こうして少年はヒーローになった(やや不本意)

文字数 10,945文字

「ほんと……勘弁してほしいな、まったく」
 夜の二時、押し寄せる睡魔と戦いながらフルフェイスヘルメットのシールドを下ろし、改造したバイク用のグローブを固定する。
 関節の部分に重りを入れた格闘仕様だ。
 「瞳子、退路はこっちで塞ぐから思いっきり暴れてくれ」
 「了解。――だが、一つだけ訂正させてくれ。私は瞳子ではなく、レディ・ショッカーだ」
 「……はいはい」
 隣でぴょんぴょんと跳ねていた全身タイツ状のコスチュームに目元を隠したマスク姿の変質者――もとい、幼馴染の三日月瞳子こと『自称・スーパーヒーロー』レディ・ショッカーが満足げにうなずいた。
 長身でありながら出るところがきっちりと出ている瞳子は、スタイルだけでも十分に美女の類とカウントされてもいいだろう。
 マスクの下の顔立ちも、幼馴染のひいき目を抜きにしても整っていると思う。
 そんな彼女のボディラインがくっきりと浮かび上がるコスチュームだが……そんなものがぴょんぴょんと落ち着きのない子供のように飛び跳ねているのは、煽情的というよりただただ不気味だった。
 「よし、チャージも十分。少し離れてくれ、『ギフト』を使う」
 「……普通に歩いていけば今の行程いらないよな」
 「君にはまだ理解できないか。ヒーローは高所から現れて、その姿を悪人どもに刻みつけることが大切なんだ」
 「うん、ごめん。一生理解できないと思う」
 やれやれと言いたげな雰囲気で肩をすくめた彼女は、生まれ持った異能を解き放つ。
 「……ギフテッド、か」
 一瞬の間にビルの屋上へ跳び上がった彼女を見て、ふと思う。
 自分にもあの力があれば、彼女と感覚を共有してやれたのだろうかと。
 「考えても無駄か」
 人は皆、役割を持って生まれてくる。
 俺には俺の役割があるんだ、そう割り切ろう。
 少し離れた位置で、すさまじい轟音がした。
 どうも始まったらしい。ヘルメットに仕込まれた受信機から、よく通る瞳子の声が聞こえてくる。
 『そこまでだ!悪党ども!』

 「そこまでだ!悪党ども!」
 女性にしては低い、しかしよく通る声が夜の闇を切り裂いた。
 怪訝そうに男たちが、声の出所を探す。
 「いたぞ、あそこだ!」
 そのうちの一人が、空を指さす。
 いや、空ではない。
 その男の指さす先にはピッタリとボディラインのわかるコスチュームに身を包んだ女。
 普通なら死ぬ高さから着地した女は、ゆっくりとこちらへと歩いてくる。
 「あ、あいつが……」
 「最近この辺りに出るって噂の」
 男たちが口々に話す言葉を聞きつけ、女は不敵に笑う。
 「そう、スーパーヒーロ……」
 「変質者のギフテッドか!」
 一瞬の沈黙が、場を支配した。
 そして、女――レディ・ショッカーの右足が、変質者呼ばわりした男の下あごを蹴り飛ばす。
 尋常ではない衝撃を受け、彼方へと吹っ飛んでいく仲間を目撃し、男たちは色めき立った。
 彼らはこの街では、それなりに名の知れた暴走族だ。
 それがこんなわけのわからない女にいいようにやられたのでは、沽券にかかわる。
 落ちていた鉄パイプや、自前のナイフなどの武器を手に、十数人のメンバーが女を取り囲む。
 「てめぇこのクソアマ、俺らが誰だかわかって喧嘩売ってんだろなぁ!?」
 「ああ。わかってるさ。貴様らは悪党だ。女一人によってたかって武器をちらつかせないと喧嘩もできないヘタレた弱者。そうだろ?」
 「舐めんな!」
 一人が先走って鉄パイプを叩きつける。
 それを真っ向から受け止めて、レディ・ショッカーは不敵に笑った。
 「はあっ!」
 がら空きになった男の腹に、軽く手のひらを押し当てるような一撃。
