第1話

文字数 10,627文字

 小学生の頃、放課後に友達と遊ぶと言えば大抵駄菓子屋に行くことが多かった。いつものおばあちゃんが優しく迎え入れてくれて、少ない小遣いを握りしめて駄菓子を買い、近所の神社や学校の校庭へ自転車を走らせ遊ぶ。遊んでる最中に勝負の賭け金としてそれぞれ買ってきたお菓子を賭けてみたり、あるいは普通に分け合ったり。駄菓子や自体がコミュニケーションの場であり、そこで買った駄菓子もコミュニケーションのツールだった。

 雪が融けてから降るまでの季節は大体週に三、四回くらいはそうやって遊んでいた気がする。遊ぶ内容は鬼ごっこや野球、サッカーなどその時々で違ったが、駄菓子屋に寄ってからどこかに遊びに行くと言うのはお決まりの流れだった。

 ただし、周りの皆んなが遊んでいる中、俺だけが遊びに行けない日が月に何回かあった。

 俺の通っていた小学校は一学年一クラス集めるのが精一杯な田舎の学校であり、俺のクラスには不登校児が一人いた。不登校と言っても虐めがあったわけではない。小学校三年生の時に転校して来た彼女は身体が弱く、都会での生活が辛いと両親が地元に家を建てる形で引っ越して来た。引っ越してきていくらか体調はマシになったらしいがそれでも学校に毎日通うことは叶わず、体調が良い日に偶に登校してくるくらいだった。

 彼女が登校出来ないことによりプリントやら何やらが溜まっていく。それを誰かが届けないといけない。俺が友達と遊べない日は、偶々彼女の家の一番近くに住む俺が、担任の教師に溜まったプリントやらを彼女の家まで届けに行くように頼まれた日なのであった。

 こう言うと俺が彼女の世話を押し付けられて面倒に思っているように聞こえるかもしれないが、実際はそんなことは無かった。

 確かに友達と遊べないのは惜しいが、彼女の家に届け物に行くと美人で優しそうなお母さんが家に上げてくれて、高そうなジュースとケーキなんかを出してくれたりするからだ。ケーキなんて誕生日とクリスマスにしか食べないような家に育った俺としては、来客にケーキを出すなんて言うことがまず信じられなかった。うちに親戚のおじさんが来たとしても出るのは大体は煎餅、良くて饅頭くらいのものだったからだ。

 最初のうちは客間でケーキをご馳走になりながらお母さんに学校での話をするくらいだったのだが、ある時から彼女が客間に顔を出すようになった。

 顔を出すようになってからも暫くはいつもありがとうとか細い声で言う程度だったが、次第に一緒に客間で話をするようになった。学校でこんなことがあったとか、放課後何をして遊んだとか、友達の間ではこんなアニメが流行っているとか、今やっている戦隊物が格好良いとか、そんな話を彼女は楽しそうに聞いていた。

 ある日いつものようにプリントを届けに行った時、彼女が顔を見せない日があった。お母さんが言うには今日は体調が悪く部屋で休んでいるとのことだった。いつものようにご馳走になった後、帰り際にお大事にと一声かけて行っても良いかと聞いたところ、お母さんが彼女の部屋まで通してくれた。

 ノックをすると辛そうな声でどうぞと返ってくる。彼女の病気に俺が何を出来るわけでも無いが、また話そうな、お大事にと告げると彼女は嬉しそうに微笑んだのであった。

 その次の届け物の日から、客間ではなく彼女の部屋に通されるようになった。今までは客間でお母さんも同席していたため、大人の前では口にするのは憚られるような馬鹿な話もするようになった。きっとこんな上品な家に住む子には無縁のことだろうと思ったが、それでも彼女は楽しそうに話を聞いていた。

 ある日、気まぐれで彼女の家に行く前に駄菓子を買っていくことにした。スルメやカルメ焼き、水で溶いて飲む粉ジュース、いつも友達と遊ぶ時よりも少し奮発して買い物をした。

