【短編】平 経正のねがいごと

文字数 4,034文字

 源平争乱期、1183年のことである。
 源氏の木曽義仲が、都へ攻め上ってくるという噂を聞いた平家は、それを向かえうつために京を出立した。平 維盛(これもり)を筆頭に、名だたる武将を引き連れて進軍する。

 そのなかに、心根の優しい、平家の公達がいた。
 (たいらの) 経正(つねまさ)は、詩や音楽を好み、琵琶(びわ)の名手でもある。
 信心も忘れず、神を崇拝してもいた。
 (いくさ)におもむく途中の道で、琵琶湖のほとりで弁財天をまつる竹生島(ちくぶしま)をみた経正は、お参りをしたくて供を連れて直衣姿(のうしすがた)《普段着》でその島に渡った。

 五月のその島は、新緑が萌えていた。その中にたつ社殿を前にすると、ねがいごとをしたくなる。
 ここの神は弁財天であり、一度参詣すれば願いを叶えてくれるといわれていたからだ。
 神に対して、経正はこの先の平家の勝利を祈ろうとして、手を合わせた。
 経文をとなえようとしたところで、ふいにそこの僧に声を掛けられた。
 従者を連れていて、ここの高僧に見える

「もしかして、そこのお方は平家のお方ではないですか?」
「ええ。平 経正といいます。ここの神が願い事を聞いてくださるといわれているので、ぜひこれからの平家の勝利を願いたいと思いました」

 経正がそういうと墨染めの衣を着た僧は、顔をぱっと明るくする。

「経正様でいらっしゃいましたか。経正様は京でもなだたる琵琶の名手だと伺っております。どうぞ、一曲聞かせていただけませぬか」
「いえ、人様に聞かせれられるものでもないかと」

 経正が謙遜しても、僧は従者に琵琶をもってこさせ、経正に渡した。
 その琵琶があまりにも立派だったので、経正はほうっと息を吐いてそれに魅入った。

「立派な琵琶です。これほどのものがここにあるとは思っていませんでした」

 感嘆を込めて言うと、僧はにこりと笑い経正に曲を促した。

 経正は琵琶を手にして、そっと弾いてみた。
 べん、べん、と響く琵琶の音が、社殿中にわたり響く。それは天まで届きそうな、清らかな音色だった。
 興に乗った経正は、立て続けに三曲弾き終わると、またほうっと溜息をついて琵琶を僧に返した。

「とてもいい音色の琵琶ですね。つい興が乗って三曲も弾いてしまいました」

 そう経正が言った瞬間、一陣の風が経正に吹いた。
 その風に乗ってやってきた、大きな白竜が経正の周りをくるくると回ったのだ。
 周りは時間が止まったように、だれも動いていなかった。
 そう、時間が止まったように。
 白竜は経正の周りを何周かしてから、一人の乙女に姿を変えた。
 桃色の天女のような姿に、長い黒髪、結った場所には赤いかんざしがさしてあった。

「良い音色でした。退屈だったわたくしの心が久々に晴れた心地がします」
「貴女は……」

 突然現れた乙女に経正は面食らう。

「わたくしはここに祀られているもの。琵琶のお礼に貴方に時間を与えましょう。貴方は今から一年でその短い命が尽きる運命です。しかし、今ここで三年間の時間を貴方に与えます。好きに過ごしなさい」

 そう乙女が言うと、経正は光に包まれた。



 気が付くと、経正は見知らぬ山村にいた。
 服は今までと同じ直衣姿であるが、供のものがだれもいない。
 山の中に隠れるようにして立っている自分に、混乱する。
 取り敢えず人を探そうとして、草むらから出た。

 その山村の中で作られている段々畑で、一人の少女に経正はあった。
 色が黒く決して美人ではないが、生き生きとした生命力にあふれた少女で、畑に種を植えている。年のころは十代半ばか。足も手も泥だらけだ。

「そこの女。ここはどこだ?」
 
 ぶしつけにそう聞けば、その少女は気分を悪くしたようだ。

「そこの女だぁ? あたしには『(さち)』っていう名前があるんだ。そういうあんたは誰だい? なんだか立派な姿をしてるけど」

 幸はぐっと手で頬の汗を拭いながら経正に聞いた。

「では幸、ここはどこなのだ? 私は戦に行かなければならない身、ここでのんびりとはしていらないのだ」
「ここでは戦なんてないよ。平和な国なんだ」
  
 そう言って少女はにこりと笑う。
 経正はきつねにつままれたような顔をして、少女とその背景を見た。

 青く透き通った空。
 山に広がる段々畑。
 小さな木造の小屋のような家。

 ここは本当にいままでいた自分の国だろうか。
  
 『貴方は戦で、今から一年でその短い命が尽きる運命です。しかし、今ここで三年間の時間を貴方に与えます。好きに過ごしなさい』

 そう天女姿の弁財天が言ったことを思い出して、経正は混乱する。
 自分は、弁財天が用意した別の世界へと来てしまったのだろうか。

「取り敢えず、うちにくる? あんた、そんな恰好でどこへ行こうっていうのさ」

 幸はからからと笑い、泥だらけの手を手ぬぐいでふき、経正に差し出した。
 経正は少し考えたあと、その手を取った。



「へえ、経正(つねまさ)っていうんだ。さっき戦がどうのとか、なんか変なこと言ってたけど、話してみるとまともな人だね」
 
 幸はくったくのない口調で経正に対した。
 平氏であることも言ったが、それも幸は知らないようだった。
 
 戦がない村。国。
 そんなところが本当にあるとはにわかには信じがたい。
 経正の知る我が国は、常に戦をしていたから。

 しかし、幸の住むこの村は、本当にのんびりと時間が流れていた。
 
 あっという間に一か月がすぎ、経正はこの村でも、その外でも、戦の噂も気配もないことを知った。

 大将軍である維盛(これもり)の率いる軍に戻らなければ、と思うのだけれど、だれも平家の軍について知らなかった。この村もその外の村も、経正が聞いたことも見たこともない名前で、自分がどこにいるのかも分からなかった。



