第1話

文字数 4,802文字

「王よ。彼をお許しください」
 そう言って地面に這いつくばって懇願する兵士の男をみて、王は立ち上がり無慈悲にもその頭を蹴り上げた。
「うるさい。余はあいつを殺す、そう決めたんだ。

は下民という身分でありながら、その汚らしい手で余に触れた。決して許されないことだ」
 王は普段から愛用している虐殺を楽しむための棍棒を手に取り、またしても邪魔な兵士の男を蹴り飛ばして、その後ろですでに息が絶えそうなほどに弱った下民の男のもとへ歩み寄った。
「なんだ

は、まだ生きているのか。余は今、

と同じ空気を吸っているというのか。ああ、なんと嘆かわしい。

は本当に汚らわしい虫けらだ」
 王は下民の男の喉のあたりを棍棒で押さえつけ気管を塞いだ。下民の男の苦しそうに声にならない声をあげて何とか棍棒から逃れようともがく。どうにか逃れたところで、またしても王は押さえつける。まるでゲームでも楽しむように。しばらくして王は飽きたのかそれを止めて、下民の男の顔を踏みつけた。部屋の中では下民の男の必死な呼吸音だけが弱弱しく鳴っている。
「いまだ呼吸を続けるとは、もはや死んだほうが楽だというのに。本能には抗えないのか? ハハハ。そのしぶとさ、己の本能に打ち勝つことのできない野蛮さ。やはり虫けらと例えた余の比喩は正しいな!」
 周りで仕えている兵たちに問いかける。彼らは乾いた笑いを口から絞り出した。それで気分を良くしたのか、王は体をのけぞらしながら大きく笑い、下民の男の足を執拗に殴った。骨が砕けるような鈍い音と、下民の男の痛々しいうめき声、そして王の笑い声が響く。
「王よ! どうか、どうか……!」
 そう言いながら兵士の男は下民の男に覆いかぶさってかばい、棍棒に打たれた。それによって王の手はいったん止まった。兵士の男は、目を強く閉じ激痛を歯を食いしばりながら堪えて、
「王、よ。どうか、彼を、お許しください」
 再度、訴えた。王は怒りをあらわにして、
「貴様、余に逆らうというのかっ!」
 と兵士を棍棒で思いっきり殴りつけた。吹き飛ばされた彼の腕は、ありえないほうに曲がっていた。それをみて怒りが収まったのか、王はスッと無表情になり、それから嫌な笑みを浮かべた。そして腕を抑えてうずくまる兵士に歩み寄り、彼の髪をつかんで、
「だったら、選べ。貴様の命と

の命。どちらかだけを助けてやる」
 兵士の男の、望みが絶たれたような表情——人はそれを『絶望』という——を見て嬉しそうに彼の顔面を殴りつけた後、天を仰ぎながら、
「ああ、なんとも今日の余は——もちろん、いつだってそうだがな——

冴えている! 貴様は自分の命を捨ててまで

を助ける美しい覚悟を見せつけるのか! それとも己が身可愛さに負けて惨めに、醜い臆病を晒すのか! どちらにせよ最高の余興だ! 素晴らしい! 素晴らしいぞ!」
 王は狂ったように笑う。
「王よ」
 その声は狂った室内を一閃した。誰もが振り返り、彼の方を見た。
「わたくしにお任せいただければその余興、さらに良いものにいたしましょう」
 静かに告げた彼は、若くして王の側近まで昇りつめた優秀な男だった。王も全幅の信頼をその側近の男に寄せていたほどであった。
「ほう、すでに最高であるというのに、さらに上があると?」
 心底愉快そうに、王は訊いた。
「はい」
「ならば訊こう」
「ありがたき幸せでございます。まず、非常に心苦しいことではありますが、わたくしも王に力を認められるまでは賤しい身分でありました故に、偶然にもこの二人の男と古馴染みであります」
「ほう、それで?」
「わたくしは王の逆鱗に触れてしまいましたその汚らしい下民の男と今、数十年ぶりの再会をいたしました。またそこの兵士の男も王廷内でたまに顔を合わせる程度。おそらく二度と会話を交わすことはないはずでした。しかしです。そんな我々三人が今この瞬間にこの場に居合わせるようなこと、まさに奇跡といっても過言ではありません!」
「そうか……。それにしてもおぬしは話が上手い。余を焦らすではないか。悪くないが、気になって仕方がない。早くおぬしの提案を聞かせてくれ」
「はい、いまにも口にしましょう。わたくしの提案とは、彼らのどちらかの処刑に当たって、執行人をわたくしにまかせていただきたいということです」
「その真意はなんだ?」
「彼ら二人は出会ったころからずっと、わたくしのことを心から信頼しております。もしそのわたくしが彼らの命を無慈悲にも奪ったならば、それはきっと

