セイレーンの孤独

文字数 9,417文字

 鈴音ちゃんは、昔からちょっと変わった子だった。
 私と鈴音ちゃんは保育園時代からの付き合いで、いわゆる幼なじみだ。
 保育園時代から、鈴音ちゃんはなんというか、尖っていた。
 他の女の子たちが好きなおままごとや人形遊びにはまるで興味を持っていなかった。折り紙も嫌いだったし、あやとりも好きじゃないみたいだった。かといって男の子たちに混じってかけっこをしたり、たたかいごっこをしたり、砂場遊びが好きかというとそんなこともなかった。
 鈴音ちゃんはいつも、教室の隅や、お遊戯室のステージの上、あるいは園庭の草むらの中で、歌を歌っているのだった。それ以外の時は、先生たちに黙って備品室に忍び込んで、勝手に紙芝居や絵本を眺めていた。
 入園したての頃は、同じクラスのお友達が一緒に遊ぼうと頻繁に声をかけていたけれど、鈴音ちゃんは一貫して、
「あっち行って」
「嫌」
「キョーミない」
 と、取りつく島もない態度だった。
 大人しくて人見知りな性格だったのかといえばそんなこともない。好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。好きなものを貶すなら、誰であれ許さない。鈴音ちゃんは、彼女の行動や好きなものを否定されるや否や、取っ組み合いの喧嘩も辞さない強硬派であった。
 相手が女の子だろうが男の子だろうが関係なく、ある意味平等に彼女は接した。保育園時代の、特に最初の1年間は、鈴音ちゃんは定期的に傷だらけになっていた。
 そんな調子だったから、鈴音ちゃんは園児たちの間でも、先生たちの間でも問題児として扱われていた。特に同じクラスの女の子たちからの風当たりは強く、鈴音ちゃんは完全に腫れ物として扱われるようになった。
 私はそんな鈴音ちゃんに、一種の格好よさを感じたのだった。彼女の態度は、非常にロックだった。今にして思えば、保育園時代の私も、鈴音ちゃんに負けず劣らず尖っていて、問題児だったのかもしれない。

「となりでお歌を聞いていてもいい?」
 私がおずおずと鈴音ちゃんに話しかけると、
「いいよ」
 鈴音ちゃんの返事は、意外にも友好的なものだったのを覚えている。
 私は四六時中、鈴音ちゃんに付いて回った。鈴音ちゃんは、彼女の行動を制限しなければ一緒に行動することを許してくれた。歌っている時は隣でじっと歌を聞き、知っている歌を歌う時は一緒に歌ったりもした。備品室に忍び込んで一緒に紙芝居も眺めた。まだ文字が読めなかった私たちは、絵を眺めているだけだったけれど、それでも楽しかった。もちろん、怒られる時も私たちは一緒だった。
 私は鈴音ちゃんのことが大好きだった。歌がうまいところも、絵を眺めている時はニコニコしているところも、喧嘩をしても怪我をしても絶対に泣かないところも、とにかく彼女に属することならなんでも好きだったのだ。猛烈なファンだった。そして彼女の隣にいられる幸せと特別感と勝利感とを、一人密かに感じていたのだった。

