第1話

文字数 4,123文字

「ゆうちゃんはさぁ、もう仕事と結婚すればいいじゃん」
そう言って、こずえが出ていて3ヶ月。

せっかくの土曜日だが、外は小雨が降っている。
洗濯物を室内干しにしているせいか、空気がじめじめするし、気分もどんよりする。

時計を見ると13時過ぎ。
またやってしまった……。
もう1日の半分が終わった。

生活のリズムが崩れているのは夜更かしするから。
残業で遅くなってすぐ寝るなんてできない。
何か楽しいことをしてから1日を充実させて寝たい。

でもこんなことしてるから、こずえと出かける時間もなくて、出ていかれちゃったんだよな……。

やっと涼しくなってきたらと思ったら台風。
本当は、今週あたりでこずえとテーマパークに行く予定だった。

春にテーマパークに行こうとしたけれど俺が起きられなかったから。

「ゆうちゃんだからあたし、昨日12時には寝ようって言ったよね」
こずえは、怒っているけれど、平静を務めようとして、声を押し殺して話した。

俺はちょっとビクビクしながら答えた。
「ごめん……。でも俺毎日仕事遅いからさ……」
こずえは俺をじっと見つめた。
「そんなの、いつもじゃない」
「秋、9月に行こう、ホテルも取るからさ」
「ホテル付?それなら……まあ、それなら……いいけど」

でも約束を果たす前に、こずえは愛想つかして出て行ったのだった。
「派遣の契約が切れるから、ちょうどいいし、私、実家に帰る」


「なんか食べるか……」
俺は冷蔵庫から、木綿豆腐を取り出す。
醤油を探す。
「醤油がない……?」
あっそうだ、こないだ空になったんだった。
俺は流しの下から、予備の醤油を取り出す。

小皿に上豆腐を載せる。神秘の豆腐醤油をキャップを開けてかける。立ったまま、箸でひと口。

「……ん?」

いつもと味が違うのだ。
そうだ、こずえは出汁入りの醤油なんか買わなかった。

また、こずえのことを思い出して胸がシクシクする。

俺は出かけることにした。
そんなにお腹は減っていないから、カフェでぼーっとすることにしよう。

1人を感じさせないところがいい。
俺は渋谷に向かった。

渋谷駅を見下ろすカフェ。
信号が変わると歩行者用の店、たくさんの人が一斉に歩き出す。

こんなにたくさん人がいるのに、好きになるのはたった1人なんだよな……。

ふと、花柄のスカートの1人の女性に目がとまった。

こずえ……?

俺は急いでカフェから出た。
デパート方面に向かっているようだったから、人混みを掻き分けてデパート方面に小走りに人込みをかけていく。

なんで走っているんだ、俺は……会いたいような、会いたくないような。

花柄のスカートを目印に近づいてみると、こずえに背格好が似ているけれど、横顔が全く別人だった。

がっくりとして渋谷に戻る戻ろうと、踵を返す。

落ち込んだ気分を慰めよう。
デパートの地下でおいしいデリでも買おうかとデパートに入った。

エスカレータ近くにある香水売り場の前に近づくと、知っている香りがした。

こずえのつけていた香水だ。

俺は食欲をなくし、渋谷駅に戻った。


日曜日。
相変わらず雨。
俺はまた昼過ぎに起きる。
自分にがっかりだ。

近所のオリジン弁当に行こうと玄関に向かう。
足が濡れるからサンダルがいい。クロックスをはこうと玄関の靴箱を開ける。
「あれ……」

忘れていた。クロックスは、お揃いでこずえが買ったものだ。
きっと、出て行く時に捨ててしまったんだろう。

俺はスニーカーを履いた。

夕方ぐらいだろうか、社用携帯に上司から連絡が入った。
明日の台風次第では、休んでもしてもいいと言う。
ニュースを見ると、結構大きな台風が来るんだな……。


さて、台風が過ぎ去って3日目。
通勤していると、ニュースが目に入ってきた。

台風の影響で、ライフラインが断たれているところがあると言う。

見覚えのある地名だ。
……こずえの実家じゃないか。

俺はスマートフォンを取り出す。
メールをチェックする。こずえからの連絡はない。

まあ、そうだよな、もう別れた男だしな、俺……。
ちょっと気になるけど……。連絡がないから大丈夫なんだろう、たぶん。


翌日も、通勤してる車内で同じニュースを見る。
復旧見込みが2日3日先になるらしい。
結構、大ごとじゃないか。

俺はこずえにメールをしてみることにした。
が、よく考えたら、連絡先はきれいさっぱり消していたではないか。
アドレス帳任せで、電話番号も覚えていない。
どうしようか……。

