前編

文字数 6,727文字

 チャイムが鳴り、下校時刻になった。児童達は校門で先生に別れを告げ、通学路を通り戻る。
 安貴も下校する児童の一人だ。詰め込んだランドセルを背負っている。隣には音羽がいて、一緒に歩いている。互いの親は入学した時、同い年で安全だからと引き合わせ、一緒の登下校を指示した。当初は反発したが年が経過するに連れ、一緒の登下校のが日課になった。
 細い路地を通る。子供達以外にいない。守る立場の大人は代わりにLEDの街灯を、電信柱に監視カメラを設置した。
 音羽は安貴の校内の態度に文句を言っていた。
 安貴は音羽の話に食いつかず、話から気をそらすために毎日、家からはみ出した木の枝と葉を眺めている。おかげで葉の変化や張り付く虫の密度で環境が分かってきた。
「聞いてるの」音羽は安貴に尋ねた。
 安貴は足を止めた。音羽が強く尋ねる時は決まっている。「聞いているよ」
「聞いてないわよ、毎日同じ理由で先生が怒ってるじゃない」音羽は説教を始めた。
 安貴は苛立ったが、黙っていた。別れる商店街まで耐えればいい。
 公園の前に来た。遊具は一切ない。同市内で遊具で怪我をした小学生がいたので、役所が片っ端から遊具を撤去した。遊びのツールを失った子供達は去っていった。代わりにストリートスポーツの練習場所に飢えた若者達が空いた公園に目をつけた。
 若者達は手製の障害物を設置し、深夜でも練習に明け暮れている。度を知らない為に恐れを知らず、警察や行政も報復を恐れて立ち入らない。
 安貴はかつて遊んだ場所へ足が動いていた。脳裏に遊具があったころの光景が映り、現在と重なった。ノスタルジアの典型だが、子供である安貴には理解出来なかった。
「寄り道は駄目だよ」音羽が公園の柵の外から声をかけた。公園の奥から若者が近づいている。「来てるよ」
 安貴は音羽の言葉を聞き、我に返って前を見た。半裸で筋骨隆々の若者が近づいてきた。
「おいガキ。何の理由で俺達の場所に来てんだよ」
 安貴は何も答えず、逃げなかった。追いかけてくるのではないかと不安だった。
「答えろよ」若者は声を荒げた。安貴は何も答えない。
 若者は舌打ちをし、安貴の肩を押して顔を近づけた。「出てけよ、今度来たら落とすぞ」
 安貴は引き下がって公園から出た。
 若者達は談笑しながら障害物の前に向かった。
 音羽は安貴を観察した。わずかに体が震えている。「大丈夫」心配して尋ねた。
 安貴は笑みを浮かべた。「大丈夫だよ」
「危ないわよ、公園に入るのはやめなさい」音羽は安貴を諭した。
 安貴は何も返さずに公園の柵に沿って歩いた。
 音羽は安貴に続いた。
 公園から細い路地を通って商店街に入った。
 商店街の入り口はバリケードで車を止めている。コンビニエンスストアを含めた真新しい店はなく、通路が2階建ての商店の間にある。天井は透明なアクリルが橋をかけるのと同じ原理で覆っている。近くにスーパーマーケットがないので人々が行き交っている。端は店が棚を通路にはみ出すまで出しているため、ぶつかりやすい。
 音羽と安貴は通路に置いてある荷物を避け、人ごみをぬって通っていく。
 安貴は店の前で母親の菜海の姿を認めた。自ずと菜海を避けるために対面する側に移動する。
 音羽は菜海に近づいた。「こんにちは、菜海おばさま」
「久しぶりね、音羽ちゃん」菜海は音羽に話しかけた。
「お買い物してるの」
「今、帰りよ」菜海は笑みを浮かべた。「安貴は帰ったの、まさか遊んでるんじゃないでしょうね」
「遊んでないわよ。私が付いてるから」音羽は安貴がいる方を指差した。
 菜海は音羽が指差した方を向いた。安貴は菜海と音羽がいる場所を対面方向にある店の前で見ている。
「いるならいいわ。毎日一緒で大変でしょ」
「大丈夫よ。でもね、今日は安貴が公園に入っちゃって大変だったのよ」
「公園に」菜海は驚いた。公園は不届き者がいるので立ち入るなと警告していた。近所の人間も警察が関与しない程に荒れているのは掲示板や回覧板、商店街の人々の口コミで分かっている。「何もなかった」
「ええ」音羽はうなづいた。
「安貴にはきつく言っておかないと駄目ね」菜海は渋い表情をした。「ありがとう、音羽ちゃん」菜海は音羽と別れた。
