間違いだらけの努力論

文字数 14,412文字

 四月十日――。僕が通うことになっている都内屈指の名門・私立一ノ坂高校も、御多分に漏れず桜の木があった。今は満開の時期もすぎ、狂ったように散っている。入学と同時に散るなんて、まるで受験が終わり燃焼しきった自分みたいだ。

「ねえねえ、聞いた? 何でも入学生に、出題問題全問正解の超天才児がいるらしいよ!」
「知ってる! 首席入学はもちろん、運動神経も抜群。しかもかなりの美形だって話」
「ええっ、本当? じゃ、入学生からの挨拶も、その子がやるんだよね?」
「どんな男子なんだろう? 今から気になるよね!」

 ……入学式初日のクラスなんて、こんなもんだ。見ず知らずの他人となんとなく近づいて、共通の話題で盛り上がったフリをする。くだらないし、興味もない。きっと話の内容は、明日になったら忘れてる。いや、他の話題にすり替わってる、という方が正しいだろう。

 理由その一。残念だが、その首席入学した男子学生が壇上に上がることはない。その二。女子は美形だと勘違いしているが、本当の美形だったらその場にいるだけで色めき立つはずである。ということは、『美形の男子学生』自体が架空の話なのだ。

 なぜ僕がここまで断言できるかというと、入試をトップの成績でクリアしたのが、鈴木太郎。――つまり、僕自身だから。

 もちろん、首席だったため、一年総代の挨拶を学校から頼まれてはいた。だけど、それは丁重に断らせてもらった。それには僕の高校生活すべてをかけての『目標』が関係しているからだ。

 その目標とは――『絶対目立たないこと』。

 何が何でも地味で目立たない高校生になること。極力派手な輩とは関わりを持たず、ネクラメガネだと揶揄されようが孤高を持する。長いものには巻かれて、自分の意見は目立たないようにする……それが僕の目標だ。

 友達ができなくても、それはそれで構わない。クラスメイトとはたまに関わるくらいでいい。
もう、あんな面倒くさい生活には戻りたくない。中学時代の自分とは違うんだ。高校では、変わってやる。それが例え、他の人と逆の方へと向かっても。

『新一年生は講堂へ集合してください』

 放送が流れると、学ランとセーラー服の集団が一斉に動き始める。僕もその波に乗って、講堂へと移動した。

「どこが美形? いかにもガリ勉ってタイプだったじゃん!」
「おかしいな……。つぶやきでは美形の天才って噂だったんだけど」
「それ、誰情報よ?」

 入学式が終わると、先ほどのかしましい女子たちが予想通り、総代で挨拶していた男子への文句を言っていた。だけど、僕には関係ない。これからも。この学校で僕が目立つことなんて、万が一、いや、億が一にもない。目立ちそうになったら、極力逃げる。僕はそうして暮らすと決めたんだから。

「……おーい! このクラスで、『鈴木太郎』ってヤツ、いない?」

 ビクン、と身体が動く。

「鈴木太郎? そんなデフォルトみたいな名前のヤツ、いるの?」
「変じゃないけど、なんか逆に目立つ名前だよね……」

 やばい。クラスメイトが騒ぎ始めた。視線も僕の方へ向いている。名前がデフォルトネームなのは隠しようもないからしょうがない。この悪目立ちは最初だけだ。そのかわり、今問題なのは、僕を呼び出したヤツ。

「ちょっとかっこよくない?」
「そうかな?」

 女子の注目を集めている、軽そうな男が僕を呼んだのか。ったく、一体何の用だ? 目立ちたくないのに、こんな茶髪のいかにもチャラい男に呼び出されたら、クラスメイトから注目されちまうだろうが!
 イライラする気持ちを押さえて、入り口に立っていた先輩に話しかける。

「……鈴木です。何か用ですか?」
「あー、やっぱタロだ! 俺だよ、三千院(さんぜんいん)統(すべる)!」
「三千院……ああっ!」
「思い出した? 東中のプリンス……」
「うわっ! よ、余計なこと言わないでください! それより場所、移しますよ」
「むぐっ」

 先輩の口を手で塞ぐと、そのままの体勢で人気のなさそうな非常階段へと向かった。

「……三千院先輩、変わりましたね」

 目の前にいるチャラ男・三千院統は、僕の一年上の先輩だ。中学時代は黒髪で、もっとガリガリに痩せていて、黒縁の大きなメガネをかけていたはずだが……。

「俺も去年、イメチェンしたの」
「高校デビューですか」
「タロもしたんだ、高校デビュー。いや、この場合『逆高校デビュー』か? 『東中のプリンス』が、今やネクラ系メガネ男子ね……俺と正反対だ」

 三千院先輩と僕は、同時期に生徒会に籍を置いていた。三千院先輩は生徒会副会長。僕はその頃書記を務めていた。しかし、彼との思い出にいいものはない。勝手に入部届を偽造され、彼が会長のオカルト研究部に所属させられたのだ。

「その呼び方、やめてくれません?」
「何?」
「『東中のプリンス』」
「だって、本当じゃない。きみは顔も整ってるし、常に学年トップ。運動だって、短距離走で大会まで行ってんるだろ? 提出した水彩画はコンテスト入賞。こんなヤツを『プリンス』と呼ばずしてなんと呼ぶ?」
「普通に鈴木、でいいんじゃないですか」
「鈴木じゃインパクトに欠けるでしょ!」

 先輩の話を聞いていると、嫌な思い出がフラッシュバックしてくる。学年トップであることは、嫌でも妬みの対象になる。短距離走で大会に行ったのも、休んだ部員の代走で出ただけだし、水彩画だって美術の時間に描いたものを勝手に教師に応募されてしまっただけだ。なまじ器用にそつなくこなしてしまったせいで、陸上部や美術部の生徒にもやっかまれた。

