第1話

文字数 1,418文字

「うわあああ」
俺は、2階にあるアパートの玄関で、文字通り腰を抜かしてしまった。
隣の部屋からガサゴソと物音がして、様子を伺いに出てきそうだったので、慌ててドアを閉めた。駅前のコンビニのバイトを終えて帰宅したのだから、今は夜の10時半過ぎだろう。
それなのに、俺の部屋に見知らぬ女が上がり込んでいたのだ。
「泥棒……?」
俺は、玄関の明かりだけを頼りに、奥の6畳間に目を凝らした。
女は季節はずれの白い半袖のワンピースを着て、こちらに背中を向け部屋の隅で正座をしている。
ガックリと首を垂れて、長い黒髪が暖簾のように顔に掛かっていた。
「メグ?な、わけないよな」
俺は違うと解っていながら、静岡にいる彼女の名前を呼んでみた。
なぜならここは東京の板橋区で、メグは茶髪のショートカットだからだ。

俺は物音を立てないように6畳間に入り、電気の紐を引っ張った。
明かりは部屋を照らし一瞬安堵したが、同時に女も照らし出し、
そこにある現実を突きつけていた。
よく見ると女は小柄で、半袖からのびた白い腕やうなじが妙に色っぽく、
すぐに若い女だと解った。
「幽霊ってのは、明るいと消えるんじゃないのか?」
薄気味悪く思いながら、どうする事も出来ず、
ひとまず女から離れたところに布団を敷いて寝る事にした。

翌日、朝日を浴びても消える事無く、そこに存在し続ける女。
明るい所で見ると、恐ろしいという感情はだいぶ減ってきていた。
怖がらすわけでもなく、襲って来るわけでもない。
何日も過ごすうちに、やがて俺は驚かなくなった。

こうして女との奇妙な同居生活は、1ヶ月程続いている。
慣れてしまえば、そう、置物みたいなものだ。

やがて俺は、独り言を女に向けて話すようになっていた。
大学での事とか、バイトであった事やテレビの話題なんかを……。
「ピンポン」
新人が、弁当をレンジで爆発させた話をし始めた時、玄関のチャイムが鳴った。
出るとメグが立っていて、スーパーの袋とボストンバックを軽く持ち上げ微笑んでいる。
「来ちゃった」
俺の表情は固まっていたが、メグは気にせどんどん部屋の奥へと入っていく。
「明日から3連休でしょう。洋を驚かせようと思ってさ。びっくりした?」
実際ビックリしすぎて、心臓が止まるかと思った。
「く、来るなら連絡くれれば、よかったのに…」
やっとの思いで言葉を発し、作り笑いは相当酷い物だったと思う。
俺は目を閉じてメグがわめき散らすのを待ったが、その気配は全くない。
「最初は、ビールにする?」
と、買ってきた酒や総菜などをテーブルの上に置いている。
女は相変わらず身じろぎもせず座り続けており、
見えているのは、どうやら俺だけのようだ。
そのことが一層、女がこの世の物ではない事を表していた。

その夜、多少の躊躇はあったものの、女の横で愛し合い
いつの間にか眠りこんでしまった。

次の朝、眩しい光で目を覚まし、隣で寝息をたてるメグの頭をなでると思わずギョッとなった。
髪が異様に長かったのである。
長く、墨のように黒い髪の毛。
絹のように滑らかで、冷たい触り心地をしており、魂のない日本人形のようだった。

これは、一体誰なのだ。

飛び起きて、女がいた所を見ると、白のワンピースを着たメグが
背中を向けて静かに正座していた。

俺は、内からわき起こる寒気とともに、女の存在を許していた事を心底後悔していた。


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み