 だがその一撃は、まるで鉄の棒をフルスイングしたような重さの衝撃を叩きこんでくる。
 「ギフテッドの……ばけもの……」
 よろよろと二、三歩さがって崩れ落ちた男の姿に、囲んでいた男たちの表情に恐怖の色が見えた。
 「なにビビってやがる。ギフテッドなんか人間じゃねぇ、ぶっ殺しちまえ!」
 誰かがそう口走り、男たちは一気に飛び掛かった。
 助走をつけて、手にした武器を振りかぶり目の前の女を殺すという一心で。
 「誰が人間で、誰が人間じゃないかを決める権利は、お前たちにはない」
 腰につけていたポーチから取り出した小さなカートリッジを地面に叩きつけるレディ・ショッカー。
 そのカートリッジは地面に触れると同時に、内側からひび割れはじけ飛ぶ。
 中に注ぎ込まれた衝撃波をまき散らしながら。
 その爆心地に向かって突っ込んでいた男たちは、衝撃波に意識を刈り取られ宙に巻き上げられ、出遅れた一人を残して倒れ伏す。
 濛々と立ち込める砂煙の向こうから、女が歩いてくるのを見て、最後の一人は生存本能の命じるままに、脱兎のごとく逃げ出した。
 「健人、一人行った」
 『はいはい』

 瞳子に返事をして、数秒。
 暴走族のたまり場になっていた路地裏の道から、男が死に物狂いで走ってくる。
 「あれか」
 「くそ、どけぇ!」
 狂乱状態でそう怒鳴る男の顔に、右の拳を叩きこむ。
 走ってきた勢いと、拳の衝撃を両方受けて男は鼻血を吹き出しながら、仰向けに倒れこんだ。
「前見て走らないと危ないだろ」
 男の手を簡易的に縛り、瞳子が来るのを待つ。
 「お疲れ様。今日もいいアシストだった」
 「ああ」
 「どうした、何か不満そうだ。どこか怪我でもしたのか?」
 そんなことを言いながら体をまさぐろうとする瞳子の手から逃れて、まっすぐに顔を見つめる。
 「何回も言うけど、もうこんなことやめよう。瞳子が悪を許せないのはわかる。ならせめてもっと合理的に、危険のない方法でやろう」
 「合理的、というのはつまり罠や、後ろからの闇討ちだろう?それじゃヒーローじゃない」
 「俺はそのヒーローってのをやめようって言ってるんだよ。危険なばっかりで、今日だって相手がノーマルだったからよかったようなものの、もし危険なギフテッドだったら」
 「……私がその、危険なギフテッドだ。違うか?」
 「それはっ……」
 「私のギフトは衝撃を操るものだ。総数は少なくないが、私ほど自在に操れるものは少ない。だが、どうだ。火薬を使わない爆発が起こせるという理由で、私の同類はよくテロで捕まってる」
 「でもそいつらはテロリストで」
 「テロというのは、もともとは虐げられたものの叫びだよ、健人。それが人を傷つけるかどうかは別として、その本質を見誤っちゃいけない。私は、誰かを傷つけることを良しとするという意味では、彼らと変わらない。ならせめて、正々堂々としていたい。自己満足なのは百も承知だが、人を殺さず悪と戦うなら私にはヒーローしか思いつかないんだ」
 「警察に任せることだってできるだろう、それなら」
 「そうだね。でも警察は『大罪』を追うので忙しい。それに、戦う力を与えられて生まれてきたなら、見て見ぬふりをするのは怠慢だと思うんだ」
 「瞳子は怠惰な臆病者にはなれないか……ま、わかってたことだけどさ」
 「まるで健人が怠惰な臆病者みたいな言い方だな」
 「俺は本質的には怠惰な臆病者だよ。手綱の切れた暴れ馬に、振り落とされないように必死でしがみついてるだけで」
 「あははは、つまり私にどこまでもついて来てくれるってことだろう?それなら暴れ馬にも走りがいがあるな」
 子供のころから変わらない笑顔が、ぱっと輝いた。
 「敵わないな、ほんとに」
