも人質として生き恥を晒し細川家の名に疵をつけるくらいならばと思いつめたのか。
どちらにせよ珠は自身を家来に斬らせることで命を絶ち、人質の身となることを拒んだのだ。
 「どうして……どうして生きようとなさらなかったのですか、珠さま。安岐には分かりませぬ……珠さま……」
 生きていれば、別の道が開けたかもしれないのに。
 夫婦はいかなる時も添い遂げるものと教えてくれた珠の笑顔。その時にはもう幾ばくの哀しさを秘めていたのだろうか。ならば、何故あの時自分に夫婦の在り方を解いたというのか。
 庭先から見える煙を呆然としながら眺めていた時、もう一度ドンと大きな音が辺りを揺らして火の粉が舞い上がった。赤く染まる空を見た侍女達は一様に悲鳴を上げる。
 (ご自身がそう在りたかったというお気持ちだったのですか、珠さま……あまりに辛うございます)
 人の幸せを願いながら、自身は悲劇を選ぶ。
 なぜ、という思いと、珠の言動から何も察することが出来なかった自分の幼さ。そして今も赤く染まる空をただ見上げるしか出来ない歯がゆさ。
 安岐は自分の若さと無力さを初めて口惜しく思った。

 真田家の奮闘に沸き、あるいは細川家炎上に揺れ動いた大坂であったが、それらの噂は十日ともたなかった。
 関ヶ原に向かった兵らが、ばらばらと帰参し始めたのである。
 その中には、病身の父とともに関ヶ原に赴いた大谷吉治…安岐の弟の姿もあった。
 「ただいま戻りました」
 泥とも返り血ともつかぬどす黒いものに塗れた鎧や戦袴。従う者も手傷を負ってぼろぼろの状態。夜分遅くにもかかわらず、屋敷内は人が駆け回る足音と薬草や布を求める声で騒然となった。
 「石田軍が敗北いたしました。石田さまは敗走して行方知れず、父上は…自害なされました」
 安岐の手当を受けながら、吉治は無念に顔をしかめた。
 「父上が……自害……」
 走り回っていた屋敷の者が、最悪の言葉を聞き留めて悲鳴を上げる。悲痛な声は波のように大谷家を伝搬した。
 「戦の前は石田さまが有利だったのではなかったのですか?」
 「小早川どのが寝返ったのです。かの者に不穏な動きありという情報を得た父上が抑えとして彼奴の行く手に陣取っていたのですが、小早川に呼応するかのように寝返る者が続出したことで形勢が逆転してしまいました」
 「……では……」
 「まこと無念としか言いようがありませぬ。ああ、小早川が憎うございます」
 吉治は包帯を巻かれた腕で己の佩楯をばんばんと打ち付ける。煤けた顔には無念の涙が筋を描いていた。安岐は手当に没頭しながら無にした心でどうにか現実を受け入れる。
 「あの……我が殿は」
 山手がおずおずと訊ねる。
 「開戦当初から徳川秀忠の旗がなかった事で、安房守さまと左衛門佐さまの戦果は伝わっておりました。ですが石田どのがこのような事になって……」
 では、徳川によって遠からず出頭命令が出されるだろう。勝者に楯突いた者として、最悪の事態もあり得る。
 安岐の手を握る山手の手が氷のように冷たくなっていった。握り返す安岐も手の感覚がよく分からない。
 「私は敦賀に向かいます。じきに城が接収されましょうから、民や家臣に犠牲が出ぬよう避難させなければなりませぬ。大奥様と姉上は出家のご準備をなさっていた方がよろしいかもしれませぬ……髪を下ろせば、それ以上の追求はありますまい」
 これより十五年後に大坂で左衛門佐の麾下に入る事になる大谷吉治は、治療と簡単な腹ごしらえを済ませると、敗残兵が行き交う重たい空気の中をわずかな兵とともに走り去っていった。
 「奥方さま」
 呆然となったままの安岐のもとに、今度は真田の素破衆が現れた。
 「佐助さまからの言伝にございます。安房守さまと左衛門佐さまは、徳川からの出頭命令が出る前に高野山へ入られるとのこと」
 「高野山?」
 「本多美濃守(忠勝)さまが、真田のお二方には出頭せず高野山へ入るよう密使を遣わせたようです。まずは表向きだけでも徳川へ恭順の意を示し、あとは美濃守さまと伊豆守さまが直々に内府(家康)に助命嘆願するから時を待てと」
 真田安房守と真田左衛門佐。徳川の人生において、唯一敗北を喫していない者。
 二人が出頭要請に応じて身柄を拘束されてしまえば、先に捕縛された石田治部少輔と運命を共にする事はまず間違いない。
 「このような事態を想定していたからこそ、伊豆守さまは徳川に残られたのです。舅どのであられる美濃守さまのお力をお借りして…なりふり構わずお二方をお助けするために」
 「源三郎が……ならば案ずることはないかと思いますが」
 日頃から冷静な山手でも、ふと気を許したら失神してしまいそうな事態。だが義母がそうある事で、却って安岐は冷静でいられた。
 三人の判断が功を奏するかはまだ分からない。だが、生き長らえる可能性が最も高い判断であるのは安岐にも解った。
 「ご苦労さまでした。引き続きだんなさまを守ってください」
 「はっ」
 さて、自分達はどうするべきなのだろうか。まだ冷静でいられた頭で考えようとした時、安岐の頭の中を真っ先によぎったのは珠の顔だった。
 (……珠さまは、何故死ななければならなかったのでしょう……内府どのが、細川さまが勝ったといいますのに)
 あとほんの一日、報せが速く届いていれば。
 『恐怖心』と『平常心』は、常に円を描いて追いかけ合っているようなものだ。どちらかが先に輪から外れれば、残った感情を抑える者もなくなり暴走する。
 珠が何を思って死んだのかは憶測で語りたくないが、敗戦の将の家族としての恐怖を味わうのは安岐達になってしまった。珠が死を選ぶ必要などなかったのだ。
 無駄死にと世間に言われてはいるが、珠の死を無駄にはしたくない。
 (わたくしは……)
 残された時間は、もうほとんどない。数日のうちにも徳川の手の者が屋敷に詰めかける事だろう。
 (父が誇りを持って死んだのならば、わたくしだって徳川勝利の証として六条河原に晒されたくなどありませぬ)
 父は介錯させた首を絶対に徳川の手に渡らせるな…戦利品にさせるなと言い遺したと吉治は言っていた。自分も同じ考えだ。徳川の戦利品になどなりたくない。
 だが、どのように生きれば良い。安岐は迷った。
 出家して縁の寺に入ってしまうのは、いちばん楽な方法だった。俗世のあらゆる恐怖から解放され、静かに余生を送れるだろう。時が経てば還俗する事だって出来る。
けれど、それは違う。そうしたくない。
 (いかなる時も、夫婦は寄り添うもの)
 (真田は諦めぬ一族なのです)
 ふと、珠と義母の言葉が脳裏を駆ける。
 (だんなさまは、きっとまだ諦めていない筈。ならば、わたくしがするべきは、だんなさまに寄り添う事)
 「義母上さま。わたくしは参ります」
 安岐は山手を力づけるよう強く言い切った。
 「参るとは、一体どちらへ」
 「だんなさまが諦めていらっしゃらない限り、そのお気持ちに寄り添いとうございます……女人高野へ参ります」
 女人高野。紀州の九度山村。
かの弘法大師の母が、女人が立入りできない高野山の麓で少しでも我が子の側に居ようと寺を構えて暮らした村である。
 「少しでもだんな様の近くに居たいのです。諦めなければ必ず逢えると信じて、待ちとうございまする」