 音羽は安貴の元に向かった。
 安貴は眉間にシワを寄せていた。「何を話したんだ」
「別にいいでしょ」
「良くない。また怒るんだからさ」
「公園に入ったのが悪いんでしょ」
 安貴は眉をひそめた。「前に遊んでた場所なんだ。何で入っちゃいけないんだよ」
「今は今なの」
 安貴は眉をひそめた。納得出来ないが、反論する気はない。入るなと警告した場所に入った自分に非がある。
「またね」音羽は細い路地に入った。
「また明日」安貴は音羽と異なる道を歩いて帰った。



 翌日、安貴は下校時に別れた商店街で音羽と合流した。次に合流した他の児童と共に班を組んだ。人が多く安全なので、商店街を班員の待ち合わせ場所に指定している。
 班がまとまった。
 安貴達は学校に向けて登校した。通学路は商店街から公園を通る。公園は朝になると誰もいなくなって残骸だけが残る。夜更けまで遊び続けてきた若者は、疲労の回復と女遊びを達成するために去っていく。誰もいなくても立ち入る者はいない。下手に動かせば若者達は犯人を探し出し報復をする。
 安貴達は学校の校門前で班を解散して校内に入った。
 学校に来て最初にやるのは友人達との遊びだ。仲の良い者達がリーダーの机の前に集まってお手製のゲームや会話をしている。
 安貴が引き出しに詰まっている教科書を片付けている時、友人の聖人が寄ってきた。
「おいヤス、知ってるか」聖人は安貴に尋ねた。
「突然、何だよ」
「商店街と逆方向にある店、知ってるか。小さいみかんがあるボロい店だよ」
「峯岸商店か」安貴は聖人の質問に答えた。遠足の前日の休みに友人の誘いで菓子を買いに行った駄菓子屋だ。
 聖人はうなづいた。「最近よ、店の裏に広場作ったって聞いたんだ。でかい場所でさ」聖人は両手で広げるジェスチャーをした。「皆で遊べるって話だ」
 安貴は眉をひそめた。「本当かよ、うるさいジジイがか」
「行った奴が遊んだって言ってたんだよ」聖人は得意げに言い、隣の席に向かった。
 安貴は席を立ち、聖人に続いて充の席に向かった。
 充は席に座って友人と話し込んでいた。
「充、峰岸の店で遊び場所が出来たって本当だよな」聖人は充に尋ねた。
 充は話を切って聖人の方を向いた。「本当だよ。帰りに寄ってみたら人が沢山いたんで入ってみたらよ。奥に広場作ってて皆で遊んでたんだ。俺は一人だったし一杯で駄目だったんだけど、早く行けば皆で行けば場所取れるんじゃないか」
 安貴は駄菓子屋の隅にあるスペースを脳裏に浮かべた。隅には古びたアーケードゲームの台が置いてあり、中学生が集まって大声を出しながらゲームをしている光景がある。「ゲームをする場所じゃないのか」
「違うって」充は首を振って安貴の意見を否定した。「店から回って、金網で閉まってた場所だ。いつの間にか出来てたんだよ」
「お前は行ったのか」安貴は聖人に尋ねた。
「俺は」聖人は口ごもった。「まだ行ってねえよ。だから今日、帰りに行ってみないか」
「ヤス、お前も行くか」充は安貴を誘った。
 聖人は眉をひそめた。「でもさ、ヤスの家は逆じゃないか」
「聖人君の言う通りよ」音羽は聖人の隣に割って入った。
 安貴は音羽の言動に眉をひそめた。「何で出てくるんだよ、関係ないだろ」
「関係ないも何もないわ。行くなら下校して家に戻ってからでいいじゃない。何で下校時に行くのよ」音羽は安貴に突っかかった。
「家に戻ってからだと遅いよ。皆、広場占拠しちまってるよ」聖人は不安げに声を出した。子供のエリア確保は早い者勝ちの市場だ。
「行くよ」安貴は行くと決めた。一人でも多い方が目的を達成できる確率は上がる。
「学校終わったら、すぐ皆で行くぞ」
「待ちなさい。通学路を無視したら」
「何があるんだよ」
 音羽は安貴の言葉に詰まった。通学路を無視して帰ったとしても罰則はない。無事に帰ってくればいいのだ。
「規則は規則でしょ」
「別にいいだろ、毎日破るんじゃないんだから」
「買い食いするの」
「金なんか持ってねえよ」
 聖人が二人の間に入った。「来るか来ないかは本人が決めるんだ。他人が決めるなんて出来ないよ」
