第3話 愛ちゃんはタローの嫁になる

文字数 22,251文字

                    十一
「今度は普通のサラリーマンからの申し込みなんだけど、どうする?」
「普通って何?」
「普通は普通だよ」
「バカ。そんな日本語の話をしてるんじゃないの。私とか徹ちゃんは世間から見たら、たぶん普通じゃないから、普通ってどんなのかなと思って」
「偉いねえ、自分で普通じゃないってわかってるんだ」
「褒めている場合か。あんたも普通じゃないんだから」
「まあそうだね」
「それに、これまで模擬デートしてきた相手もみんな普通じゃなかったね。特にこの間のオヤジは酷かったよ」
「ああ、山中さんね。酔っぱらっちゃってよく覚えていないって言ってたけど」
「嘘だ。あのオヤジは確信犯だ」
「ふふ。でも確かにそうかもしれないね」
「お前が紹介したんだぞ。へんなのばかりお前が選んだんだろう」
「人聞きが悪いですね、お嬢様。僕が選んだんじゃなくて、相手が愛ちゃんを選んだんだからね。そこんところを忘れないでね。そのお、類は友を呼ぶってね」
「バカ。私を変人扱いするな」
「バカバカ言うなよ。でも、ちょっと言い過ぎました。ごめんなさい」
 こうやってすぐ謝っちゃうところが徹のいいところだ。
「いずれにしても、どういうところが普通の人なのよ」
「はい。ではお伝えします。まずは名前が佐藤太郎と普通。年齢32歳。2流私大の経済学部を普通の成績で卒業後、中堅の製薬会社に就職。現在総務部の課長代理。年収は450万円。練馬区の1LDKの家賃9万5千円の賃貸マンションに住んでいて、会社のある日本橋まで毎日電車で通っている。顔を写真で見ればわかると思うけど、とりたててブサイクではないかわりに、とりたててイケメンでもない。要するに、街を歩けば棒に当たる的な、よく見かける顔。身長も172センチで、高からず低からず。言わば中肉中背。何かの病気持ちではなく、健康面に難があるわけではない。性格は基本真面目だけど、真面目過ぎるわけでもなく、人並みに冗談も言うし、冗談には冗談で返す。特に難もなければ、かといって特別面白い男でもない。趣味は音楽鑑賞で、特にKポップを好む。あと、サッカーが好きらしいが、球場に見に行くほどではないらしい。父親は地元である佐賀県で小さな工務店を営んでいる。しかし、息子を大学に通わせることができる程度の経済力はある。母親は、その会社の経理として働いている。一人いる妹はすでに結婚していて、夫の働く大阪で暮らしている。ちなみに、その夫の職業は消防士。今、妹のお腹には6か月の赤ちゃんが宿っている。もっと細かい情報もあることはあるんだけど、こんなところでどう?」
「どうって言われてもねえ、途中で飽きちゃって覚えてないわ。しかしまあ、よく調べたね。まるで興信所みたい」
「そうなんだけど。これが大方の『普通』っていうことよ」
「なるほど。よくわかったよ。確かに、私の周りにいる人たちとはぜんぜん違うかも」
「そう。特に暮らしぶりがね。だから、どうかなと思って。これまで模擬デートしてもらった人たちのように、癖も強いけど、その分面白いということがないんでね。そういう意味では退屈しちゃうかもしれない」
「そうかもね。でも、その『普通』っていうのも、ちょっと興味ある。で、その普通人類が何で私と模擬デートしたいっていってるの?」
「それがね、この人、近いうちに結婚の予定があるらしいんだ。でも、というか、だからこそ、最後の最後に自分の生きてる世界とは全く違うところに住んでいる愛ちゃんみたいな人と一度でいいから会ってみたいらしんだ。もちろん、そこらへんのアイドルや女優を超えるその美貌とスタイルの良さに感動してのことらしいんだけどね」
「なんか最後の晩餐って感じ?」
「ちょっと意味が違うような気がするけど。まあそんなもんかな」
「ちなみに徹ちゃんなら、最後の晩餐に何食べたい?」
「う~ん」
「結衣ちゃんとか言うんじゃないよ」
「言わないよ。そうだなあ、愛ちゃんが作った」
「何だと」
 嫌な予感がする。
「あのくそマズイカレーライス」
「何でよ」
「ちゃんと生きてきた証というか」
「なんじゃそれ」
「しかし、あれはマズかった。カレーライスなんて普通に作ればそこそこの味になるはずなんだけどなあ」
「まあ、確かにあれは自分でもマズいと思った。あのパパが黙ってスプーンを置いたもんね。山口百恵がマイクを置くみたいに」
「そんな名場面じゃないわ」
「何よ。うちのパパのことを悪く言わないで」
「別にお宅のパパのことを言ってない。しかし、あの愛ちゃんのことが大好きなパパがねえ。笑えるよね」
「人の不幸を笑うな」
「あれは何で作ったんだっけ」
「当時付き合っていた彼に、私の手料理を食べさせてあげたかったので、その実験台」
「実験台だったら、家族だけにしてくれる。なんで僕まで呼んだの」
「実験台は多いにこしたことはないからね」
「それでか。そう言えば、和美さんやワンちゃんにも食べさせてたよね。和美さんはお腹に力を入れて無理矢理口に入れてたけど、ワンちゃんは吠えまくってたよね。俺ワンちゃんの顔見たら、ふざけんなっていう顔してたぜ」
「あの子、マナーを知らないのよね。親しき仲にも礼儀ありって言うじゃない」
「それ、犬に言ってもねえ。でも、そんな中、お宅のママだけは『こんなの初めて~』とか言って、一人大受けしてたよね」
「ママってそういうところあるのよね」
「さすが、お宅のママ、モノが違うよね」
「うちのママをそんないやらしい目で見ないで」
「意味が違うんだけどね。しかし、あのカレーライスいったい何を入れたわけ」
「今更聞くわけ。別にどうっていうことないのよ。ただ、隠し味に味噌とか、その他ちょっと、うかつには言えないものを入れたけどね」
「味噌? うかつには言えないものって何だよ? 怖いなあ」
「怖がることないでしょう。今現在あなたは生きているのだから」
「最近、俺、悪玉コレステロールが増えてるらしんだけど、そのせいじゃないのかなあ」
「そんなわけアルマーニ。あれ、これって、あの最悪のオヤジが言ってたヤツじゃん。マズイ」
「はっ、はっはっ。早速、洗脳されてんじゃん」
「もう終わり、終わり。あれが、私の人生の唯一の汚点なんだから。話を戻せ」
その後花嫁修業で料理の腕も上がったと思いきや、いざ自分で作るとうまくいかない。要するに、愛には料理のセンスがないのだ。
「はい、はい。で、彼の言葉を正確に告げると、自分のこれまでの人生の中で、これほど美しく、しかも品のある女性に会ったことがないと」
「それそれ。その通りだから仕方がない」
「全肯定されちゃったらぐーの音もでない」
「グー」
「自分で言ってどうするんだよ。まだ続きがあるんだから聞いて」
