第1話

文字数 8,565文字

山のおサルはどこへ行くのか

 春はどうして短いのか。ついこの間まで灯油ヒーターが欠かせず凍えていたのに、厚手のパーカーで少し歩くだけで汗ばんでくる。カサカサと揺れる木々からもれる陽光がまぶしくて、つばの広い帽子を出した。子どもたちの歓声が風にのってかすかに聞こえてくる。竹やぶからひょろ長いタケノコを背負って帰ってきたのだろう。5月はタケノコ掘りに忙しいのだ。今この一瞬を、大きく深呼吸して体の奥へ招き入れる。

5歳になったばかりの娘が毎日通うのは、「山の中ようちえん」。園舎を持たず、3歳から6歳までの子どもたちが山の中で活動する。3歳から通いはじめた娘はこの春で年長になった。年長といっても、学年やクラスごとに分かれているわけではなく、総勢20名がごちゃ混ぜで過ごしている。
時間割やカリキュラムは一切なく、子どもたちは朝一番、今日はなにして過ごそうかと考える。いや、考えてみる日もあるけれど、思考なんて素通りして身体が動き出す日が多いのだろう。活動場所の山中に着くやいなや、リュックサックをシートに放って走り出す。鬼ごっこは崖も使うからなかなか捕まえるのが難しい。斜面で足を滑らせても木の根っこにワシッとしがみつき、あっという間に逃げてしまうのだ。
鬼ごっこだったのがいつの間にやら電車ごっこに変わっていて、ロープに連なった男の子たちが走り回っている。電車に興味が無い女の子たちは、シートの上で工作を始めた。

「なんやかやであと1年。早いな…どうしよ。この辺りいいとこないんよね、やっぱり」
「本人に合ってるのが一番やんな。どこがいいとか、悪いとかじゃなくて、合うか合わないかの問題やと思うねん」

 年長母たちのもっぱらの関心事は、山の子の小学校進学だ。山の中ようちえんに子どもを通わそうと考える母ちゃんたちは、それだけでマイノリティ。毎日山の中で過ごし、雨が降っても雪が降っても山の中。朝から大雨の日は近くの空き家を借りたりするが、急な雷雨で川のようになった坂道を泣きながら歩くなんて日もある。小さな崖から川に落下したら大怪我をしそうだし、春は毛虫が頭に落ちてきて、夏はギョッとするくらい大きなやぶ蚊とブンブンうなる蜂が飛んでいる。ここ数年は日中イノシシに出くわすこともあり、イノシシ除けの鈴をリュックサックにぶら下げて、唐辛子をケモノ道に撒いたりと対策も必要だ。
 「今まで大けがした子はおらへんの?毎日そんなところに行かすの心配じゃないん?」「親子で山に行く日が毎週あるって?ようやるわ!」。街のお母さんたちからは、よくそんな風に言われる。よく分かる、私だってそう思っていた。今日こそスタッフさんから「すぐ来てください!崖から落ちて大けがです!」って電話がくるかもしれないと毎日ドキドキしていたのだ。
 兄と姉に鍛えられて育った末っ子は、高いところから飛び降りたり、ダンゴ虫を10匹もわしづかみしたりするのが大好きなワイルドガール。どうなることかとハラハラしながらの山デビューだったが、日々山中で鍛えた甲斐あり輪をかけてワイルドに成長してくれた。得意技は木登りで、自らを「おサル」と呼んでいる。山の中ようちえんの運動会では、工作で作ったサルの耳を頭に付け、「木登り屋さん」という種目を楽しそうにこなしていた。ちなみに木登りをしていたのはおサル一人。どの種目に参加するもしないも自由な運動会なのだ。

そんなおサルさんが小学校へ行くという。まだ約1年あるけれど、もう1年も無いのだ。

「このまま伸び伸び過ごしてもらいたいけどな、小学校に入ったらそうもいかんな」
「机の前にじーーっと座ってるなんてできるかな…。屋根のある幼稚園に通ってる子は、字の練習したり、みんなで一緒にお遊戯したりできるやろ」
「公立の小学校行ったら、ある程度集団行動いうの、周りに合わせないとやっていかれへんやろ。先生だって一人で大勢みるから大変やわ」

