第1話

文字数 3,135文字

【命】
 私は、本年で八十八歳になるが、一番思い出したくないことは、昭和二十年八月の太平洋戦争末期に無理やり経験させられた異常な
五日間の体験である。
 当時、私は小学校五年生で、満鉄に勤めていた父の任地であるソビエトとの国境に近い満洲国チチハル市に住んでいた。
戦前の私は、熱烈な軍国少年であり。将来は江田島の海軍兵学校に入り、格好いい海軍士官になってできれば戦闘機乗りとして国のため華々しく戦闘に参加することを夢見ていたのである。
 昭和二十年に入り、戦況は極めて悪化をたどり、本土の方は連日米軍の空襲にあって大変な被害に苦しんでいたようだが,満洲のほうは少なくとも七月までは、空襲もなく平和な日々であった。しかし7月にはいったとき、突然ソビエトが不可侵条約を破って満洲に侵入してきた。                                   
 あっという間に大型戦車で攻められ、数日後には、市内が占拠されるような状態となっていた。
八月十日午後、両親が二階で、ヒソヒソ話をしているのを聞いてしまった。
それによると、我々は捕虜になることはできないので一家心中せざるを得ず、そのため必要な青酸カリを渡されたとの事であった。
 今まで「死」は全く観念的なものであったが、それが現実的なものとなったことを認識した途端、勇気あるべき軍国少年の私が想像を超えた激しい恐怖感に襲われたのである。
 言うなれば、ソレン軍が侵入した時点で、執行される死刑囚になったのである。
 それからはなにをしても、死の恐怖から逃れきれなかったが。ようやくはらをきめて、
見苦しくない最期を遂げようと決心したがとても苦しい毎日であった。
 ただ、激しい戦闘の中で華々しく戦死するのではなく、薬を飲んでこの世からおさらばする結果には何とも残念に思えた。
 戦況はますます悪くなっており、広島と長崎に強烈な破壊力を持った新型爆弾が投棄されたというニュースを聞き不滅であるべき神国日本もとうとう敗北するかもしれないと思うようになった。
 いよいよ死刑執行が真近になった八月十五日の昼、天皇の玉音放送が流れ、日本が無条件降伏することになった事が分かった。
 敗戦のおかげで死を免れ。生きることができることになり、心からほっとした。
 そして「命」こそ何物にも代えがたき,宝物であり、どんな困難に襲われても、「死ぬことに比べれば、楽なもんさ」と考えることができるようになった。
 また再び「命」が危険にさらされるような戦争はおこすべきではないと思った。
 終戦の翌日、突然ソビエトの爆撃機の空襲に見舞われたが、これは数機の日本機が自爆攻撃をした報復とのことであった。
 数日後、満鉄社員の一家が、将来を悲観して一家心中してしまったと聞いた。 
 いずれも救われた大切な命を無駄に捨てて
しまっており、とても残念でならない。
 その後、ソ連軍から国民政府軍、八路軍の
占領下で何とか過ごし、ようやく昭和二十一
年九月に日本に引き揚げることになった。
 その間、一番許しがたきものは八路軍による人命を軽視した人民裁判である。
 その裁判では、被告の罪状を発表するのみで被告本人の弁明等一切聞かず、参加群衆の
「殺せ」という怒声に応じて、その場で射殺する不条理な裁判で許しがたいものである。
 満鉄チチハル鉄道局長がこの裁判で犠牲となった。
新憲法では第九条ではっきりと戦争放棄を
規定しており、喜ばしいことであるが、最近の政治情勢では色々各国間の対立が目立っており、我が国の自衛力保持のためにも第九条の見直しもやむを得ないものかと思わざるを得ない気持である。
 現在は 昔のような徴兵令が発せられ戦場へ送り込まれることもなく、衣食住も豊かで平和な世界になっているのに、「死」の恐怖を感じないで自殺を願望する者がどんどん増えていることは誠に遺憾である。