「はい、聞きます。褒め言葉はママと同じで大好物だから」
「は~い。いきまーす。実は彼には子供の頃から大好きな外国の女優がいると。ただ、その女優さんは数年前に交通事故で亡くなってしまったらしいんだけど。で、愛ちゃんがその女優によく似ていると。だから、独身最後の夢の夢として、どうしても愛ちゃんとデートがしたいと」
「なんか泣ける話だね」
「そうは思わないけどね」
「何で君はそう冷たいの。でもいいんじゃない。人助けだと思ってやるわよ」
「人助けねえ。まあいいか。じゃあ引き受けてくれるんだね」
「うん。でもこれが最後ね」
「最後?」
「アナタニホンゴワカリマセンカ」
「何?」
「美人アンドロイドです」
「・・・・・・」
「だからあ、最後ったら最後。打ち止め、千秋楽、最後っ屁」
「最後っ屁はともかく、何で?」
「何でって、この私の、この美貌を安売りするのは止めなさいと天国にいるおばあ様がおっしゃるので」
「だから、おばあ様まだ生きてるでしょう。何回死なせるの」
「まあ四回目なんだけどね。実は見合い話があってさあ。パパとママからもうお遊びは止めなさいって言われてしまったんだ」
「うちの仕事はお遊びじゃないけどね。で、見合い話?」
「そう。それが結構ハードな話なのよ」
「ハードって?」
「相手がみず友銀行の頭取の次男らしいの」
「えっ、あのみず友銀行の次男?そりゃあハードだ。超エリートでやり手で知られる人だよ。彼と愛ちゃんがお見合いかあ。それはビッグニュースだね」
「そうかもしれないけど、でも私はあんまり乗り気になれないの」
「どうしてさあ。あれだけ大金持ちの嫁になりたいって言ってたじゃない」
「そうなんだけど。なんか堅物って感じしない」
「ああ、それはそうだろうね。真面目で堅物って噂は聞いている」
「でしょう。そうだとすると、マジ無理かもって思っちゃうの」
「確かに、愛ちゃんのそのドSキャラとあの堅物が合うかって言われるとねえ」
「そうでしょう。なんかつまんな~いって思うもの」
「出ました、つまんな~い」
「だって退屈しそうなんだもん」
「う~ん、難しいところだ。でも、大物だからね。よく考えたほうがいいよ」
「ありがとう」

 その日面談室に現れたのは、先日徹から聞いていたイメージ通りの男性だった。
「初めまして、佐藤太郎と言います」
 絵に描いたような爽やかさ。って、絵にさわやかさは描けないか。でも、礼儀正しい挨拶で好感が持てる。
「私は月雪愛。よろしくね」
「よろしくお願いいたします。しかし、それにしても、素敵なお名前ですね。苗字も、お名前もぴったりです」
「そんなこと言われたらコマンタレブーです」
 すると、徹が、
「愛ちゃん、コマンタレブーはごきげんようっていう意味だから」
「だからあ、わかってて言ったんじゃない。言葉かけてるのわかんないかなあ」
「えーーーー、そうだったの。そんな高等なワザを使ったわけ」
「とにもかくにも、今日はお会いできて幸せです」
 二人をとりなすように、満面の笑みを浮かべて、本当に嬉しそうに言う佐藤太郎。
「まあ、お座りください」
 いつまでも立っている二人に、徹がいつものビジネス笑顔で言う。
「はい、失礼します」
 愛の真正面に座った佐藤さん。でも、どこを見ていいのかわからないのだろう。視線を浮かせ、一瞬愛を見た後、下を向いてしまった。男のくせにまつ毛が長いのを発見。
「佐藤さんって、緊張しいですか?」
「普段仕事ではそうでもないのですが、今日はもう…」
「今日はもう?」
 いつものように、その先を言わせたい愛。
「いええ、そのお、会っていただけないかと思っていたものですから…」
 美し過ぎて目がくらんじゃってとか言うんじゃないの。愛が期待していた答えじゃなかったけど、いっぱいいっぱいな感じは良かった。ちょっと意地悪をしてみようか。
「そんなことはないですわ。私にとってこれは、こちらに立っていらっしゃる方に、時給2千円で与えられた仕事ですから」
 横に立つ徹の顔が怒りで赤くなる。きっと、心の中で、このバカ、高い時給払ってるのに何を言っちゃってくれてるんだ、と思っているに違いない。
「あっ、そうなんですか」
 タローのほうは仕事と聞いて逆に安心したようだ。なお、この時から愛は佐藤太郎のことをタローと心の中で呼んでいた。
「そう。だから、愛を自由にして」
 う~んと可愛く言ってみる。今度はタローの顔が茹蛸のように真っ赤になった。ちょっと刺激が強すぎたようだ。違う意味で顔を赤くした男に囲まれて、それはそれでおもしろい。
「そんなあ」
 非難するような、それでいて嬉しいような、戸惑いの表情で言うタロー。
「今へんな妄想してたでしょ?」(バイ、どん兵衛CM。どんフォックス篇。吉岡里帆の台詞をマネる愛ちゃん」
「いえ、何も。そのお」
 しどろもどろになるタローに、ちょっとキュンとなる愛。
「つまんな~い。そんなカタブツじゃ、私と付き合えないわよ」
「カタイのはアソコだけです」
 おっとー、案外とやるわねえ。いきなりの下ネタ返しで、愛も徹も思わず笑ってしまった。
 でも、本人は余計に真っ赤になった。顔だけじゃなく、体中みたい。
「いいわよ。それくらいで驚く私じゃないから安心して」
「そうですか。でも、すみませんでした。へんなこと言って。昔、先輩が言っていたのを思い出して言ってしまいました」
 でも、これがきっかけでタローの緊張もだいぶほぐれたようだった。外に出ると、見事に快晴の空が二人を迎えた。
「あのお、今日僕は月雪さんのことを何とお呼びすればいいでしょうか」
 今までこんなことを聞かれたことがない。
「そうねえ、普通に『愛さん』か、『愛ちゃん』か、『愛ちゃんさん』か『愛ちん』か、『愛っぺ』。そのどれでもいいわよ」
「後半のほうはとても無理です。ですから、愛さんと呼ばさせてください」
「わかった。じゃあ、私もタローさんで行くけど、いい?」
「お願いします」
「タローさん」
 いきなり言われ、照れまくるタロー。頭を撫でられた子犬のような顔になるタローを見ると、なんか揶揄いたくなる。誰かに似ている。誰だろう。そうだ、うちの愛犬の「チビ」に似ているのだ。
「愛さん」
 そう言って、また照れるタロー。
「そんなに照れないで。こっちまで照れちゃうでしょう」
 マズイ。どうした愛、なんかおかしいぞと自分に言う。イケメンでもないし、愛の好みの顔でもないし、これまでに気障な台詞を言う男たちにもいっぱい出会ってきたけど、なんか違うのである。
「今日は何をしたいですか?どこか行きたいところとかありますか?僕にできるのは、それを叶えることぐらいなので、どんなことでも言ってください。どんな無理をしてでも叶えてみせますから」
「ちょっと重いな」
 本当は嬉しい愛。
