第2話 迫りくる死

文字数 2,134文字

頭痛は時を追うごとに激しくなる。

想像してみてほしい。頭の中でゴーゴーと掃除機が常に稼働し、記憶の入った箱をあちらこちらに配置しなおす。そんな事を二十四時間続けられては、とてもじゃないが耐えられるものではないだろう。

「やめて……!やめてくれぇ!!」

一人きりの洞くつに、獣のような男の咆哮が轟いた。

だが、それから暫くして、とても不可思議な事が起り始める。痛みが徐々に回復していったのだ。男は死に瀕して神経が麻痺して来たのだろうとも考えたが、むしろ頭は実に爽やかにはっきりとし始めた。

そこで、男はふと考える。これは国家規模の陰謀ではないのか。十年前のウイルスは、一時的に健康を害する効果しかなく、黙っていればみな健康体に戻る。だが薬を服用し続ける事により、それが滞った時にはある程度の時間、激しい苦痛が伴うような効果をもたらすのでは……。

普通は痛みが続き死に至ると言われれば、嫌がおうにも薬を飲み続けるだろう。そんな中、もし「薬がこれ以上欲しければ、政府に逆らうな」というような恫喝が行われるとしたら……。

だが男はすぐに、この考えを否定した。

薬が配給されてからもうかなりの年月が経っているし、世界に名だたる独裁国家でさえ、無料で薬を配り続けている。国民を縛り付ける用途としては、不自然すぎるだろう。では、たまたま男にだけ奇跡が起きたのか?いや、いくらなんでもそこまで都合よく事は運ぶまい。

頭の痛みが完全に抜け、男は残りわずかになった食料で朝食をとる。不思議と心穏やかだ。吹雪が収まった後の雪景色を眺めていると、まだ若いころ、妻と一緒にスキー場へ行った事を思い出した。

あれほど憎いと思った妻に対する想いが、いまは心の片隅にすら存在しない。

男は確かに家族の為に稼いだし、家事や育児にも十分精を出した。しかしそれは、単に夫という役職を務めていただけではないのか。そう考えると、妻の言動に幾つも思い当たる節があった。

男と女として結ばれたはずである。だがいつしかそれを忘れ、家庭という同じ舞台に立つ、単なる相手役としか妻を見ていなかった事に、男は初めて気がついたのである。

妻に謝らなければ……。許してもらえないかも知れないが、誠心誠意話し合おう。

そう思い立った男はすぐさま荷物をまとめ、下山する準備を始めた。

その時である。洞窟の入り口に人の気配がした。救助隊か? 男はそう思ったが何か様子がおかしい。

「隊長、発見しました。男性一名、手配写真とも一致します」

違和感のある喋り方に不審を抱きつつも、男はその場で立ち上がる。特殊部隊のような格好の数人の男たちの中から、隊長らしき中年男性が歩み出た。

「あ、あ、確認をするが、君の名前を教えてくれないか」

隊長の問いに、男は自分の名前を伝える、

「突然の事で驚くかも知れない。しかし故あって、君を国家反逆罪で逮捕する。大人しく我らに同道してほしい」

隊長が澄ました声で語り掛けてきた。

「反逆罪? 何の事ですか。人違いをしているのでは? あなたがたは救助隊ではないのですか? 私は一週間前に、ここで遭難をして……」

「いや、人違いではない。我々は特務警察であり、君を探し出して拘束するのが任務である。何故なら君は”正常薬”を長らく飲んでいないだろう?」

隊長の言葉に、男はハッと思い出す。

薬の服用は厳しく義務付けられているし、罰則も厳しい。その根拠が、国家反逆罪に由来するという話を聞いた覚えが男にはあった。もっとも服用しなければ自分が苦しむわけであるから、飲まない者などいはしない。故に実感に乏しかったのだと男は気が付いた。

「で、でもこれは不可抗力です。自らの意志で、服用しなかったのではありません。飲みたくても飲めなかったんです」

男は必死に抗弁する。

「いや、それは全く関係ない。”飲まなかった”という事実のみが重要なのだ」

隊長が冷酷な口調で突き放した。

「そんな、無茶な!」

「では聞くが、君はこの一週間、どういう体験をしたのか思い出してほしい。――当ててみようか。政府広報通りの痛みが脳内をかけ巡り、死を覚悟したものの、やがて痛みは消え心身共に爽快になった――」

図星をつかれて男は当惑する。やはり、自分だけが特別ではなかったのだと男は理解した。

「つまり、苦しみの果てに死ぬっていうのは、偽りだったって事でしょう? なぜそんなウソをつくんです!」

身に迫る危険をヒシヒシと感じた男は抵抗を試みる。

「まぁ、話はあとだ。それっ!」

隊長が命じると、部下二名が男の方へとにじり寄る。

「やめろ!」

男は隊員たちの腕を振り払おうとしたが、武道家でもない男がプロの力にかなうはずもなかった。

「いや、君には大変気の毒な事だとは思うよ。調べたところ、君は大変まじめな社会人であり、国家の言う事にも実に忠実だ。それに免じて、今君の心の中に渦巻いている疑問にお答えしよう」

「隊長、いいのですか? 下級国民に事実を教えるのは、機密漏洩に当たるのでは」

「いいんだよ。それくらいの裁量は与えられている。何より私は慈悲深いんだ。それは彼のような、下賤な者に対しても変わらない」

隊長は意見する部下をピシャリと制する。

両側からしっかりと拘束された男に向かって、隊長は恐ろしい事実を暴露し始めた。


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