 戦前、学徒出陣した多くの先輩が、意に反して、将来の目標を果たせないまま戦死した無念さを思うと、今、生きて何でもできる幸せを強く認識すべきであり「命」を無駄に捨てないでほしいと思う。
 今大型戦車で攻められ、数日後には、市内が占拠されるような状態となっていた。
八月十日午後、両親が二階で、ヒソヒソ話をしているのを聞いてしまった。
それによると、我々は捕虜になることはできないので一家心中せざるを得ず、そのため必要な青酸カリを渡されたとの事であった。
 今まで「死」は全く観念的なものであったが、それが現実的なものとなったことを認識した途端、勇気あるべき軍国少年の私が想像を超えた激しい恐怖感に襲われたのである。
 言うなれば、ソレン軍が侵入した時点で、執行される死刑囚になったのである。
 それからはなにをしても、死の恐怖から逃れきれなかったが。ようやくはらをきめて、
見苦しくない最期を遂げようと決心したがとても苦しい毎日であった。
 ただ、激しい戦闘の中で華々しく戦死するのではなく、薬を飲んでこの世からおさらばする結果には何とも残念に思えた。
 戦況はますます悪くなっており、広島と長崎に強烈な破壊力を持った新型爆弾が投棄されたというニュースを聞き不滅であるべき神国日本もとうとう敗北するかもしれないと思うようになった。
 いよいよ死刑執行が真近になった八月十五日の昼、天皇の玉音放送が流れ、日本が無条件降伏することになった事が分かった。
 敗戦のおかげで死を免れ。生きることができることになり、心からほっとした。
 そして「命」こそ何物にも代えがたき,宝物であり、どんな困難に襲われても、「死ぬことに比べれば、楽なもんさ」と考えることができるようになった。
 また再び「命」が危険にさらされるような戦争はおこすべきではないと思った。
 終戦の翌日、突然ソビエトの爆撃機の空襲に見舞われたが、これは数機の日本機が自爆攻撃をした報復とのことであった。
 数日後、満鉄社員の一家が、将来を悲観して一家心中してしまったと聞いた。 
 いずれも救われた大切な命を無駄に捨てて
しまっており、とても残念でならない。
 その後、ソ連軍から国民政府軍、八路軍の
占領下で何とか過ごし、ようやく昭和二十一
年九月に日本に引き揚げることになった。
 その間、一番許しがたきものは八路軍による人命を軽視した人民裁判である。
 その裁判では、被告の罪状を発表するのみで被告本人の弁明等一切聞かず、参加群衆の
「殺せ」という怒声に応じて、その場で射殺する不条理な裁判で許しがたいものである。
 満鉄チチハル鉄道局長がこの裁判で犠牲となった。
新憲法では第九条ではっきりと戦争放棄を
規定しており、喜ばしいことであるが、最近の政治情勢では色々各国間の対立が目立っており、我が国の自衛力保持のためにも第九条の見直しもやむを得ないものかと思わざるを得ない気持である。
 現在は 昔のような徴兵令が発せられ戦場へ送り込まれることもなく、衣食住も豊かで平和な世界になっているのに、「死」の恐怖を感じないで自殺を願望する者がどんどん増えていることは誠に遺憾である。
 戦前、学徒出陣した多くの先輩が、意に反して、将来の目標を果たせないまま戦死した無念さを思うと、今、生きて何でもできる幸せを強く認識すべきであり「命」を無駄に捨てないでほしいと思う。
 今までに多くの友人知己を失ったが、私自身.結核、心臓病、糖尿病等の病状を抱えながらも、不自由なく過ごしており、下手ながら、昔の仲間とゴルフを楽しむことができている。
 これからの世の中はコロナ禍等様々な問題
がおこりうる趨勢であるが、「命」を大切に考える世が実現され、残る余生を恙なく過ごし、天国へ導かられればと思っている。
【完結】
       
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