 彼女の部屋に着くなり、今日はお土産を持ってきたと言って駄菓子を渡してやった。彼女は今までで一番の笑顔を見せた。正直言えばそこまで喜ぶようなものではなく、駄菓子よりもケーキの方がおいしいのは当たり前で、ジュースにしたって十円の粉ジュースとどこで買ってきたかわからないが高そうな瓶入りの物では比較するのも烏滸がましいとさえ思う。ただ、それでも今まで駄菓子屋なんて行ったことのない彼女にとっては、これが話に聞いていた駄菓子屋のお菓子と言うことで新鮮味があったのだろうなと理解して、こんなに喜んでくれるのならまた買ってこようと思った。

 彼女の家に通うようになって三年と少しが経ち、ある日彼女が遊びに連れて行って欲しいと言い出した。

 体調は大丈夫なのか、お母さんはなんて言ってるのかと聞いたが問題は無いらしい。

 小学校三年から六年まで三年以上こうしてプリントを届けて、話してきた。俺の中でも彼女はすっかり友達の一人になっていたし、断る理由も無かったのでそれなら明日の放課後に遊ぼうかと言ったところ彼女は嬉しそうにうん!と返事をしたのであった。

 翌日、学校へ行くと彼女が登校してきていた。登校してくることはこの三年間無いわけではなかったが、頻度は多くなかった。授業が終わったらすぐ彼女の家に行くつもりだったので少し面を食らってしまった。

 小学校六年にもなると男女の間に一定の距離感が出来ていて、男子で集まっている中一人抜けて彼女に声をかけることはなんだか憚られてしまった。彼女も彼女でクラスの女子と打ち解けることは無く、気まずい距離感が感じ取れた。なんだか酷く居心地が悪く、いつもより強く早く放課後にならないかななどと思いながら一日を過ごしたのであった。

 放課後、いつものように友達から遊ぼうと声をかけられたが、今日は用事があるからまた明日と言ってやり過ごす。彼女に声をかけようにもまだちらほらとクラスメイトが残っていたので、机の上にランドセルを置いたまま教室を出る。トイレにでも行って戻ってくる頃にはいくらか人が減るだろうと思い、またランドセルを置いていけば俺が帰ったわけでも無いことが彼女に伝わると思ったのだが、どうやら伝わらなかったらしい。彼女は俺の後を追いかけてきて声をかけて来た。

 「あの、今日放課後遊ぼうって……」

 心配そうに、細い声で声をかけてくる彼女。こちらとしてはすっぽかすつもりはなく、ただ人目に付くのが何となく気まずかっただけなのだが。

 「じゃあ、この後職員玄関前に集合しよう。下駄箱で靴を履き替えて一回出て、職員玄関に入ったところで待ち合わせ。それでいい?」

 このまま校舎内を一緒に歩いて行けば人目につくし、生徒用の玄関で待ち合わせもまだ残っている生徒がいるだろうと思い離れた職員用の玄関での集合を提案したところ、彼女はほっとしたような顔で頷き一人階段を下って行った。

 教室に戻り、ランドセルを背負い、彼女を追う。追うと言っても追いついてはいけない。いつもより少しゆっくりと歩き、下駄箱で靴を履き替え、職員玄関へと向かう。

 俺が職員玄関に着くと俯いて待っていた彼女がぱっと顔を上げた。

 お待たせと声をかけると彼女は嬉しそうな顔で首を横に振った。

 「今日遊ぼうって話だけど、何して遊ぼうか」

 そう彼女に聞いてみる。わざわざこうして登校してきたくらいだ。なにか目的があって登校してきたのだろう。

 「えーと、一緒に帰って、途中で駄菓子屋さんに行ってみたい」

 思えば彼女も偶には学校に来るとは言え、誰かと登校することもなければ下校することもなかったと思う。登下校の途中に彼女を見かけたことすらないのだ。きっと今まで登校してきたときはお母さんが送り迎えしてくれていたのだろう。今朝もそうだったのだろう。

