切ない晩酌をふたりで

文字数 1,072文字

 夜中に起きて何かをやり始めるのは最高だ。あてもなく散歩するとか、飲み物を一本だけ買いにコンビニへ行くのなんかもいい。

 だが今夜は。なかなか寝付けなかった俺はひとり晩酌をすることに決めた。

 冷え冷えとしたリビングの暖房をそっと入れ、疲れ切って眠ってしまった家族を起こさないよう、細心の注意を払いながら酒とアテの用意をする。

 冷蔵庫にあるのはチクワ、カニカマ。あとは――ささみを茹でたもの。それにポン酢をかけて食べよう。

 プシュッ。静まり返った室内にプルトップを開ける音が響く。背後へ向かって軽く缶をかかげてからビールを一口。……うまい。けど、ちょっと寒い。

 チクワは普段買わないようなちょっと良いやつ。味が若干薄い気もするが、そこがまた高級感があっていい。カニカマはどこのスーパーでも見かける安いやつ。塩分多めだから何年もあげてなかったけれど、むかし大好物だったこいつにすがる思いで家内が買ってきた。

 丹念にやわらかく煮たのに冷蔵庫の中でカチカチになってしまったささみを口にした途端、涙腺がついに堪え切れなくなった。

 トラ太。

 トラ太よぅ。

 おまえは最後の二日間、これらを一口も食べられなくなっちゃってたなぁ……。

 今日を迎えず逝ってしまった15才の愛猫の姿を室内のそこかしこに求めてしまう。あのやさしい毛皮の感触が足首をかすめることはもう二度とないんだと思うと、どうしようもなく泣けてきた。

 ささみよりも冷たく固くなった魂のぬけがらは隣の部屋に安置され、本日の旅立ちをひっそりと待っている。

「……お父さん? やっぱり眠れなかったのねぇ。私もなのよ」

 まっかに泣きはらした目をした家内がいつの間にかドアのところに立っていた。俺もきっと同じ目をしているんだろうな。

「あらあら、駄目でしょ。この寒いのにビールだなんて。おなかが冷えちゃうわ。そうだ、お酒を温めましょうか。そのささみもね、さっと甘辛く煮つけちゃうからちょっとだけ待っててくれる?」

 矢継ぎ早に言いながら、じぶんの分のコップをちゃっかりとテーブルの上に置く。しゃべって動き回ることが彼女流の悲しみの紛らわせ方なのだろう。俺は呑むことでしか紛らわせられそうにないが。

「……とても眠れそうにないから私もお相伴にあずかるわ。温かくて美味しいものを食べながら、ひと晩中でもトラ太の思い出を語りましょ」

 隣の部屋へやさしい一瞥をくれると、家内はキッチンに入っていった。

 そうだな、美味いものを食いながら切ない夜をふたりで過ごそう。今も、そしてこれからもずっと愛しくてならないあの子の面影とともに。
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