「経正、庭の草取りしてよ」
「ああ」

 そのうちに経正(つねまさ)(さち)の手伝いをするようになった。農作業などやったこともなかったけれど、幸に教えてもらい世話になっている礼だと思って仕事をした。

 もくもくと草取りをしていて、経正は幸のことを考えた。
 幸は一人で小さな小屋に住んでいた。 
 この山村の中ではめずらしいが、みな幸に親切でそれなりの交流があった。
 山菜を持ってきてくれる人、獣の肉を持ってきてくれる人、その人たちに幸は畑の野菜を分けて交換し、すごしていた。

 肉や魚は燻製にして、寒い季節を乗り越える食料にする。
 米を蓄え、野菜はその季節にあったものを作り、保存できるものはする。

 そういう自給自足の生活を、幸はしていた。
 不思議な女だ、と経正は思う。
 女一人で暮らせるなんて。
 そんな社会がある国なんて。
 


 夕飯時、飯を食べている経正に幸は言った。

「ね、経正、明日は近くの滝を見に行かないかい? すごく綺麗な滝なんだよ」
「ああ、いいよ」
「やったあ。そこで魚も採ろう。経正は釣りって出来る?」
「いや……出来ないな」

 申し訳なさそうに経正が言うと、幸はからからと笑う。

「本当になんにもできないお貴族様なんだねえ」

 幸に笑われながらも、経正は自分の顔がほころぶのを止められなかった。


 
 滝を見た夏がすぎ、冬になるころ、幸が恥ずかしそうに経正に打ち明けた。

「あたし、赤子ができたみたいだよ」

 経正は一瞬戸惑った。自分は平家軍の将であり、戦に行かなくてはいけないのに。
 いま子供ができても自分は死ぬかもしれない。
 
 しかし、もう今更だ。平家のものも、もう自分を待ってはいないだろう。
 そう考えが及ぶと、自然に顔がほころんだ。

「ああ、元気な子供を産んでくれ」

 経正は幸を包み込むように抱きしめた。



 そして月が満ちて子供が生まれた。
 小さな赤子はさるみたいで、くしゃくしゃだった。
 その子がだんだんと大きくなってくると、顔が自分に似ていることがわかり、経正は言いようのない幸福を感じた。

 幸は少し太って、でも気立てのいいところも明るいところも以前とは変わらなかった。

「幸、赤子を抱かせてくれ」
「あいよ」
「もう二歳になるんだな。この子の顔は幸と私のいいところを取って凛々しくて立派だ」
「ははは! 農民の子が凛々しくて立派でもあんまり得なことはないやね」

 幸とそう話しながら京では知りえなかった幸せを感じて、経正の胸はいっぱいになった。



「どうでしたか? 三年間は」

 ふっと気が付くと、自分は竹生島(ちくぶしま)の社殿前にいた。
 自分の周りには大きな白い龍神がくるくると回っていた。
 周りを見ると、ときが止まったように皆うごいていない。

 はっと自分の前を見ると、桃色の衣装を着た天女のような乙女が微笑んでいる。
 
「弁財天さま……」

 経正は愕然とした。
 いままでのことは全部、夢。
 弁財天が見せた、ひとときの泡沫(うたかた)

 それを知った瞬間、経正は地の底に沈んだような感覚に(おちい)った。

 幸がいない。赤子もいない。
 あの平凡な毎日が、泡のように消えた。
 その切なさ。
 一瞬にしてそれを悟った経正は、弁財天に縋るような目を向けた。

「弁財天様の社殿へ参詣すれば、願いを必ずかなえてくださると聞きました」
「この他になにか願いがあるのですか」

 そこで経正は慈愛を込めて遠くを見た。

「私の妻と子供のしあわせを、約束してください。それが私の願い、たった一つの望みです」

 平家の勝利、そんなものは今の経正にはどうでも良かった。
 ただただ、愛おしいものの幸せを弁財天にひたすらに願った。

「わかりました。約束しましょう。さきほどの琵琶の礼です。幸と赤子は幸せに暮らすでしょう」

 そう言うと、桃色の天女は消えた。



「経正様、もう陣へ帰る時刻です」
「あ、ああ」

 ぼうっとして夕刻の社殿を見上げていた経正に、供のものが不思議そうに言う。

「何かありましたか」
「いや、なんでもない。平家の陣へ戻ろう」

 僧もいぶかし気な顔をして経正を見た。
 経正は僧が抱いている琵琶を見る。

「よい琵琶でした」
「有難うございます……とても(みやび)な音色でした」

 僧の言葉に経正はほほ笑むと、社殿を見つめる。
 目にたまった涙を、堅く目をつむって押さえた。

 そして戦へ(おもむ)くために、平家の陣へと帰って行った。

 END
 




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