 「良いよ、行こっか」

 俺の友人達が学校を出てからしばらく経った。きっともう駄菓子屋で買い物を終え、今日の遊び場に向かっていることだろう。鉢合わせることもないはずだ。

 彼女と並び歩く帰り道は新鮮だった。そもそも女の子と二人で道を歩くなんてことが今まで殆どなかったと思う。時に走り、時に立ち止まり、全体を通してみればそこそこ急いでいた。次に遊ぶ予定があったからだ。

 対して今は歩幅も歩調も一定で、彼女の少しゆっくりめなペースに合わせて歩いている。いつもよりゆっくり歩くことで普段気に留めていなかった景色が目に入る。稲刈りが終わり足跡に水が溜まっている田んぼ、背高草に追いやられ隅の方で細々と茂っている薄、普段から見ている筈だけれど、細部によく目が付くと言うか、はっきりと輪郭が見えるような感覚だった。

 「学校に来たのは久しぶりだけど、体調はどう?」

 ただ歩いているだけだと間が持たないと言うか、いつもの彼女の部屋で話しているときはすらすらと言葉が出てくるのに今日は何故かつっかえる。何か話すことは無いかと考え、彼女のいつもと違うところ切り口に質問してみた。

 「今日はね、こうやって一緒に帰ってみたかったから学校に来たの」

 優しくはにかみはなが彼女は答えた。いつも家に行った時は部屋着と思しき服装だったが、今日の彼女は清楚な感じのワンピース姿だった。彼女の笑顔はいつもと変わらない筈なのに、いつもの彼女じゃないような気がして、もう三年も話している筈なのに緊張してしまう。

 今までずっと友達だと思っていて、それは変わらないのだけれど、彼女は女の子なのだと否応にも意識してしまう。

 意識したところで何が変わるわけでも変えられるわけでも無いので、一緒に帰ってみたかったという部分に関してはそっかと簡単な返事をするしかなかった。

 ただ、一度会話を挟んだことにより歩き始めた当初よりは話せるようになった。駄菓子屋で何が食べたいのとか、今日の授業がどうだったとか、そんな他愛の無い話を続けながら歩いた。

 体感でいつもの倍以上の時間がかかったなと言うところで駄菓子屋についた。ガラッと戸を開けていつものように入ると、おばあちゃんはいらっしゃいといつもと変わらない様子で迎え入れてくれた。

 駄菓子屋に入ると、彼女の表情が一段と明るくなった。駄菓子屋さんってこんなに沢山お菓子が置いてあるんだねと今まで食べて来た駄菓子がずらりと並んでいる様に興奮しているようだった。

 何を食べようかなとまるで宝石でも見るかのように目を輝かせる彼女と並び、駄菓子を選んでいく。

 中には今まで買っていったことのない駄菓子もあるので、訊かれる度にあれはヨーグレだとかあの中にちっちゃいラムネが入っているんだとか説明してやる。

 一通り駄菓子を買い終え、それぞれ代金をおばあちゃんに払い終えたところで彼女が言った。

 「ごめんね、ほんの少しでいいから外に出て待っていてくれないかな」

 どうしてと言葉が口をついたが彼女は恥ずかしそうに俯くばかりであった。おばあちゃんの方を見ると優しそうな顔で、だけれど確かに外に行ってなと言う顔でこちらを見ている。

