可読性リードアーサー

文字数 2,394文字


今日は定期的に行っているデモに参加する日だ。
わたしは軍手とヘルメット、水の入ったペットボトルといくつかの携行食をボストンバッグに入れた。
スマートフォンと財布があることも確認して家を出た。

あ、鍵を閉め忘れた。

今日は、玄関を出て数メートル歩いたあたりで気づけた。
鍵を閉め、ノブを引いて2段階チェックを済ませ、鍵をいつもの場所に収めて歩き始めた。

今日は某大学に対する抗議デモである。
電車をふたつ乗り継いで、わたしは集合場所に着いた。
そのあとも何人か合流してきて、最終的には50人くらいになった。
いつもとほとんど変わらない人数だ。

わたしは比較的に身長が高いほうなので、手持ち看板をいつも担当している。
それぞれ持ち物を携えたので、わたしたちは歩き始めた。
そして、某大学の正門前に陣取り、メガホン担当が声を出し抗議が始まった。

「分厚い本をやめろー!」
それに続いて他の人たちも声を張った。
「分厚い本をやめろー!」

「ちっちゃい字でぎっしり書くなー!」
「ちっちゃい字でぎっしり書くなー!」

「メモ書き入れられるくらいの余白をつくれー!」
「メモ書き入れられるくらいの余白をつくれー!」

「不必要に漢字を濫用するなー!」
「不必要に漢字を濫用するなー!」

「読書が得意じゃない人を置き去りにするなー!」
「読書が得意じゃない人を置き去りにするなー!」

「お前たちの書く本は勉強になるから読みたいけど、読みづらいんだー!」
「お前たちの書く本、は勉強になる、から読み、たいけど読みづらいんだー!」

いつもこの長めのセリフで、もちゃっとする。
今日もそんな感じだ。

「社会科学も科学だし、数値もかなり出るんだから、横書きで書けー!」
「社会科学も科学だし、数値もかなり出るんだから、横書きで書けー!」

「目次は節レベルまで書くのを徹底しろー!」
「目次は節レベルまで書くのを徹底しろー!」

「文学的な表現で章タイトルつけるのやめろー!余計わからなくなるだろー!」
「文学的な表現で章タイトルつけるのやめろー!余計わからなくなるだろー!」

「そんなに売れなかったとしても、電子書籍版も必ず出せー!音声読み上げさせろー!」
「そんなに売れなかったとしても、電子書籍版も必ず出せー!音声読み上げさせろー!」

「そんなに売れなかったとしても、オーディオブックも必ず出せー!」
「そんなに売れなかったとしても、オーディオブックも必ず出せー!」

このあたりは、大学には関係のないビジネスの話であり、ほとんどやつあたりだ。

そして、最後のセリフは、われわれ全員の切実な願いだ。

「もっと丁寧な要約、解説を書いてくれー!」
「もっと丁寧な要約、解説を書いてくれー!」

この大学は、この国トップクラスの大学であり、各分野の「最高の頭脳」と呼ばれる教授たちが名を連ねている。
特に、社会科学分野における権威が勢揃いしているのだが、その人たちの著作が「骨太で分厚い、読みづらい、縦書き、文字ぎっしり、内容のつまみ食いをしづらい構成、抽象的な章タイトル」であることに対する抗議をわたしたちは今おこなっている。


このデモ隊は、読書が得意ではないが、読書は好きで、いろんな知識を欲している人たちで構成されている。
きっかけは、わたしのSNSでの投稿だった。
先ほどのようなグチをこぼしたら、思いのほか同調してくれる人たちが集まった。
そこからゆっくり親交が深まっていき、それと同時に共通思想が膨張していった。
最初にリアルで集まったときは、まだオフ会という体を保っていた。
しかし、2回目のオフ会の頃には、デモ隊を結成しようという流れが完成していた。

「可読性リードアーサー」というなんともいえない団体が組織された。

そして今に至る。


「いいですか、とある研究でですね、読書スピードは遺伝的な要因による可能性があると言及されているんですね。つまりですね、生まれながらにして、読書に対してハンディキャップを背負っている人たちがいるわけです。わたしたちもそのひとりです」
「そうだ!そうだー!」

「読みづらい本というのは、そういった人たちをないがしろにしているわけです」
「そうだ!そうだー!」

「さらにいえばですね、目の疾患などでですね、本を『読む』という行為自体を制限された人たちもいるわけですよ。わたしたちのメンバーにもそういう人が何人かいるわけですね。そういった人の中にも、先生方の本をですね楽しみにしている人たちがいるんですよ」
「そうだ!そうだー!」

「これ、正直、著者の先生方に抗議するのは、お門違いの部分もあるかもしれません。本のデザインは出版社や専門のデザイナーさんがやっているわけですから。見た目やデザインに関しては、直接関わっていない可能性もあるわけですね。でもですね、著者の先生方がわたしたちの存在を認知してくれて、少しでも寄り添ってくれるならですね、著作をおつくりになる中で、どうか編集者さんなどに要請してほしいんです。『横書きで書きませんか?』とか、『文字組みをもう少し工夫しませんか?』とかですね」
「そうだ!そうだー!」

「ね、だから、どうかお願いします。もっと読みやすい骨太な本をわたしたちに見せてほしい。それだけです」

仲間たちから大きな拍手が上がった。
時刻は19:00になった。
座り込みの時間だ。
この間にそれぞれが弁当や携行食を食べる。

この活動が日の目を見ることがあるのか、わたしにはわからない。
だけど、本がもっと読みやすくなることは、社会がよくなることにつながると信じている。
ただし、そこについての理詰めをしっかりできているわけじゃない。
みんなもそう思いつつも、パッションを持って活動している。

わたしはコンクリートの上に、あぐらをかいて座った。
脇で抱えるように看板を支える。
いつでもメモできるように手帳とペンを地べたに置いて、頭につけるタイプの懐中電灯の電源を入れて『金枝篇』を読みはじめた。
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