第1話
文字数 1,978文字
16歳の頃何を考えていたかなんて全く思い出せなかった。
私は妄想の中に安らぎを見出すタイプだったような気もするし、隣の男の子に消しゴムのカスでも投げていたような気もする。
とにかく、今、脈絡なくどうでもいいことを考えているのは目の前のこの状況から少しでも現実逃避したいが為だった。
「やっぱり君、春子さんだよね?」
違いますなんて、何度言ってもこの男は引き下がらない。
「絶対そうだよ、だって僕君のことオカズにして毎晩お世話になってたんだから」
「見間違えるわけないんだ」
やたらと自信たっぷりに目の前の男がそう言う。掛けたメガネは油まみれ。ワイシャツもズボンも全くサイズが合っておらずボタンが悲鳴を上げそうなくらい生地が引き延ばされていた。
彼はラーメンでも食べて来た後のような口臭をぷんぷんさせながら、会った瞬間から1人で喋り続けていた。
「ねえ、こんな所で働くのってどんな気分なの?」
この男まるで深刻な話でもするような顔で私を覗き込んだ。無意識に私はミニスカートの裾を両手で抑えた。大きく会いた胸元に視線が向けられることには、もうだいぶ昔に慣れていた。
「僕たちももう26だし、いい大人だからどんな事情があるかなんて野暮な事は聞かないけどサ」
「とにかくこれ、受け取ってよ」
折り皺がぐちゃぐちゃの札を突き出された。
「今日はどのコースにしますか?」
「春子ちゃん特別コースで…なんちゃってー」
ガタガタの歯を見せつけるように大口を開けて笑っている。
「なんでそんな他人行儀なのー、僕たち同級生でしょ。仲良くしようよ」
じろりと、舐めるような視線を感じた。
「僕が毎晩想像してたより、胸おっきいんだ」
「あーあ、あの頃の性欲と体力が今でもあればなー。春子ちゃんのこと本当に満足させられたと思うんだけど」
「でもま、お互い歳をとったということで」
「君も、そろそろ熟女のお店に行く頃なんじゃないの?」
「相変わらず綺麗だけどさ。でも俺熟女も好みなんだよなー。熟し過ぎは無理だけど」
「…ね、俺喋り過ぎ?」
「コースの時間始まってます」
「えー、うそー。春子ちゃんのケチ」
爪の間に黒いカスが溜まった手が私の頭に触れた。
「わー髪サラサラー。やっぱり高級店の女は違うねぇ」
「ねぇ、春子ちゃんみて。こんなに大きくなっちゃった」
「髪の毛触っただけなのにさ」
股間の盛り上がりを見せるように、男がのそっと立ち上がる。
とにかく私に言えるのは、16歳の少女だったらこんな状況で震えながら全身に鳴り響く心臓の音だけを聞いていただろうという事。
時は流れて、人は慣れを知る。
人から与えられることや奪われることに慣れていくものだ。
私は微笑んだ。
「大きいの好きですよ、元気なんですね…鈴木さん?」
「あ、それ偽名だから。僕の名前、覚えてくれてたりしないよね?」
ああ。またこの繰り返し。
永遠にリピートされていく毎日。
あの頃は、明日には明後日には何か新鮮で胸が高鳴るような事が待ち受けているんだろうなんて思ってた。
「ごめんなさい、記憶力悪くて」
どんな状況が自分が取り巻いていたとしても、それが平凡だと思い込む能力を手に入れる。
それが大人になるということ。
「黒木裕太だよ」
ああそっか。
思い出したよ。
「痩せてたよね?裕太くんって」
「えっ、思い出してくれたの?」
「はい」
「そういえば、私、その声が死ぬほど嫌いだったんです」
黒木は目玉をぎょろりと何度か回した。大きな顔がどんどん赤くなっていく。
「ねえ、黒木さん。裕太くんって呼んでもいいですか?」
私は椅子に腰掛ける彼の足の間に跪いて、ぱんぱんに膨れ上がった太ももに手を添えた。
「えっと…、ああ、うん。たぶん」
彼の動揺が感じ取れる。私はまだ存在感を示し続けているその股間に触れた。
「裕太くん、ここ舐めてもいいですか?」
16歳の頃、私はこの世界に足を踏み入れた。
そして、17歳になる前に学んだことがある。
吐き気がするようなこの感情を覆い隠す為には、笑顔で自分の魂を叩き潰すしかない。
感情を表に出していいのは一部の恵まれた人々の特権だ。
私はほんの少し、大人になるのが早い子どもだったのかもしれない。
ぶよぶよの肉が打ち付けられるような、そんな音が私の下で鳴っている。
彼のお腹で身体がバウンドして、まるでトランポリンにでも乗っているよう。
狂ったように跳ね続ける。
鼻にかかった甘い声を何度も何度も不規則に出し続ける。
いつまでこうしていれば終わるのだろうか。
永遠に終わらないコメディーの舞台にでも立っているようなこの気分は。
汗まみれの黒木が、獣が車にでも押し潰された時みたいな声を出した。
「長年の願いが叶ったよ」
私は、彼の太くて短い首に手をかけた。
「それは素敵ね」
16歳から変わっていない事がある。
それはこいつの声が死ぬほど嫌いだ、いうこと。