 理由はわからないが、彼女なりの理由があるのだろうと思い、店の外で待つことにした。

 彼女は二、三分もしないうちに店を出て来て、待たせてごめんねと謝ってきた。

 対して待ってもいないし、気にしないでと答えると彼女は少し気恥ずかしそうに笑うのだった。

 「駄菓子屋の他にどこか行きたいところある?」

 駄菓子屋に寄ってすぐ帰るのではあまり遊んだと言う気にならないので聞いてみた。

 「いつもお話ししてくれる時に出てくる神社に行ってみたいな」

 ここ最近男友達と遊ぶ時は校庭でサッカーをするのが常になっていたので、恐らく男友達と鉢合わせることはないだろう。

 「わかった、神社に行こっか。ただ、俺の友達連中が遊んでたらその時は違う場所に行こうと思うんだけどそれでもいいかな?」

 そう訊くと彼女は頷いた。彼女からしても俺の他の友達のことは話に聞いているだけで接点はほぼ無い筈だし、いきなり鉢合わせても気まずいのだろう。

 駄菓子屋から神社までは学校から駄菓子屋へ行くよりもかなり近いので女の子連れの足でもすぐに着いた。

 いつも男友達と遊ぶ時は鬼ごっこの類をしたり境内で屯してみたりするのだが、走り回って遊ぶタイプとは思えないのでとりあえず靴を脱いで境内に上がることにした。

 段差に二人で並んで座り、先程駄菓子屋で買ってきた菓子を広げる。男友達とはよくやるが、彼女にはお土産として駄菓子を持っていくことはあっても一緒に食べるのは初めてだった。

 「ねぇ、これ一緒に飲んで欲しい」

 そう言って彼女が出してきたのは粉ジュースのメロンソーダだった。それもきちんと二袋。

 「コップなんて持ってないよ、水も手洗うところのしかないしさ」

 そう言うと彼女はランドセルからプラスチック製のピンク色のコップと水筒を取り出した。彼女は意外にも慣れた手つきで粉ジュースを二人分作り終えると、更に銀色の保冷袋からホームランバーを取り出した。これを先程買っていたのだろうか。

 銀紙を剥がし、おばちゃんに貰ってきたであろうアイス用の木のスプーンでホームランバーをコップへこそげ落とす。

 「はいどうぞ、クリームソーダ」

 この世の中にはメロンソーダにアイスクリームを乗っけたクリームソーダなるものが存在すると言うことは知っていた。だけれどこの街には喫茶店など役場前の商店街に古臭い店が一軒あるのみで、僕らがそこへ行くには自転車に乗って行ってもかなりかかる。子供だけで行くには高くつくし、親も役場まで行く用事があったとしても子供など連れて行かないし、仮に近くまで連れて行ったとしても客の誰も彼もが煙草を吸う喫茶店になぞ子供を連れて行こうと思わない。つまり、俺達田舎の子にしてみればクリームソーダは初めての体験なのであった。

 「ありがとう、でもどうしてクリームソーダなんて思いついたの?」

 そう聞くと、彼女はあっさりと答えた。

 「昔東京にいた頃にお父さんとお母さんの三人で喫茶店に行ってね、そこで飲んだクリームソーダがとっても美味しかったの。でも煙草の煙が良くないからって喫茶店には中々連れて行って貰えなかったの」

 そう言えば彼女は元都会の子なのであった。

 「初めてこのジュースをもらった時に、あの時のソーダに似てるなって思って。こうやってアイスを乗っけたらもっと美味しくなるから、二人で一緒に飲みたかったの」

 クリームソーダは彼女にとって都会に住んでいた頃の貴重な思い出の一つだったらしい。

 思い返してみれば彼女と俺との会話はいつも俺が話してばかりだった。俺が見たこと聞いたことしたことを彼女に話して共有することはあれど、彼女の方から何かを積極的に言ってくることは無かったように思う。そう考えるとこのクリームソーダにはこの田舎では中々ありつけるものではない、それ以外にも価値があるように感じられた。

 彼女が作ってくれたクリームソーダはとても冷たく、甘く、瑞々しかった。きっと水筒の水には氷が沢山入っていたのだろう。持ち運んでいる間に少し溶けかけたバニラアイスが炭酸で泡が立ちシュワシュワと膜を張る。きっと高級さで言えば彼女の家でお母さんが出してくれるジュースの方がずっと高級なのだろうしこの田舎では珍しいものなのかもしれない。ただこの田舎のしかも野外でクリームソーダを飲んだのはきっと俺達が初めてだろう。