 鈴音ちゃんに関する興味深い話といえば、七夕の短冊飾りの話だ。
 私たちが通っていた保育園では、毎年七夕が近くなると近所の人が大きな笹を提供してくれて、園児たちみんなで飾り付けをし、短冊にお願い事を書くのが慣習になっていた。
 他の子たちが「サッカー選手になりたい」「お花屋さんになりたい」と将来の夢を書いたり、「絵が上手になりますように」「早く走れるようになりますように」と芸事の上達を織姫と彦星に祈ったりする中、鈴音ちゃんの願いは非常にシンプルかつ、突飛だった。
「さかなになりたい」
 ぴかぴか一等輝く金色の折り紙で作った短冊を先生に差し出して、鈴音ちゃんはそう言った。まだ文字が書けなかった私たちは、自分の願い事を先生に口頭で伝えて、短冊に書いてもらっていた。
 鈴音ちゃんのお願い事を聞いた先生は、驚いた様子で、「さかなって、泳いでる魚?」と聞き返すほどだった。鈴音ちゃんの後ろに並んでいた私も一緒に驚いた。
 先生がいくら質問を繰り返しても、鈴音ちゃんの意思は固く、結局卒園するまでの三年間、彼女の七夕の願いは一貫して「さかなになりたい」だった。しかし当時の鈴音ちゃんが、どうして魚になりたいのか、その理由を語ることはなかった。
 保育園に入園する年の頭頃からスイミングスクールに通っていた鈴音ちゃんは、泳ぐのがとても好きだった。このことを知っていた先生は、彼女の願い事を、「魚のように泳ぐのが上手になりたい」という意味なのだろうと解釈した。私もそうなのだろうと思っていた。
 しかしこの八文字に込められた願いは、決して子供の一時的な願望でもわがままでも、まして語彙の不足による言葉の綾でもなかった。魚になりたい、これが鈴音ちゃんの人生における痛切な願望そのものだった。
 その真意を知ったのは、私たちが高校一年生になった年の夏のことである。

 保育園の頃から今日に至るまで二十年以上の付き合いになる私は、鈴音ちゃんの性格上の変化をそばで見守ってきた。
 中学生の頃になると、保育園児の頃のみなぎる闘志は鳴りを潜め、鈴音ちゃんは人付き合いを避けがちな美少女へと成長した。小学生低学年の頃あたりから取っ組み合いの喧嘩はしなくはなったが、集団心理や同調圧力など物ともせず我を通すところは相変わらずだった。
 紙芝居を見るのが好きだった鈴音ちゃんの趣味はそのまま美術や文学への興味へと移ったらしく、鈴音ちゃんは一人でいる時、たいてい何かしらの本を読んでいた。
 休み時間に教室で静かにページをめくるその姿が同級生たちには異様に映ったらしい。同級生たちは鈴音ちゃんをからかうか、つきあいを避けるようになった。私にはどうして本を読んでいることが変なことなのか、皆目検討もつかなかった。
 他者から向けられる否定や揶揄など、鈴音ちゃんは全く意に介さないようだった。毅然とした、それでいて怒りのこもった反論に、やがて鈴音ちゃんをからかう輩はいなくなった。
 小学校、中学校でも鈴音ちゃんはやはり「変わった子」なのであり、それが個性として認められるようになるには、まだまだたくさんの、それこそ私たちが大学生になるくらいまでの長い時間が必要だった。私たちが所属していた集団が、特別変だったとか、際立って幼稚だったとか、そういうわけではなさそうだった。鈴音ちゃんは子供たちの集団の中でひとり、大人だったのだ。
 どちらかといえば周りに流されやすく、我の弱いほうだった私は、学校という場所で一人でいると、酷く不安になった。「自分らしさ」というものが、私にはよくわからなかった。ともすれば周囲に流されて、あいまいに微笑み、嫌なことでも「それいいね!」などと口走ってしまいそうになる。私はそういう自分が嫌いだった。
 私が思う数少ない私らしさの中核は、「かっこいい鈴音ちゃんが好きな私」だった。私はいつも鈴音ちゃんのことを追いかけていた。
 これは鈴音ちゃんになりたい、成り代わりたいという願望ではなく、彼女を手に入れたいという独占欲とも違った。純粋な憧れという感情があるのなら、きっとそれが一番近い。それから、きっと愛だ。付き合いたいとか、結婚したいという恋愛感情とは違う。憧れと愛。鈴音ちゃんが、鈴音ちゃんの好きなことを思いっきりやっているのを眺めているのが、私はたまらなく好きだったのだ。
 私は相変わらず鈴音ちゃんの猛烈なファンだった。暇さえあれば鈴音ちゃんと一緒にいた。鈴音ちゃんも相変わらず、彼女の行動を制限しなければ一緒にいることを許してくれた。だから、極端に人付き合いの少ない鈴音ちゃんの唯一の友達という、特別な地位を私は何の苦もなく手に入れていた。
 私たちは少しずつ変わりながら、変わらず親友であり続けた。
 その中で私がちょっと悲しかったのは、学年が上がるにつれて、鈴音ちゃんがあまり歌わなくなってしまったことだった。