 チャイムが鳴った。音羽と安貴は席に戻った。充の周りにいる児童達も席に戻った。
「ヤスは来るか」
「ウソつく奴じゃない、大丈夫だ」聖人は席に戻った。
 教室の外にいた児童達も戻ってきた。先生が教室に入った。
 音羽は安貴の席に目をやった。安貴は授業に使う教科書やノートを取り出していた。変わらない安貴の態度に不安を覚えた。



 1日の授業が終わった。
 児童達の下校時刻は下級生は早く、上級生は遅くなる。とは言え、上級生が体育の授業で校庭を使っているので、放課後に学校内でと留まって遊ぶのは教室内に限る。遊びたければ学校を出るしかない。
 安貴達は峰岸商店に向かうため、充の元に集まった。他の児童達は教室を出ている。
 音羽は安貴の隣に来た。「本当に行くの」安貴達に尋ねた。
「ちゃんと帰るから大丈夫だって」安貴は音羽をなだめた。
 音羽は安貴の言葉に眉をひそめた。
「一緒に行くか」充は音羽に尋ねた。
 音羽は充の言葉にあきれた。「行く訳ないでしょ。私はね、塾があるのよ。貴方達と違って忙しいの」声を荒げた。
「ヤス、行くぞ」充は教室を出た。
 聖人と友人達も充に続いて教室を出た。
 安貴は音羽に目をやった。心配している。「ごめん、今日だけだから」教室を出た。
 音羽はため息をついた。
 安貴達は教室を出て校門を出た。安貴は通学路と異なる道を歩いた。
 道は友人の家に向かう時に通るので新鮮味はないが、友人達と一緒に帰り道を行く経験は今までにない。
 友人達は店に着いたら何をするかで盛り上がった。上級生は授業でまだ来ない。自分達が場所を占拠するのは容易だ。
 安貴はさえない表情をしていた。子供が一人で帰るのは危険だと、親や先生から散々注意を受けている。音羽が心配だ。
「大丈夫か」聖人は安貴に尋ねた。
 安貴は聖人の方を向いた。「大丈夫だよ、店なんてすぐなんだろ」
「すぐだよ」充は安貴に返した。店は充の通学路にあるのでたどり着くまでの道や時間に関して信頼出来る。「音羽の話、気にしてるのか」
 安貴は何も言わなかった。はいと答えてもいいえと答えても、返ってくる言葉は同じだ。
 タクシー会社がある角を曲がり、暗きょの道を通っていく。
 安貴はコンクリートブロックだらけで、木々が一切ない場所に味気なさを覚えた。一方で経験のない場所を通る冒険と、規則を破る背徳で高揚していた。
 突き当りに出た。カラタチの垣根で囲った屋敷の隅に木造の倉庫を改装した店がある。仕切っているガラスのドアは開いたままで、子供達が出入りしている。
「奥って言ってたよな」聖人は充に尋ねた。
 充は店の脇にある通路に向かった。安貴達は充に続いた。
「おい、何をしている」にごった声が響いた。
 充達は声に驚き、立ち止まった。
 安貴は声がした方を向いた。頭がはげていて杖で体を支えている店主が、不快な表情をして立っている。
 店主は充に顔を近づけた。「お前ら、勝手に他人の土地に踏み込むな」
「す、すみません」充は老人の表情と声に屈し、勢いで謝った。「何もしません、だから先生やお母さんには言わないで下さい。お願いします」
 安貴は充の前に出た。「すみません、店の庭で子供が遊べる場所があると聞いて来たんですけど」
 店主は安貴達をにらんだ。「何だ、遊びに来たんか。用があるなら俺に言え。いくら遊べると言っても、おじゃましますとも言わずに勝手に家に入る奴がいるか」
「すみません」安貴は頭を下げた。
 店主は安貴の素直な態度に表情をやわらげた。「お前らは初めてか、分からんのも無理もない。遊んでもええぞ。次から俺に話をしろ」
「はい」子供達は一斉に返事をした。
「疲れたら店で休むとええ。あきたら勝手に帰れ」
「はい」
 店主は店に入った。
 充は安心して力が抜けた。「脅かしやがって」
「助かったよ、ありがとう」聖人は安貴に礼に感謝した。
「何も話さないで勝手に入るのは駄目だよ」安貴は充を諭した。
「お前、音羽に似てんな」
 安貴は眉をひそめた。
「奥に行くぞ」聖人は充達に声をかけた。
 充は通路に向かった。
 通路は人が一人通る程度の幅の道があった。脇にはカラタチが植えてある。