こずえの友人に連絡3点……?
共通の友人なんていない。


…… SNS、そうだSNSだ。

Facebookを確認する。
いた、こずえだ。

どうやら水と食べ物に困っているらしいことが投稿から見て取れた。

俺は電車を降りる。
そして上司にメールをした。
「腹痛のため、本日はお休みをいただきます。


俺は部屋に戻り、スーツからTシャツとデニムに着替えた。
久しぶりに運転免許証取り出す。

レンタカーを借りて、スーパーに行く。
水と乾パンなどの非常食を買った。

ホームセンターに行く。
太陽光発電装置を買う。

小さいが携帯ならこれで間に合うだろう。

車を走らせながら俺は、
「今さら何だって言われるかな」
「気持ち悪いって言われるかも」
「未練たらしいよな」
そんな感じ思いがぐるぐると頭の中を駆け巡る。

サービスエリアで一旦休憩。
冷静になろう。友達に聞いてみよう。勢いはある俺だが、小心者なのだ。
社用携帯を取り出す。

同僚の連絡先を探す。……大和に電話だ。
「お疲れ様です。大和です」
「もしもし、岸田ですけれど、今ちょっといいかな?」
「所々お待ち下さい。移動いたします」

「……元カノのところに、救援物資を届けに行くが気持ち悪くないかどうか?と言うことだね」
「そうそう。どう思う?俺、キモいかな??
「非常事態を言い訳に会いに行く男と思うと、はっきり言って気持ち悪いが、元カノは困っているんだろう?行けば良いと思うよ、彼女が嫌がったら、他の困っている人に配ればいいんだし」
「……そっか、そうするわ。ありがとう」

こずえにダイレクトメッセージを送った。

こずえのいる市町村名はわかる。
だが、番地はわからなかった。

俺は再びハンドルを握った

そして、再びサービスエリアで休憩したとき、メッセージの通知音。

車道に車を寄せメッセージを読む。
住所だけが書いてある。電池が切れそうだ、でメッセージは終わっていた。

急がないと。

俺はスマートフォンで地図を確認した。

こずえの家の前に着いたと思う。
車道が広いから、路駐させてもらう。

塀がないから、とりあえず玄関先まで行って、表札を確認しよう。

家のほうに近づくと、突然、玄関の扉が開いた。

見覚えのある女性……こずえだ。

「……来ちゃった」
俺は言った。
こずえは吹き出した。
「なにそれ。久しぶり」
こずえは、うれしいような、怒っているような顔をした。
俺は、やっぱりキモい??と、不安になった。

「荷物だけど」
俺はこずえに近寄った。
こずえが一方後ろに下がる。
嫌われてるんだろうか……。いや嫌われたから別れたんだけど、そういう反応は、ちょっと傷つく。
こずえが俺の顔見て察したのか、
「お風呂にあまり入れていないの、匂うかもしれないから……」
こずえは下を向いた。

「いいんだよそんなの、おれも急いできたから、汗かいてるし……」
俺は自分の肩回りを鼻で嗅いでみせた。
こずえは、ほっとした顔を見せた。
「水と非常食持ってきたよ。いるだろう」
こずえは笑顔になった。

「ゆうちゃんありがとう」
トランクの扉を開く。乾パンなどが入った、比較的軽い袋を取り出す。
「これ軽いから持ってくれる?」
俺はこずえのほうに袋を向けると、こずえがそれを受け取る。
「ゆうちゃん、会社どうしたの?まさか、休んだの?」
「休んだよ」
こずえはおどろいた顔をした。
「ゆうちゃん、仕事好きじゃん」
「……仕事が好きなんじゃなくて、俺、昇進したかったんだ。給料安いから……。」
「そうなんだ」
俺の気持ちは、これじゃ伝わっていなかった。

俺は手を止めてこずえを見つめる。こずえもこちらを見つめ返す。
「俺は、こずえにふさわしい男になろうと思って……仕事、頑張っていたんだ 」
俺は恥ずかしくて視線をそらす。こずえは何も言わない。
沈黙。
そっとこずえを見る。こずえの目が潤んでいた。
「……そんなのいいのに、……私、ゆうちゃんは仕事ばっかりしてるから、私のこと、どうでもよくなったんだと思ってた……」
「そんなことないよ」
「……そういうの、早く言ってよ」
こずえの潤んだ瞳から涙が1粒こぼれた。
俺は抱きしめたいと思ったが、別れた男だ。どうしよう。触っていいものか……?
右手と左手をこずえを抱えるように出したものの、宙に浮いている。
するとその様子を見てこずえが笑って、身体を預けてきた。
「匂うかもしれないけど、お互い様ってことで、我慢してよね」
俺は最初はそっと、でも次第に力を込めてこずえを抱きしめた。

心臓がどきどきして、耳の中に響いている。必死で声を絞り出す。
ここ三か月の、正直な気持ちだ。
「……俺、こずえのいない生活なんて耐えられない……」

こずえが鼻を鳴らす。ずびり、と鼻水をすすった。
「私も」
こずえは、静かに俺のTシャツに顔をうずめる。
俺は、こずえが顔をうずめたところに湿気と熱を感じた。

しばらくしてこずえは顔を上げて、俺の目を見つめた。そして、ニコっと笑った。

「助けに来てくれて、ありがとう。……嬉しかった」

再会を楽しんでいたが、こずえの家の玄関からご両親がこちらを見ていた。

「食料と水、運ぶよ。そしたらご両親に挨拶させてくれ」
こずえは俺の左手を力強く握る。俺も握り返した。
そして笑顔でコクリとうなずいた。
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