アサちゃんとわたし

文字数 6,986文字

「お菓子の柿の種って、フルーツのほうの柿に入ってる本物の種とさぁ、似て非なるよねぇ」

アサちゃんのよくわからないゴタクが始まった。
今日もアサちゃんは、かわいくてキレイで可憐でかっこいい。





思えばアサちゃんと出会ったのは、中学生の……





「ねぇ、ちょっと聞いてる?」
「うん。聞いてるよ」

と言いつつも、こういうアサちゃんのどうでもいい発言を浴びると、なぜかいつもアサちゃんとの出会いから回想にフケりたくなる。
だけど毎度それを邪魔するのが、当の本人であるアサちゃんだ。

「もう何万人って人が話したであろう柿の種論争を、わたしたちもする必要はないんじゃないかな」
わたしはこの話題をバッサリ切りにかかった。

目論見どおり、アサちゃんはこれ以上この話を膨らませる気力を失ったようだ。
アサちゃんは椅子にのけ反り、天井なのかその先の空なのか、はたまたなにも目に入っていないのか、そんな目線をとっていた。

よし、これで回想に戻れる。
わたしは意気込んだ。





アサちゃんと出会ったのは中学生の頃だった。
1年2組のクラスメイトだった。

アサちゃんはいつも快活で凛々しく、勉強もスポーツも並外れていて、芸術にも才があって、顔立ちはとんでもなくかわいくて、スタイルはもう完成品のように美しかった。
しかも、先生にも物怖じしない高潔さも兼ね備えていた。
アニメの超絶キャラ、そのものだった。

そんなアサちゃんは、なぜかわたしに、入学して間もない頃から一目を置いてくれた。
よく話かけられるようになり、いつの間にか、もうはたから見たら親友としか思えないほど、ずっと2人で過ごしていた。

アサちゃんがどうしてわたしに話しかけるようになったのか、最近になってそのきっかけを本人から聞いた。
わたしの一人称が「わたし」だったことが珍しくて、それで気に入ったんだ、と。

たしかに、わたしの地元の同世代の子たちはみんな、性別を問わず、一人称が自分の下の名前だった。
当然、アサちゃんも自分を指すときは「アサは」と、言葉を始めていた。

どっちが珍しいのか、成人を越えた今では一目瞭然だけれど。
とにかく、アサちゃんとはもう長いつきあいだ。





「メニュー決めた?」

また現実に戻された。
そういえば、2人でカフェに来ていたんだ。
横で店員さんが少し前屈みで待ってくれていた。

「わたしはカツサンドとコーヒーでお願いします」と、わたしは答えた。
「アサはローストビーフサラダとボロネーゼパスタで……とりあえずジンジャエールかな。あと、デザートにティラミスとコーヒーをお願いします」と、アサちゃんはやさしい微笑を店員さんに向けていた。

アサちゃんはよく食べる。
気持ちいいくらいに。





アサちゃんは、欲張り大食漢だった。
いつも給食をおかわりしていた。
近くの席の子の目を盗んでは、その子のおかずをチョロまかしてもいた。

わたしの知る限り一度もバレたことがない。

アサちゃんは、とにかく満足するまで食べ続ける。
とはいっても、大食い選手ほど尋常な量は食べない。
欲張りだけど節度ある大食漢なのだ。





「やっはりほのお店来た甲斐ファっはよね」と、アサちゃんは口をもぐもぐしながら、は行多めで言った。

くそ、、、かわいい。

「カツサンドもおいしいよ」と、わたしは返事をした。

「知ってる」と、アサちゃんは笑顔で言った。

しまった、、、と、思った。
わたしが回想にフケっている間に、つままれていたようだ。

「スネ夫とジャイアンのハイブリッドしないでよ。まったく」と、いつもの合言葉を投げる。

「アサは、360°デキスギ君だよ」と、アサちゃんはいつもの下の句を詠んだ。

意味が通っているのかいないのかわからない、2人だけの言葉遊び。
2人で会うと、いつもこんな調子だ。





高校受験を控えた3年生の6月だった。
2人とも国語がなぜか、そこまで得意じゃなかった。
アサちゃんは完全無欠だけど、それでも国語のテストだけはちょっと間違えるのだ。