子どもたちが山の中に来た経緯はいろいろだ。ドイツ発祥の森のようちえんに憧れ、ネットで調べてたどり着いたという親子、街の幼稚園に通ったものの性に合わず途中入園してきたドロップアウト組。地元のこども園と山の中、どちらも体験した後、「ぼくは小さいお庭のようちえんではドキドキワクワクしません。山に行くと決めました」と母親に通告して自らの意思で山を選んだ子。思いも事情もそれぞれ違うが、みんな世の中の普通や当たり前を飛び出してきた。
 屋根は無いし、遊具も無いし、国からの補助金も無い。自然と虫と野生動物はたんまりあって、その分危ないこともある。それもこれも承知で山に子どもを通わせたいと思う母ちゃんたちは、ちょっと風変わりなのかもしれない。

ワンコの話
 おサルには、小学5年の兄が一人と3年の姉が一人いる。兄は4年生の夏に小学校をドロップアウトして、いわゆるフリースクールに通っている。ここでは兄はワンコという呼び名にしておく(犬のようによく駆け回り、人懐こく単純)。
 二年生の終わりから「学校行きたくない」と言い始めて、休みがちになってきた。担任の先生にワンコの気持ちを伝えて学校での様子を聞くと、「えっ!毎日とても楽しそうに過ごしています。しんどそうには見えませんが…」と困惑した答えが返ってきた。
 学校でのワンコは活発でドッジボールと鬼ごっこが大好き、友達との関係も良好で、勉強は可もなく不可もなし。「クラスの仲間をまとめるタイプで、勉強についてこれない教科もありません」とのことだった。

2年生、3年生はたまに休みつつも、ドッチボールを楽しみに通っていた。そんな中、世の中は新型コロナウィルス一色になっていき、4年生の新年度から小学校は休校になった。ワンコの糸が切れたのは、学校が再開したコロナ明けのときだった。

「学校行きたない。あんなとこ行く意味無いわ」
「学校では楽しそうにしてるって先生言ってたけど、何がしんどいの?」
「全部しんどい。つまらん。しょーもない」
「でも行ったらドッチボールもできるしさ、家にずっといるよりええやん!」
「コロナだからドッチボールできひん!オニゴ(鬼ごっこ)だって、友達にタッチしたらアカンて言われた。給食は黙って前向いて食べなアカンからしゃべったら怒られる。マスクも苦しい。行きたないわ!」

 コロナ明けから不登校になった子どもは多い。親やテレビから感染症の恐怖を植え付けられ、学校では制限がぐっと増えた。マスクで顔の半分を覆われて友達の表情も声も遠くなった。給食や休み時間を楽しみに学校に通う子どもたちにとっては、楽しみが消えてしまった。

「でも学校に行かなかったら友達と遊べないやん。勉強もどんどん分からなくなるやん。ママだって、家でずっとワンコの相手してるわけにはいかんし。どうすんねん!」
「ママはあんな地獄みたいなとこに毎日行けっていうんか!オニか!!」
 そう叫んで私を睨みつけていたワンコが、しくしくとすすり泣きをはじめた。直情型で感情に裏表が無いワンコが泣く時は、いつもワーッと大声で発散するような泣き方だ。それが、肩をプルプル振るわせて顔を両手で覆い、声を押し殺すように泣いている。

「そんなにしんどいんか。わかった。ママの気持ちばっかり言ってごめんな。ワンコの気持ち、もう一回しっかり聞かせてほしい」

学校行かないで毎日家におられたら困るし。学校行かなかったら人並に字を書いたり、計算したりできなくなるし。学校行かなかったら友達おらんくなるし。全部私の気持ちだった。世の中の当たり前や常識にがんじがらめじゃないか。山の中の母がなんぼのもんだ。

 それからワンコは、少しずつ話をしてくれた。ずっと座って話を聞いているのがしんどい。2年生まではまだよかったけど、3年生になってから授業時間が増えて、黒板を写す量も多くなった。一生懸命黒板を写していると、そればっかりになって話の内容が分からなくなる。そのうちに勉強がおもしろくなくなってくる。分からないところは後で聞いてと言われるけど、先生が話し終わるのを待っているとまた分からないとろこが出てきて、訳わからなくなる。