素晴らしい余興になるとは思いませんか?」
 そう言いながら、側近の男は王は目をカッと開き、
「なんということだ」
 頭を抱えて膝から落ちたかと思うと、服が汚れることなどまるで気にならないように床に大の字に寝転がり、王は人生で一番と思われるほど笑った。
「おぬしは、本当に天才だ! こんなこと、余では決して思いつかないことであった! なるほど、なるほど、なるほど! そんな手があったというのか! これでこそ最高の余興である! 劇場で催される芝居なんて目にないほどの、本物の絶望を味わえる!」
 誰もが俯くなかで、側近の男だけが王と共に大いに笑った。
 王は笑い終わると死にかけている下民の男と意識を飛ばしながらも未だ王に許しを訴える兵士の男を治療するように指示した。
「まだ死なれては困るからな」
 ニヤリと笑い自室へと引き上げていった。

 それから数十分たった頃、王は側近の男を自室に呼び出した。
「失礼いたします」
「おお、来たか」
「何か御用でございますか?」
「ああ、余はおぬしのような頭がいい男が側近にいてなんとも愉快だ。先ほどもなんとも素晴らしい提案であった。故に何でも褒美を取らせよう。欲しいものをなんでも言え」
「そのようなもの、我が身に余ります」
 謙虚な低姿勢で、側近の男は王の前にひざまずいた。その姿がますます王の心を満たしてゆく。
「いいのだ。余が直々におぬしの我がままを何でも許そう」
「そうおっしゃっていただけるのならば……」
 側近の男は重苦しい口を開いていった。
「わたくし、彼らとは古馴染みと申しましたが、つまり彼らの家族とも馴染みがあるのです。それにあたって懸念されるのが、どちらかを殺しその後わたくしその報告に故郷に帰った際に、わたくし自身が殺されてしまうかもしれないということであります」
「自ら報告に行く? そのようなこと、別におぬし自身がしなくてもよいではないか?」
「王よ。わたくしはこれでも清廉潔白な騎士の身。彼らがいかに賤しい身分であろうと、わたくしは彼らに立派に育てられました。その恩を決して忘れてはいません。彼らの大切な子の命を奪ってしまったのならば、ましてや王の勅命とあれば後ろめたいことはございませんから、それを自らの言葉にせずにはいられません」
「ふむ。おぬしらしい一本筋の通った在り方である。なるほど。おぬしの気持ちは理解した。しかし王の勅命とあれば、それらもおぬしを許すはずであるだろう。いや、むしろ余の興になったことを誇らしく感じるであろう!」
 今日の王はほんとうによく笑う。よっぽど気分がいいのだろう。
「しかしながら、王もご存じである通り、彼らは賤しい身分の者たち。王の高尚なお考えが理解できるとは到底思えません。わたくしがいかに言葉に尽くしたところで彼らには理性がありませんから、せがれの死だけを理解し怒りという感情に身をまかせて逆上し、わたくしのことを殺そうとするだろうと考えられます。その時、わたくしは抵抗する気はございませんので、無残にも殺されてしまうでしょう」
「ほう。確かにそうかもしれん。余もやつらの考えがまるでわからんからな。それで、おぬしはどうしたい?」
「免罪符をいただきたいのです」
「免罪符? なにに使うのだ?」
「あの二人のどちらかを殺すことを許す、というものです」
「そんなものなくても、余はおぬしを罰しなどしない」
「ありがとうございます。しかし、この免罪符があれば民衆たちに、つまり賤しい身分である彼らの家族に、はっきりと王の勅命であったことをありのままに示せるのです。すなわち、王の直筆の免罪符は王の圧倒的な威光とその意思をまざまざと見せつけ、その事実——下民の男又は兵士の男の死——を、理性を越えた先にある彼らの感性へと直接訴えかけることを簡単にするでしょう。そうすれば彼らははっきりと理解してくれるはずです。