 「それより急ごう、さすがにもうあまり時間がない」
 確かに空はもう白み始めていた。
 また美鶴町に朝が来る。
 それまでに俺たちはこの悪党どもを警察署の前に転がしておかなきゃならないのだから。
 
 美鶴町。人口三万人ほどのそこそこの町。
 市全体では十万人ほどの人口があるが、その三割ほどがこの美鶴町に集まっている。
 海と山に挟まれた土地であり、市内ではかなり発展した地域でもある。
 ただ、意図してこうなっているともいえる。
 この町の人口のほとんどは瞳子のようなギフテッドだ。
 かつては生まれつき高い知能や、身体能力を持つものがそう呼ばれていた言葉だが、今では少し違ってきている。
 その頃にはお伽噺の中にしかいなかった超能力者が、今はギフテッドとして存在を確認されている。
 高い知能を持つものから、手のひらに炎を出せるものまで、ノーマルと呼ばれる旧来通りの人類とは違う能力をもつもの全てをひっくるめた呼び名が、『ギフテッド』だ。
 そして、ギフテッド発見初期の混乱はいまだに根強く問題を残している。
 初期にあった、未知なるものへの恐れからくる差別。
 ギフテッドの一部がいいだした『上位種宣言』。
 そういうものが、いまだにテロや治安の悪化の種となっている。
 「お待たせ、ちょっと手の込んだもの作ってたら遅くなってしまったね」
 「いやいや、作ってもらえるだけ御の字だよ」
 弁当の袋を提げた瞳子が出てくる。
 両親そろって出張していったうちの親に代わって、何かと世話をしてくれている。
 「遅かったのに大変だろ。こういう日はいいよ」
 「一人分作るのも二人分作るのも大差ないよ」
 そこから昨日の連中の話へと話題が移る。
 昨日の連中はノーマルだった。
 ノーマルの暴走族や、不良グループも美鶴では珍しくはない。
 「そういえば最近はいじめられてないか?」
 「いつの話してるんだよ……」
 子供の世界は残酷だ。
 美鶴町では、ギフテッドの数の多さから『皆と違う』という理由でノーマルの子供がいじめられることは少なくない。
 俺もそうだったが、そのたびに瞳子が助けてくれていたんでまだ運のいい部類だろう。
 偏見が差別を生み、差別がまた別の差別を生む。最悪のループ。
 だが、誰も止める術を持たないのだ。
 「まぁ、何かあったら遠慮なく私に言ってくれ。必ず助ける」
 「気持ちだけありがたく受け取っとく。流石に昔みたいに瞳子に泣きついてばかりもいられないだろ」
 「なぜだ」
 「なぜって……」
 「私たちは友達だろう?友達が困ってるなら助けるのは当たり前だ」
 「俺が助けられてばっかりだよ。弁当にしたって、昔のことにしたって」
 「私だって夜遅くまで付き合わせたりしてるだろ?お互い様だ。昨日だって結局明け方まで……」
 「ストップだ。そのセリフは誤解を招く」
 ここは一応通学路で、他にも学生は多くいる。
 まして瞳子は学内でも指折りの美人、ファンは多い。
 余計な発言を放置することは、俺の学園生活の存続にかかわる。
 「三日月先輩!」
 危機一髪、甲高い声が聞こえてくる。
 「ああ、長船か。おはよう」
 「おはようございます!よかったら荷物お持ちしましょうか!?」
 長船雅。瞳子の熱狂的なファンの一人。
 本人は小動物系の美少女として、人気は高かった。
 瞳子に会う前は。
 今ではただの飼い主が好きすぎる駄犬と化しているが。
 「せめてこっちにも挨拶くらいしたらどうだよ、後輩」
 「はぁ?むしろ先輩の方からあいさつするのが筋合いでしょう?三日月先輩の隣を歩かせてあげてるんですよ?」
 どういう理屈だそれは。
 「俺がどこを歩くかは俺の自由だろ」
 「……先輩ってお気楽ですねぇ。まぁ、先輩の存在はある種の盾なので好きにしてくれたらいいんですけど」
