第1話

文字数 1,960文字

「人間って、食べたら美味しいのかなあ。」
 月曜日の朝食、食卓の前で、由美がつぶやいた。
「やめろよ、由美。そんな、鬼みたいなこと言って。お前だって、人間のくせに。」
「だって人間って、美味しいのかどうか、気になるじゃん。お兄ちゃんも気にならない?」
 キラキラと輝いた目を向けられた俺は、たじろいでため息をつく。
「気にならねえよ。朝から変な話するな。」
「ごめん、ごめん。ふと気になって、聞いてみただけだから。大したことじゃないから。」
 いやいや、俺は、「人間はどんな味がするのか」をふと気になる妹が心配なんだけど。
「あー、死にそう。」
 庭で外を見ている母さんが、棒読みで言う。
「死にそうにしては、元気だね。」
「だな。」
 由美の意見にうなずいた俺は、母さんにキッとにらまれる。
 だから、なんで俺なんだよ。言い出したのは、由美なのに。
「太郎は分かってないのね。まあ、そのうち分かるでしょうね。本当に死にそう。」
「死ぬとか気軽に言うな。」
「あれま、反抗期かしら。」
 どこからどう見ても、自分の母親は元気で、とても死にそうには見えない。
 俺は、サイコパスな、自分の家族を見つめながら、小さくため息をつくのだった。

「あら、抵抗するわ。」
 翌日、庭で母さんがつぶやいた。まただ。
「抵抗してねえじゃん。」
「そっちの抵抗じゃないのよねえ。」
「じゃあ、どっちの抵抗だよ。」
「教えな〜い。」
 なんなんだ……。
「ね、ね、お兄ちゃん。ね、ね。」
 由美が奥の部屋から出てきて、俺の服の裾をひっぱる。
「カフェ行こうよ、ね。」
「ああ、別にいいけど。」
 俺は由美に連れられ、家を出る。
 玄関で、家を振り返ると、
「気をつけなさいね〜!」
 母さんが手を振っていた。

「絶対あやしいよ。お兄ちゃんもそう思うでしょ、ね、ね、ね。」
 10分後、俺と由美は、近くのカフェに来ていた。ジュースを頼んで、席につく。
「なにがあやしいんだよ、由美。」
「どう考えてもそうじゃんっ!だってお母さん、最近妙なことを言ってるし。」
「いつものことじゃね?」
 俺が即答すると、由美は「も〜!」と怒り出した。
「お兄ちゃんは、私より2歳歳上でしょ?」
「それで?」
「だから、お母さんとの思い出も、2年分深いわけじゃん。」
「それが?」
 だからなんだって言うんだ?
「だから、お母さんのことも私より2年分、よく知ってるって言うわけ。」
「まあでも、昔からあの人うるさかったしハイテンションだし。」
 俺が反論すると、由美は額にシワを寄せた。
「たしかにお母さんは昔からうるさかったけど、あんな死ぬとかネガティブな言葉、使わなかったでしょ?」
「言われてみれば、そうだな。」
「言われなくてもそうだから。」
 由美はストローを通してりんごジュースをすすった。ずず、と音がする。
「でも、由美。だからなんだっていうんだ?」
「分からないけど、お母さんになにかあったって考えるのが妥当だよね。」
 いや、俺はその「なにか」が気になっているんだけど。
「あ、ジュース飲み終わった?」
「いや、まだだけど。」
「じゃあ私が代わりに飲んであげる!」
 由美は返事も待たずに、俺のオレンジジュースをすすり始めた。

 家に帰ると、珍しく母さんが自室に戻っていた。母さんが自室にいるのは寝るときかリモートワークで仕事をするときくらいだ。今日は仕事もないし、自室に戻る理由なんかないはずだ。
 由美も俺と同じことを考えたみたいだった、母さんの自室のドアを見つめ、凍りついたように固まっている。
「ねえ、お兄ちゃん?」
「……どうした?」
「入っても、いいかな。」
 由美はドアと俺を交互に見やり、迷ったように手を小さく左右に振る。俺はうなずいて、由美のとなりに立った。由美がドアノブに手を伸ばす。
 ドアが開いた。開けたのは、由美ではなく、……母さんだった。
「お、お母さん……!?
 外開きのドアに弾き飛ばされた由美は、廊下に転がって悲鳴と混じった叫び声を上げる。
「……あらあら。もう帰ってきたのね?帰ってきたら、手洗いうがい。」
 俺も由美も、目を見張って母さんを見た。母さんの手に握られているもの、それは―

 血のついた、包丁だった。

 俺たちは声も出せず、ただ唖然とした。
 きっと、由美も、やはり同じことを考えていたと思う。
『死にそう』『抵抗』……。
 それは、自分のことを表した言葉じゃなく、……庭の外の人を指していたんじゃないだろうか。
 庭から外に出れば、人がいる。その人を刺して、すぐ庭に戻れば、事件を目撃されることもないし、庭から様子が見える。だから……。
 そんなことを考えている俺たち兄妹に向かって、母さんはにこやかな笑みを浮かべた。

「手洗いうがいもできないような子たちには、お仕置きしないとね。」

 母親は、息子と娘に向かって、勢いよく凶器を振り下ろした。
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