人殺しと呼ばれた少女。
文字数 6,112文字
春のはじまり、1週間の休みを終えて、
久しぶりの中学校はサチには苦痛だった。
空気が重く、視線は冷たくて刺々 しい。
人殺しだとか出所 したなどと、
好き勝手に揶揄 や嘲笑 をされた。
同じグループにいる友達とは
以前よりも距離を取られ、
私はグループに近づくこともなかった。
――このくらいの報いは当然だ。
私は人を殺しかけたんだから。
サチは自分に言い聞かせた。
授業が終われば逃げるように学校を出て、
いつもとは逆の道を今日はひとりで歩く。
足取りは重い。
視界はやけに狭 く、まだ日は高いのに、
いつもより暗く感じた。
自分の足音が、まるで
他人のもののように聞こえる。
目的の場所は徒歩30分ほどの地元の高校。
移動はバスでもよかったが、
バスが到着するよりも歩いた方が早い。
それに楽することをサチは選びたくはなかった。
正門に着いたものの、途方に暮れるサチ。
後先考えずに来てしまったのが
自分の悪いところだ、と反省した。
とりあえず優しそうな感じの、
ふたり組みの女子生徒に声をかける。
「古賀島 さんって生徒はご存知ですか?」
「こがじま?何 年生?」
「たぶん2…3年、だと思います…。」
「わからん。知ってる?」
「そのひと、何部 入ってるか、わかる?」
「ラケットバッグ背負ってたので、
たぶんテニスか、…バドミントン…。」
「バドミはウチにないからテニスだね。
コート案内してあげる。
女子に知り合いいるし。」
「すみません。ありがとうございます。」
「カレシ、じゃないの?」
「痴情 のもつれってやつ?
生き別れの兄妹とか?」
「ええっと…。」
ふたりの質問攻めに、サチは口ごもった。
中学生のサチは案 の定 、注目の的 になった。
取り立てて美人でもなければ、背も高いわけでも、
悲しいかな体型がスラリとしているわけでもない。
「古賀島 ? の、カノジョ?」
テニス部の女子から男子の部長らしき人物が、
頬 を緩 めながら対応した。
「ちがいます。」今度はハッキリと断った。
「コガなら退部したよ。」
「退部? それは、どうして。」
「知らないの? 事故ったからだよ。
大会予選のタイミングでツイてないよな。
3年は最後なのに。」
「そうですか…、あの…学校は…?」
「来てないよ。オンラインだって。
俺も自宅で授業受けてぇ。」
「ありがとうございました。」
会話を打ち切るように頭を深く下げて、
サチは高校を逃げ去 った。
古賀島 サトルは部活を辞めた。
理由は事故にあり、事故の原因はサチにあった。
帰宅中、サチは古賀島 サトルの
乗っていた自転車にぶつかり、転倒した彼の上に
後方から来たバイクがぶつかった。
バイクの運転手にも怪我 があったが、
ヘルメットのおかげで幸い軽傷で済んだ。
しかし古賀島 は左足を怪我して救急車で運ばれ、
1週間の入院生活を余儀 なくされた。
今日改めて謝罪に行ったはずのサチだが、
テニス部の古賀島 の選手生命を、
事故で奪 ったことを知り愕然 とした。
――私のせいだ…。
――――――――――――――――――――
翌日、古賀島 サトルの自宅に、
サチは菓子折りを持って訪問した。
サチは以前も訪問したが、そのときは入院中で、
古賀島 からは面会を拒絶されていた。
深く息を吐いて、インターホンを押す。
「はい?」女性の声。
「すみません。以前、事故の件で
お詫びに伺 いました佐寺衣 です。
こが…サトルさんはご在宅でしょうか。」
サチはカメラの向こうの
見えない相手に向かって、深く頭を下げる。
しばらくなにの反応もなかったが、
すぐに玄関の扉からサトルの母親が姿を見せた。
「これ、わざわざ、サトルに?」
サチは快 くリビングに迎えられたが、
目的の古賀島 サトルは不在だった。
「あの…サトルさんはどちらに?」