 関ヶ原の戦が決着してから半月後。
 関ヶ原での勝利を宣言するかのように、徳川家康は六条河原にて石田三成の首を撥ねた。
 安国寺恵瓊や小西行長といった、最後まで石田に味方した者も一緒であった。
 噂では真田安房守と左衛門佐父子も高野山から下ろされ連行されるのではと言われていたが、六条河原に彼らが引き立てられる事はついになかった。
 本多美濃守、そして真田信幸の助命嘆願が功を奏したのである。
 かわりに、真田父子は高野山の麓にある九度山村での蟄居生活を命じられた。
 命こそ助けられたが、『武士』の身分を取り上げられたのである。それは国衆から大名へと父子が着実に築き上げてきたものを根本から打ち崩すものであり、彼らにとっては社会的な『死』を与えられたのと同義であった。


 しかし、真田源次郎信繁は諦めなかった。
 貧しくとも、大名復活を願い続けた父が無念の死を遂げても、源次郎は家族とともに耐え抜いた。「その時」は必ず来ると希望を抱き続けて。
 やがて父の言葉どおりに豊臣秀頼と徳川家康の対立が決定的となった際、ふたたび豊臣家臣…左衛門佐として大坂城に入ったのだ。
 源次郎信繁にとっては、そこで初めて歴史の表舞台に立ったのである。
 征夷大将軍として怖いもの無しとなった徳川家康の歴史に汚点として残る『真田』の名を背負い、若かりし頃の家康を破った武田信玄ゆずりの赤備えを身にまとい、大坂冬の陣では『真田丸』という出城を築いてふたたび家康に悪夢をみさせた。
 その半年後。大坂夏の陣では、道明寺で伊達政宗を退けた翌日に家康の本陣へ向けて敵陣突破の突撃を敢行したのだ。
その猛攻たるや、一時は徳川家康に自害を決意させたといわれる。あるいは、自らの命と引き換えに実際に家康を討ち取っていたのではないかとも。
豊臣の一家臣としてではなく、百年にわたり続いた戦国の世に終止符を打った『日ノ本一の兵』真田信繁の名は、その人生の最期わずか二日で後世にまで語り継がれる英雄とまでのし上がったのだ。
 常人ならば心が折れてしまいそうな波乱の人生を支えたのは、妻や子の存在であった。
 日陰の暮らしの中でも温もりを分かち合うように寄り添い、ふたたび武士として立ちたいと思い悩んだ信繁の背を押し、ともに大坂へ入った家族たち。
皆が力を合わせて父や祖父の夢を後押ししたからこその『真田幸村』であることは、紛れもない事実である。
 儚い夢と言う者も居るかもしれない。だが、この世の生きる殆どの者は生涯かけても歴史に名を刻むことすら出来ないのだ。
 真田幸村が成し遂げたものを、ただの『夢』で終わらせられるものだろうか。