 もっと友達と話したい。勉強も一緒にやりたい。前はグループでやる時間もあったけど、コロナになってからずっと前を向いて座ってる。分からないところを教え合ったり、みんなで机くっつけて話ながら一緒に考えたりしたい。黒板を写してるだけだと、全然頭の中に入ってこない。たまに理科の授業でみんなで校庭に出て調べものしたり、実験したのも楽しかった。虫眼鏡で太陽集めて、黒い紙を焼いたんだ!みんなでおお~!て盛り上がった。そういうのたくさんしたい。休み時間もドッチボールのボールみんなで触るのダメって言われてできない。大きな声で話さない、集まらないって言われる。全然おもろない。

 そうだ、今までも、ワンコがしてくれていた話だ。私が向き合っていなかっただけだ。いうても、大丈夫やろ、学校行けるやろって流していた。

 ワンコは生まれた直後から前のめりな人だった。難産の末吸引分娩で生まれ、チアノーゼ状態で産声も上げなかったのに、胸の上にうつ伏せに抱っこしたら、顔をググッと持ちあげて私の顔を見つめた。首が座るのも、寝返りも、歩き出すのも誰より早くて、嫌なことがあるとギャッ―っと大声で泣き叫んだ。じっと座っているのが嫌で、外食すると自分の分を食べ終わるなり立ち上がって駆け出し、店の外に逃走した。
目の前に広がる世界にいつもワクワクしていて、「オレはやるんだ!オレはもっと走るんだ!」と常に全身からみなぎらせているような人だった。

「学校でずっと座ってるの、ほかのみんなはしんどくないんやと思う。ほかのみんなはできても、ワンコはしんどいねん」
そうだね。そんなこと、ママが一番分かってたはずだ。生真面目なところがあるワンコは、みんなと同じように座って、黒板写さないけないと必死だったのだろう。
 人と触れ合うのが大好きで、人懐こくて、身体を動かすのが大好きで、朝から晩まで汗かいて走っていたい。みんなと一緒にじっとしていなくていい、ワンコはワンコらしく生きていこう。

ワンコのはしごを外した日
 それから人づてに聞いたフリースクールの見学、2週間の体験を経て、小学校をドロップアウトすることになった。そのスクールでは、座って話を聞き、板書するという時間はほぼ無い。「10歳までの子どもの仕事は遊ぶこと」という理念のもと、自由遊びの時間、グループワークの時間がたっぷり取られている。勉強で分からないことがあれば、友達同士で教え合う。1日を通じて友人同士、先生ともコミュニケーションがたっぷりとれる。
「算数、よく分らんけど、なんかむっちゃ楽しいねん!」ワンコがふりふり尻尾を振って帰宅するようになった。遊びの時間にやったオニゴのこと、友達とのたわいないやり取りのことなど、うれしそうに話してくる。そんなワンコを見ているのがママも何よりうれしい。

 ワンコがフリースクールに通うことを決めた後、ワンコの小学校の校長と話をした。ワンコが通うフリースクールは文科省に認可を受けた学校ではなく、オルタナティブスクールに属するため、義務教育から外れることになる。ワンコが通うスクールは小学校復帰を目指す場所ではなく、独自の方法で教育を行っていると判断したので、出席認定(オルタナティブスクールへの在籍を、籍がある小学校の出席と認めること)はしないし、小学校の卒業証書も渡せないとのお達しだった。同じオルタナティブスクールでも、小学校への復帰を目指すところであれば、出席認定も卒業証書ももらえるらしい。

 「お母さん、お子さんの一時の気持ちの揺れを支えて、学校へ通えるようにしてあげるのも親御さんの仕事ではないですか? あと2年半、ごまかしごまかしでも小学校に通わせてあげたら、レールから外れることはありませんよ」。校長先生は心配してくださっている。
 「ここではしごを外すようなことをして後悔はありませんか?後になって後悔しても時間は戻りません。学校が合わなくても、少し我慢すれば卒業ですよ」。学校が認めないオルタナティブスクールへ通うことは、教育の正規ルートを外れることになる。本当にそれでいいのか?後悔はないのか?これはワンコと私への最終通告なのか。