「今日図書館に行っててね、
夜まで帰って来ないのよ。」
「そうでしたか。
学校にも伺 いましたが、
事故で部活を辞めたと聞きました。
あの…本当に、すみませんでした。」
「あの子、むっつりだから。」
「…むっつり?」
「お父さんに似てるのかしら。
よく一緒に釣りに行くんだけれど、
ふたりしてなにも喋 らないのよ。」
母親はその様子を思い浮かべて笑っている。
「突然の訪問にも関わらず、
ありがとうございました。」
門前払いを受けるかと思ったが、
菓子折りを渡すことができた。
しかしサチはまだ本人に謝れてはいない。
何度も自宅を訪問するのも迷惑がかかる気がして、
今度は古賀島 サトルがいる図書館を目指した。
ワンフロアだけの小さな図書館だが、
それらしい人物が見当たらない。
と思ったところで、
トイレから出てきた
古賀島 サトルと鉢合 わせた。
「あっ!」
突然の遭遇 に、サチは
少し大きな声を出してしまい自ら驚 いた。
お互いに顔は判然 としていなかったが、
サチは松葉杖 をつく古賀島 に気づき、
古賀島 もまた、サチの顔を見て察した。
「静かにしろよ。」
低い声で迷惑そうに言った。
古賀島 は折れた左足をギプスで固めて、
松葉杖をついてゆっくり自習室へと向かう。
幾人 かの学生らの片隅で、
古賀島 は勉強をしていた。
自習室の出入り口で立って眺 めていると、
ほかの利用客に不審 がられたので、
サチは近くの席に座り考えを巡 らせた。
――静かにしろよ。
と、古賀島 に注意され、
サチはなにも言えなかった。
まず謝罪 の言葉をいくつか用意していたが、
この場のこの状況では、どのタイミングで
言えばいいのかわからず、静粛 を求められる
図書館という場所には不適切 であった。
自分の考えなしの行動が、余計に自分を苦しめた。
顔を覆 い俯 いてはときおり古賀島 を見て、
気にも留 めず平然 と勉強をする彼の横顔に、
自分の居場所の無さに打ちひしがれる。
「帰るんですか…?」
古賀島 が席を立ったタイミングで声を掛けた。
「トイレだよ。」
「あ…。なにか…。」
サチは気が動転して、不慣 れに松葉杖を立てる
古賀島 に向かって変なことを口走った。
「手伝えることってありますか?」
「…発言には気をつけろよ。」
眉間 に深くしわ寄せて、
古賀島 は自習室を出ていった。
彼の言う通り、サチの放った言葉は最低だった。
サチが手伝えることなどなにもない。
まず館内で会ったときに、
古賀島 はひとりでトイレを済ませていた。
その言葉自体が迷惑でしかない。
――障害者 扱いして、健常者 面 したんだ、私…。
恥 ずべき発言に、顔を覆 って机に突 っ伏 した。
――――――――――――――――――――
閉館時間を知らせる放送が館内に流れる。
自習室から見える窓の外はもう暗かった。
羞恥 のあとで、サチは寝ていた。
寝ていたサチの姿を、
古賀島 は頬杖 をついて眺 めていた。
「俺は帰るが?」
なにやら面白いものを見た様子で、
口角 を上げている古賀島 に、
寝ぼけ眼 のサチは覚めると同時に顔を赤らめた。
古賀島 は大きなバッグを背負い、
松葉杖で前を歩く。
事故の日に見た、
ラケットバッグは背負っていない。
サチに手伝えることはない。
なにかを言おうにも、
どんな言葉も相手を不快 にさせる気がして、
サチはためらったまま後ろを歩いた。
帰りの道は同じだった。
通りに出て、近くのバス停に着いたが、
古賀島 は壁 にもたれてひと息つく。
「あの…座らないんですか?」
バス停の座席は空いている。
「一度座ったら、今度は立つのがしんどい。」
「そうなんですね…。」
――また失敗した。
サチはうつむいて、なにも言えなくなった。
古賀島 は時刻表を確認して顔を歪 めた。
バスはまだしばらく来ない。