 私がセイレーンという想像上の生き物について知ったのは、小学校高学年の時だった。
 鈴音ちゃんは幼少の頃からずっと同じスイミングスクールに通っていて、泳ぎは誰よりもうまかった。二人で一緒に市営プールに行った時、鈴音ちゃんは水中を、地面を歩くよりも自由にひらひらと、それこそ魚のように泳いだ。残念なことに泳ぐのが上手ではなかった私は、浮き輪につかまりながら、ただその姿に見惚れているだけだった。
 泳ぐ鈴音ちゃんを見て、鈴音ちゃんは絵本や紙芝居に出てくる人魚姫のようだと思った。美しい人魚姫は、地面を歩く足を手に入れる代わりに、自慢の美しい声を失った。鈴音ちゃんは、大人になって地上で生きていくために歌声を失ってしまったのだ。だから、ほとんど歌ってくれなくなったのだ。
 そんな話を鈴音ちゃんにすると、
「私、人魚姫なんて柄じゃないよ。強いて言うならセイレーンじゃない?」
「セイレーン?」
「そ。海に住んでて、歌を歌って船人を惑わす化け物」
「鈴音ちゃんの歌は素敵だけど、鈴音ちゃんは化け物じゃないよ」
「あはは。ありがと」
 そのあと、私はセイレーンが登場する物語の本を図書館で借りて読んだ。
 物語を読んで、海にいて、歌がうまいところは鈴音ちゃんにぴったりなイメージだと思った。しかし船人を惑わすというところと、化け物扱いされているところはどうも気に食わなかった。
 鈴音ちゃんがセイレーンなら、うんと優しいセイレーンだ。きっと船人を導くタイプの。けれど地上に住んでいる間は、元気がなくなって歌わない。きっとそうだ。
 私は私の中の「鈴音ちゃん=セイレーン説」を膨らませながら眠りについた。
 翌日、私はその話を鈴音ちゃんに話した。鈴音ちゃんは笑っていた。


