第1話
文字数 578文字
好きな作家として、芝木好子さんを取り挙げていらっしゃる方がいて、好ましい印象を受けた。
小説もいいが、彼女の作品を原作とした映画もいい。
映画といえば、三島由紀夫は俗悪趣味としてなのか、脇役はもとより、主演したりまでして恥をかいているが、彼の評論やエッセイを読まないぼくは、三島が映画を芸術として評価することがあったのかどうか知らない。
三島が死んだとき村上春樹は21歳であり、三島が村上を知ることはなかった。ちなみに、容易に理解できるであろうが、村上は三島を苦手な作家としている。
三島が映画をエンタメとしてしかみていなかったとすれば、映画「ドライブ・マイ・カー」などは捨てて顧みなかったであろう。
一方で、三島は天才を発見する眼が確かであり、だからこそ安部公房や大江健三郎への嫉妬を隠せなかった。存命で村上を読んでいたら、三島は村上のデビュー時にその才能を逸早く見抜いてみせていたかも知れない。
小説は無から生まれるものではない。先行する作家たちの恩恵を受けているのである。文学あるいは文化という太い幹があって、そこから枝葉を伸ばすのである。
とはいえ、先に書いたように、三島は村上を知らない。大江は「街とその不確かな壁」を読むことなく逝った。
文学の幹があり、それによって繋がっていても、永遠に相手を知ることはないという部分。これもまたおもしろい。
小説もいいが、彼女の作品を原作とした映画もいい。
映画といえば、三島由紀夫は俗悪趣味としてなのか、脇役はもとより、主演したりまでして恥をかいているが、彼の評論やエッセイを読まないぼくは、三島が映画を芸術として評価することがあったのかどうか知らない。
三島が死んだとき村上春樹は21歳であり、三島が村上を知ることはなかった。ちなみに、容易に理解できるであろうが、村上は三島を苦手な作家としている。
三島が映画をエンタメとしてしかみていなかったとすれば、映画「ドライブ・マイ・カー」などは捨てて顧みなかったであろう。
一方で、三島は天才を発見する眼が確かであり、だからこそ安部公房や大江健三郎への嫉妬を隠せなかった。存命で村上を読んでいたら、三島は村上のデビュー時にその才能を逸早く見抜いてみせていたかも知れない。
小説は無から生まれるものではない。先行する作家たちの恩恵を受けているのである。文学あるいは文化という太い幹があって、そこから枝葉を伸ばすのである。
とはいえ、先に書いたように、三島は村上を知らない。大江は「街とその不確かな壁」を読むことなく逝った。
文学の幹があり、それによって繋がっていても、永遠に相手を知ることはないという部分。これもまたおもしろい。
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