第1話

文字数 2,000文字

「こいつが犯人を覚えていてくれたらな」
「無理じゃないすか? 脳ミソないっすから」

 余りにチープな事件だった。市役所の空きスペースに置かれた冷蔵庫のコンセントがひき抜かれていた。ただそれだけである。中には低温管理することが必須の貴重なワクチンが入っていた。同様のことは全国各地で起こっている。

「目撃者はこいつだけだ」
「観葉って言うくらいだから見られるの専門じゃないすか?」
 売り上げ不振で自動販売機が引き上げられた庁舎の外れ、そこにある喫煙ルームは長居させないようにと昨年、椅子も撤去された。白い空間。天井がやけに高く、観葉植物だけが無造作に飾ってある。冷蔵庫は喫煙ルーム横のかつて自動販売機があった場所に、まるで厄介払いのように備え付けてあった。

「いや。植物ってのは案外、外界にたいして敏感だよ。光を感知し触覚だってある。葉を傷つけた相手に反応するなんて話もあるんだ。化学物質を放出してそれを吸収することで仲間と情報共有(コミュニケーション)だってする。吸っていた煙草の銘柄だけでも教えてくれたら……」
「あれ? 先輩も喫煙者犯人説ですか? 煙草を吸いに来た誰かに悪魔が囁いて悪戯心(いたずらごころ)が沸きあがちゃった説。心外だな~煙草嫌いの主査と同じ意見なんて」
「煙草を吸わない人間がここにいれば不自然だろ」
「ここは開かれたお役所ですから。外部の人間が喫煙者かどうかはわかりっこない。見咎められても道に迷ったと言い分けが効く」
「アクシデントでうっかりって可能性は……」
「なわけないでしょ。蟹みたいな横歩き人間で壁と冷蔵庫の隙間に足が入っちゃったならありえるけど……ハサミでちょん切られてもいません。犯人には明確な主張があるはずです」
「明確な主張? なんだかな。自分が打たなきゃ、それで済む話じゃないか。こっちはいい迷惑だ。時間外労働に休日出勤」
 葉っぱを弾くとそれは肯定するように上下にゆれた。

「結構、面白いっすけどね」
「気楽だな。しかし何か問題が起こる前には動けないよな俺たち。監視カメラなんか、業者に頼まなくても手頃な価格の物がいくらもあるのに」
「誰か提案はしたらしいっす。けど即座に却下っすよ。余計なことするなって」
「で、俺たちが犯人捜しをさせられるんじゃ割に合わん」
「実際にカメラがあって犯人が映っていたらそれこそ大事(おおごと)ですよ。うやむやが一番。でも報告書は書かないとですね。それらしく調査はやりました(かん)をだすのが腕の見せ所っす」
 言われなくてもそれはわかってる。全国で起こっているのだ。横並びなら望む所。しっかり調査した風を装うのが……俺たちの役目だ。

「言うは易し。ヒヤリングだのアンケートだの纏めるのだけでも大変だぞ」
「上に報告するのに分量だけは必要ですもんね。ほったらかしにしてたわけじゃなく十分に気を配っていたが業務に忙殺されている隙間を狙われた犯行ってニュアンスを醸し出して……」
 話を聴きながら脳内にはヒッチコック映画のトリッキーな画角で、見事なプラチナブロンド美女が指紋を残さぬよう皮の手袋でコンセントを引っこ抜く映像が流れていた。

「……聞いてます? 先輩」
「ああ。報告書はそれでいいとして……やっぱり、一体どんな奴が犯人なのか興味はあるな」
「政府への抗議。思想信条。世間に対する不満? ワクチンがお釈迦になったって、何の利益もないのだからそっち系でしょう」
「ぞっとしないね。消えたプリンの謎なら笑えるけど」
「けどまあ、コンセント抜いただけですけどね」
「ある意味テロ行為だ。憂鬱になる。そんな奴がこの街にいるなんて」
「日本では年間に8万人の行方不明者届がだされて、まぁほとんどは直ぐに見つかるらしいですけど、中には本当に消えた人間がいて、さらにその中には殺された人間も含まれる。それに日本では警察が自殺って言えば自殺ですから。類推ですけど、こんな田舎でも繁華街を歩けば殺人者とすれ違う確率はそう低くないらしいっす。それと比べればなんてことないですよ」
 心の隙間に冷たい風が吹き抜けるようだった。

「もういい今日は切り上げよう。奢るよ。いつもの場所で一杯飲んで帰ろう」
「あざっす。あ、折角だからここで一服だけ。あの店、禁煙になっちゃいましたから」

 俺は(うなず)いて歩き出す。暫くしてふと、さっきの映画のタイトルがどうしても思い出せない事が気になった。後で聞けばいいのだが、何かもどかしく、映画マニアの彼に頼ることにした。
 (きびす)を返しもと来た道を戻る。やがて廊下の角を曲がり柱の隙間からある光景が見えた。


 喫煙ルームから外に出て、咥え煙草のまま、彼はこちらに背を向けている。

 そして不意にエメラルドみたいな葉に火の付いたままの煙草を押しつけた。

 ここからでは彼の表情は見えない。ただジュと鳴る音が聞こえた気がする。



 俺は再び踵を返す。やはり映画の話は店で(たず)ねることにしょう。
 
 日本全国で起こっているのだ。すべては煙のように消える。



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