 俺はこのほぼ恒例行事となったやり取りに疲れながら歩き出す。
 瞳子と雅の会話が弾み、俺は黙る。
 女二人の会話に割り込めるほど、俺のコミュニケーション能力は高くなかった。

 「おっす、健人」
 いつものごとくファンに囲まれ騒がしい集団となった瞳子と別れ、教室に入った俺に声をかけてきたのは、城戸陽介。
 俺の数少ない友達の一人だ。
 「お前見たか?」
 「おはよ。何を見たか主語がないとわからん」
 「俺が見たかって言ったらレディ・ショッカーに決まってんだろ」
 それはないだろ。映画とかテレビ番組とか……いや、この男に限ってはないか。
 城戸陽介は、レディ・ショッカーの尋常ではないファンなのだ。
 「昨日も戦ってたらしいぜ。ほんと、かっこいいよなぁ」
 「かっこいいか?」
 「かっこいいだろ!正義の味方を実際にやれる勇気もそうだし、女一人で悪党に立ち向かえるところも、口先だけじゃなくちゃんと勝つところも!」
 「まぁ、そういう面は認めるが」
 正体を知っている人間からすると、危ないからやめてほしい部分ばかりだ。
 「俺にも戦う力があればなぁ、お手伝いとかできるのに」
 陽介は俺と同じノーマル。
 やはり、みんな考えることは同じなのかもしれない。
 そんなことを訊ねようとした瞬間、ドアが開き担任が入ってきた。
 「全員着席!」
 その声一つで、弛緩していた朝の空気が引き締まる。
 「谷口と遠山は欠席。他は全員いるな――よし」
 体育科担当、武藤美音。
 噂では元は傭兵だったとか、特殊部隊にいたとか言われる女教師だ。
 まあ、あくまでも噂。実際はそんなことはないのだろうが、その雰囲気と威圧感はそのうわさが信憑性をもって流れるのに十分すぎた。
 「ではHRを始める。まず来週から生徒会の選挙期間が始まる。今週いっぱいまでは立候補を受け付けるので、希望するものは私のところへ。それから――」
 様々な連絡事項を、聞くともなしに聞き流しているといつの間にかHRは終わっていた。
 これといって何か面白いことがあるわけでもなく、退屈な授業が始まって終わって……気が付けば板書をしたノート二冊ずつが完成している。
 我ながら、無意識にここまでやれるのは才能だと思うのだが、無意識学習のギフテッドと違って頭の中には何も入っていないあたり、自分が凡人だと嫌でも思い知らされる。
 「おお……」
 瞳子謹製の弁当の蓋を開けば、黄金色の餡に包まれた白っぽい塊。恐らくは豆腐ハンバーグだろう。
 さらにひじきの煮物や、ほうれん草のお浸しといった和食系のメニュー。
 となるとご飯は……。
 「炊き込みご飯か」
 ごぼうとニンジンのはいった、薄茶色のそれは瞳子の得意メニューの一つだ。
 これは楽しみだ、と箸をつけようとした瞬間だった。
 「日野、来い」
 教室の入り口で、武藤先生が俺を呼んでいた。

 「まあ座れ」
 空き教室で、机を並べて弁当を広げる先生に促され、俺もそれに倣った。
 「三者面談の予定が付かないということだったのでな。二者でもいいから聞いておこうと思ったのだ。食事しながらで構わんぞ」
 三者面談って普通は向かい合ってするんじゃないのか。
 何で隣なのか。
 と言いたいことはあるが、そんな軽口を叩ける性格でもない。
 「そうだな、とりあえず形式的に進路の話から行くか」
 「去年の希望調査で出した通り、進学希望です」
 「変化はないか」
 「はい」
 「そうか。成績も変動はなし、だ。もし最難関大を目指すならもう少し勉強した方がいい」
 「はい」
 ということは、そこそこの大学にいくなら十分程度か。
 「では本題だ」
 「……?」
 本題?今のが本題じゃないのか?