それから、魂が潰される度にわたしは誰かを殺したくなるということ。
私は妄想の中に安らぎを見出すタイプだったような気もするし、隣の男の子に消しゴムのカスでも投げていたような気もする。
とにかく、今、脈絡なくどうでもいいことを考えているのは目の前のこの状況から少しでも現実逃避したいが為だった。
「やっぱり君、春子さんだよね?」
違いますなんて、何度言ってもこの男は引き下がらない。
「絶対そうだよ、だって僕君のことオカズにして毎晩お世話になってたんだから」
「見間違えるわけないんだ」
やたらと自信たっぷりに目の前の男がそう言う。掛けたメガネは油まみれ。ワイシャツもズボンも全くサイズが合っておらずボタンが悲鳴を上げそうなくらい生地が引き延ばされていた。
彼はラーメンでも食べて来た後のような口臭をぷんぷんさせながら、会った瞬間から1人で喋り続けていた。
「ねえ、こんな所で働くのってどんな気分なの?」
この男まるで深刻な話でもするような顔で私を覗き込んだ。無意識に私はミニスカートの裾を両手で抑えた。大きく会いた胸元に視線が向けられることには、もうだいぶ昔に慣れていた。
「僕たちももう26だし、いい大人だからどんな事情があるかなんて野暮な事は聞かないけどサ」
「とにかくこれ、受け取ってよ」
折り皺がぐちゃぐちゃの札を突き出された。
「今日はどのコースにしますか?」
「春子ちゃん特別コースで…なんちゃってー」
ガタガタの歯を見せつけるように大口を開けて笑っている。
「なんでそんな他人行儀なのー、僕たち同級生でしょ。仲良くしようよ」
じろりと、舐めるような視線を感じた。
「僕が毎晩想像してたより、胸おっきいんだ」
「あーあ、あの頃の性欲と体力が今でもあればなー。春子ちゃんのこと本当に満足させられたと思うんだけど」
「でもま、お互い歳をとったということで」
「君も、そろそろ熟女のお店に行く頃なんじゃないの?」
「相変わらず綺麗だけどさ。でも俺熟女も好みなんだよなー。熟し過ぎは無理だけど」
「…ね、俺喋り過ぎ?」
「コースの時間始まってます」
「えー、うそー。春子ちゃんのケチ」
爪の間に黒いカスが溜まった手が私の頭に触れた。
「わー髪サラサラー。やっぱり高級店の女は違うねぇ」
「ねぇ、春子ちゃんみて。こんなに大きくなっちゃった」
「髪の毛触っただけなのにさ」
股間の盛り上がりを見せるように、男がのそっと立ち上がる。
とにかく私に言えるのは、16歳の少女だったらこんな状況で震えながら全身に鳴り響く心臓の音だけを聞いていただろうという事。
時は流れて、人は慣れを知る。
人から与えられることや奪われることに慣れていくものだ。
私は微笑んだ。
「大きいの好きですよ、元気なんですね…鈴木さん?」
「あ、それ偽名だから。僕の名前、覚えてくれてたりしないよね?」
ああ。またこの繰り返し。
永遠にリピートされていく毎日。
あの頃は、明日には明後日には何か新鮮で胸が高鳴るような事が待ち受けているんだろうなんて思ってた。
「ごめんなさい、記憶力悪くて」
どんな状況が自分が取り巻いていたとしても、それが平凡だと思い込む能力を手に入れる。
それが大人になるということ。
「黒木裕太だよ」
ああそっか。
思い出したよ。
「痩せてたよね?裕太くんって」
「えっ、思い出してくれたの?」
「はい」
「そういえば、私、その声が死ぬほど嫌いだったんです」
黒木は目玉をぎょろりと何度か回した。大きな顔がどんどん赤くなっていく。
「ねえ、黒木さん。裕太くんって呼んでもいいですか?」
私は椅子に腰掛ける彼の足の間に跪いて、ぱんぱんに膨れ上がった太ももに手を添えた。
「えっと…、ああ、うん。たぶん」
彼の動揺が感じ取れる。私はまだ存在感を示し続けているその股間に触れた。
「裕太くん、ここ舐めてもいいですか?」
16歳の頃、私はこの世界に足を踏み入れた。
そして、17歳になる前に学んだことがある。
吐き気がするようなこの感情を覆い隠す為には、笑顔で自分の魂を叩き潰すしかない。
感情を表に出していいのは一部の恵まれた人々の特権だ。
私はほんの少し、大人になるのが早い子どもだったのかもしれない。
ぶよぶよの肉が打ち付けられるような、そんな音が私の下で鳴っている。
彼のお腹で身体がバウンドして、まるでトランポリンにでも乗っているよう。
狂ったように跳ね続ける。
鼻にかかった甘い声を何度も何度も不規則に出し続ける。
いつまでこうしていれば終わるのだろうか。
永遠に終わらないコメディーの舞台にでも立っているようなこの気分は。
汗まみれの黒木が、獣が車にでも押し潰された時みたいな声を出した。
「長年の願いが叶ったよ」
私は、彼の太くて短い首に手をかけた。
「それは素敵ね」
16歳から変わっていない事がある。
それはこいつの声が死ぬほど嫌いだ、いうこと。
それから、魂が潰される度にわたしは誰かを殺したくなるということ。