線路の石の缶詰

文字数 2,542文字

昨年末の新聞に北海道の線路の石の缶詰がふるさと納税の返礼品になっているという記事が載っていた。

これは北海道で一番小さい村で、天塩川の中流付近にある「音威子府(おといねっぷ)」村にふるさと納税で寄付をすると送られてくる缶詰で、中には線路の石が1個だけが入っているそうだ。
集まった寄付金は、村内に3つある無人駅の維持費に充てられることになっている。

3つの無人駅はいずれも幹線の宗谷本線にある駅だが、1日当たりの乗車人数が3人以下でJR北海道は駅の廃止を検討しているとのこと。村が駅の存続を希望する場合、1駅当たり100万~200万円の年間維持費を負担しなければならない。この企画はその維持費確保のためのアイデアとして採用されたそうだ。

私は鉄道マニアでも北海道出身者でもないが、音威子府には思い出がある。

1976年の8月、大学2年生の夏休みに私は友人2名と約2週間かけて北海道の風蓮川と天塩川をキャンプしながらゴムボートで下った。
当時は「ラフティング」という言葉も日本にはなかったし、私たちが川下りをするのも初挑戦だった。
ゴムボートは釣り用のボートをディスカウントショップで安く購入し、防水袋やライフジャケットは手先が器用な友人が全て自作した。
3人で完成したライフジャケットを着用して大学のプールに飛び込んで浮力テストをしたが、あとで監視員に盛大に怒られた記憶がある。

道東の風蓮川を最初に下り、天塩川は8/7の昼過ぎから下り始めた。
スタート地点は村上春樹の小説「羊をめぐる冒険」の舞台と噂される美深(びふか)。
しかし、漕ぎ始めてしばらくすると急に雨が降って来た。
この辺は北海道でもかなり北よりに位置するため、天候が崩れると真夏でもかなり寒い。
雨をしのぐために橋の下で震えながら待機し、小やみになったところでまた漕ぎだすということを繰り返した。
そうこうしているうちに暗くなってきたので、何番目かの橋の下でテントを張っていた時にゴムボートが橋げたの金具で破損するというアクシデントが発生。
補修するには大きな街まで行かなければならない。
地図を見ると恩根内(おんねない)という音威子府の少し手前にある無人駅が近かった。
雨中を移動して恩根内駅から名寄(なよろ)駅まで列車で戻り、その夜は名寄駅構内泊。

翌8/8は終日雨降りで名寄駅の構内に停滞し、3食ともインスタントラーメン。
ボートは瞬間接着剤と補修用の生地でなんとか修理できた。
また、空気を入れるバルブの根元にも少し亀裂が入っていたのを見つけたので、紙と竹ひごで作る模型飛行機セットを買ってきて中に入っているプロペラを回すためのゴムひもをバルブの根元に巻き付けて接着剤で補強した。

8/9には雨が止み、日程の都合で名寄から音威子府まで列車で前進。
ところが音威子府から天塩川に出た途端に嫌な色をした雲が近くの山にかかってきた。地元の人に聞くとこれは絶対雨になるとのこと。
やむなく再び川から撤収して音威子府駅で一夜を過ごす羽目になったが、この時は全員気分が滅入っていた。
そこで気分転換に東京を出てから1週間ぶりに風呂に入ろうということになったが、銭湯が見当たらない。
仕方がないので、駅前の小さな宿屋(確か「木曽屋」という名前)に飛び込み、素泊まりした。(料金は2000円だった)
宿の部屋は床が少し斜めになっていて、リンゴを置いたら転がりそうな感じだったが、とにかく風呂に入って髪を洗ってさっぱりしてから街の食堂で夕食。やっと気が晴れた。

次の日からは好天が続き、順調に川を下って行った。
ただ、河口に出る前の日(8/12)の夕方に雷を伴う嵐に遭遇してしまった。
そこは鉄道から離れた場所だったので駅に避難することができず、雷鳴が轟く闇夜を20分歩いて酪農農家の牛小屋に泊めてもらった。
この時ほど屋根のありがたみを感じたことはない。

以上長々と書いてしまったが、音威子府はこの北海道ツアー中で唯一宿屋に泊まった町で、夕飯を食べた食堂でも東京から天塩川を下りに来た学生ということで、特別サービスで大盛にしてもらったという一宿一飯の恩義がある。

4年前に音威子府駅を再訪する機会があったが、駅前はすっかり閑散としていた。
当時の音威子府は宗谷本線とオホーツク海側に抜ける天北線との分岐の駅でもあったが、天北線は1989年に廃線になっている。
駅前にあった商店街は跡形もなくなっており、「木曽屋」や大盛サービスをしてくれた食堂も見当たらなかった。
音威子府駅構内には「常盤軒」という有名な蕎麦屋があって、遠方からも多くの人がここの蕎麦を目当てに列車に乗ってやってくる。
西日本出身で昆布だしに慣れ親しんだ私が45年前にここの蕎麦を初めて食べた時には、「何だこのまっ黒な汁は!」とやや持て余していた。
けれども私が大学卒業後もずっと関東に住み続けたためか、4年前に再びこの店の蕎麦を食べた時には美味しいと感じた。
だが、その「常盤軒」も今年の2月に高齢の店主が亡くなり、90年の歴史に幕が下りてしまった。
歳月は人も街も駅も変えるようだ。

ふるさと納税は故郷を離れたためにそこに税金を払わなくなった人が、育ててくれた故郷に恩返しのための寄付をすること等が本来の目的であり、本質的には見返りのない行為であるはず。
少額のお礼の品ならともかく、返礼品競争の過熱ぶりや返礼品だけを目当にした制度利用は感心できない。
また、財政制度面でもいくつかの問題があると思っていたので私はこれまで一度もこの制度を利用したことがなかった。
更に言えば、民間企業のJRにとって1日3人以下の乗車人数の駅はどう考えても長期的には廃止せざるを得ないとも思う。

にもかかわらず、私は記事を読んだ直後に音威子府村へのふるさと納税を完了してしまった。
線路の石の缶詰一個だけという基本的には金銭価値のない返礼品というのも潔い。
ただ何といっても、はるか昔の夢のような旅を支えてくれた遠い北国の駅への感謝の気持ちと懐かしさが記事を読んだ途端に抑えきれなくなってしまったのが最大の理由である。

今、私の部屋の本棚の隅には「純良最高級品  SENRO NO ISHI」というラベルの張られた
賞味期限が「永久」の缶詰がひっそりとうずくまっている。




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