「今日はカレシと一緒じゃないのか。」
「ちがいます。」
「ウチから、ここまでやってきて、
ひとりで謝罪 したいんじゃないのなら、
オレからなにか言って欲しいわけだ。」
古賀島 はサチを見て、そう告げた。
サチが思い浮かぶ謝罪 の言葉はいくつもある。
しかし謝って済むような事故ではなかった。
怪我 が元通りになるわけでもなければ、
古賀島 が部活を辞めたのも怪我 に理由がある。
「腓骨 骨折 。」
「えっ…。」
古賀島 がつぶやいた。
足のふくらはぎ側にある細い骨が、
バイクに轢 かれた際に骨折した。
いまはギプスによってスネから足の裏まで
がっちりと固定されている。
「全治 1ヶ月だと。」
「でも部活も辞めたって…。」
「部活を辞めたのはキミの…名前なんだっけ?」
「え…佐寺衣 です。佐寺衣 サチです。」
「そう、佐寺衣 は自分のせいだと
勝手に責任感に浸 ってるみたいだけど、
退部届けを出したのはオレの判断だよ。
キミ…佐寺衣 が出したわけじゃない。」
「大会に出られないからじゃ。」
「まぁ大会に出ても結果は見えてたし、
もう3年で受験も控えてるから、
勉強するなら早い方がいいだろ。」
そして古賀島 の口から本心がこぼれた。
「見てるだけでなにもできないのは、
歯痒 いだけだしな。」
「あの…本当に、すみませんでした。」
何度目か分からなくなるほど、
深々と頭を下げて謝罪 した。
古賀島 のため息が漏 れ聞こえる。
「事故のことについてはもう、
保険屋のひとがやってくれてるからいいだろ。」
「それでも私は、ちゃんと
古賀島 さんに謝れてなくて。
入院中は面会もできなかったし…。」
「その謝罪 は自己満足じゃないのか?
オレは『謝ってくれ』なんて言ってないだろ。」
「そうですけど…。」
「オレがあの事故について、
佐寺衣 を叱責 することもないよ。」
「どうしてですか?」
「佐寺衣 たちの横を通り抜けようとして、
ぶつかった拍子 にバランスを崩 して、
間抜 けな俺は道路に飛び出した。
ちょうどそこにバイクが来た。
トラックだったら危なかったけど、
バイクだったからこの程度で助かった。」
松葉杖の先で、ギプスを軽く小突 いた。
「部活については、引退が早まっただけ。
おかげでいまから受験勉強に集中できる。
部活のせいだとか、事故のせいだとか、
そんなことの言い訳にさせないでくれ。」
「…すみません。」
サチは自分の配慮 の無さに
ますます気が滅入 ってしまう。
「アンガーマネジメントって言うんだと。」
「なんですか?」
「テニスやってると、自分の思ったような
ボールが打てないときがあるんだよ。
中学でもテニスくらい授業であるだろ。」
「ソフトテニスなら。
打ち返すのに精一杯 で、
そこまで考えたことありません。」
「…運動できなさそうだもんな。」
古賀島 はサチの体型を見てから言い放った。
年齢の割に胸はそれなりに成長したが、
古賀島 の指摘 の通り、運動は昔から苦手だったので
反論の余地はなかった。
「ぐっ。」しかし悔 しさに思わず声がもれる。
「そういうやり場のない怒りの気持ちを、
テニスの試合中は抑 えなくちゃ
いけないんだよ。」
「それが…アンガー?」
「アンガーマネジメントな。
コートで叫んだり、苛立 ちのあまり
ラケットを破壊 するプロもいるけど。」
「そういえば、なんか見たことあります。」
「感情の発散 にはいいらしいんだと。
今回の事故で、巻き添えのバイクの運転手や
佐寺衣 に文句を言っても仕方がない。
感情的にならず先を考えると、それより
自分のやりたいことをすべきだと思った。」
「やりたいこと…それって、進路ですか?」
古賀島 はうなずいた。
「怪我してテニスが嫌いになったわけでもない。
リハビリして、大学行っても
たぶんテニスはやってると思う。」