 ***


 同じ高校に進学した私たちは、その年の夏休み、一緒に水族館に出かけた。肌を突き刺すような太陽が眩しい、暑い日のことだった。
 せっかくの夏休みなのだから、二人でどこかに出かけようというのは、鈴音ちゃんの提案だった。もちろん私は二つ返事で了承した。私たちは近所のファミレスで計画を練った。
 水族館に行きたい、というのは、鈴音ちゃんの提案だった。
「ちょっと遠いんだけど。大きい水族館に行きたい。どう?」
「いいよ。冒険みたいで楽しみ」
 もちろん私は二つ返事だった。鈴音ちゃんが行きたいところなら、楽しいに決まっていたからだった。きっと鈴音ちゃんが山に行きたいと言っても、都心に買い物に行きたいと言っても、私は二つ返事で了承しただろう。要するに、どこだってよかったのである。
 電車とバスと乗り継いで、私たちは海沿いに立つ県立水族館にやってきた。最寄りのバス停に降り立った時、海からの風がスッと吹き抜けて、潮の香りがした。
「海の匂いがするね」、私がそう言うと、鈴音ちゃんは嬉しそうだった。
 水族館の中は、外の暑さを忘れるほどにひんやりと薄暗かった。
 夏休みらしい賑わいを見せる水族館の中は、家族連れやカップルもたくさんいたし、私たちくらいの年齢の子供たちも多く見られた。人はたくさんいるのに、薄暗い空間の中をゆったりと歩く人たちの群れは、水中を泳ぐ魚を思わせた。
「涼しいね」
「うん。水の中みたい。水族館は暗くて、涼しくて、水の中にいるみたいだから好き」
 建物の中なのにね。不思議だねと笑い合った。
 鈴音ちゃんは家族と一緒に何度も水族館に来ているらしい。鈴音ちゃんは幸せそうだった。私は大好きな鈴音ちゃんと一緒に、鈴音ちゃんが好きな空間にいられることが幸せだった。
 県立水族館は、県内でも最大級の水族館だ。
 入り口近くは、近郊の海や川に棲む生き物の紹介や、環境保全の取り組みなどが紹介されている。それから順路を辿ると、大洋に生きる魚たちや、熱帯魚、クラゲの大きな水槽がある。魚の他にも、水生植物、ペンギンをはじめとした鳥類、ラッコやビーバーなど水辺に住む生き物たちを、なるべく自然に暮らしている姿を再現して展示している。
 私たちはあれこれと話をしながら、ゆっくりと館内を見て回った。
 初めて見る魚がたくさんいた。見たことはあっても、名前を知らない魚がたくさんいた。きれいな水槽の中で美しくライトに照らされたクラゲたちがいた。長い尾ヒレを揺蕩わせて優雅に泳ぐネオンカラーの熱帯魚がいた。不思議な形のマナガツオが元気に泳いでいた。ほとんど動かないマンボウがいた。飼育員さんに先導されて、ペンギンが散歩していた。アザラシが水面近くをゆらゆらと浮いていた。とにかくたくさんの水辺の生き物がいた。
 この水族館の見所は、順路の中頃にある「海底トンネル」とよばれるトンネル状の通路がついた大きな水槽だ。足元以外全てが透明度の高いアクリルガラスでできたトンネルで、実際に水の中を泳いでいるように生き物たちを見ることができる。ここが鈴音ちゃんと私の一等お気に入りの場所になった。
 海底トンネルのなかで、鈴音ちゃんはずっと魚たちが泳ぐのを見つめていた。視界の左端から、大きなマンタが悠々と泳いできた。水槽の奥では、マイワシが何百匹もの群を作ってキラキラと鱗を反射させている。うっすらと緑がかった青色の世界。本当に海の中のような気分だった。
「私ね、私の生きていく場所はここじゃないって、ずっと思ってたの」
 突然のことに、私はつい間抜けな声を出した。
「えっ?」
 鈴音ちゃんは視線をずっと遠くのサメに向けていた。
「ずっと小さい頃から、土の上はなんだか息苦しくて。人がたくさんいるところも、なんだか居心地が悪かった。ここじゃないところに行きたいって思ってた。歌っている間と泳いでいる間は気分がよかった。だから、紗奈が『鈴音ちゃんは人魚姫だ』『セイレーンだ』って言ってたの、ちょっと本気にしてるの」
 私たちの頭上をマンタが通り過ぎて、足元には影ができた。人の波はさっと引いて、海底トンネルの中には私たち二人しかいなかった。世界中に人間が私たちだけになったみたいだった。
 実はこの話をしたくて、今日は水族館に誘ったの。鈴音ちゃんは続けた。
「家族と一緒にはじめて水族館に来た時に、『あ、ここだ』って思った。私が生きるのはきっと水の中だったんだって。何かの間違いで、陸の上に生まれちゃったんだって。だから私、ずっと『さかなになりたい』って思ってたの。そうすれば、海の中で暮らせるでしょ」
「もしかして、あの七夕飾りのお願いって」
「そう。本当に魚になりたかったの。可愛いもんだよね。人間は魚には絶対なれないのにさ」
 さかなになりたい、そう願った鈴音ちゃんは、人生で最初で最後の「一生のお願い」を父さんとお母さんに使って、スイミングスクールに通い出した。子供らしく駄々をこねもしたという。私が知る限り、鈴音ちゃんのご両親は周りの子と自分たちの娘がちょっと違っているのを心配しているふうだったから、きっとこの申し出を喜んだだろう。
 スイミングに通い出してから、鈴音ちゃんの泳ぎの技術はぐんぐん上達した。まるでずっと泳ぎを習ってきたみたいだった。