 「ありがとう、クリームソーダなんて飲むのは初めてだけれど、とっても美味しいよ」

 そうお礼を伝えると、彼女は嬉しさと安心が半々で混ざった様な顔でどういたしましてと答えた。

 クリームソーダはあっという間に飲み干してしまったが、駄菓子はまだ沢山余っていた。二人で色々食べながらどれが一番好きかなんて話したりした。彼女にとっての一番は粉ジュースで、二番はカルメ焼きとのことだった。どちらも俺が最初に持って行った駄菓子だった。

 駄菓子をあらかた食べ終えた後も他愛の無い話が続いた。下校当初の緊張などすっかりどこかに消えてしまって、このまま二人で永遠に話していられるように錯覚しかけた頃に不意にチャイムが割って入った。

 夕方五時を告げるカラスと一緒に帰りましょのチャイム、遊びの終わりを告げる音だった。いつも男友達と遊んでいる時もこの鐘が鳴れば帰り支度を始める。この楽しい時間がいつまでも続いて欲しいと思ってもそれは現実にはならない。俺にも彼女にも帰りを待つ家族がいるし、まして彼女の親からすればこうして彼女が付き添いなしで出かけることさえ滅多にない経験だろう。帰り道は寂しいものだけれど、また会えるのだから、きちんと送り届けてあげないと。

 「五時のチャイムが鳴ったし、そろそろ帰ろうか」

 そう言って散らかしたごみを片付け始めると、彼女から待ったがかかった。

 「あの、もう一つだけ。これを貰ってください」

 そう言って彼女は茶色の紙袋を手渡してきた。これはあの駄菓子屋で沢山駄菓子を買って持ちきれない時にだけ入れてくれる袋だった。ただし、やけに角ばっていて駄菓子が入っているようには見えなかった。

 袋を受け取って開けてみると、中身は日焼けし色褪せつつある箱に入っている超合金ロボットの玩具だった。三年前にやっていた、戦隊物の合体ロボット。当時はとても子供たちの間で人気で、勿論俺も夢中になっていて、彼女の前でも何度も話をした。その時、駄菓子屋にこの玩具が入荷したが、高くて誰も買えないと話したことを思い出す。

 勿論、大人と一緒なら買える金額だった。でも駄菓子屋に大人と一緒に行く子供はそう居ないし、玩具が買ってもらいたい時には玩具屋に連れて行って貰うのが常だ。そういう理由で売れ残り、次の年になればまた新しい戦隊に替わり、ロボットも替わる。そうやって売れ残り続けたロボットだった。

  正直に言えば、このロボットがあの駄菓子屋に売っていることも、そんなことを彼女に話したことも俺は綺麗さっぱり忘れていた。新年度を迎え新しい戦隊が始まった時にすっかりブームは去ってしまっていたのだった。

 ただ、彼女は覚えていた。俺が格好いいと、欲しいと言ったものを言った本人が忘れているのに律儀に覚えていたのだ。きっと彼女は俺が話した他の他愛無い話も同じように覚えているのだろうなと思った。そう思うと無下にするのも憚られた。

 「こんな高いもの、本当に貰ってもいいの?」

 これを買うことを彼女はずっと計画していたんじゃないかと思った。駄菓子屋に行って思い付きで買うには値が張る品だった。きっとあの人の良いおばあちゃんなら封さえ開けなければやっぱり返したいと頼み込めばお金を返してくれると思う。でも、このロボットをもう要らないから返そうなんて言ったらきっと彼女を傷つけてしまう。そう思った上での確認だった。

