価値あることだ

文字数 2,093文字

目覚ましのアラームで起きた。
起きてすぐにトイレで用を済ます。
このホテルのトイレはウォシュレット付きだ。
価値あることだ。
尻の穴がキレイになる。

1Fの食堂で朝食バイキングを食べた。
価値あることだ。
自分で作らなくていいし、ある程度美味かった。

一人の若い女が目についた。
胸が大きかった。
顔も地味だが悪くはなかった。
価値あることだ。
性的興奮を得やすい。


部屋に戻って自慰をした。
価値あることだ。
女に気を取られずに済む。
くだらないものに幻想を見いだせずに済む。

それからまた寝た。
価値あることだ。
睡眠は制限付きの死。
死にたい気持ちをごまかす一番良い薬だ。

昼が過ぎて空腹で目が覚める。
何かを食べたい。
シャワーを浴びて服を着た。
価値あることだ。
店に入るにも、金を払ってサービスを受けるにも、
まともな身なりと清潔感が必要だ。

ホテルを出て何となく北に歩いていく。
先輩から誘いがあったが断った。
価値あることだ。
考える時間が必要だ。
生きることについて。
死ぬことについて。
他者はいらない。
思考は自分の中で完結すべきだ。

汚い身なりの爺さんが5匹の犬を引き連れて歩いていた。
どいつもこいつもノロノロと歩く爺さんの歩調に合わせて歩く。
価値あることだ。
世界はきっとオレが死ぬよりも爺さんが死ぬことを悲しむ。



歩道橋。
中年の男が婆さんの腕を支えてゆっくりと階段を登っていた。
価値あることだ。
オレの腕は何も支えていない。
何も抱えていない。


腹が減った。
チェーン店に入って牛丼を食べた。
価値あることだ。
外れがない。
全国どこでも品質が同じだ。
何も考えなくていい。
考えたいことだけを考える。

また外に出て歩く。
見知らぬ街を目的地を決めずに歩く。
価値あることだ。
どこかへ行きたいわけじゃない。
どこへも行かないことが怖いだけだ。
オレはいつか部屋の中で溶けているだろう。
でも今日であってほしくはない。

バイクが大げさな音を立ててこけた。
男が路上でうめき声をあげて倒れている。
近づいて大丈夫かと尋ねた。
価値あることだ。
見殺しにしたと責められずに済む。
自分を責めずに済む。
大した怪我ではなさそうだった。
肩を貸して歩道に連れて行く。
近くにいた女が救急車を呼んだ。
その場を静かに離れた。

一匹の猫が腸を出して死んでいた。
価値あることだ。
永遠を手に入れたんだ。
確定。
移ろわないもの。
完璧への傾倒。
死への崇拝。
完全性という病。
一度ひびが入ったものをオレは使い続けない。

つまらない街並みだ。
向こうに見えるのもビル群だ。
駅に入って電車に乗った。
価値あることだ。
くだらない時間を飛ばせる。
スキップ機能。
全てにつけて欲しい。
人生の圧縮。

荘厳な建物があった。
旗を持った奴がいて、大量の家族連れが並んで入っていった。
価値あることだ。
誰かが価値を認めたものだ。
見出されていないものを探すよりも効率が良い。



喫茶店を見つけた。
客は少ない。
価値あることだ。
くだらない会話を聞かなくて済む。

コーヒーとティラミスを頼んだ。
ティラミスはクソみたいに甘かった。
価値あることだ。
甘いだけで味覚が満たされる。
だから甘いものが好きだ。

コーヒーは苦かった。
価値あることだ。
甘いものをまた甘く感じる。
ついでに頭も覚める。
だからコーヒーが好きだ。

喫茶店を出てまた歩く。
日が沈む。
何となく西に向かって歩く。
価値あることだ。
今日もまんまと生き延びた。
また夜が来る。
少しの間だけ死者になれる。
際限なく続く時間とのやり取り。
夜の中には誰も生きてない。
等しく死んでる。
恋人の声が聞けなくとも悲しくない。
母の顔を思い出しても寂しくない。

街路樹に電飾が施され輝いていた。
価値あることだ。
輝くもの。
無条件に価値がある。

寂れた商店街の裏通りを歩く。
家々には明かりが灯っていた。
価値あることだ。
どいつもこいつもちゃんと生きてる。
あの家とは違う。


川にかかる小さな橋。
その上に三人組がいた。
女が橋の柵を手に訴えたげな表情を浮かべていた。
それを男がカメラで撮っていた。
もう一人は照明係。
価値あることだ。
美しい女の写真。
誰かが買い取る。
金を得る。
生きる許可証。
使い切りだ。


一組の男女が肩を寄せ合いながら歩いている。
笑顔を浮かべてじゃれ合っている。
価値あることだ。
一人で生きるよりもあらゆる面で効率がいい。
住む場所、食べる物、移動、収入。
あらゆる面で効率が良い。


救急車が病院に入っていく。
誰かが怪我をしたのだろう。
誰かが病に倒れたのだろう。
価値あることだ。
今日まで何をしてきたかを知る。
今日まで何をしてこなかったかを知る。
知るべきことだ。
でも知りたくはない。

寒さで身体が冷えてきた。
価値あることだ。
暖かさを失った。
それは暖かさを持っていた証明だ。
失ったものだけが教えてくれる。
オレが知ることは失ったものだけだ。
飼っていた犬が死んだ時、
悲しくなかった。
失わなかった。
オレは何も持っていなかった。


ホテルに戻った。
コンビニで買った酒を飲む。
価値あることだ。
考えるのを止められる。
発明以来どれほど多くの人間を救ってきたか。
これからどれだけの人間を救うのか。
オレも救われる人間の一人。
思考からの開放。
救済。
くだらねえ日記はこれで終わり。


終わり



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