「わたしの言語体系は、日本教育の想定範囲を越えた先にあるんだ」と、アサちゃんは開き直った。
「じゃあ、わたしもそういうことにしようかな」と、わたしはその理論に便乗しようとした。
「アオはだめだよ。アオは単純に国語力がないんだから」と、アサちゃんはからかってきた。
「ハシゴ外さないでよ。まったく」と、わたしは冗談まじりにため息をついた。
「とにかく、アオはもう少し学力上げないと、アサと同じ高校進めないんだからね。がんばってよね」と、アサちゃんは説教ジャブを打ってきた。
「はーい」と、わたしは適当に流した。

まあなんとか、同じ高校に進学できた。





「今日はさ、けっこう大事な話があってアオを呼んだんだ」と、アサちゃんはめずらしく緊張した面持ちで言った。

「そうだったんだ。なんだろう」と、わたしは生返事をした。

そういう顔をされると、あの日のことを思い出す。





高校時代、アサちゃんは科学部で、実験の日々を楽しんでいた。
生き物の解剖がとても好きだった。
もはや猟奇的な勢いで解剖実験繰り返していた。
わたしも、アサちゃんとなるべく一緒にいたくて入部した。

高2の暮れには、アサちゃんは実験をやり尽くしていた。

「ねえアオ。アオはだれかとセックスしたことある?」と、アサちゃんは実験ノートを書きながら聞いてきた。

「えっ。急になに?」と、わたしは驚くしかなかった。

「アサはないよ。セックスしたこと……ただ、気になったから」と、アサちゃんは言った。

「わたしだってないよ。またからかってさ」と、わたしは呆れた声をもらした。

「じゃあ、しようよ。セックス……今から。アサの家で」と、アサちゃんはわたしの顔を向いて言った。
その顔は、アサちゃんらしくなかった。





デザートと飲み物がテーブルに置かれる。
わたしのコーヒーは、まだ半分くらいだ。

アサちゃんはティラミスを一口入れて、コーヒーで流し込む。
アサちゃんにしては少しだけ、行儀の悪い感じだ。
初めて見た気もする。
どうもほんとうに緊張しているのかもしれない。

「そろそろ帰らなきゃいけない、なんてことはないよね?」と、アサちゃんは聞いた。
「ないよ。アサちゃんの話をゆっくり聞くことができる」と、わたしは言った。

この雰囲気は、やはりあの日に近い感じがする。





アサちゃんのお家は相変わらず、大きくてきれいだった。
そしてアサちゃんの部屋も、よくきれいにされていた。

「今日は両親とも帰ってこないんだ。旅行だってさ」と、アサちゃんは他人事すぎるような口調で言った。

「そっか」としか、わたしは言えない。
わたしは心拍数を落ち着かせるのに集中していた。
今思うと、よくあるシチュエーションだね、ぐらいは言えたかもしれない。

「じゃあ、はじめよっか」と、アサちゃんはあっさりしたセリフを、なんとなく震えた声で言った。
アサちゃんも緊張しているんだと思った。

そしてわたしたちは服を脱いで、お互いが裸になった。
キスをしてみる。
わたしは涙が出そうになるのを必死で抑えた。
でも、それとなく見えたアサちゃんの瞳は、解剖しているときの瞳孔が開いたそれだった。
2人で胸を触り合う。
乳首を手のひらがかすめるたび、わたしの頭は白いピースに埋められていった。
でも、アサちゃんのその緩んだ口元は、内臓を観察しているときのそれだった。
それでもわたしは気にしなかった。
お互いの陰部まで手を伸ばす。

「やっぱりもういい」と、アサちゃんは自分の手を引き戻した。
わたしはただ、固まった。

「今日はこれくらいでもういい」と、アサちゃんは落ち着いた声で言った。
わたしはアサちゃんの顔を見れなかった。

「そっか」と、わたしは声を振り絞ってつぶやいた。
不意に、唐突におわったから、言葉がでなかったのだ。

アサちゃんとわたしは服を着た。
せっかくだし、とアサちゃんはそのまま泊まるよう言った。
わたしは親に電話して、了承をもらった。

そのあとのことはあまり覚えていないけど、特に会話はなかった気がする。
ご飯を食べるでもなかった。
アサちゃんが気になっていた『NORMAL PEOPLE』というドラマを、寝落ちするまで2人でただ観ていた。

あれ以来、こんなことは二度となかった。





「あのね、アオ。アサ、結婚するんだ」

なにを言われたのか判断がつかなかった。
とにかく返事だけをしようと脊髄が動いてくれた。
「そっか」と、わたしの声は少し上擦った。

わたしは心の平静を保つため、回想にダイブする。




大学は別々になった。
アサちゃんは日本屈指の医学部に進んだ。
わたしは二流大学の経済学部に通った。
どちらも、同じ都内の同じ区にあった。
だから、月に1回くらいは会えた。

