第1話

文字数 1,879文字

 ゴールデンウイークの真っ最中だが、私はいつもと変わらない日常を送っていた。近所にあるスーパーマーケットに入り、カゴを持って店内を歩いていた。物価が急騰している。円安のせいもあるのだろう。思わず舌打ちした。
 酒場コーナーがあり、いろいろな種類のお酒を眺めていた。父がよく飲んでいた焼酎を見つけた。私はお酒を飲めないわけではないが、あまりお酒を飲まない。体質的にはお酒に強いほうだが、遺伝によるのだろう。お酒が飲めないのは、恥ではない。
 私は三十五歳で会社員を辞めた。現在はうつ病の治療のために、自宅療養している。失業保険をもらっており、平穏な毎日を過ごしている。結婚する意志はなく、一生結婚しないままで終わるだろう。男性だからかもしれないが、子供を欲しい、と思ったことがない。子供を育てるのは、恐怖でしかない。
 私の父はお酒が好きで、ビールや焼酎、日本酒などをよく飲んでいた。父は四六時中お酒を飲んでおり、常時酔っ払っていた。父には破天荒な一面があり、十代の頃からお酒を飲んでいたらしい。アルコール依存症だったのではないか。自覚がないので、医療機関にも通っていなかった。家族が勧めても、アルコール依存症専門の病院には、行かなかっただろう。
 父はスーツの内側のポケットに水筒を忍ばせており、水筒にウォッカを入れて、持ち歩いていた。死の数ヵ月前は、大学病院に入院していた。入院中にお酒を持ってくるように母に頼み、医師や看護師には内緒で、飲酒していた。非常識すぎてあきれてしまう。父のアルコール依存症は、重度だったのだろう。しかし七十歳まで生きたのなら、寿命としてはさして短くもなく、満足したのではないか。
 父は七十歳を前にして、胃がんで亡くなった。胃がんは早期に発見したので、胃を摘出して、手術して治療することは可能だった。しかし掛かりつけの医者の言うことも聞かず、手術も受けなかったので、どうしようもない。代わりに、怪しい民間療法にのめり込んでいた。
 私は人並みに酒をたしなみ、ビールやチューハイ、焼酎を飲んでいた。ワインや日本酒は好きではない。しかし健康のためにも、お酒はやめたほうがいいのではないか、と思い、基本的に飲まなくなり、現在に至っている。経済的な負担も馬鹿にならない。飲み過ぎると肝臓もやられてしまうし、健康を害するだろう。
 私は上司のパワハラを受けて、精神疾患を患ってしまい、近所にあるメンタルクリニックに通院している。精神科医は、口コミサイトを参考にした。私の主治医は、やぶ医者ではないと思う。主治医からは、うつ病と診断されている。睡眠薬、抗不安薬、抗うつ薬などの向精神薬を服用している。ベンゾジアゼピン系抗不安薬を服用し、お酒を飲むと、気分がリラックスする。アルコールのせいなのか、抗不安薬のせいなのか、よく分からない。もっとたくさんの抗不安薬を処方してもらいたいが、主治医に怪しまれてしまうだろう。
 死んだ父と一緒に、酒を飲んでいたことを思い出す。よく焼酎のお湯割りを飲んでいた。当時私はビールばかり飲んでいて、焼酎のお湯割りを飲んだこともなかった。食わず嫌いだったのだと思う。
 時折、父のことを懐かしく思い出すことがある。父は焼酎を飲み終わると、日本酒を飲んでいた。不肖の子と酒を酌み交わし、一体何を思っていたのだろう。
 父は、私の大学の入学式に出席したことがある。「父さんも経営組織論を勉強したいなあ……」と言っていたから、思うところがあったのだろう。心中を察すると、父は高卒だったので、本当は大学に行きたかったのだろう。私は自分で学費を払うこともなく、何の苦労もなしに、大学に通っていた。
 父とテーブルを挟み、鍋をつつきながら談笑していた。テレビを視聴しながら、とりとめのない話をした。父の説教を聞くのは苦痛だったが、議論を戦わせ、精神的に疲れることもあった。
 酔っ払ってくると、アルコールとベンゾジアゼピン系抗不安薬のせいもあり、すっかり気持ちよくなってしまう。酒を飲むと気が大きくなる。千鳥足になりながら、風呂に入った。風呂からあがると、眠ってしまう。酔い潰れて寝てしまうと、何も覚えていない。テーブルの下では、人慣れしたウサギが、気持ちよさそうに居眠りを始めている。よく丸まって寝ていられるものだ。人の話し声がうるさくないのだろうか。
 おおむね五千円で購入したウサギは、約八年間生きたが、あっけなくなく死んでしまった。父と酒を酌み交わしたあの頃は、幸せだったのかもしれない。父が逝ってから、焼酎のお湯割りは飲んでいない。(了)
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