 「手を見せてみろ」
 「はい?」
 手を差し出して手のひらを見せる。
 「そうじゃない」
 と言いながら、先生は俺の手を握り裏返す。
 「前から気になっていたのだがな、これは何を殴った」
 先生が言うのは、拳ダコのことか。
 「机なんかを叩くクセがあって……よくないのはわかってるんですけど」
 「私は嘘が嫌いだ。HRの時見ていたが、お前は無意識になると手のひらを握るクセはあるが拳を打ち付ける様子はなかった」
 「……」
 「何を殴っているか言いたくないなら無理には訊かん。だが、危険なことはほどほどにしておけ」
 「わかりました」
 「格闘技のような健全なものではないのだろう?肉のつき方がそういうものではないしな」
 「そんなことまで見てわかるんですか?」
 「そうか、本当に危ないことなんだな」
 しまった、かまをかけられたか。
 重たい空気が場に漂った。
 目を閉じ、黙ったままの先生の様子をうかがう。
 「まあいい。お前は引き際はわきまえている人間だと思う。お前の判断に任せる――早く食べないと昼休みが終わるぞ。五限は私の授業だ。遅刻は許さん」
 「は、はい」
 次に出てきた言葉はそんな拍子抜けするもので、もうその瞬間に重い空気は消えていた。
 「――私と同じ間違いを、犯すなよ」
 「え?」
 その言葉の意味を訊ねるより早く、先生は教室を出ていってしまう。
 「っと、真剣にまずいな。さっさと食べてしまおう」
 
 五限は突然の持久走、そのあとの古典の授業はもはや呪文で、必死に睡魔と戦っていたら終わっていた。
 このあとは瞳子に付き合ってパトロール……の予定だったのだが。
 「健人!」
 瞳子の携帯に着信。
 突き出された画面には、緊急時を知らせる番号。
 「急ごう、何かまずいことが起きたらしい」
 「ああ」
 瞳子がレディ・ショッカーとして使う道具。
 例えばあのコスチュームなんかは、あの薄さで防弾防刃耐熱の超繊維でできている。
 そういうものを作ってくれる仲間がいるのだが、そこからの緊急事態を告げる連絡だった。
 ふざけてそういうものを送ってくる人ではないので、おそらく真剣なのだろう。
 瞳子から荷物を預かり全力で走りながら考える。
 瞳子は公園のトイレで着替えて跳躍していった。
 あいつの天性の運動神経とギフト、そこに警察官の親父さん譲りの格闘術があれば、大抵のものはぶっ飛ばせるだろう。
 だが、胸騒ぎがおさまらない。
 なぜか嫌な予感がしてやまない。
 「くそっ!」
 五限の持久走で重い足に、もっと速く動けと怒りをぶつけながら走り続け。
 それは、いた。
 町はずれのデカい家の前。
 蠢く肉の塊のようなおぞましい物体から、這い出して来る人間ほどの大きさの何か。
 「なんだ、これ」
 「健人!無事か!?」
 それを豪快に蹴り飛ばし、瞳子が駆けよってくる。
 「狙いは多分博士だ。私が外であれを片付ける間、健人は博士の護衛を頼む」
 「ああ、わかった。でもこれ一体何なんだ」
 「さあな。私にわかるのは、人間ではないということ。それから三半規管はなさそうで……多分痛覚もないということだ」
 その視線の先ではさっき蹴り飛ばした何かがゆっくりと立ち上がろうとしているところだった。
 「行ってくれ、健人。気を付けて」
 「瞳子こそ」
 「ああ」
 そのまま瞳子は何かに飛び掛かっていく。
 俺の中の嫌な胸騒ぎはさらに膨れ上がった。
 「なんともない、なんともないに決まってる……!」
 
 「はあああああああっ!」
 拳を叩きつけた衝撃を、謎の生き物に向かって叩き込む。
 その動作の中で三日月瞳子は考えていた。
 しまったな、訂正するのを忘れたと。
 出撃前に瞳子と呼ぶのを訂正する、いつもの流れをし忘れた。