 その夜はちょっと落ち込んだ。本当に私たちの選択は間違っていないのだろうか。私は、彼の前にまっすぐ続く道へのはしごを外しているのだろうか。そもそも、正しさとは何なのか。世間が決めた道を外れず進むことを伝えるのが親の責務であり教育なのだろうか。   
悶々としながら、翌日山の中の母仲間にそのことを話してみた。校長先生にこんなこと言われてん。「何言ってんの。レールを外れたところにこそ人生の面白さがあるんやろ。決まりきったレールの上を人に言われた通り進んで何が楽しいの?」。さすが、世界中をバックパックで一人旅し、アザラシや蛇も食べたという女の言葉は違う。「4年生で自分からレールを出て新しい世界に行こうって決めたの、すごいことやんな?」。そうか。泣いてまうやろ。

 ワンコと私と夫、三人でもう一度話し合った。ワンコにはレールを外れるという意味は捉えきれないだろう。最終判断はやはり親だ。今を我慢して、我慢して続けたら、その先に我慢ではなく自由と楽しみがやってくるのだろうか。本当に?我慢はさらなる我慢を呼び、もっと我慢しなくてはならない現実を作るのではないか。私にはそう思える。ワンコの決意は固い。夫は静観。そして、ワンコのレールから外れた新生活はスタートした。

アメショーの話
 おサルのもう一人の兄弟、3年生の姉アメショー(猫のように周囲をじぃーっと見て観察するタイプ。毛並みがよいアメリカンショートヘアみたい)は、また全然違う個性を持っている。いわゆる学級委員長タイプで、友達の面倒見がよく、なんでもソツなくこなす。小学校の集団生活にも抵抗なく馴染んでおり、学校大好き!と毎日通っている。担任の先生からは「ペースのゆっくりなお友達のことを気にして見てくれて、声をかけたりお手伝いしてくれたり、いつも助かってます!」と言われた。
 授業参観のとき、確かに隣の席の男の子の筆箱を片付けたり、次の音楽の授業に使うセットの準備を促したり、お世話係さんをしている。ちょっと手伝いすぎじゃない?自分の力で出来るようになる妨げにならない?と逆に心配してしまうくらいだった。

 一緒に学校へ通っていたワンコがいなくなったことで、妹のアメショーも行きたくないと言い出すのではないかと、担任は心配してくれた。実際、兄弟一方が不登校になると、その兄弟も引っ張られて不登校になるケースが多いそうだ。我が家の場合、不登校というより新たな場でのスタートになるが、どうなることかとしばらくアメショーの様子を見ていた。
 「ワンコと一緒に学校行けなくなったけど、さみしくない?不安なこととかない?」とある日アメショーにたずねたら、「なんで?全然さみしくない」とかぶせ気味で返ってきた。アメショーにはアメショーの世界がある。同じ世界を見ていても、見えるもの、感じることは全く違う。どちらかが正解ではなく、どの世界を選ぶかなのだろう。

学校を探してみよう
 話はおサルに戻る。おサルはワンコタイプだ。エネルギーが全身からキラキラほとばしり、楽しいことは抜群の集中力で味わいきり、次の興味へとどんどん移っていく。おサルにはおサルの魅力的なところを存分に伸ばしてほしい。枠にはまらない大胆さや自由な発想を広げていけたらいい。なにより、じっと椅子に座っているのはワンコと同じく向いてないだろう…。そんな思いで、おサルの学校探しが始まったのだ。調べてみると日本にも独自の理念で運営している学校はたくさんある。自由教育を標榜する学校も増えているようだ。

 すごくいい!めっちゃ楽しそう!と思う学校をまず2つ見つけた。一つは長野県。もう一つは高知県。通うには移住が前提になるし、兄弟二人の意向も尊重せねばならない。今の家から通える範囲だと、なかなかしっくりくるところが見つからない。山の中母たちには、小学校以降も子どもに自由教育を受けさせたいと考える人も多いため、「どこかいいとこないんかね、なかなかないんよねぇ」という冒頭の会話が繰り返される。

 公教育の在り方に疑問や不安をおぼえている人も少なくない。正解の決められた問題を与えられ、正しいと教えられたことを暗記していく。独自の発想や飛びぬけた個性は認められづらく、悪目立ちしないことに注意を払うようになる。目まぐるしく変わる世界の中、従来の仕事の多くは無くなっていくといわれている未来を生きる子どもたちが受ける教育が、何十年もほとんど変化してないことに問題はないのか。