 元和二年。
 かつて桜湯をいただいた屋敷は、あの頃とまったく変わらなかった。
 始まりと終わりがぴたりとくっついた環の上を歩いて来たような感覚を抱きながら、安岐は木戸をくぐる。
 「いらっしゃい」
 庭先から客間に上がると、なつかしい顔がそこに居た。
 頭巾姿の上品な尼僧…寧は、母のような温かさをたたえた笑みで迎えてくれる。
 「ご無沙汰いたしました。寧さまにおかれましては、お変わりなくお過ごしのご様子で何よりでございます」
 「まあまあ。そんな杓子定規な挨拶など抜きにして、楽にしてちょうだい……あらまあ、可愛らしいお子だこと」
 寧は安岐の陰に隠れるようにして恥じらう少女を見てにっこりと微笑んだ。
 「母さま。こちらのお方は菩薩さまですか?」
 安岐の袖を掴んだ少女が訊ねる。
 「まあまあ、嬉しい事を言ってくれますのね。そう見えるかしら?」
 「おかね。こちらさまは高台院さまと仰って、亡き太閤殿下の奥方さまですよ」
 「たいこう…でんか?」
 「うふふ。太閤の名も、今は昔ね」
 「申し訳ございませぬ」
 「良いのですよ。時の移ろいとはそういうものです」
 寧は手慣れた仕草で茶を点てる。おかねと呼ばれた少女は軽やかに茶筅を繰る白い手先に見とれていた。
 「すべてが夢のまた夢となってしまった中、あなただけでも、よう生き延びてくれました」
 まずはおかねのために薄茶を点て、茶菓子として金平糖を出した。
 初めて見る南蛮菓子におかねが目を輝かせた姿を確かめて、寧は改めて安岐の方を向いた。
 「あの日……みなで桜湯をいただいた日から、二十年近く経ったのね……」
 「色々な事がありましたが、過ぎてみればあっという間でございました」
 「そうね。速すぎて、何もかもが幻みたい」
 髪に白いものが混じったから本当なのでしょうけれどね、と軽く微笑む寧に、安岐の表情もほぐれた。
 「蟄居生活では、さぞ苦労したでしょう」
 「苦労ばかりではありませんでしたわ。武器を置いただんなさまは大助と一緒に畑を耕し、わたくしは娘達とともに色とりどりの紐を編んで……貧しいけれど、そこには家族で一緒にいられる幸せがありました」
 ですが、と安岐は迷いがちに娘を見やった。
 「徳川の手に落ちるのを拒んで女人高野まで赴いたというのに、大坂でだんなさまの後を追うことだけが、わたくしにはどうしても出来ませんでした」
 「お子を守らねばなりませぬもの。それが正解ですよ。源次郎も、そう望んだのでしょう?」
 「はい……あの人の意思で、他の子はさるお方に託しました。ですが、この子だけはどうしても離れたくないと言ってこのまま……」
 その選択が正しかったのか、それとも今からでも珠のように身を処するべきなのか安岐は迷っている。そう勘づいた寧は、敢えておかねに微笑みかける。
 「あなたが母さまをこの世に引き留めてくださったのね。善い事をしました」
 「ひきとめる?」
 「今は分からなくていいのよ。神仏のお導きと覚えておきなさい」
 ね、と寧はおかねに微笑みかけ、ふたたび茶釜から湯を汲み、今度は濃茶を点て始める。
 「あくまで、わたくしの考えですけれどね……源次郎は戦国の世を終わらせるために生まれてきて、しかるべき時にその運命を全うした。傍観しか出来なかったわたくしですが、そう思えてなりませんの」
 「北政所さま……」
 「あなたも、そう思ったからこそ大坂行きを認めたのではなくて?」
 「……そうかもしれませぬ。本当は、もう戦だの武士の争いだのといったものとは無縁のまま、九度山で「ただの家族」のままで暮らしたかった。だんなさまも、家族が厭がるのならば誘いは断ると仰せでした。ですが……どうしてでしょうか、止めてはならぬという思いが勝ったのです」
 「それが源次郎に与えられた宿命を全うさせるための御仏のお考え、お導きだったのやもしれませぬね。あなたのように賢く、心強き者が妻として支え続けた事も含めて」
 「わたくしは源次郎さまの……だんなさまのお役に立てたのでしょうか」
 「危険から遠ざけるだけが内助の功ではありませぬ。正しき道を進むのに思い悩んでいたのなら、背を押すのもまた妻の務め。……若い頃のわたくしも、あの『はげねずみ』(寧がつけた豊臣秀吉の仇名)が弱腰になるたびに叱咤したものです」
 「北政所さまが、でございますか?」