それを聞いて、サチは少しうれしくなった。
「見てるだけでも楽しいけど、
選手としてのオレは、スタミナと
筋肉不足で芽が出ない方だと分かった。
それでこれから何年先もテニスに関わるなら、
医療 系に進むのも、選択としては
有りだと考えた。」
「…立派ですね。」
進路やその先の、将来のことなど、
まだ中学生のサチはなにも考えてもいない。
「いや、遅いくらいだ。
まぁそういうことだから、
佐寺衣 を叱 るつもりもしない。
叱 らないことを残念がらないでくれよ。」
「べつに叱 って欲しいわけじゃ…。」
しかし、古賀島 の言う通り、
サチが一方的に謝罪 して気が済む問題でもなく、
叱 られたところでwin-win な関係にはなりえない。
彼の宣言を受けてサチは自分の行動に納得する。
「突然押しかけたにも関わらず、
ありがとうございました。
それに…さっきは失礼なことを言ってしまって
すみませんでした。」
「トイレでなにを手伝うんだか…。」
「言わないでください。」サチは顔を赤くした。
「あまり他人を詮索 するつもりもないけど、
例のカレは?」
「だからカレシじゃありません。」
「あの日、たしか一緒にいた。」
歩道をふたり並んで歩いていた。
そこを通り過ぎようとしたとき、一瞬
男の方と目が合ったのを古賀島 は記憶していた。
「同じクラスのグループだったんですけど。
最近ちょっと付きまとわれてて。」
「ストーカー?」
「そこまでじゃないですけど。
あの事故の前までは帰りが一緒で、
告白っというか『付き合おう』って言われて、
その日はきっぱり断ったんです。」
断り方が相手に不快感を与え、
その男子はサチを突き飛ばした。
「そしたら私が自転車に…、
古賀島 さんにぶつかったことになってて、
グループには私の悪口が…。」
――殺人未遂 。ビッチ。人殺し。
それを聞いた古賀島 は、
中学生の痴情 のもつれの果てに
迷惑を被 ったことになる。
それから轢 いたバイクの運転手も。
サチの辛気 臭 い顔を見て、
古賀島 はこれ見よがしにため息をついた。
バスが来た。
バスに乗る前に、古賀島 はサチにひとこと告 げた。
「学校が嫌なら、図書館で過ごせばいい。」
「えっ。」
「授業なら家で、オンラインで見られるし。
お友達グループか、それとも体裁 か。
きっと誰も佐寺衣 を叱らないだろ。
じゃあな。」
バス停に取り残されたサチは、
古賀島 の乗ったバスを目で追って立ち尽 くした。
サチがずっとひとりで考えを巡 らせていたことが、
古賀島 からの言葉でなにもかもが
吹っ切れてしまい唖然 とした。
帰りの足取りは軽くなり、
夜道は以前の昼間より明るく感じた。
――――――――――――――――――――
「また寝顔でも見せに来たのかと思った。」
「寝ませんよ。
来いって言ったの、
古賀島 さんじゃないですか。」
「そんな言い方してない。」
古賀島 は否定になってない否定をした。
サチが学校に行かず図書館の自習室に顔を出すと、
古賀島 は少し嬉しそうな顔をした。
「そうだ。あれから保険屋から連絡があった。」
「…なんですか?」
「防犯カメラに事故の映像があったってよ。」
「それが?」
寝顔の件を気にして顔を赤くするサチには、
話の流れがすぐ理解できなかった。
「佐寺衣 の無実 が証明 された。
動画で例のストーカーくんが
オレごと突き飛ばした証拠 になった。」
サチを押す前に古賀島 と目が合ったのは、
やはり気のせいではなかった。
「警察も保険屋も相談に乗るってさ。
これで学校のグループも説得できるだろ。」
サチは少し考えてから、うなずいた。
「根も葉もないウワサなので平気です。」
微笑 むサチは、以前よりも明るい表情を見せる。
これが本来のサチなのだと古賀島 は思った。
「それをウワサで済ませていいものか?