は誇らしいことだったのだと。それでもなお、彼らがわたくしを殺そうとするのならば、それは王への反逆です。その時は彼らを切って捨てましょう」
 側近の男は珍しく興奮した様子で、早口にまくしたてるように言った。王は興奮冷めやらなかったので、うまく側近の男の披露する論理を整理することができなかった。しかし、側近の男に絶対の信頼を置いていたため、間違いないと思い、
「わかった。ならば書くとしよう」
 そうすることにした。王は用を終えたので、側近の男に退室を許可しようとしたが、
「今のうちに書かれてはどうでしょう?」
 側近の男が、口を開いた。
「なぜだ?」
「王は、当日に書く気ではございませんか? しかし当日には、興奮できっと筆など執る余裕はございませんでしょうし、何より興がそがれてしまうのではありませんか? わたくしは王に極上の絶望を味わっていただきたいのです」
「それはそうかもしれんな。うむ。そうしよう」
 筆と紙を取り出して、早速書き始めた。
「ふむ。なんと書こうか」
「このようなのはどうでしょう? 
  『王の勅命により、_____________を殺した罪を免除する』
 このように処刑の対象者の部分を空白にしておけば、どちらを殺すか決まっていない今に書こうとも便宜が図れます」
「おお。それはなんとも柔軟な発想だ。ならば処刑日も空白にしておこう」
 王は免罪対象者の欄に側近の男の名を書き込み、最後に自らのサインを大きく描いてから王印を押した。
「これでよいか?」
 王は側近の男に見せつける。
「結構でございます」
 そう言って側近の男は、またしてもひざまずいた。
「わたくしのために大いなる手間の数々、ありがとうございます」
「よい。このようなものおぬしへの褒美にもならん」
「いいえ。わたくしは王からあまりに多くのものをいただき過ぎました」
「まだいうか。謙遜は過ぎると不快になる」
「それはそれは、失礼いたしました。しかしこれは謙遜ではございません。わたくしの真の望み、はたまた亡き父と兄の悲願、はたまた故郷の友たちの切望、そして全て民の願い——それが今にも達成されようとしているのですから!」
「ほう。おぬしにとって、その免罪符はそれほどに大きな価値があったのか」
「さようでございます」
「それで、おぬしの真の望みとは何なのだ?」
「すぐにも理解できるでしょう。さすればきっと、お悦びになられるはずです」
「そうか! ならば楽しみに待つとしよう」
「そのようなことよりも大切なことがございます。わたくしは王からいただき過ぎた分を今すぐにお返ししなければならないのです」
「今すぐにか? 別によいと言っておるだろう」
「いえ、これで最期でありますから」
「最後?」
「王は、絶望が何よりもお好きだと伺いました」
「ああ、言わずもがなだ。おぬしの余興、大変楽しみにしている」
「わたくしも楽しみであります」
「は?」
「どうぞ————」
「おぬし、なにを……」

「——極上の絶望のお味はいかがでございましょう?」
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