第13話

文字数 895文字

 ガチャッとドアが開いて、出てきたのは剛志だけだった。昨日とは違うがやっぱり上等そうな背広に身を包み、ビジネスバッグを提げている。剛志が鍵を閉めエレベーターの方に歩き始めたのを見て、麻衣子はあわてて部屋を飛び出した。
「あの」
 剛志はゆっくりとふり返った。
「昨日はすみませんでした。その……わたしが桜を観に行こうって誘ったんです……ご主人が出張だって聞いたから……綾乃さんは早く帰りたいって……」
 言葉がもつれ、うまくしゃべれなかった。剛志はそんな麻衣子をじっと見て、それから笑顔を浮かべた。
「いえ、気にしないでください。妻と仲良くしていただいてよかったです。引っ込み思案なやつなので、友だちも少なくて」
「あの、今日は綾乃さんは……」
「ああ、気分が悪いみたいなので会社を休ませることにしました。今は眠っています。風邪を引いたみたいで、二、三日ゆっくりしたら治るでしょう。では」
 笑顔のまま軽く会釈をして、剛志は背中を向けた。それからまたふり返った。
「そうそう、せっかく友だちになってもらったんですが、僕たち引っ越すことにしました。僕の両親が早くいっしょに住んでくれってうるさいもので。遠くなるので、綾乃は会社を辞めさせようと思っています。まあもともと大した仕事じゃないので、今すぐ辞めても大丈夫みたいだし」
 剛志はもう一度「では」と笑顔を見せて、エレベーターの中に消えていった。
 引っ越す? 会社を辞めさせる?
 頭の中で剛志の言葉がぐるぐる回った。剛志はずっと笑顔だったけど、目は笑っていなかった。昨日麻衣子を見たときと同じ冷たい目だった。
 引っ込み思案で友だちが少ないって? 違う。あんたが友だちと会うのをいい顔しなかったんじゃないか。大した仕事じゃないから、今すぐ辞めても大丈夫だって? そんな仕事、どこにあるって言うのよ。
「ひどい」
 麻衣子はきびすを返し、綾乃の部屋のインターホンを押した。しばらく待ったが返事はない。
「綾乃、綾乃、だいじょうぶ?」
 名前を呼んでも、ドアの向こうからはやっぱり何も反応はなかった。
「どうして……」
 頭におそろしい想像が浮かび、麻衣子はあわてて首をふった。
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