 安貴は道の隅を歩いていたので、カラタチのトゲが腕に触れて痛みを覚えた。道をたどっていくと金網が見えた。
 金網は地面に置いたブロックで支える構造だ。先には公園の半分程のスペースがある。子供達がボール遊んでいた。
 安貴と聖人は子供達が遊んでいる光景に驚いた。公園でも子供が遊んでいる光景は見かけない。
 充達は金網に沿って歩き、扉の前で止まった。扉は開いている。誰でも遊べる仕組みだ。
「入っていいか」聖人は充に尋ねた。
「遊んでいいって言ってたんだから、大丈夫だよ」充は扉を開けて敷地に入った。
 敷地は金網で囲っていて遊具はない。子供達はボールや紙製のブーメランや飛行機を持ち込んで遊んでいる。
 安貴達は敷地に入って周囲を見回した。
「来たのはいいんだけどさ、何をするんだ」聖人は充に尋ねた。行きの時に盛り上がったが結論が出なかったので、何をしていいか分からなくなった。
 充の元にサッカーボールが転がってきた。
「ごめん、拾って」声が響き、下級生が駆けつけてきた。
 充はサッカーボールを拾い、下級生にボールを返した。「人は空いてる」
 下級生は充の言葉に困って頭をかいた。「空いているといえば空いてるけど」充と一緒にいる児童達を見た。皆充達を見ている。
「付いてきて」下級生は仲間の元に向かった。充達はついていった。
「仲間に入れてくれって、上の人が来たんだけど」下級生は仲間に話しかけた。
 仲間達は集まり、充達を見て話し合いを始めた。
 暫くして一人が充の前に来た。「いいよ」
「振り分けからやり直すぞ」
 下級生は充達の方を向いた。「振り分けしてるから、ランドセル置いてきて」
 充達は金網の近くにランドセルを置きに行った。ランドセルを隅に置き、下級生達の元に駆けつけた。地面に引いた線を越えた段階でゴールとみなすルールだ。
 安貴達は下級生とサッカーに興じた。年齢が異なっていても、同じ遊び相手なら簡単に順応するのが子供だ。
 日が傾き、空の色が変わり始めた。
 子供とはいえ、動き続ければ疲労していく。
「もう駄目、終わり」下級生の一人が音を上げた。全員が駆けつけてきた。
「今日は終わりな」下級生が終了を提案した。安貴達は受け入れた。
「ありがとうございました」子供達は互いに頭を下げ、解散した。
「また遊ぼうな」充達は下級生に声をかけ、ランドセルを置いた場所に向かった。
 充はランドセルを担ぎ、聖人と安貴の方を向いた。「すごい場所だったろ。また明日来るか」
 安貴は眉をひそめた。通学路を破ったの後悔が押し寄せてきた。
 聖人はうなづいた。「次はボール持ってきて遊ぼうぜ」
「帰り道は分かるか」聖人は安貴に尋ねた。
「学校まで戻れば」
「ならお別れだな」
「また明日」安貴は充達より早く扉に向かい、開けて出ていった。
 帰りは学校から店に向かうまでの道を記憶からたどった。校門に来てから通学路を通って家に戻った。
 公園を通った。公園では若者達が奇声を上げてスケートボードに興じていた。
 家に戻った。玄関のドアを開ける。「ただいま」力なく声を出した。
 菜海が玄関に来た。「遅かったじゃない」
 安貴は一瞬、気難しい表情をした。「用があって学校で居残りしてたんだ」
「ウソを言わないの」
 安貴は菜海の言葉に驚いた。「通学路を無視して遊びに行ってたんでしょ、音羽ちゃんから聞いたわよ。何で素直に言わないの」
「だって」
「だっても何もないわよ。買い食いしたの」
「遊ぶお金なんて持っていないよ」安貴は小声でぼやいた。緊急の連絡用として10円玉を防犯ベルのポケットに入れている以外のお金を持っていない。
「遅くなるのは構わないけど、通学路を守らないのと買い食いはやめなさい」
 安貴は何も返さなかった。説教は言い訳を返せば長くなる。黙ってやり過ごすのが楽なのを知っていた。
 菜海は安貴に顔を近づけた。「いい、分かった」
「はい」安貴は曖昧な返事をした。
「お風呂沸かしておいたから、すぐ入りなさい。宿題は夕食が終わったらでいいわ」菜海はリビングに向かった。
 安貴は靴を脱ぎ、下駄箱に入れた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み