「あっ、ごめんなさい。思いが強すぎてつい…。もっと気軽に考えていただいて結構です」
「そうかあ、そうねえ、じゃあデズニーに連れてって。もう五年くらい行ってないから」
「ランド? シー?それとも両方? あるいはアメリカに行きますか?」
「だから、だから、それが重いって言うの」
 本当はアメリカを入れたあたりが気に入っていた。もし、愛がアメリカと言えば、アメリカまで行きそうな感じでもあった。
「すみません」
「そんなに謝らなくてもいいわよ。じゃあ、今日はシーにしとく」
「わかりました。では、時間の許す限り僕がご案内いたします。でも、模擬デートって2時間という決りじゃなかったでしたっけ?」
「そうだけど、大丈夫。私が法律だから。徹には私のほうから連絡しておくから心配しないで。今日は私の気が済むまで楽しませて」
「なんかすごく嬉しいです」
 なにやら本当のデートの様相になり、若干妙な気分になる。いつもの愛なら、ディズニーのある千葉なんて車以外では絶対いかないところだけど、今日はタローと一緒に『普通』に電車で行くことにする。徹の言っていたように、今日は『普通』を楽しむと決めたのだから。
 久しぶりに乗る電車は新鮮だった。車内を見渡すと、サラリーマン風の男が前に座るミニスカートの女の子の足の間をちらちら見ていたり、若い女の子が社車で平気で化粧をしていたりする。愛の斜め前に座っているおじさんは大きな口を開けて寝ている。しかも、両足が大きく開いていて、隣の女の子が窮屈そうにしている。愛はこういうのを見ると、放っておけない性格である。電車が駅のホームに入り、ブレーキをかけたところで倒れかかったふりをして、その男の靴にハイヒールの踵を乗せる。
「痛ぇー」
 という男の声と同時に、自分も「痛い」と言ってタローの顔を見る。そして、
「あなた、私の足踏んだ?」
 と、タローにウィンクしながら言う。すぐに愛の意図がわかったらしいタローは、
「ごめん、ごめん。僕が悪かった」
 一方の男はもう一度「痛えなあ」とか言いながらも、狐に摘ままれたような顔をしている。ざまあみろ。
 デイズニーシーに入ると、自然にテンションが上がる。結構来ているらしいタローが案内役となって、お薦めの乗り物を紹介してくれたので、楽しく過ごせた。遅い昼食をとるためにレストランに入る。そこでもタローお薦めの料理を食べる。雰囲気がおいしさを増してくれる。食後はデザートを食べ、コーヒーを飲みながら少しゆっくりする。
「タローさんって、恋人いるのよね」
「はい、います」
「しかも、近いうちに結婚するんでしょう?」
「いえ、まだそこまで具体的には。ただ、僕の中ではそのつもりで、プロポーズのタイミングを計っているところなんです」
「ふ~ん、そうなんだ」
 なんか気に入らない。
「何かサプライズ的な方法でプロポーズしたいと考えているんですけど、僕そういうの苦手じゃないですか」
「そんなの知らないわよ。あなたとは、今日初めて会ったんだから」
「あっ、そうでしたね。すみません。なんか昔からよく知っているみたいな感じになっちゃって…」
 またしても気に入らない。せっかくデートモードになっていたのに、昔の友達扱いかよ。
「で、何かいいアイデアないですかね」
 こっちの感情を無視して話を進めるな。
「だから何で私があなたのプロポーズの手伝いをしなきゃならないわけ」
 こんなくだらないことに、本気で起こってしまっている自分に気づき嫌になる。
「そうですよね。ぺっこり四五度」
 と言いながら頭を下げる。おっとー、ここで、ずんの飯尾和樹のギャグを放り込んできたか。マズイ。なぜか今は相手のほうが余裕がある。体勢を整えなければと思う愛であった。
「そもそも彼女とはどこで出会ったの?」
「ああ、それよく訊かれるんですよね」
 なんか癪に障る発言である。
「それで?」
 だんだんイラついてくる。
「友達の結婚式で出会ったんです。よくある話でしょう」
「ああ、確かにね。ああいう時ってみんな綺麗に見えるものね」
「いや、本当に綺麗だったんです、ミエちゃんは」
 ミ、ミエちゃんて言うのか、相手の女は。別にどんな名前でもいいようなものだけど、愛からすればダサイ名前に思える。
「あらあ、そうですか。それはごちそう様」
 自分でも言い方に険があると思う。ひょっとして、この私が、この普通の男のタローに焼きもちを焼いているのだろうか。
「いやーなんかすいません。愛さんに比べればまったく普通の顔をした普通の女の子なんですけど」
「普通の顔ってどんな顔?」
「まあ、際立った特徴はない顔です。でも、全体を見ると癒されるというか、そのお何と言ってよいか」
「要するに好きな顔なのよね」
「そうです、はい」
 はっきりと言われた。
「じゃあ、私みたいな顔は?」
「えー。愛さんみたいな、とんでもなく綺麗な顔は見ているだけで十分です。側にいると緊張しちゃうし」
「でも、美人も三日見れば飽きるって言うじゃない」
「飽きてみたいです」
 どう解釈していいのかわからない返事だった。しかし、自分らしくもない会話を続けている。自分に呆れ、話を打ち切ることにした。
「そんな冗談はこれくらいにして、もう少しだけ乗り物に乗りましょう」
 それからまたいくつかの乗り物に乗り、気が付くと辺りはすでに夕闇が迫っていた。
「だいぶ楽しんだので、これで帰りましょう」
 そう言う愛に対し、タローが言った。
「えっ、もう帰っちゃうんですか? これからパレードがあるんですけど…」
「そんなに見たければ一人残ってみればいいじゃない」
「そんなあ。ぼかあ、愛さんと楽しみを共有したいんです」
 興奮しているのか、『ぼかあ』になってしまっている。ちょっと可愛い。
「しょうがないなあ。『ぼかあ』に免じて、残ってあげる」
 そう言いながら、やはり今日の自分はどうかしていると思う。いつもだったら、男がなんと言おうと帰ると言ったら帰る。場合によっては送らせる。
 ということで、たっぷりパレードと花火まで見て、混んだ電車に乗って東京までたどり着いた時には愛はくたくたになっていた。
 別れ際、タローはおずおずと愛の手を取りこう言った。
「愛さん、今日はこんな僕のために時間を作っていただき、おかげでとっても素敵な時間を過ごさせていただきました。本当に、本当にありがとうございます。もう二度とお会いすることはないと思いますけど、今日のことは一生忘れません。どうか、愛さんもお幸せになってください」
 そこまで一気に言って、くるりと後ろを向き走り去っていった。それってズルイよ。惚れてまうやろう。

             十二
 翌日の夜、徹から電話があった。
「もしもしー、愛ちゃん」
 相変わらず、能天気でハイテンションの声だ。
