第1話

文字数 3,315文字


 私、花里帆乃香は夕方、強い西日の差し込む自宅のリビングで帰宅早々に地元のニュースを一人で見ていた。キッチンでは母が魚の煮つけを作っている。甘く、つんとした醬油の香りと、魚の磯の香りがゆるりと部屋に流れていた。

 いつもならなんて事のない日常。でも最近は違った。
普段ニュースなど全く見ない私が高校から帰宅後、すぐに情報番組を見るようになった。夜にはニュース動画を漁って、朝には新聞を読むようになった。ただひとつの記事だけをずっと追っている。

 それは数週間前にこの広島にある河風市内から高校1年生の少年が忽然と姿を消したことから始まった習慣。いつも平和だった河風町内は、その出来事でもちきり。街中の至る人が神隠しだの、誘拐だの色々と騒がれているのを私はただただ不安を感じながら聞いていた。

 ピロン、と突然機械的で甲高い音がスマートフォンが着信を知らせる。

━また来た。あいつからだ。

 皆水ルイ。それが私の幼馴染。同い年だが幼稚園のころから家族というか、兄弟のような関係で育ってきたので、お互い気心知れた関係だった。
小学までは毎日一緒に遊んでいたけど、中学に入れば距離を取るのかと思った。私もルイの友達に変な勘違いをされるのではと思い、知らない他人同士でいようとしたこともあった。でもそんな気遣いは不要だったみたいで、ルイは学校帰りや休みの日にいつもどおり学校のテストのことや部活のこと、気になっている女の子のこと、なんでも私に話した。相手にされなくなると思っていたので拍子抜けしてしまったほど、ルイは変わらず私と接してくれた。
だからこそ、私も同じように接した。小さな頃からなんでも話せる友人のようで、欠けてはいけない家族のよう。今でもそれは変わらない。ルイは自分にとって親友であり、家族だ。

 私は重い腰を上げてソファに離れ、机に無造作に置かれたスマートフォンをいつものように起動させた。

"やほー。そっちはどんなかんじ?"

”ルイが消えたことでみんな大騒ぎしてる”

私は改めてニュースに顔を戻す。画面に映った男子高校生の名前。「皆水ルイ」河風町から姿を消した学生とは、現在メッセージを交わしているルイのことだった。

”そうか。そりゃもどったら面倒くさそうだな”

最初はもう驚いた。前触れもなくルイがいなくなって数日が経って、もう二度と会えないのではと心底悲しみに打ちひしがれていた矢先、突然いつもの様子でメッセージが届いたのだから。それから数日、ルイとはこうしてメッセージを交わしている。

こうやってメッセージが来るたび警察に知らせるべきか、迷っていた。もしかしたらこのルイは本人を偽っている犯罪者かもしれない。誘拐犯がメッセージを送っているのでは?そんな思考が頭を巡る。以前から何度も聞こうとした「今どこにいるの?」と文字。それを打とうとする前に、スマートフォンが再度震えた。

”帆乃香、俺のことは誰にも言わなくていいから”

その言葉は、初めてメッセージをもらったときからずっと言われ続けてきた。私が目を通すと、同時再生されるように違和感なくルイの声に聞こえる。間違いない。これはルイが送っているのだと思う。

”どうして?みんなルイを心配してるよ。おばさんだって泣いてたし。はやくもどってきなよ”

”そうもいかないのよ。うまく説明できねー。っていうかそろそろ無理そうだから言っとく”

”帆乃香、助けてほしい”

 「助けてほしい」はルイが宿題を見せてほしいときには何度か言われたセリフだ。でも、以前のように軽く感じることができなかった。やはり何かに巻き込まれているのだ。─警察に電話しよう。度々迷っていた気持ちが再び強く湧いて出る。ダイヤルキーを開くためにホームボタンをタップしようとしたとき、見逃せない文字を見て、私はつい凝視した。

”帆乃香のおじさんに、電子粒子水槽っていえばわかると思う”
”お父さん?電子粒子?なにそれ”
”俺の役目を押し付けてごめん。もう充電ないから。じゃあ頼む”