 現場の先生たちも疲弊している。コロナ対策、1クラス40人編成、決まった時間内でカリキュラムをこなすことに精いっぱいで、一人ひとりと向きえないと現役教師の友人が嘆いていた。大人数をハンドリングすることが重要視されれば、細かなルールや罰則が増えていく。このままでいいのだろうか? 決められたルールの中でうまく立ち回れるようにはなっても、自分の人生を切り開き、なにより自分で自分を幸せにする力がついていくのだろうか。

 「自らやりたいことを決め、実践する。主役は子ども、大人は子どものサポーター」という理念を掲げる小学校のオンライン参観に参加することにした。このご時世、なんでもオンラインだ。カリキュラムの中心は体験型学習で、野外での自然体験、本格的なアート作成など、自ら選択して年間を通して作り上げていく。最初に学校の基本理念や日々の生活などの紹介があり、質問タイムが設けられていた。質問の手が挙がった。

Q「体験型のカリキュラム、自由でとても楽しそうだと思いましたが、学力はどうなのでしょうか?例えば、子どもが受験して偏差値の高い学校に入学したいとなったとき、受験に対応できる学力はつけてもらえるのでしょうか?」
A「学力とは何かというとこですが、私たちは、自ら学びたいという気持ちを発見し、自分で学びを組み立てる力を大切にしています。受験をしたいという希望があれば、その思いに添うようなサポートは考えると思いますが、受験のための勉強に終始するということではありません」
Q「では、子どもがもし有名大学に入りたいという希望があったら、それに添うように教えて頂けますか?体験学習ばかりだと、一般的な学力が不足しませんか?」

 学校側は、そもそも学びをどう定義するのか、という説明を再度丁寧にしてくれた。質問者は学力面の不安にさらに食い下がり、話が長くなってきたところで、他の参加者から「質問時間が足りなくなるので終わりにして欲しい」と遮られ、やり取りは終わった。

 象徴的なやりとりで、私自身に再度問われているかのようだった。「どちらの世界を選ぶのか?どこへ行きたいのか?」と。有名大学への進学率を誇る進学校はほかにたくさんある。高学歴や有名大学への進学を目指すなら、そちらを選べばスムーズだろう。一方で、従来通りの学力、学歴ではなく、そこにはないものを創造するための場がある。どちらが正しい、優れているという問題ではない。繰り返すが、どの世界を選ぶかだけなのだ。どの世界を選び、どう生きるのかを私たちは選べる。子ども自身も選べるし、選び取ってほしいと私は願う。


 おサルの行く先はもちろんまだ決まっていない。あと約1年あるが、もう1年ない。春は短く、次の春はあっという間にやってくる。
 人は環境の生き物だという。生きている環境であり方、生き方が大きく左右される。そして環境を変えたければ、自ら選び、飛び込んでいくしかない。望む環境がいつのまにか周りに展開されていくことはないのだ。小学校を選ぶ段階では、本人の意思だけで選択するのは正直難しさがある。けれど、できるだけ多くを知り、提案し、親と子で一緒に考え悩みながら、選び取っていきたい。

 学校どうする~というやり取りの中、山の中の母の一人が言い出した。「自分たちで学校作るのが一番いいやん!」
それ、めっちゃ面白い! 言い出したら行動が早い彼女は、さっそく良さそうな土地を下見してきたという。実際、子どもの不登校をきっかけにオルタナティブスクールを立ち上げた親もいる。文科省に認可される学校でなくていい。
「やれば、できる!」おサルの口癖だ。そうだ、なんだってやればできる。学校だって作れるかもしれない。環境を選ぶ、環境を作る、どちらもやればできる。とにもかくにも一歩を踏み出してみないと何も始まらない。

 自分の本音と向き合うこと、人と違うことを恐れないことは、ワンコが教えてくれた。人に左右されず、自分の世界を楽しむことはアメショーが教えてくれた。おサルからは何を伝授されるのだろうか。彼らの人生の主役は彼ら自身。私も私の人生をしっかり歩む。そして、子どもたちの伴走者として、時には躓いて泣き笑いながらこれからもやっていこうと思う。




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