気にしてないなら、図書館に来る必要も
ないんじゃないか?」
古賀島 の隣に座るサチが目を細めて笑う。
「ここに来ても、叱 られませんから。
ね、先輩。」
押し迫るサチに古賀島 は身を引き、
露骨 に嫌そうな顔を見せた。
しかし自習室でのふたり関係は、
古賀島 の大学受験を終えても続いた。
(了)
久しぶりの中学校はサチには苦痛だった。
空気が重く、視線は冷たくて
人殺しだとか
好き勝手に
同じグループにいる友達とは
以前よりも距離を取られ、
私はグループに近づくこともなかった。
――このくらいの報いは当然だ。
私は人を殺しかけたんだから。
サチは自分に言い聞かせた。
授業が終われば逃げるように学校を出て、
いつもとは逆の道を今日はひとりで歩く。
足取りは重い。
視界はやけに
いつもより暗く感じた。
自分の足音が、まるで
他人のもののように聞こえる。
目的の場所は徒歩30分ほどの地元の高校。
移動はバスでもよかったが、
バスが到着するよりも歩いた方が早い。
それに楽することをサチは選びたくはなかった。
正門に着いたものの、途方に暮れるサチ。
後先考えずに来てしまったのが
自分の悪いところだ、と反省した。
とりあえず優しそうな感じの、
ふたり組みの女子生徒に声をかける。
「
「こがじま?
「たぶん2…3年、だと思います…。」
「わからん。知ってる?」
「そのひと、
「ラケットバッグ背負ってたので、
たぶんテニスか、…バドミントン…。」
「バドミはウチにないからテニスだね。
コート案内してあげる。
女子に知り合いいるし。」
「すみません。ありがとうございます。」
「カレシ、じゃないの?」
「
生き別れの兄妹とか?」
「ええっと…。」
ふたりの質問攻めに、サチは口ごもった。
中学生のサチは
取り立てて美人でもなければ、背も高いわけでも、
悲しいかな体型がスラリとしているわけでもない。
「
テニス部の女子から男子の部長らしき人物が、
「ちがいます。」今度はハッキリと断った。
「コガなら退部したよ。」
「退部? それは、どうして。」
「知らないの? 事故ったからだよ。
大会予選のタイミングでツイてないよな。
3年は最後なのに。」
「そうですか…、あの…学校は…?」
「来てないよ。オンラインだって。
俺も自宅で授業受けてぇ。」
「ありがとうございました。」
会話を打ち切るように頭を深く下げて、
サチは高校を逃げ
理由は事故にあり、事故の原因はサチにあった。
帰宅中、サチは
乗っていた自転車にぶつかり、転倒した彼の上に
後方から来たバイクがぶつかった。
バイクの運転手にも
ヘルメットのおかげで幸い軽傷で済んだ。
しかし
1週間の入院生活を
今日改めて謝罪に行ったはずのサチだが、
テニス部の
事故で
――私のせいだ…。
――――――――――――――――――――
翌日、
サチは菓子折りを持って訪問した。
サチは以前も訪問したが、そのときは入院中で、
深く息を吐いて、インターホンを押す。
「はい?」女性の声。
「すみません。以前、事故の件で
お詫びに
こが…サトルさんはご在宅でしょうか。」
サチはカメラの向こうの
見えない相手に向かって、深く頭を下げる。
しばらくなにの反応もなかったが、
すぐに玄関の扉からサトルの母親が姿を見せた。
「これ、わざわざ、サトルに?」
サチは
目的の
「あの…サトルさんはどちらに?」
「今日図書館に行っててね、
夜まで帰って来ないのよ。」
「そうでしたか。
学校にも
事故で部活を辞めたと聞きました。
あの…本当に、すみませんでした。」
「あの子、むっつりだから。」
「…むっつり?」
「お父さんに似てるのかしら。
よく一緒に釣りに行くんだけれど、
ふたりしてなにも
母親はその様子を思い浮かべて笑っている。
「突然の訪問にも関わらず、