「私たち生き物は、海から来たんでしょ。だから、帰りたかったんだと思う。生まれたところに……」
「初めて聞いた。そうだったんだね」
「こういうこと言うと、みんな『変だ』とか、『賢ぶってる』とか言うの。みんな真面目に取り合ってくれない。だから、言わないことにしたの」
 今まで黙っててごめんねと、鈴音ちゃんは小さく付け足した。
 私は鈴音ちゃんが、自分の考えを頭ごなしに否定されたところを想像した。きっと腹が立っただろう。悲しかっただろう。だから、鈴音ちゃんは口を閉ざしてしまった。歌もあんまり歌わなくなってしまった。中学生の頃の毅然とした態度は、傷ついていないからではなかった。傷ついてなお、好きなものを好きだと言える彼女の強さだったのだ。私は自分を恥じた。辛かっただろうに、私は何もできなかった。
 私は猛烈に腹が立った。みんなどうしてそんなに酷いことが言えるのだろう。私はどうして何も知らずに過ごしてきたのだろう。
「そんなふうに言ってくれるの、紗奈くらいだよ」
 鈴音ちゃんは笑った。
「学年が上がって、中学校とか高校に進学して、いろんな人と関わってるとさ。自分が違うんだって気持ちがすごく強くなってくるの。違和感よ。昔から感じてたことに名前がついたの。私ずっと違和感があった。それに名前がついた途端に、なんか、これでいいのかなって思うようになった。自信がなくなっちゃったのね。あんなに歌うのが好きだったのに、今は人目から隠れるみたいにしか歌えない。好きなもの、好きって言うと、地上では生きていけないみたいな気がする。だから、やっぱり海に帰りたいって思うの」
「海に……」
「海には、いろんな生き物がいるじゃない? ゆっくり泳ぐ魚も、ずっと泳いでないと死んじゃう魚も。鯨みたいに大きいのも、あのアジの群れみたいにみんなでいるのがいいのも。でも、お互いにそれが『変』だなんて、言わないし、多分思ってない。……私が一人混じっても、気づかれないくらい……やっぱり私、変かな。紗奈が行ったみたいに、本当は人間じゃないのかも」
「ううん。変じゃないよ」
 この頃の鈴音ちゃんは多分、世界の広さに気がついてしまったのだった。小さな頃は家と保育園と近所の公園くらいまでが世界の全てだった。知っている人間もさして多くはなかった。だから勇猛と立ち向かえた。
 それが、年を取れば取るほど世界は際限なく広がっていく。それに伴って鈴音ちゃんを孤独に追い込む力は、いやましに強くなる。そう、鈴音ちゃんは、多分孤独なのだった。家族がいても、私がいても、ひとりでなくても、彼女の心は一人ぼっちになってしまうのだった。
 私は己の無力を呪った。同時に、決して彼女から離れまいと誓った。
 親友として。彼女を孤独から救うことができなくても、せめて、彼女が好きなものを好きと言うことを、私は近くで応援したい。
「鈴音ちゃんは、鈴音ちゃんがしたいようにするのがいいと思うよ」
 でも、鈴音ちゃんが海に帰って、いなくなっちゃうのは寂しい。寂しいけれど、私は彼女について、彼女のやることなすことを邪魔するのは本意ではない。
 だから、少しだけ、心の底の奥底で、鈴音ちゃんが人間で良かったと思っている。普段鈴音ちゃんの幸せを願っているくせに、彼女の望みを否定する時、彼女の望みが叶わないことに安心を覚える時、私はひりつくような自己嫌悪を感じるのだった。
「もしも鈴音ちゃんが本当にセイレーンで、海に帰っちゃっても、たまに遊びに行ってもいい?」
「セイレーンは歌で相手を魅了して海に引きずり込んじゃうんだよ?」
「それならそれで、いいよ。一緒にいられるでしょ?」
 鈴音ちゃんはちょっと驚いたような顔をした。それからすぐに笑って言った。「紗奈は、まず泳ぎを練習しないとね?」
「あっ。ひどーい!」
「あはは」
 鈴音ちゃんはわざと戯けてみせたのだとわかった。私の小さな自己否定の感情など、鈴音ちゃんにはお見通しだったのだ。
「私、将来のこととかまだわかんない。けど、紗奈とはずっと親友だよ。これは絶対。決まってることだよ」
「……ありがとう鈴音ちゃん」
「ううん。私のほうこそ」
 私たちは夕方になるまで水族館を回った。併設のカフェでクラゲの形のケーキを食べて、イルカショーで水をかぶって、最後にもう一度海底トンネルを通ってきた。
「今日は付き合ってくれてありがとう。やっぱり紗奈に話しておいてよかった。なんか、自信がついたな」
 私たちは帰りのバスを一本見送って、堤防沿いをゆっくり歩いた。
「私も紗奈も、いつか誰かのお嫁さんになるのかな」
「想像つかないね」
「うん。でもきっと紗奈はいい奥さんになると思うな」
「そうかな」
「うん。料理も裁縫も上手だし。よく気がつくし、それに優しいし」
 未来のことを話すのはくすぐったかった。永遠に今が続けばいいとさえ思った。けれど、今の積み重ねが過去になり、いつの間にか未来だった瞬間が今になる。時間の感覚は不思議に満ちていた。
 それに私は、大人になった鈴音ちゃんを見たいと思った。きっときれいだろうと思ったから。
 私たちは防波堤沿いを歩きながら、一緒に歌を歌った。遠くの海では船が行き交い、ボーッと低く汽笛が鳴っていた。