「そんな大きな声で言わなくても聞こえてるわよ。今の携帯は性能がいいんだから」
「相変わらず機嫌が悪いね」
「別に。で何?」
「いや~、昨日の夜遅く佐藤さんから電話があって」
「あっ、そう」
 何を言ったかすごく気になるが、それを悟られないようにする。
「すごく感謝されたよ。あんな素敵な女性に会ったことなかったです。おかげで夢のような時間が過ごせましたってね。ひょっとして、今回は真面目にやったの?」
「今回はってどういうことよ。『普通』の人の『普通』に合わせただけ」
「ふ~ん」
「だから、ふ~んって何よ」
「珍しいこともあるもんだと思ってね」
「優勝の美ってやつよ」
「有終の美ね。でも、お疲れ様でした。今までありがとうございました」
「うん」
「じゃあ、頭取の次男とのお見合い頑張ってね」
「うん? ううん」
「ん? どうしたの愛ちゃん? 元気ないみたいだけど、何かあった?」
「ううん」
「やっぱりおかしい。さっきから、うんかううんしか言ってない」
「ううん」
「何かあったんでしょう?」
「だから、何でもないって…」
「もし、何かあれば僕が相談に乗るよ」
「うん。ありがとう」
 あっ、皆さま、誠にお久しぶりです。僕は愛お嬢様の愛犬、というか奴隷犬の「チビ」でございます。なぜ、僕がここで再登場したかというと、かのお嬢様が腑抜けになってしまい、ちゃんとした会話もままならなくなってしまったからです。
 お嬢様はあろうことか、タローロスになってしまったのです。言い換えれば、恋の病にかかってしまったということです。まだ本人に正確な自覚はないようですが、ずっとお嬢様を見てきている僕からしても重症です。あの高慢チキチキなお嬢様は、すっかり影を潜めてしまったのです。
 これまで続けてきた花嫁修業も体調がすぐれないということで、ずっと休んでいます。
 毎日お部屋でただただぼぉっと過ごしているだけで、まさかの食欲まで落ちて、結果的にダイエットという栄冠を手にしました。さすが、ただでは起きないお嬢様。
 でも、あまりの落ち込みにママは心配して、ママの親戚の経営する大きな病院に連れて行き、検査を受けさせたのですが、医者から『健康優良児』と言われたのです。この時は、さすがのお嬢様も『児』って何よと、小さく怒っていたようです。
 健康面では問題ないことが分かったママが愛に訊きました。
「お見合いはどうするの?」
「なんか無理っぽい」
「どうして? お医者様は問題ないっておっしゃったのよ」
「でも、当分無理」
「わかったわ。無理にするものじゃないから、パパにそう言っておくわね」
「うん」
 ということで、銀行の頭取の次男との見合いは無期限の延期となったのです。そして、お嬢様がついに行動に出ます。徹ちゃんに電話したのです。
「もしもし、私ですけど」
「あれえー、愛ちゃんのほうから電話もらったの初めてじゃない」
 相変わらずハイテンションの徹。どうしてコイツはいつもこう能天気なんだろう。
「そんなことないと思うけど。徹ちゃん、最近忙しい?」
 さすがの愛も、すぐには本題に入れない。
「てんてこ舞いだよ」
「へんてこ舞い?」
「へんてこじゃない」
「ごめんなさい」
「えっ、今日は珍しくしおらしいな。で、どうしたの? なんか元気ないみたいだけど」
「最近、私、ルンバに餌をやってるんだ」
「おっ、ついに気でも狂ったか?」
「いや、恋に狂ったの」
「ぎゃあはっはっはー」
「人の病を、そんな大笑いするな」
「これは失礼。で、お相手は?」
「タローちゃん」
 恥ずかしさで小さな声になってしまう。
「タローちゃんて、まさか、あの佐藤太郎さん? あの高慢チキチキの愛ちゃんのハートを射止めたのが、あの『普通』の佐藤ちゃんとはねえ」
「うるさい」
「驚き、桃の木、山椒の木、うちにあるのはイチョウの木」
「そんな低レベルの冗談聞いている場合じゃないの」
「マジかあ」
「そのマジなの。しかも重症」
「自分で言ってるくらいだから間違いない。で、僕にどうしろと」
「あのさあ、そのお~」
「ん? 歯切れ悪いなあ」
「だからさあ、あのー、佐藤さんと連絡取ってほしいの。自分ではできそうにないから」
「おおー、なんか可愛いい。愛ちゃんにもそんな面があるんだねえ」
「今、私、乙女だから」
「自分で言うか。でも、心配だなあ。なにせ、佐藤ちゃんと愛ちゃんじゃあ、境遇が違い過ぎるからなあ。今までないタイプだからやられちゃったのかもしれないけど、一時的なものじゃないの?」
「私もねえ、そういうことも含めてじっくり自問自答したんだけど、やっぱり違うのよね。本物なんだ」
「ええー、そうなんだ。愛ちゃんの理想とは全然違うと思うんだけど、いいのね」
 愛が結婚相手と希望していたのは、パパを超えるお金持ちの人だったのだから。
「そんなこと、どうでもいいの」
「わかった。僕がなんとかする。何せ、佐藤ちゃんには結婚を考えてる相手がいるんだよね。だから遅くなったらアウトの可能性もあるじゃない。とりあえずここは僕に任せて」
「男らしい」
「おっとー、初めて愛ちゃんに褒められた気がするけど、僕はもともとできる男だからね。この際言っておくけど」
「わかってたよ。ずっと前から」
「ええー、やめて。キュンとしちゃうじゃないか」
「キュンとしていいのよ」
「こりゃダメだ。重症だわ」
 ということで、さっそく徹が佐藤に連絡をとり、愛ちゃんがまた会いたいと言っていると告げると、佐藤は心底驚いたようだ。
「愛さんが僕にまた会いたいと言ってくれたんですか?」
「もっと端的に言えば、愛ちゃんがあなたのことを好きになってしまったということです。今愛ちゃんはあなたへの恋の病にかかっています」
「それは何かの気の迷いでは?」
「私もそう思って確かめました。でも、どうやら本物です」
「でも、僕には結婚を考えてる相手が…」
「もちろん、それはわかっています。でも、まだプロポーズしたわけじゃないんですよね」
「それはそうですが…」
「だったら愛ちゃんに会ってあげてください。それからもう一つ愛ちゃんの保護者としてお聞きします。あなたは愛ちゃんのことが好きですか?」
「あの日、ディズニーシーに一緒に行って好きになりました」
「あの日ディズニーシーに行ったんだ。あなたと二人で。それも驚きです。彼女はああいうところへ行く子じゃないんで。あなたの気持ちが本物であることもわかりました。ちゃんと付き合ってやってください。ああ見えて彼女は極めて純です。だから、恋の病にかかったんだし、自分からあなたに連絡する勇気もなかったんです。その点わかった上で、どうかよろしくお願いします。ちなみに、佐藤さんの今の彼女との関係はきちんと整理してくださいね」
「はい、わかりました」