ありがとうございました。」
門前払いを受けるかと思ったが、
菓子折りを渡すことができた。
しかしサチはまだ本人に謝れてはいない。
何度も自宅を訪問するのも迷惑がかかる気がして、
今度は
ワンフロアだけの小さな図書館だが、
それらしい人物が見当たらない。
と思ったところで、
トイレから出てきた
「あっ!」
突然の
少し大きな声を出してしまい自ら
お互いに顔は
サチは
「静かにしろよ。」
低い声で迷惑そうに言った。
松葉杖をついてゆっくり自習室へと向かう。
自習室の出入り口で立って
ほかの利用客に
サチは近くの席に座り考えを
――静かにしろよ。
と、
サチはなにも言えなかった。
まず
この場のこの状況では、どのタイミングで
言えばいいのかわからず、
図書館という場所には
自分の考えなしの行動が、余計に自分を苦しめた。
顔を
気にも
自分の居場所の無さに打ちひしがれる。
「帰るんですか…?」
「トイレだよ。」
「あ…。なにか…。」
サチは気が動転して、
「手伝えることってありますか?」
「…発言には気をつけろよ。」
彼の言う通り、サチの放った言葉は最低だった。
サチが手伝えることなどなにもない。
まず館内で会ったときに、
その言葉自体が迷惑でしかない。
――
――――――――――――――――――――
閉館時間を知らせる放送が館内に流れる。
自習室から見える窓の外はもう暗かった。
寝ていたサチの姿を、
「俺は帰るが?」
なにやら面白いものを見た様子で、
寝ぼけ
松葉杖で前を歩く。
事故の日に見た、
ラケットバッグは背負っていない。
サチに手伝えることはない。
なにかを言おうにも、
どんな言葉も相手を
サチはためらったまま後ろを歩いた。
帰りの道は同じだった。
通りに出て、近くのバス停に着いたが、
「あの…座らないんですか?」
バス停の座席は空いている。
「一度座ったら、今度は立つのがしんどい。」
「そうなんですね…。」
――また失敗した。
サチはうつむいて、なにも言えなくなった。
バスはまだしばらく来ない。
「今日はカレシと一緒じゃないのか。」
「ちがいます。」
「ウチから、ここまでやってきて、
ひとりで
オレからなにか言って欲しいわけだ。」
サチが思い浮かぶ
しかし謝って済むような事故ではなかった。
「
「えっ…。」
足のふくらはぎ側にある細い骨が、
バイクに
いまはギプスによってスネから足の裏まで
がっちりと固定されている。
「
「でも部活も辞めたって…。」
「部活を辞めたのはキミの…名前なんだっけ?」
「え…
「そう、
勝手に責任感に
退部届けを出したのはオレの判断だよ。
キミ…
「大会に出られないからじゃ。」
「まぁ大会に出ても結果は見えてたし、
もう3年で受験も控えてるから、
勉強するなら早い方がいいだろ。」
そして
「見てるだけでなにもできないのは、
「あの…本当に、すみませんでした。」
何度目か分からなくなるほど、
深々と頭を下げて
「事故のことについてはもう、
保険屋のひとがやってくれてるからいいだろ。」
「それでも私は、ちゃんと
入院中は面会もできなかったし…。」
「その
オレは『謝ってくれ』なんて言ってないだろ。」
「そうですけど…。」
「オレがあの事故について、
「どうしてですか?」
「
ぶつかった
ちょうどそこにバイクが来た。
トラックだったら危なかったけど、
バイクだったからこの程度で助かった。」
松葉杖の先で、ギプスを軽く
「部活については、引退が早まっただけ。
おかげでいまから受験勉強に集中できる。
部活のせいだとか、事故のせいだとか、
そんなことの言い訳にさせないでくれ。」
「…すみません。」
サチは自分の
ますます気が
「アンガーマネジメントって言うんだと。」
「なんですか?」
「テニスやってると、自分の思ったような