 ***


 大人になってからの鈴音ちゃんは、いつも潮風の香りがした。
 スイミングスクールの講師として生計を立てていた鈴音ちゃんは、ある時スキューバダイビングの資格を取った。そしてそのまま、ダイビングの出来る港町へと越して行き、今はそこで暮らしている。夏は海で、それ以外は室内プールで、やはり泳ぎを教える仕事をしている。
 その港町で、鈴音ちゃんはお嫁さんになった。
 港町で、水を得た魚のように元気になった鈴音ちゃんは、よく歌っていた。セイレーンの歌声に惹かれた地元の若い漁師さんと鈴音ちゃんは出会い、やがて結婚したのだった。
 私が鈴音ちゃんに抱いていた感情は恋愛感情のそれではない。けれど、彼女が結婚するのだという話を……本人から直接……聞かされた時には、私は長く片思いをしていた相手に失恋した時というのは、こういう気分なのだろうかと思った。
 多分、「私の鈴音ちゃん」を盗られてしまった、という感覚なのだろう。鈴音ちゃんが結婚しても、この先お母さんになっても、私と鈴音ちゃんは一番の友達同士のままだというのに。それほど、鈴音ちゃんはやっぱり、私にとっては特別な存在なのだった。
 鈴音ちゃんが結婚した三年後、私もまた結婚した。
「なんか、失恋した気分だよ」
 私の結婚式の後、鈴音ちゃんはそんなことを言っていた。「私のほうが先に結婚したのにね」。私は自分で思っていたよりも、ずっと鈴音ちゃんに愛されていたのかもしれないと思った。
 そう、これは愛なのだ。
 私たちは高校生の頃に約束した通り、お互いに結婚しても親友のままだった。鈴音ちゃんは年に何回か私のもとを訪ねてくるし、私もまた鈴音ちゃんの住む港町を訪ねた。子供が生まれてからは、家族で毎年旅行に行った。鈴音ちゃんは私の子供に泳ぎを教えてくれた。残念なことに、大人になってもやっぱり私は絶望的に泳ぐのが下手だった。プールの中でもまともに泳げないのに、波がある海の中で泳ぐなど到底できない芸当だった。そんな私には似ずに、我が子は泳ぎが上手になった。
 海で泳いだ帰り道、鈴音ちゃんはたいてい歌を歌いながら歩いた。少し恥ずかしかったけれど、私も歌った。子供が生まれてからは、子供も一緒になってみんなで歌った。
 いつかの日、夢見た未来が今になった。いくつになっても、潮風に吹かれながら、海辺で歌う鈴音ちゃんは綺麗で、やっぱり格好良かった。
 幼い頃の私は、セイレーンの歌声に惹かれた船人のひとりだったのかもしれない。だからこんなにも彼女に心酔しているのかもしれない。
 心優しいセイレーンは、今日も海の街で、船人たちの帰りを待っている。



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