 いや~皆様、『遠くの親戚より近くの他人』なんて言いますけど、愛ちゃんには頼りに名なる近くの親戚がいたっていうことです。僕「チビ」にもそんな親戚や友達、できれば恋人がほしい。近くの町田さんちのトイプードルのマミちゃんが、その候補なんだけどね。
 まあ、そんなわけで、紆余曲折ありましたが、二人の恋がこれからスタートすることになったのです。で、この後は再び二人の恋物語のライブ中継となります。愛お嬢様の変り様にも注目です。

                   十三
 徹というキューピッドにより愛ちゃんがタローと付き合うようになって一か月が経った。
 すっかり元気になった愛は体重も戻り、見た目には依然と変わらなくなった。だが、中身が変わっていた。本来のお嬢様気質に戻ったと言ったほうがいいのかもしれない。
 今日は二週間ぶりにタローとデートするのである。電話は基本毎日しあっているが、タローの仕事が忙しく、なかなか会えない。
 約束の場所まで愛車のフェラーリで乗り付ける。バス停から少し離れた場所に立っているタローがフェラーリを見つけ、左右に大きく手を振る。『普通人』のタローは、相変わらず決しておしゃれとは言えない『普通』の恰好だ。でも、顔にはこれ以上ないような爽やかな笑顔を浮かべている。それを見ただけで愛は幸せな気持ちになる。
「こんにちは」
 車に乗り込んできたタローの第一声だ。『こんにちわ』か。タローが言うと、すごくいい言葉に思える。ただ、なんと答えていいかわからない。
「大丈夫? 待たせちゃった?」
 ちょっと違った返事をする。
「ううん。全然待ってないです」
 この時タローはハンドルを握っている愛の手に軽く、しかも一瞬だけ自分の手を重ねた。『いや~ん。そんなことしちゃダメ』と言いそうになったが、理性を働かせて止めた。
「そう、それならよかったわ」
 今日はタローが前々から行きたいと言っていた赤坂のカメラ専門店に行くことになっている。タローはカメラそのものと、写真が趣味なのである。  
 すでにいっぱい愛の写真を撮ってもらっている。今日は中古のカメラが見たいらしい。愛が新品をプレゼントするのにと言うのだけど、どうやらそういうものでもないらしい。男の趣味に対する感覚ってよくわからない。
「昨日は疲れていたみたいだったわよねえ」
 昨日もタローと電話で話したのだけど、珍しく元気がなかった。
「ちょっと風邪気味だったからだけど。大丈夫だよ。それより愛ちゃん、今日のネイル可愛いね」
「ありがとう。さすがタロー、すぐに気づくのね」
「当然だよ」
「当然じゃないよ。ちゃんと私のこと見ててくれるからだよ」
「だって、愛してるから」
「止めてー」
 と、悲鳴をあげる愛。
「どうして」
「そんなことばかり言われたら、この先言われなくなった時のショックが大きくなるじゃない」
「それは心配ないよ。僕は愛ちゃんのことを死ぬまで愛するって決めたから」
「ああ、ダメー、運転できなくなるー」
 あまりに幸せで死んじゃいそうだった。店の駐車場に車を入れ、歩いて店まで向かう。
 今日は平日のせいか、店内は空いていた。エレベーターは奥まったところにあった。乗ったのは二人だけ。扉が閉まると、突然タローが愛の手を引き、身体を抱き寄せてキスをした。実に素早い動きだった。愛は口を塞がれながら目を瞑った。エレベーターが次の階に到着したことを知らせるチンという音がすると同時にタローは口と身体を離す。扉が開き、二階のフロアが目に入る。タローは何事もなかったかのように、愛の手に自分の手を絡ませて愛をエレベーターの外へと導く。
 そんなのズルイよ。
 売り場では、愛を忘れたかのようにカメラに夢中になって見ている。だんだん飽きてきた愛は、店内をぶらぶらした後、再びタローの元へ戻る。だが、まだカメラを夢中で見ている。ちょっとかまってやろう。いや、かまってほしくて、カメラを見ているタローの腕に自分の腕を絡め、なおかつ、自分の胸をタローの腕に押し付けた。それでもタローは気づかない。何度かやっていると、タローは違和感を覚えたのだろう。目線を自分の腕に落として事態を把握する。
「愛ちゃんはそんなことしちゃ、ダメだよ」
「ごめんなさい」
 自分の顔が恥ずかしさで赤くなっているのがわかった。他人の顔を赤くさせたことは結構あるけど、自分が人前で顔を赤くしたのなんて、いつ以来だろう。記憶がないくらい前だった。でも、はっきりと叱ってくれたことが嬉しかった。
「いや、僕こそごめん。僕がカメラに夢中になり過ぎたせいだね。もう十分だし、そろそろ出よう」
「本当にもういいの」
「もういいよ」
 ラブラブな二人は再び車に乗る。
「愛ちゃん、もう一か所だけ付き合ってくれる?」
「もちろん、いいよ。今日はタローのために一日空けといたんだから」
「じゃあ、DIYショップへ行こう」
「何、そのディーワイワイって? ひょっとしてパーティグッズのお店」
「う~ん、ワイワイじゃなくてDIY。ドゥイッツユアセルフの略。直訳すれば、『あなた自身でやろう』っていうことだけど、日曜大工的なことを言うんだ。その材料や工具なんかを売っているのがDIYショップ」
「ふ~ん、そうなんだ。だけど、買っちゃったほうが早くない」
 こういうところはお嬢様気質が出てしまう。
「う~ん、そうかもしれないけれど、自分で作るところが楽しいんだ。そうすれば自分のオリジナルのものが作れるでしょう。この間、僕の部屋に来てもらった時に愛ちゃんが座っていた椅子も僕が作ったんだよ」
「あれそうなの。すご~い、天才」
「ぜんぜんそんなことないから。僕なんて初心者だから恥ずかしいよ」
「まあまあ、謙遜しちゃってー」
 なんでも自慢話にしちゃう男が多いのに、タローは謙虚。何でもいいほうに、いいほうに解釈する愛であった。
「最近は若い女の子でもDIYにはまる子も多くて、DIY女子って言われているんだよ」
「そうなの」
 ということで、郊外にあるDIYショップへ移動する。初めて入るDIYショップは愛でもワクワクする。
「いろんなもの売ってて面白いね」
「ね、そうでしょう。愛ちゃんて創造力高そうだから、意外とはまっちゃうんじゃないかと思ってるんだ」
「タローちゃんにはまっちゃったように?」
「そんな…」
 恥ずかしいのか照れくさいのか、そう言って真っ赤な顔をするタロー。こうしてすぐ赤くなるくせに、さっきカメラ専門店でキスした時は冷静だった。結局、この日は一周するだけで何も買わなかった。愛の希望により、二階の喫茶店に入った。喫茶店も広い。
「大丈夫? 疲れてない?」
 と愛を気遣うタロー。
「大丈夫よ」
「それなら良かった」
 コーヒーを飲みながらゆったりと二人の時間を楽しむ。この機会に愛はタローにどうしても訊いておきたいことを質問することにする。
「タローに訊きたいことがあるんだけど?]