 「良いの。君は身体が弱くて学校に行けない私をいつも楽しませてくれた。友達の居ない私と仲良くしてくれた。だからどうしてもお礼がしたかったの」

 予想通りだった。このロボットは絶対に貰わないといけない物だった。

 「本当にありがとう、ずっと大切にするね」

 ありったけの感謝を彼女に伝えると、彼女は感極まった顔でうん、うんと何度も頷いた。彼女の眼は薄っすらと潤んでいた。

 貰ったロボットを袋の中に大切にしまい直し、駄菓子のごみを纏めて屑籠に入れた。この神社が子供達の遊び場になっていることは神主さんも知るところなのだろう。せっかく屑籠を置いてくれているのだからと、いつもここに駄菓子のごみを捨てることにしていた。

 「そうだ、折角だから帰る前にもう一つしていこうか」

 そう言って俺は財布からなけなしのお金を全部取り出して、賽銭箱に投げ入れた。

 「今お金を入れたから、二人でお願い事をしていこう」

 ガラガラと鈴を鳴らし、二回お辞儀をして手をパンパンと二回叩く。やり方は親の見様見真似だが、彼女も戸惑いながら見様見真似で後に続いた。

 「こうやって手を合わせたまま、口には出さずに神様にお願い事をして、最後にもう一回お辞儀をするんだ」

 どうすればいいのか戸惑う彼女に説明してから目を瞑り神様へ祈る。どうか、この優しい彼女の身体を健康にしてください。病気を治してあげてください。

 お辞儀をし目を開けると彼女はまだ手を合わせてお願い事をしていた。随分長くお願い事をしていたように感じる。ようやく願い事を終え、お辞儀をした彼女はこちらを向いてありがとうとお礼を言った。

  「じゃあ、帰ろっか。家まで送っていくよ」

 そう言って彼女と共に帰り道を歩き始めた。今日やるべきことは全部やった。そんな気分だった。いつか彼女ともっと学校で話せたり、沢山遊んだり出来たらいいなと思いながら歩いた。

 沢山遊んだ満足感を感じながら歩いていると、不意に右手に柔らかい何かが触れた。それは彼女の左手だった。

 秋風に当たり冷たくなって、それでも芯に温もりを感じる、柔く儚い手だった。彼女の方をちらりと見ると気恥ずかしそうに俯いているが、手は裏腹に段々と力が増してきた。そうは言っても彼女の力は非力なのだが、女子と手を繋ぐのも初めてで、気の利いた大人みたいなことも言えない俺にはその非力な手を握り返すのが精一杯だった。

 心臓が跳ね、顔が火照るのが止まらない。それは彼女も同じようで、しばらく歩く頃には最初に感じた冷たさはどこにもなく、耳まで真っ赤になっていた。

 どちらも言葉を発さず、坦々と歩き続けた。話さないことに対する気まずさなんてどこにもなく、ただお互いに手を握り続けた。ずっとこのまま時が続けばいいと思っていたし、きっと彼女もそう思っていただろう。

 だけれど彼女の家にはあっさりとついてしまった。彼女の手がするりと抜けた。こんなに名残惜しいのかと思った。こんな気持ちには夏休みの最終日でさえなったことが無かった。

 彼女は玄関の前に立ち、微笑みながらありがとうと言った。

 俺はまだこの場に居続けたい気持ちをぐっと堪え、また今度遊ぼうねと言った。

 彼女が玄関の中に入るのを見届けて、ほんの僅かな帰路に就いた。夕焼けがやけに眩しかった。

 家に帰り、早速彼女から貰ったロボットを箱から出してやった。あぁ、こんなのだったなと懐かしみながら勉強机の上に飾った。そしていつものようにお風呂に入り、夕飯を食べ、宿題を適当にやっつけたところで寝てしまった。

