第1話 ペンギン書店の魔女

文字数 1,996文字

 一昔前とは、諸説あるが、干支一回り分の感覚ではないだろうか。
閉店後、入口の施錠をして、ガラスに映った"ペンギン書店"とHG創英角ポップ体で店名が印刷されたエプロン姿の自分を見つめる。
ペンギンのキャラクターが三日月に腰掛けて本を読んでいるデザインのエプロンだ。
真所四季子(しんじょしきこ)は一昔前に、店長になった。
そして、三昔前にこの店舗は建てられた。
当時の日本はよく言われるように金回りの良い時代。
企業や省庁が金にあかせてリゾート施設や商業施設や公共施設の箱物を作ったものだ。
書店もその傾向があり、この大型書店はその生き残り。
県内に20店舗あった支店を次々畳み、最終的に本社があった自社物件を売却し、本社が支店に移って来た。
昔は海外にも店があったんだけどね、と言うとアルバイトの若い学生は皆驚く。
今は亡きボンボン社長の失策と内外から笑い種だが。
失策でなんかあるものか。
出店先は駐在日本人や日系人が多い都市。
自国の言語や文化に飢えた事がない人間にはわからないだろう。
異国で出会う故郷の懐かしい文字のたった一文にすら満たされ癒され、泣いた事が無ければ。
四季子は学生の頃の数年間を海外で過ごした事がある。
最初は全てが物珍しく楽しかったが、しばらくすると不安に苛まれて引きこもった。
いわゆるホームシック。
その時、街中でたまたまこの書店の支店と出会ったのだ。
何で地元のペンギン書店がこんな所にと驚いたが、日本人の店長との会話や、日本語の雑誌や本にどれだけ救われたか。
帰国して東京の会社に就職したが、10年程で退職し、地元に戻って来た。
なんとなくペンギン書店を訪れて、バイト募集のチラシを見つけて当時の店長と面接し、翌日初出勤してみたらなぜか社員になっていた。
あの頃は、レジには会計を待つ客がズラリと列をなし、毎朝、問屋からダン箱で山積みに届く雑誌や書籍の新刊を一日かかって店に並べた。
一日では(さば)き切れない客注の量に悲鳴を上げて。
各出版社の営業マンは東京から新幹線とタクシー飛ばして県内の本屋を巡って新刊の内容を熱く語っていた。
今は本なんて売れない時代。
だってスマホがあれば、全部満たされちゃう。
正直、電子書籍も大好き。こんな便利な物まるで魔法。
でも、なんか。それだけでは麻薬よね。
もともとこの店舗は市内でも1番の広さがあり、大きく取られた書籍部門と、CDやDVDレンタル部門があった。
今や映画も音楽も配信が主流であり、レンタル部門は廃止され、100円ショップが入っていて、一番売れるのは駄菓子。
「いたいた!店長!」
パートの女の子2人が走って来た。
「やだ、まだ残ってたの?遅いからもう帰らなきゃ」
「発注だけしようと思ったら、またシステムがバグったんです!いつもの念力で!早く早く!」
「終わったらすぐ帰るから!」
引っ張られるように連れて来られた事務所のPCに向かうと、確かに画面が固まっていた。
「・・・うーん。えい!」
大袈裟に言い、電源を落とす。
再起動させるとシステムが順調に立ち上がった。
「やっぱり、念力?超能力?」
「ペンギン書店の魔女!」
苗字の真所をもじってそう揶揄(からか)われている。
店長、ペンギン書店の魔女にかかれば、バグったPCが動き出す、切れた蛍光灯が再びつく、そんな話が社内にあるのだ。
四季子は笑った。
「静電気体質だから?帰り、気をつけてね!」
ファミレスでハンバーグかカレーを食べて帰りたいと話しながら2人は通用口から出て行った。
夜中にハンバーグやカレーを食べたいと盛り上がる若さを羨ましく思いながら、やれやれとPCに向かう。
さあ、ここからは残業。
四季子は駄菓子の入った箱から、小さなチョコレートを摘んで口に放り込んだ。
近々賞味期限が切れる駄菓子類は店長買い上げの救済自爆システムで、従業員が自由に食べていい事になっていた。
「超能力だの念力がホントに使えたらねえ・・・」
言いながら、ホワイトボードを見上げる。
部門ごとの売り上げのグラフが貼ってあった。
今や、出版、本屋は斜陽産業、このまま売上げが落ち込むのならば閉店も考えると言う会議での役員の言葉が耳に残っていた。
「・・・斜陽産業ったってさあ、石炭とかも世の中じゃまだ使ってんじゃないのねえ」
失望と言うよりも、面白くないと言う気分。
だってさあ、おかしいじゃない。このまま本も本屋も、無くなって言いわけ?
文化ですよ。絶対、必要だって。
最後のメールチェックをしようとソフトを立ち上げた。
見慣れぬメールアドレスからメールが入っていた。
あ、これ。先月、視察に来た県庁の人だ。
何かいいきっかけにならないだろうかと、ペンギンの描かれた自分の名刺を託したのだ。
「・・・県内の無書店自治体解消の為の事業として、各行政機関やコンビニ、病院等に書店を設けると言う事業を推進するにあたり、ご協力を賜りたく・・・?」
私、やっぱり念力、使えるかもしれない。
何かが始まる予感に、四季子は震えた。




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