「うん、何?」
 こういう台詞を聞くと、たいていの男は身構えるものだけど、タローは相変わらず自然体のままだ。『カッコいい』
「付き合ってた彼女に私のこと話してくれた?」
「もちろん、話したよ」
「で、どうだったの」
「切れられるかと思ったけど、大丈夫だった。素直に話したんだよ。僕には新しく好きな人ができました。だから、別れてほしいって」
「うん、うん。それで?」
「当然だけどびっくりしたみたいで、しばらく僕の顔を見てた」
 その時の様子が愛の目にも浮かんだ。
「それで、それで…」
「ふ~んって言った」
 こと細かく実況中継をしてくれるらしい。ワクワク。
「うん、うん」
「そう言った後、またしばらく僕の顔を見てた」
「ああ」
 今度こそタローは頬を平手打ちされるのだろうか、可哀そうに。
「それでね。わかったって言ってくれたんだ」
「へえー」
 タローも意外だったようだけど、愛も意外だった。さすがタローが惚れた女だ。首が座っている。いや違う、腹が座っている。
「そしてね、愛ちゃんの写真見せろって言うんだ。悩んだんだけど、見せちゃった。ごめん」
「ぜんぜん大丈夫よ」
 まあ減るもんじゃないし。
「良かった」
「で、彼女は?」
「負けたって言ったんだ」
「負けた?」
「そう。愛ちゃん、綺麗だし、品あるし、頭良さそうだしね」
「良さ、そう?」
 一応、ツッコんでおく。
「あっ、ごめん。頭いいしね」
「ふふ。でも、彼女がそう言ったの?」
「今のは僕が言ったんだけど」
「なんじゃ、それは」
「でも、彼女の顔にはそう書いてあった」
「ふ~ん」
 半信半疑だけど、まんざらでもない。
「それで、彼女が最後にこう言ったんだ。大丈夫よ、あなたは私にとって三番目の男だったからってね」
 それは嘘だと愛は瞬時に思った。彼女にもプライドがある。
「ということで、彼女には僕以外に本命がいたらしい。どうやら僕は二股どころか三股の、しかも三番手だったらしいから安心して」
「彼女、見る目がないね」
 口ではそう言ったが、本当はそう思っていない。タローは彼女の言葉を素直に受け取った。そんな素直なところもタローの魅力のひとつだ。でも、このことに関しては女心をわかっていない。彼女にとってタローはきっと本命だったに違いない。だけど、タローのことが本当に好きだから、タローの意思を尊重した。そんな思いを知られたくないから、敢えてそんなことを言って見せた。タローが心置きなく私に向かうよう仕向けた。愛から見ても、いい女だ。きっとタローと別れた後、涙を流したのではないか。ごめんなさい、彼女。愛は彼女に感謝した。
「でも、いずれにしても解決したんだね。良かった」
 後は自分の両親の説得だ。でも、ここが難関だ。何せ、みず友銀行の頭取の次男とのお見合いを蹴って、月雪家からすればう~んと格下に当たる『普通』の男との結婚を認めろというのだから。
「ねえ、最後に青山にある甘味処に寄っていい? 食べたいものがあるんだ」
「うん、いいね」
 実はタローも甘いものが好きなのだ。タローはそういう顔してる。
 甘味処に着き、愛は駐車場に車を入れる。先に降りたタローの姿が見えないので、探していると、ビルの間に立つタローの後ろ姿を発見。近づこうと歩いていると、タローがこちらを向き、右手を顔の上で上下に振っている。さらに近づくとタローが言った。
「こっちおいでよ」
 『こっちおいでよ』なんて台詞を男から言われたことなんて、これまでの自分の人生の中で初めてだった。そりゃあそうだ。以前の愛だったら、もしそんなこと言われたら、『誰に向かって言ってんのよ』とか言って怒っただろう。それをみんなわかっていたから、昔付き合っていた男も、数多いボーイフレンドの誰一人も言ったことがなかったのだろう。今でも他の誰かに言われたら受付なかったと思う。
 でも、タローに言われ、愛は身体が震えるほどキュンとしてしまった。駆け寄っていった愛をタローは受け止め、ビルとビルの間から見える赤く染まった空を指す。
「見てごらん、綺麗だよね」
 そう言って、隣の愛の肩を抱き寄せた。

                  十四
 両親に結婚を認めさせるため、愛は作戦を考えた。普通に話を進めたら、強い反対を受けるに決まっている。折しも、みず友銀行の次男との見合いという、これ以上ないと思われるような話がきているのであるから。
 愛はこれまでのらりくらりと適当な理由をつけて見合い話を延ばしてきたが、それもそろそろ限界だろう。はっきり断らなければ、先方に迷惑がかかる。そういう意味でも、一刻も早く両親に告げたほうがいい。最初、ママには事前に相談しようかと思ったが、ママに言えば『パパには黙っていて』と言っても、当然のごとくパパには伝わる。ママはそういう人だ。だから、余計な画策はせず、当日に一か八かの奇襲作戦を取ることにしたのである。両親のいる日に、いきなりタローを会わせ、そのまま結婚の話までしてしまおうというものである。万が一反対されれば家を出る覚悟まで決めていた愛である。
 当日、愛はいつものようにフェラーリでタローを迎えに行った。部屋に入ると、タローは早くも落ち着きをなくしていた。
「ねえ、僕、今からムネがドキドキなんだけど…」
「そんなくだらないこと言えてるんだから大丈夫だよ」
「僕、緊張してると、へんな冗談がでちゃうんだよ。本当に不安で不安で…」
「わかるけど、とにかく落ち着いて。今日はタローが主役なんだから頑張ってね。私もできる限りのフォローするから」
「頼むね。愛ちゃんだけが頼りなんだ」
「はい、はい、はい」
 ちょっと面倒くさくなった。そんなタローをなんとか車に載せて出発する。助手席に乗ったタローは何もしゃべらず、まっすぐ前を見ている。そんなタローに、愛は敢えて声をかけないことにした。
 両親には、今日最近一番仲良くしている友達を連れて行くとだけ伝えてある。車が自宅に着くと、横のタローが「ふう」と息を吐いた。緊張を解こうとしているのだろう。その横腹を指で突っつく。
「うっ」
「ぎゃっはっはっは」
「止めてよ、愛ちゃん」
「少しは緊張解けた?」
「まあね」
「よっしゃあ、頑張れタローちゃん。君ならできる」
「子供じゃないんだから。でも、頑張るよ」