 その日の深夜、救急車のサイレンで目を覚ました。この近所のどこかが呼んだらしい。どこかの家のじいちゃんばあちゃんが倒れたのかなと思い、再び眠りに就いた。

 彼女が俺の前から姿を消して五年が経った。あの日の救急車は彼女を乗せて運んで行った。後から聞いた話だが、彼女は越して来てからの三年で随分具合が悪くなっていたそうだ。薬や対症療法ではもうどうにも出来ず、根治させるには手術が必要だが成功する見込みは薄かったらしい。

 今まで何度も車で二時間近くかかる大学病院に通っていたそうだ。その通院の日を避けて担任の先生はプリントを俺に運ばせていたとのことだった。

 本当はあの日もとても学校に行ける体調ではなかったのだが、手術を受けることになればもう学校へは行けないと、最後の思い出にと無理をしたらしい。

 身体が弱いことは理解していた。でもあんなに嬉しそうに笑う彼女がそんな深刻な状態になっているとは思わなかった。ただ今になって考えると、あの日急に登校したこと、初めて二人で遊んだこと、子供の小遣いで買うには高い玩具をプレゼントしてくれたこと、帰り道手を繋いで歩いたこと、最後の言葉がまたねじゃなくてありがとうだったこと、全部が繋がるように思えてしまう。

 この街も五年間で随分と変わった。彼女が居なくなってから二年くらい後に駄菓子屋のおばあちゃんが癌で亡くなった。あの優しいおばあちゃんが死んでから、あの駄菓子屋が開いたことは一度も無い。

 新しい道路が出来て、大きいスーパーマーケットやら、新興宗教の拠点やらが出来た。商店街や地元の小さな商店に通っていた客はどんどんとスーパーに集まり、役場近くの商店街は殆どの店舗が閉店したらしい。商店街の中にはあの喫茶店も含まれており、ついぞ一度も入ることなく、当然クリームソーダを飲むこともなく閉店したとのことだった。

 変わらないことと言えば、あの日以来空き家になっており未だ誰も住んでいない彼女の家と、どうしても捨てる気にもしまう気にもなれず、未だに勉強机に飾ってあるロボットだけだった。

 十月も下旬になると朝晩は冷え込んでくる。折角の日曜だと言うのに彼女が居なくなったのもこんな秋晴れの日だったなと思うと何もやる気も起きなかった。

 俺の彼女に対する感情はきっと初恋だったのだろう。中学、高校と順調に進学し、それなりに新しい女子との出会いもあったが、彼女が俺の中から消えることは無かった。彼女と話した日々が、微笑みが、手の温もりが、何だか酷く恋しく感じるのはあの日を思わせる様な秋のせいなのだろうなと思った。

 俺はいつになったらセンチメンタルを卒業できるのだろうか。いつまでもいつまでも自分がいい加減嫌になる。成長したのは図体ばかりか。ただ一つ、あの日の子供のまま言わせて貰えるとするなら、神様は子供の真摯な願いくらい聞いてくれたって良いじゃないか。あれっぽっちの額でも子供には大金だったのだ。神様もけちな奴だなと思う。

 そんな風に心の中で神様に文句を言っていると玄関の呼び鈴が鳴った。新聞代の集金か、はたまた最近新しい道沿いに出来た新興宗教の勧誘か。ごめんくださいと呼ぶ声は若い女性のものだ。新興宗教だったら怒鳴って追い返してやる。こちらは神様なんぞ信じちゃいないのだ。

 戸を開けてみると目の前には華奢な若い女性がいた。長く艶やかな黒髪と、対照的に真っ白な肌とワンピースが印象的だ。あっけに取られていると彼女は微笑みながら言った。

 「この度近所に越してきました。こちらつまらない物ですが挨拶の品になります。お納めください」

 彼女はそう言うとどこかの立派なケーキ屋の洒落たお菓子でも入っていそうな手提げ袋を手渡してくる。そしてその手提げ袋を受け取った俺の手を握り言った。

 「久しぶり、また会えたね」

 前言撤回しよう。神様ってのは本当に居て、子供の真摯な願いをきちんと聞き届ける律儀な存在らしい。
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