ボールが打てないときがあるんだよ。
中学でもテニスくらい授業であるだろ。」
「ソフトテニスなら。
打ち返すのに
そこまで考えたことありません。」
「…運動できなさそうだもんな。」
年齢の割に胸はそれなりに成長したが、
反論の余地はなかった。
「ぐっ。」しかし
「そういうやり場のない怒りの気持ちを、
テニスの試合中は
いけないんだよ。」
「それが…アンガー?」
「アンガーマネジメントな。
コートで叫んだり、
ラケットを
「そういえば、なんか見たことあります。」
「感情の
今回の事故で、巻き添えのバイクの運転手や
感情的にならず先を考えると、それより
自分のやりたいことをすべきだと思った。」
「やりたいこと…それって、進路ですか?」
「怪我してテニスが嫌いになったわけでもない。
リハビリして、大学行っても
たぶんテニスはやってると思う。」
それを聞いて、サチは少しうれしくなった。
「見てるだけでも楽しいけど、
選手としてのオレは、スタミナと
筋肉不足で芽が出ない方だと分かった。
それでこれから何年先もテニスに関わるなら、
有りだと考えた。」
「…立派ですね。」
進路やその先の、将来のことなど、
まだ中学生のサチはなにも考えてもいない。
「いや、遅いくらいだ。
まぁそういうことだから、
「べつに
しかし、
サチが一方的に
彼の宣言を受けてサチは自分の行動に納得する。
「突然押しかけたにも関わらず、
ありがとうございました。
それに…さっきは失礼なことを言ってしまって
すみませんでした。」
「トイレでなにを手伝うんだか…。」
「言わないでください。」サチは顔を赤くした。
「あまり他人を
例のカレは?」
「だからカレシじゃありません。」
「あの日、たしか一緒にいた。」
歩道をふたり並んで歩いていた。
そこを通り過ぎようとしたとき、一瞬
男の方と目が合ったのを
「同じクラスのグループだったんですけど。
最近ちょっと付きまとわれてて。」
「ストーカー?」
「そこまでじゃないですけど。
あの事故の前までは帰りが一緒で、
告白っというか『付き合おう』って言われて、
その日はきっぱり断ったんです。」
断り方が相手に不快感を与え、
その男子はサチを突き飛ばした。
「そしたら私が自転車に…、
グループには私の悪口が…。」
――殺人
それを聞いた
中学生の
迷惑を
それから
サチの
バスが来た。
バスに乗る前に、
「学校が嫌なら、図書館で過ごせばいい。」
「えっ。」
「授業なら家で、オンラインで見られるし。
お友達グループか、それとも
きっと誰も
じゃあな。」
バス停に取り残されたサチは、
サチがずっとひとりで考えを
吹っ切れてしまい
帰りの足取りは軽くなり、
夜道は以前の昼間より明るく感じた。
――――――――――――――――――――
「また寝顔でも見せに来たのかと思った。」
「寝ませんよ。
来いって言ったの、
「そんな言い方してない。」
サチが学校に行かず図書館の自習室に顔を出すと、
「そうだ。あれから保険屋から連絡があった。」
「…なんですか?」
「防犯カメラに事故の映像があったってよ。」
「それが?」
寝顔の件を気にして顔を赤くするサチには、
話の流れがすぐ理解できなかった。
「
動画で例のストーカーくんが
オレごと突き飛ばした
サチを押す前に
やはり気のせいではなかった。
「警察も保険屋も相談に乗るってさ。
これで学校のグループも説得できるだろ。」
サチは少し考えてから、うなずいた。
「根も葉もないウワサなので平気です。」
これが本来のサチなのだと
「それをウワサで済ませていいものか?
気にしてないなら、図書館に来る必要も
ないんじゃないか?」
「ここに来ても、
ね、先輩。」
押し迫るサチに
しかし自習室でのふたり関係は、
(了)