 家に入ると、お手伝いさんの和美さんではなく、ママが直接迎えに出てくれていた。今日のお客様は大切な人だからとママが気を利かせたのだろう。そんなママはタローを見て、ちょっとだけ怪訝な表情を見せた。男女を問わず、今まで愛が自宅に連れてきた人たちとタローが明らかに違うので驚いているのであろう。ママは人を見る目だけはあるのである。愛と同様、常識はかなり欠如しているけれど。でも、すぐに、あの美しくかつ上品な満面の笑みを見せる。
「こちら、佐藤太郎さん」
 愛がタローを紹介する。
「よくいらっしゃいました。私、愛の母親です」
 タローはママの美貌に見とれ、ぼぉっとしている。『タロー』と小さく囁く愛。
「あっ、今日はお招きいただきましてありがとうございます」
「どうぞお入りなさって」
 リビングに通される。タローの緊張がさらに高まっているのがわかる。何せ彼はこの後、両親に娘さんと結婚させてくださいと言わなければならないのだから。リビングのソファーに二人並んで座っていると、愛だけママに呼ばれる。
「どういう人?」
 そもそもママには今日来るのが男か女かも言ってなかった。
「彼から話させるから」
「どういうこと?」
「だから、そういうこと」
「意味がわからない」
「もうすぐわかるから」
「まあ、いいわ」
 たぶん、頭のいいママは察した。
「とにかく、話を聞いてから判断して」
「わかったわ。今パパを呼んでくるから待ってなさい」
「うん、わかった」
 リビングに戻り待っていると、お手伝いの和美さんがコーヒーを持って入ってきた。その姿を見て、タローはすぐに立ち上がろうとしたので、愛はタローの手を取り、耳元で「いいのよ」と言う。和美さんは、そんなタローと愛に軽く会釈をして4人分のコーヒーをテーブルに置き、無言でその場を立ち去った。
「綺麗な人だったけど、お姉さんじゃなかったの?」
「あのねえ、綺麗な人見るとすぐに反応するの止めて。私に姉がいるなんて言ってなかったでしょ。今のはお手伝いの和美さん。わかったあ」
 懲らしめのため、タローの太ももをつねる。
「痛~い」
 愛の愛のムチにタローが大声をあげたまさにその時、ママがパパを伴ってリビングに入ってきた。
「なんだ、今の悲鳴は?」
「あっ、パパ何でもないです」
 パパという言葉を聞き、タローははじかれたように立ち上がり、まだ挨拶を交わしたわけでもないのに、深々と頭を下げた。そんなタローを見て、一瞬パパが怯んだのがおかしかった。パパとママが二人の前に来たのを確認して、愛も立ち上がる。
「パパ、紹介するね。こちら、佐藤太郎さん。今私が一番仲良くしている人。よろしくね」
 まずは、この程度に紹介してパパの警戒心を解くという戦略だ。
「どうも、はじめまして。私、愛の父親の月雪守と言います。まっ、とにかくお座りください」
 『友達』という言葉に安心したのか、パパの表情は穏やかだ。しかし、ソファに座る際、パパとママは顔を見合わせた。今の状況を計りかねているのだろう。ママがタローにではなく、愛のほうに目を遣る。『愛、あなた説明しなさい』と言っている。一方のタローは背筋を伸ばし、相変わらず緊張したまま、なかなか切り出せないでいる。たまりかねたママが口火を切る。
「そもそも二人の関係は?」
 あくまで愛のほうを見ながら言う。するとすかさずタローが言い放った。
「恋人同士です」
 いいぞ、タロー。
「恋人同士?」
 パパとママが声を揃えた。
「はい。僕たち、2018年、5月26日からお付き合いさせていただいております。恋人同士になったのは、それから一か月後です」
 そこまで細かく言わなくっていいのに。あまりの前代未聞の挨拶に、愛は他人事のようにおかしかった。でも、タローは、まっすぐにパパを見て言つたのだ。
「何も聞いてないぞ、愛」
 パパはタローの顔を一切見ず、愛に向かって言う。
「すみませんでした。ご挨拶が今日になってしまったこと、お詫び申し上げます」
 タローが答える。
「あなたに聞いていない」
「すみません」
「パパ、ママごめんね。私が悪いの。本当は事前に相談しようと思ったんだけど、絶対に反対されると思ったから、突然彼から話すよう私からお願いしたの」
「そんなの無茶だ」
 パパが吐き捨てるように言う。パパの言っていることはもっともだ。パパの気持ちもわかる。
「それで…」
 一層緊張してしまったタローに対して、ママが緊張をほぐすように優しい笑顔で先を促した。パパが感情的になっているのに対して、ママは落ち着いている。さすが、私のママ。ママはもうすべてをわかっている。
「お父様、お母様、僕と愛さんを結婚させてください」
タローは、はっきりと告げた。彼にすれば、どれほどの勇気がいったろう。そう思うと、愛の胸は熱くなった。でも、両親は、あまりの突然のことに黙り込んでしまった。無理もない。騙し討ちみたいなものだ。タローのほうは、とりあえず思いを伝えられたことで、少し弛緩している。そこで、気を抜くな、タロー、これからが勝負だ。両親にしてみれば、タローはどこの牛の骨かわからない男なのだから。ん?、いや馬の骨か。どうして私はこう常識がないのだろう。
「君の気持ちだけはわかった。しかし、私たちにとっては、あなたがどんな人なのかひとつもわからない以上、何とも言いようがない。そうだろう、ママ」
「パパの言う通りよ、愛ちゃん。あなたのことだから、敢えて奇襲作戦をとったのだろうけど、ここからはきちんと説明してちょうだい。結婚という大事なことなのだから、簡単に決められないことぐらい、あなたもわかっているわよね」
「わかっています。彼のすべてについて、これから話しますから、その上で私たちの結婚を認めてほしいの」
「だからそれは話を聞いた上でだ」 
 すかさずパパが言う。パパのことだから、タローが自分たちと同じような環境で育ってはいないことぐらいお見通しのはずだった。でも、それを包み隠さず、ちゃんと伝えるのが私の役割だ。
「わかったわ、パパ。ではお話しします。彼、佐藤太郎さんは、年齢32歳。2流私大の経済学部を普通の成績で卒業後、中堅の製薬会社に就職。現在総務部の課長代理。年収は450万円。練馬区の1LDKの家賃9万5千円の賃貸マンションに住んでいて、会社のある日本橋まで毎日電車で通っている。顔は見ればわかると思うけど、とりたててブサイクではないかわりに、とりたててイケメンでもない。要するに、街を歩けば棒に当たる的な、よく見かける顔。身長も175センチで、高からず低からず。言わば中肉中背。何かの病気持ちではなく、健康面に難があるわけではない。性格は基本真面目だけど、真面目過ぎるわけでもなく、人並みに冗談も言うし、冗談には冗談で返す。特に難mなければ、かといって特別面白い男でもない。趣味は音楽鑑賞で、特にKポップを好む。あと、サッカーが好きらしいが、球場に見に行くほどではないらしい。父親は地元である佐賀県で小さな工務店を営んでいる。しかし、息子を大学に通わせることができる程度の経済力はある。母親は、その会社の経理として働いている。一人いる妹はすでに結婚していて、夫の働く大阪で暮らしている。ちなみに、その夫の職業は消防士。今、妹のお腹には6か月の赤ちゃんが宿っている」