会う度に、アサちゃんの服装やメイクは変わっていた。

そんな日々が続いて、わたしたちはもう大学4年生になろうとしていた。





今日はわりと久しぶりのカフェだった。
たぶん、2ヶ月ぶりだ。
こんなに間隔が空いたのは、たぶん初めてだ。

「これ、相手の写真」と言って、アサちゃんはスマホの画面をわたしに見せた。

勘弁してほしかった。
心が瞬時にそう言った。

その写真に写った顔は、どう見てもわたしだったのだ。

「そんなからかい方は、いくらなんでも笑えない」と、わたしは言った。

「そういうつもりじゃない。ごめん。ちゃんと説明させて」と、アサちゃんは言った。

その必死な表情によって、わたしは回想に更け入ることを、やめざるを得なかった。
少しばかりの沈黙のあと、アサちゃんは話しはじめた。

「アサは、アオの容姿をしたセックスボットと結婚するの。もちろん法的には無理だから、精神的な意味合いでね」と、アサちゃんは意味不明な説明をした。

ある意味ではアサちゃんらしい、突拍子もない言動だった。
だからかもしれない。
およそ説明ともいえないその説明で、わたしはなんとなく理解しそうになっている。
でも、感情はぐちゃぐちゃだ。

アサちゃんはセックスボットと結婚すると言い出した。
2次元のキャラクターでもなく、ネットゲーム内の他のプレイヤーでもなく、リアルな人でもなく、セックスボットと。
しかも、わたしそっくりの。

「アサは、アオが好き」

じゃあ、どうして。

「だから、アオと同じ姿のセックスボットをつくってもらったんだ」

だから、はおかしい。

「ほとんどフルオーダーメイドだったから、700万円もしたよ。医学部だし容姿端麗なアサだから、わりのいいバイトですぐに貯められたけどね」

「わたしならタダなのに」と、誰にとっての皮肉かわからないことをわたしは吐露した。

「大学に入ってから、アサは毎月のようにいろんな人と恋愛をした。セックスだけの関係の人もいたし、パパ活目的でもセックスした」

わたしの発言は無視された。

「海外の人ともセックスしたし、いわゆる性的マイノリティーの人ともした」

もうとにかく最後まで聞こう、とわたしは思った。

「でも、高校時代のアオとの、あの日の感情の高揚を超えることはなかった」

「じゃあ、わたしでいいじゃん」と、わたしは小声で荒げて言った。

「たしかにそう思うよね。でも、あれ以来、アオと会っても別にそういう気持ちにはならなかった。なぜだかわからないけど、あの日のアオへの感情を、あの日以降のアオには抱けなかった。だけど、アオのことは好き」

説明されればされるほど、わたしの混乱は増していった。

「だからって、セックスボットは唐突すぎない?」と、わたしはよくわからない反論をした。
いや、そもそも一連の会話が、どう考えても意味不明だ。

「いろんな人とセックスし尽くしたかなと思ってたときに、知り合いからセックスボットのことを聞いたの。しかも、セックスボットを実際に見たり触れたりできるお店が、都内にあるって言われて。それでアサは行ったんだ」

どうせその知り合いもセックス相手だ。
というか、高校のときのあれは、アサちゃんからいきなり終わらせていたはずだ。
あのときわたしは、アサちゃんに捨てられた気分だった。
でもさっき、アサちゃんは感情が高揚していたと言った。
アサちゃんのことが、どんどんわからなくなってきた。

「魂と神経と筋肉がないってだけで、あとは何もかもが本物の人間だった。そうなれば、わたしはもう試さずにはいられなかったんだ」と、目を輝かせて言った。

マッドサイエンティスト、という言葉がわたしの脳裏をかすめた。

「アオと同じ容姿、身長も体の形も可能な限り本物のアオに近づけた。家に届いて、その姿を見た瞬間、わたしはイッた。あの日以外で初めて。でも、あのときよりも強いオーガズムだった」とアサちゃんは続けた。