「ええ。あの人、若い頃は戦に出る前の晩はまんじりともせず『怖い、怖い』と震えていたのよ。唐入りの際も、肥前(前線基地として秀吉が築いた名護屋城)から「寂しい」なんて弱音を文で寄越して……いつの間にか怖いもの知らずのように思われてしまいましたけれど、それはあの人の見栄。見栄でも嘘でも、陰でわたくしが叱咤しながらでも、太閤が太閤で居る事で天下泰平の世が得られるのならそれで良いと思っておりました……それが、わたくしの寄り添い方だったのかしらね」
 まるで母親がわりでしたわ。高台院はそれも悪くなかったという顔で昔を振り返る。
 「夫婦が寄り添う形といえば、珠のことを憶えているでしょう」
 「……はい。あの夜は恐ろしゅうございました」
「あの子があんな形で亡くなってしまうなんてね」
 細川家が焼け落ちた夜。
 人の心すべてを推し量ることなど出来ないが、夫の立場、世の動向、そして自らの信仰。それらが複雑に絡まり合った結果があの夜だったのだ。蟄居生活の中でも時折漏れ聞こえてくる時勢の中で、安岐なりに時間をかけてそう納得していた。
 「あの子も色々と板挟みになっていたものね。せめて話を聞いてあげたかったのだけれど、わたくしには『もう細川への愛はない』などと申して何も語らずじまい……でもそれは嘘だったのですよ」
 「?」
 関ヶ原で勝利した徳川家康によって豊前・豊後・小倉と九州の要所を任せられ、大大名の立場を盤石とした細川忠興。それは徳川に従い続けたから手に入れたと言っても過言ではなかった。
 その礎ともなった……石田三成の人質となる事を拒んで自害した珠の話は悲劇として語り継がれていた。
 徳川に楯突いた者、そしてキリシタンはこうなる運命なのだ、と幕府の脚色を加えられて。
だが安岐に源次郎との婚姻を勧めたり、寄り添うことの大切さを説いた珠の心根が、そのような単純な理由で死を選ぶ事はないと安岐は知っている。
 「愛がないのに夫の忠義を邪魔しないようにと自害する珠の心中は、わたくしにも理解できずにいました。ですが」
 寧の手が止まり、傍らにあった古い文箱を出してみせた。
 「屋敷が焼け落ちた後、逃げ延びた細川家の侍女からわたくしに文箱が届けられました。珠の望みだそうです」
 「珠さまから、でございますか?」
 「中には、細川どのが会津征伐の道中から珠宛てに差し出した文が一通だけ。夫婦で交わされた文を他人が読むことは憚られますから、結局手つかずのままこうして預かっているのですよ」
 「……」
 読まずとも、経緯から内容を推し量ることができるものね。そう寧は打ち明けた。
 「かわりに侍女から話を聞きました。珠は、細川どのが迷うておられるのを知っていたのです。足利将軍家に見切りをつけ、織田と対峙した明智を見放し、明智を討った家に従った細川家は、また忠義を捨てて勝者につくのかと悩んでいた。その心中を汲んでいたから離縁を願い出たり、何か糸口を探そうとデウスに傾倒してみたり……親の代から譲り受けた名門細川の名と、明智どのへの贖罪の意、珠への思い……それらに潰されそうだった細川どのが自分の意思で立ち回れるように。そう考えた末に自分から去ったのです」
 不器用だとは思いませぬか、と寧は寂しげな顔をした。けっして珠を憐れんでいない、むしろ羨ましそうな表情でもあった。
 「悲しい出来事でしたが、心の奥で夫に寄り添い、誰よりも夫を理解していたからこその行いだった。わたくしは、そう思います」
 「だんなさまに寄り添う形は、一つではないのですね。まして正解など、誰にも分からないものなの……終わってみなければ分からぬ戦のようでございまする」
 「そうね。大きくなりすぎた殿下から逃れたわたくし、心は寄り添っていたけれど言葉でわかり合えなかった珠どの、そして死地へ赴く夫の背を押したあなた……おなごの生き様もまた、戦国の世と同じくらい苛烈だったのですわ。夫婦の形だけ寄り添う姿があった……わたくし達は、一体何に抗っていたのでしょうね」
 「……抗ったからこそ、今の穏やかさがあるのではないかと思います。わたくしも、何度もだんなさまを引き留めようと思いました。ですが、だんなさまの生き方を止めなくて…これで良かったのだと思う瞬間もあるのです。何もせずただ流されていたら、きっと無念しか残らなかったことでしょう」
 安岐の言葉に、寧は一瞬目を見開いた。そしてすぐに大きく頷く。
 「そうね。従容として従う運命など、少なくともあなたや珠、わたくしには到底出来ない事でした。だからこそ悔いが残らなかったのでしょうね」
 ほほほ、と笑った寧は茶筅を上向け、茶碗を差し出した。ひとつは安岐に、そしてひとつは空いたままの席に。
 「さあ、あがってちょうだい。こちらは珠の分。二十年ぶりの茶話会をいたしましょう」