 最初に徹から聞いたことを、そのまま話した。あまりに長いので、ママは途中で飽きていた。私にそっくり。でも、パパは一言も聞き漏らすまいという真剣な顔でずっと聞いていた。しかも、パパの顔は次第に険悪になっていった。これで、二人の生活のレベルの違いが顕著であることが、両親にもはっきりわかったはずだ。パパは絶対に許さないという顔になっている。両親とも、家柄だけが幸不幸を決める決定的な要因ではないと、理屈ではわかっているはずであるが、不幸になる可能性が少しでも少ない道を選ばせたいというのが親心だろう。特に、父親の娘に対する思いは強いのだろう。愛にしても、できればパパを悲しませたくない。
「それで、佐藤さんは娘を幸せにできるとお思いなのですか。あまりに育った環境が違うと思いませんか。お付き合いなさっておわかりかと思いますけど、愛は恵まれた環境で、自由奔放にやりたい放題やってきた、わがままいっぱいの娘ですよ。それに、金遣いは荒いし、料理はあまり上手くないし…」
 パパったら、話の方向がおかしくなってるよ。
「音痴だし、それに」
 何を言い出すの。
「時々、お風呂からあがってパンツ一枚で部屋の中をうろうろするし…」
 超真面目な顔で言うパパの隣で、ママは頷いてしまっている。横を見ると、タローまで頷いている。確かに、たまに、そういうこともあるけれど、あんたまで頷いてどうするんだ。まあパパは、タローとはは格差があり過ぎるということと、私が結婚に向いてないということを言いたいのだろう。
「愛も、今は好きだという気持ちが強すぎて、冷静に判断できなくなっているんじゃないか。夫婦の幸せは二人で長い時間かけて作り上げていくものだ。一時的な熱情や感情で結婚してもうまくいかない。もっとよく考えなさい」
 パパは、というかパパにしてはものすごくまっとうなことを言っている。普段はあれほど自由な発想をするパパが…。あまりに正論過ぎて反論しようがない。でも、ここは反論しなければならない。
「パパの言っていることはわかるよ。でも、私たちは違うの」
「どこが違うというのだ」
「だから、ちゃんと覚悟が出来てるの」
「口ではどんなことでも言える。しかし、現実は厳しいものだ。君たちには無理だ」
 パパはどうあっても反対と決めてしまったようだ。こうなると、梃子でも動かないに違いない。そうなることは予想もされていたので、その時は最悪、愛は家を出ると宣言するつもりだった。しかし、実際に苦悩しているパパの姿を見てしまうと、やはりそれは言えない。どうしようか。困っている時に、まさかの出来事が起こった。それまで黙って聞いていたママが話し始めたのである。
「あなた、大丈夫よ。私は愛を信じているし、愛ならきっと愛を成就させられると確信しているわ。それと、佐藤さんのことだけど。私は今日彼がここへ来た時からずっと見ていたけれど、信頼できる人だと思ったの。彼ならきっと愛を幸せにしてくれる。あなたは育った環境とか家柄のことを心配なさっているのだと思うけど、彼には愛に相応しい相手になってくれる素養があるわ。だから大丈夫。二人の結婚を祝福してあげましょう」
 パパは黙って聞いていた。タローはというと、ママの言葉に感激して号泣していた。私はただただママに感謝していた。同時にママの人を見る目のすばらしさに感動もしていた。
「わかった。ママがそこまで言うのなら間違いないと思う。愛、おめでとう。そして佐藤さん、どうか愛を幸せにしてやってください。お願いします」
 そう言ってパパがタローに向かって頭を下げた。この時、愛の目からも止めどない涙が流れたと言いたいところだけど。実は愛の目からは涙は出ていないのだ。ここは泣く場面だと思って、愛もその気になり泣いてみせようと思ったのだが、タローとパパが泣き過ぎるのを見て、愛は逆におかしくなってしまったのである。ママを見ると同じ思いらしく、笑いをこらえている。月雪家の男は弱い、女は強いのだ。でも、この最高のシーンの一部始終を傍で見ていた僕チビは、男どもの泣き顔を見て思わずもらい泣きしたものです(僕もオスだし)。
 ちなみに、二人の結婚式はすごかった。いわゆる格差婚の象徴のような式で、月雪家の招待客が1500人だったのに対して、佐藤家は50人だった。月雪家のほうは、政財界や芸能界、スポーツ界などから超有名人が参加した。しかも、なんとあの総理大臣、の秘書まで参加した。一方の佐藤家は、親戚筋はもちろん、友人、知人、同僚、さらには愛公認の元カノまでかき集めたらしい。それでも、名簿の中にはタローが初めて名前を聞く人もいたらしい。当日、佐藤家の参加者は、新郎新婦そっちのけで、有名芸能人に群がり、携帯でミニ撮影会を開く始末であった。ちなみに、タローは婿養子になった。
 これでめでたく、『愛ちゃんはタローの嫁になる』というタイトルの物語は一応の完結となるのです。
 補足ですが、昔、昔(昭和31年というから驚き)、これと同じ歌詞の歌があったそうな。詳しくはわからないのですが、歌のタイトルは『愛ちゃんはお嫁に』、作詞は原俊雄、作曲は村沢良介、歌っていたのは鈴木三重子という歌手らしい。
 最後の最後につけ加えておくと、ママの見る目は正しかったことがわかりました。愛ちゃんと結婚した佐藤太郎氏は、その後ママに言われて、それまで勤めていた会社を辞め、これまたママの叔父(愛からすれば、大叔父)の経営する超有名企業に再就職し、あっという間に役員まで昇りつめ、今では関連企業の社長になっているのです。関連企業といっても、従業員数1500人の大企業です。いずれは、跡継ぎのいないママの叔父さんの経営する親会社の社長になる可能性も高い。
 というわけで、愛ちゃんも今では有名企業の社長夫人となっていて、大金持ちと結婚したいと言っていた当初の希望通りになっているのです。
 メデタシ、メデタシ




 


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