1,「動物」「破壊」「憂鬱な可能性」

文字数 765文字

 もし知能の代わりに失った「何か」が、宇宙大的な(希釈的)常識で大切な何かだったとしたら、人はなんと愚かで可哀そうな生き物だろう。
無垢な犬がわたしの足元で黒々とした目を向けている。
我々が失ったのは、この哀れな自由を奪われた獣や、人類が知能を誇示し見下して止まないあらゆる獣、虫、草花でさえ当たり前に持っている、超自然的な概念の約一つであると考えられるのではないか。もしくは、そう思えてならない。
 あるいはそれは、破壊活動である気がしてならない。
倫理は破壊活動を抑制した。我々は破壊活動への欲求を持て余し性欲や食欲を以て自分自身や他人の体・精神にストレスをぶつけている。人類はとうに耐えることを止めた。それは本能だ。それは時折火山のように爆発し、槍の大群のとなり権力者(大小問わない)の頸筋を射落とそうとする。そうした破壊衝動の波はおおきな一つを通り過ぎると、たいてい静まりを見せ、またしばらく権力者の安泰が続くのがよく見られる歴史の一部だった。
 私は空中に人差し指で円を描く。犬がそれを狙い飛び掛かり、何度も尾を振る。彼にとってこのような「暴力」(甘噛みだけれど)は「遊び」の最もたるところなのだから、いまだ知性が本能を欺けない人間にも同じ欲望があったって全く腑に落ちるところではないか。
 人間は知性に甘んじず破壊的な遊びも覚えるべきだ。それは「いざ」というときに「間違えない」ための一種の災害訓練で、身を守る経験となるだろう。ボクシングか、空手か、合気道か、(可能なら身一つでのスポーツがいいだろう)、あるいは狂暴な獣を世話してみるものいいかもしれない。彼は暴力を躊躇わない。彼にとっての遊びが、破壊の訓練になっているからだという事は、読者ももう良く理解できるだろう。
大事を正しく守るために、破壊活動はやはり避けて通れないのだ。


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み