 戦の世で死んだ武士の数だけ、妻が居る。
 歴史に名を残した武士は少なからず居るが、その妻や子といった女のほとんどは本名不詳だ。文献には『女』としか記されていない彼女たちの俗名が複数存在するのは、後世の者が、彼の者の墓碑と思われる石に刻まれた法名から『法則』に従って推測したからである。
 けれど、たしかに彼女たちは戦う夫に寄り添い、支え、背を押し、ときに後を追った。
 夫と同じように、泰平の世を願いながら。
 そして、寧や安岐が望む形とは違うとはいえ、望んだ世が訪れた中で。
 死んだ者達が望んだように、想い合う夫婦が何も思い悩むことなく寄り添いあえる時代が、今度こそ来るのだろうか。
 それとも。
 天下人だった男の妻、そして日ノ本一の兵の妻は、想像する事すらできない未来への祈りとも羨望とも分からぬ感情を、今はただ飲み干した。

 願いが叶うのならば、子供たちには自分が桜湯を出された頃の気持ちのままであってほしい。
 おかねにも、遠い国に赴いた娘達にも。
 何に抗う必要もなく、ただ純粋な心で夫に寄り添う生涯を送ってほしい。

 「ねえ」
 寧が問うた。
 「もしも泰平の世で…輪廻の先で出逢うことが出来たら、また添い遂げようと思う?」
 安岐は迷わず頷く。
 「勿論ですわ。だんなさまは『日ノ本一の夫』でしたもの」
 「ほほほ。実はわたくしも同じ事を思うておりました。日ノ本一とは言い難いけれど…たとえ『はげねずみ』であっても」
 「まあ」
 その瞬間、楽しげに笑う二人の傍らに置かれた珠の茶の表面が、二人に呼応するかのように揺らいだようだった。

(おわり)


あとがき
もしも寧々(本文中では『寧』)・細川珠(ガラシャ)・竹林院(真田信繁正室)が仲良しだったら…という設定で書きました。
竹林院は大谷刑部の娘として寧々と面識があったかもしれませんし、細川忠興は親の代から秀吉を知っている筈ですし、ない事はないかもしれないな、と思います。そして面識があるからには仲良しさんでいて欲しいとも。

天下を極めた夫、どのように言われても家のために立ち回らざるを得なかった夫、そして同じく何を言われようとも信じるものを貫き通した夫。
それぞれを支え、寄り添う妻の形は、武士の妻の生き方を象徴しているように思います。
いずれも幸せとは言い難く、終わってみれば時代の環の上を巡っていた妻達ではありますが、その生き方を選ぶと決めた心の中には、もしかりたら夫よりも強い意志と理解力があったのかもしれません。


2021.10 有堂 臨

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