 それだけの事なのだが……ルーチンが抜けるときは集中力がかけている時。
 いや、今は目の前の敵に集中する時だ。
 と、意識を切り替えて戦いに向かった時だった。
 「!?」
 倒れた生き物に追撃を放つべく、馬乗りになった自分の上から落ちる影。
 「新手か!?」

 「博士、無事ですか!?」
 「まだ、なんとか。でもじわじわ包囲されつつある」
 監視カメラの映像が、小型のモニターに映し出されている。
 七つあるその画面の中では、謎の生き物が蠢きそれに指示を出すかのように振舞う男女が映っている。
 「心当たりはないんですか」
 「ない」
 「あっ」
 そのやり取りの間に、今しがた通り抜けてきた正面玄関の前で瞳子が男に殴り飛ばされる。
 「瞳子!」
 反射的に駆けだそうとした俺の腕を、博士が握った。
 「どこに行くつもり?」
 「瞳子を助けに行くんですよ!決まってるでしょ!?」
 「行って何ができる?君はノーマル。間違いなくあの男はギフテッドだ」
 そんなこと、見ればわかる。
 人間があんな勢いで飛んでいくのを俺は瞳子が思いっきり蹴り飛ばした相手でしか見たことがない。
 つまり、少なくとも何らかのギフテッドには違いない。
 「でも、このまま瞳子がやられるのを見てろっていうんですか!?」
 画面の中では。瞳子は防戦一方で。
 あんなにボロボロに傷ついた彼女を俺は見たことがない。
 「……どうしても行くかい?」
 「行きます」
 「死ぬとしても?」
 「瞳子に助けられなかったら、もうとっくに死んでる命です」
 幼児の喧嘩、制御できないギフトに巻き込まれかけた俺を助けてくれたあの瞬間から、俺の命は三日月瞳子によって生かされているに等しい。
 「なら、私に五分くれないか」
 「五分?」
 「ああ。五分で君を、ギフテッドと戦えるようにしてあげよう」
 
 「さあ、お嬢さん。もう少しこのじじいと遊んでくれるか」
 「……」
 目の前にいるのは、禿頭の老人。
 だが、そのパワーは瞳子のギフトの比ではない。
 三日月瞳子のギフトは、衝撃を操るもの。
 なので、瞬間的には普通の女性程度の威力しか出ていない。
 かっこ悪いので言わないが、無駄なポーズや跳躍を多用するのには敵の虚をつく以上に衝撃をため込むという大事な理由があるのだ。
 だが、目の前の男は違う。
 瞳子のそれに比べて、瞬間的に爆発的に筋力を上昇させるそれは派手さこそないが凶悪だ。
 それでも、膝を屈することだけはしない。
 三日月瞳子の憧れるヒーローに、敵わない強敵に命乞いをするものなどいなかったから。
 例え相打ちでも、この男だけは倒して見せる。
 人に躊躇なく暴力を振るえる人間は、原則的に悪だ。
 「ごめん、健人。もう守ってやれないかもしれない」
 彼は今日はヘルメットをしていない。聞こえるはずのない最後の言葉を呟いた。
 その瞬間だった。
 「弱気になるなんて、瞳子らしくないよ」
 確かに幼馴染の声がした。

 「健人……?なんでここに。それにそのスーツは」
 「話はあとだ。まずはあいつをぶっ飛ばす」
 メタリックな装甲を舐め回すように見る瞳子の視線を意識の外に追いやりながら、そう宣言した。
 「無理だ!健人はノーマルなんだぞ!?」
 その言葉を聞いて、老人が笑い声をあげる。
 「わしも甘く見られたものだのぅ。ノーマルにぶっ飛ばすなどと言われるとは」
 そして次の瞬間、憤怒の形相に変わり怒鳴り声をあげる。
 「身の程をわきまえよ!下等人類が!」
 その声に憶すことなく、俺は一歩前に出る。
 「身の程をわきまえるのはお前だ、悪党。俺はぶっ飛ばすて言ったら、ぶっ飛ばす」
 腰に下げられたガントレットに手を突っ込み、握りこめば腕にしっかりと装着される。
 「人生最期の華を咲かせてくれる!」