瞬間、なぜか、わたしはすこしうれしいような気分になった。
きっと気が動転しているのだ。

「もうアオの完全体だった。わたしの欲しいアオのすべてを感じた。その日は何度もアオと肌を重ねた。それはもう交わいだった」

偽者のね。
いや、偽物の。

「きっと一時の気の迷いだとも思った。だけど、そこから2ヶ月経っても、実際に会うアオよりも、家にいるアオに発情しつづけた。だからね、もう結婚しちゃおうと思ってさ」

どうやらひとしきりの説明を終えたようだ。
聞けば聞くほど説明になっていかない説明だった。
わたしは、その間に抱いていた質問を1つした。

「わたしとつきあうっていう実験はしないの?」と。

「それも考えた。でもきっと、2人の関係は壊れて終わる。そうしたら二度と会わない人生になるかもしれない。あのドラマみたいには、きっとならない」

アサちゃんの考えは、きっと正しい。
だからわたしも、この距離感をずっと保ちつづけてきた。
アサちゃんと会えない人生は怖いから。

「アオとは今の関係のまま、死ぬまで一緒にいたい。恋愛とか結婚とかの形じゃたぶんダメで。今のこの形でしか安定しない」

「それはそうかもしれない」と、わたしは言った。

「アサは、セックスボットのアオと結婚する、精神的に。でも、アオとはずっと友だちのままでいたい。そのためには、このことをちゃんと伝えないといけないと思ったから、打ち明けた」

わたしはしばらく黙った。
アサちゃんも黙っていた。

「そっか」としか、わたしは言えなかった。

なんだかどうでもよくなってきた。
要するに、アサちゃんの検討事項から、わたしの気持ちは抜け落ちているんだ。
わたしの感情は度外視されていた。
こんなこと別に知りたくなかったし、知らなくても今の関係でいられるはずだから。
隠しつづけることへの罪悪感から、アサちゃん自身が逃れたかっただけだと思う。
それを聞いて、わたしがどんな気持ちになるかなんて、アサちゃんは計算しない。
そういう人だってことも知っている。
何をされても、わたしはアサちゃんのことが好き。
アサちゃんもそれを知っているから、わたしが何も言わないで受け入れると確信しているから、打ち明けてきたんだ。
じゃあ、それに乗るしかない。
わたしは、アサちゃんが幸せであればそれでいいと思う。
また来月も会えれば、それでいいと思う。
それが、続けばいいと思う。

「正直、あんまり咀嚼できてない」と、わたしは言った。

アサちゃんは特になにも言わず、わたしのへそのあたりをテーブル越しに見ていた。

「でも、別にいいよ。わたしは。アサちゃんが幸せなら、祝福する」と、わたしは言った。

アサちゃんは、少し黙ってから言った。
「アオは、どんなアサでも受け入れてくれるんだね」と。

「まあ、長い付き合いだからね。なんというか、ありえない展開というほどではないのかな、とは思うよ」と、わたしは言った。

「文句のひとつもないの?」と、アサちゃんは念の為の質問をした。

「文句というほどのものはないよ。ただ、ショックみたいなものは受けていると思う。だけど、言語化するほどの熱意の湧く感情ではないかな」と、わたしは言った。

「じゃあ、来月も会ってくれる?」と、アサちゃんは尋ねた。
人によっては、これは傲慢な質問として受け止めるだろう。
でも、その質問はわたしにとっては助け舟のようなものだ。
そう聞かれたら、イエスしかないのだから。

「うん。会おうよ。会いたいときは、いつでも会おう。きっとそれが、わたしたちが安定していられるための方法だから」と、わたしは微笑んだ。

アサちゃんは、安堵したような表情をしていた。

アサちゃんは、ソーサーを左手で持ち上げ、胸の辺りに来たところで右手でカップをつまんで口に運んだ。
カップを見ているのか、はたまたなにも見ていないのか、そんな目線だった。

それからはなんとなく2人とも黙って、お店の窓から見える歩行者を眺めていた。

しばらくして、アサちゃんがお手洗いに行った。
そのついでに、お会計を済ませてくれていた。

「でよっか。今日は、奢るね」とアサちゃんは身支度をしながら言った。

「ありがとう……ごちそうさま」と言って、わたしは微笑んだ。

いつもの調子でお店を出て、その場で解散する。
駅がまったくの逆方向だと、毎回そうなる。
20mくらいまでは、手を振りあって離れた。
そして、わたしは駅を向いた。
イヤホンを耳にはめて、スマホを取り出す。
いつもファビュラスな気持ちにさせてくれる、あの姉妹のポッドキャストを再生する。
今日のことをお2人に話したら、どんな言葉をくれるだろう。
きっと今のわたしの気持ちと、同じようなことを言ってくれる気もするし、まったく別の方向からご意見をくれる気もする。
そんなことを思いながら、わたしは歩きはじめた。







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