 それきり私が何を送ってもルイからの返信は来なかった。
私は完全に混乱している。警察に電話しようとしたのに自分の父親が出た途端、その行動はいったん留まった。

 私の父は、いわゆる研究者だった。何故か川や海が好きで敷地内に丈夫なガレージのようなものを建てていっぱい水槽を置いている。でかい貯水タンクもどかどか置いていて近所じゃ有名だ。母に聞いても「海とか研究してるのよ」なんて言って結局なにをしているかさっぱりわからない。ただ、変わり者の父にずっと呆れていた。子供にとっては親の仕事のことなど、あまり興味がない。というか変わりすぎててそもそも理解できないのだ。

 今日は父は出張ではなく、自宅にいた。きっと今もガレージに引きこもっているのだろうと思う。「電子粒子水槽」…液晶に表示された見慣れない単語を見つめる。そんなものはもちろん聞いたことがない。普段は興味も出ないが、今はルイが助けを求めているのだ。わたしは勢いよくがばりと起き上がり、急いで大股で玄関へと出た。母親のきょとんとした声が聞こえる。

「帆乃香、どこいくのー?」
「父さんの箱部屋!」
「制服ぐらい着替えてったら?」

あとから着替える!なんて言葉もいう余裕はない。私は外に出て隣のガレージへと向かう。とつぜん西日に照らされて私は目を細めた。

 開きっぱなしのガレージ。不用心だと思いながら私は中へ入っていくと途端に暗く静かになる。ごぼごぼという水が泡を吹く低い音…ごうんごうんと唸るなにかの機械の音。青い照明に照らされた幾つもの巨大な水槽。ルイの言っていた電子粒子水槽はどれだろう?
 固く塗られたコンクリートの床を蹴りながら奥へ進むと、蛍光灯の明かりがぽつんとあった。そこには深く項垂れた崩れ落ちている父が照らされている。手には最新のスマートフォンを持っていた。

「なんてことだ。ルイ君…あぁ…」

いつも変なことを言ってはいるけど、あきらかに普段と違う。父は研究のことになるとイキイキとしていたけど、それ以外は無口で淡々としていただけに、こんな風に感情をむき出して崩れ落ちている父は珍しい。

「父さん」
「帆乃香…。どうした」
「えっと、電子粒子水槽?のことを聞きたくて」

電子粒子水槽、と聞いた途端、父の目が吊り上がる。体を起こし、私の肩を痛いほどつかんで私をにらんだ。その目は涙で赤くなり、潤んでいた。

「どこでそれを?…そうかルイに言われたんだな!!」
「やっぱり!ルイはどこかにいるの!?」
「もういない。彼は消えたんだっ!!」

消えた。怒号する父からそんな言葉を聞いて、私はますます怪しいと思った。間違いない。ルイの行方を父は知っているのだ。私はあたりを見回す。どこかにルイがいるのではないかと目を凝らした。

”…こだ”

「…?」

”ここだ…帆乃香”

ぼんやりとガレージ全体から声がする。途端に一番奥の広い水槽がぼんやりとアクア色に光った。そこに、ルイの姿が見えた気がした。私は父を押しのけその水槽へと駆ける。異常に大きな水槽の前には飛び込めそうな踏み台があった。その前でリズムよく私は踏み台をのぼり、力強く蹴り上げ足から全力でその水槽に飛び込む。…脚力には自信があったのだ。

 叫ぶ父の声が聞こえた気がした。大きな水しぶきとともに私は水槽へと沈んでいく。深く深く。底のない水槽へと沈んでいく。

不思議と苦しくなかった。水中であることを忘れるぐらいに。ちいさな粒子が、沈むごとに多くなっていく。まるで水中を泳ぐ蛍のように。灯が大きくなっては小さく消えていく。やがてあたりのすべてがまばゆくなり、私は光に包まれた。頭がぼうっとする。

 しばらくすると、突然の強風が私にまとった水を鋭く払った。肌に風を感じ、びゅうびゅうとなる音を感じながら目を閉じた瞼を開く。
 私の目に映ったのは、みたこともない─強いて言えば昔見たSFアニメの…未来のような巨大都市だった。

ここに…ルイがいるの?

見たこともない景色に、私は唖然とする。
そうして私は親友を助けるためにこの水底に広がる道のワールドを渡り歩くことになるのだった。

水底のバーチャルより 1話…完







ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み