 散々瞳子を殴りつけた巨拳が、うなりをあげて飛んでくるのを俺は正面から左腕で受け止める。
 「なにぃ!?」
 「そんな!」
 「そんなに驚かれるなんて心外だな。皆して俺の事嘘つきだとでも思ってたのか?」
 そんな軽口をたたきながら、老人に向けて拳を構えた。
 「俺は老人差別なんてしない。それともう一つ、俺はもうノーマルじゃない」
 『ブラスト』
 機械音声が鳴ると同時に、加速した俺の右腕が老人の顔を叩く。
 「ぐっぬぅ!?」
 派手に吹っ飛んでいく老人に、そしていつの間にか集まっていた謎の生き物に、その後ろにいる男女に宣言する。
 「俺はノーマルじゃない。ナノマシンによる生体改造を受けた『ブーステッド』だ。覚えておけ」
 「ブーステッド……」
 なんでこの状況でそんなキラキラした目をしているのか、瞳子が立ち上がりこちらに歩いてくる。
 「おお、いいな!今風だ!私の趣味とは少し違うが、その武骨なガントレットもいい!」
 ペタペタと胴体の装甲を触る瞳子に対し、謎の生き物はじわじわと退いていく。
 そして、残ったのは七人の男女。
 その中央には、起き上がった老人がいた。
 「我が名はラース。大罪の一、憤怒のラース。ブーステッドの小僧、この屈辱、いずれ万倍にして返してくれる」
 「大罪って、国際指名手配中のテロ組織か」
 こいつら思っていた以上に大物らしい。
 「我ら大罪にたてつく愚か者ども、覚悟するがいい。貴様らは今日、破滅の道へと一歩を踏み出したのだ」
 その宣言に、俺のスーツをペタペタ触っていた瞳子が、まじめな声色で返答する。
 「いつでも相手になってやる。レディ・ショッカーとブーステッド……ブーステッド・ソルジャーがいる限り、貴様らの好きにはさせない」
 「ちょっと待って、そのブーステッド・ソルジャーって俺の事?まじで言ってる?」
 「レディ・ショッカーにブーステッド・ソルジャー。確かに覚えたぞ。次にまみえるときには、貴様らのその首、叩き折ってくれるわ」
 「俺の名前ブーステッド・ソルジャーで確定な感じ?どうしよう、ものすごく嫌なんだけど……」
 俺の抗議の声は誰にも届かないらしい。
 そのまま大罪は宙に溶けるように消えていった。
 「……ありがとう、健人。危ないところだったよ」
 「だからヒーローなんてやめようって言ったんだ」
 連中が消えた後、門扉にもたれかかるように並んで崩れ落ちた。
 瞳子は多分ダメージで。俺は……ブーステッド手術の後遺症で、もう立ってはいられなかった。
 どちらからともなく肩をくっつける。
 ずっと隣にあった体温が今も失われずにあるだけで、ものすごく安心できた。
 「そのブーステッドという能力、どんな代償がある」
 「なんか体の活性化がどうとかで、簡単に言えばものすごく腹が減るってことらしい」
 それを証明するように、腹の虫が何か食わせろと抗議の声を上げる。
 「そうか。なら、もっと気合を入れてご飯を作らないとな。せっかく相棒が出来たんだから」
 「やっぱりやめる気はないんだ」
 「当たり前だ。あんな巨悪が、私たちを狙ってくる。それだけで戦うには十分すぎる理由だ。私は見て見ぬふりはできない」
 「そういうと思った。じゃあ、俺ももっと気合を入れるよ」
 「ヒーローの良さに目覚めたか?」
 「それは一生わからないって前に言っただろ。そうじゃなくてさ、瞳子を守れるなら、こうやって一緒に戦うのも悪くないって、そう思ったんだ」
 スタイルはいいとはいえこの華奢な体で戦う幼馴染を、後ろから見ていることしかできない不甲斐ない自分とは、ここでおさらばだ。
 明日からは、俺もヒーロー。とりあえず『大罪』との戦いが終わるその瞬間までは。
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