 それに、今はメガネで誤魔化しているけど、どうやら自分は女子受けする顔らしい。自分ではよくわからないけど、そのせいでも男子からねちねちといじめられた。
人は、目立つ人間を嫉妬の対象にする。だから僕は、高校に入ったら絶対に目立たないように生きていこうと思っているんだ。目立つせいで、てっぺんから落ちてもバカにされる。かといって、ずっと一位で居続けるのには体力を消費する。こんな疲れる学生生活はこりごりだ。

「ともかく! 僕は目立たないように生きていこうと思ってるんです。先輩みたいに高校デビューして、派手になった人とは関わりたくないんです」
「へぇ、冷たいこというじゃない」
「冷たいついでに言いますけど、派手じゃなくても先輩とは関わりたくありません。どうせろくでもないことに巻き込むつもりなんでしょうし?」
「なんだ、わかっちゃった?」

 あっけらかんと認めた先輩に、僕は嫌な予感が当たったことでびくりとした。

「……用件は何ですか。もうそろそろHRが始まる」
「単刀直入に言うけど、またオカ研に入ってくれないかな?」
「はぁっ?」

 僕は耳を疑った。中学の時もそうだった。オカ研に勝手に所属させられた僕は、客寄せパンダと同じように、オカ研の部員集めに名前を勝手に使われた。同じことを高校でもしろと? 冗談じゃない。

「僕が引き受けると思ってるんですか? ……残念ですけど、今の僕が入ったところで部員なんて集まらないでしょうが」
「それはきみが地味なフリをしてるからでしょ?」
「お言葉ですけど、僕は絶対地味で居続けますよ?」

 僕がフン、と鼻で笑うと、三千院先輩も負けじと腕を組んだ。

「ふうん……きみ、そうやって本気出さないで高校生活を過ごすつもりなんだ」

 怒っちゃダメだ。先輩の挑発に乗ったら負けだ。本気出したところで、周りにやっかまれたり、面倒事に巻き込まれるだけ。僕は絶対本気を出さない! 本気を出さないで高校生活を送る!

「……超能力って信じる?」
「は?」

 突拍子もない言葉に、目が点になる。何を言い出すんだ、この人は。とうとう気が触れたのか? 

「俺、使えるんだ。超能力」
「そういう話はお仲間だけでしてください。残念ながら、僕は中二病的なものに興味ないので」

 話を無視して、教室に戻ろうとしたその時。

「……これ、見ても?」
「え?」

 振り返ると、先輩の指にはボール、いや、指先から離れた状態でボールが浮いていた。

「ど、どうせ、糸か何かで釣ってるんでしょ?」
「そんな見え透いた手を使うとでも思ってる? よっと」
「なっ……!」

 先輩が手を広げると、ボールは一瞬にして消えた。

「ま、タロが本気出さないで暮らしてもいいけどね。勉強や運動、芸術。どんなに普通の才能に恵まれていても、さすがに特殊能力には勝てないよね~?」
「くっ……」

 何で僕はイラついてるんだ。特殊能力? 仮に先輩の力が本物だとしよう。だからといって、そんな能力があったとしても、しょせん使う場所なんてない。でも、なぜだろう。悔しい。負けず嫌いなところは、小さいころからの性格だ。だけど、この性格で得したことなんか一度もない。

 勉強も運動も、一応そつなくこなしたと言っても、もちろん努力はした。最初から能力があったわけではない。勉強だって、毎日予習・復習を三時間以上はしていたし、夜はジョギングもしていた。休日はデッサンの練習をしたりして過ごすこともあった。器用に、スマートにこなしてはいても、努力をしていなかったわけじゃない。それを、なんだかよくわからない特殊能力と、なんで比べるんだ。

「……超能力が使えるんなら、僕がオカ研に入らなくたって、その力で入部者を増やせばいいじゃないですか」
「そうはいかないんだって。高校は行ってイメチェンに成功したのはいいんだけどさ、この力のせいでやっかまれてるんだ。きみが中学時代にいじめられたようにね。頭一つとびぬけた能力を持つ人間は、妬まれる」
「そうですか」

 僕は適当にあいづちを打つ。どうでもいい話だ。

「そこできみが入ってくれれば、期待のイケメン首席が入部ってことで、話題になるだろ?」
「先輩、僕、首席挨拶は辞退したんですよ」
「えっ? マジ?」

 先輩は目を見開く。この隙だ。

「じゃ、僕はこれで……」
「まぁ、それでもひとつ言えることがある。『努力は才能に勝てない』」

 その声に、思わず僕は足尾止めた。

「何だって?」
「努力なんて誰だってできるだろ? でも、超能力は生まれついてのものだからね。きみは超能力、言いかえれば『生まれついての才能』には勝てない」

 ふふふ、と不気味に笑う先輩。この笑い方だけは、派手な見た目になっても変わらない。
 僕は静かにキレた。好きでやってたわけではないが、僕は今まで努力し続けてきた。そうすることでしか、自分の居場所を作ることができなかったからだ。努力しつづけることが大事なんだ。

 中二病だろうがなんだろうが関係ない。努力が才能に劣る? 僕は認めない!

「反対ですよ。才能は努力に勝てない」
「へえ? なら、勝負してみる?」

 ごくり、と唾を飲み込む。ここで勝負に乗ってしまうことが、三千院先輩の策略かもしれない。けど……。

「僕は生まれてから持ってる能力なんて、本当に微々たるものだと思ってます。生まれてから今まで……努力した結果が大事なんです。超能力? はっ、そんなのチートだ。現実の世界で、ズルはできないんですよ!」
「それは、この勝負に乗ったってことでいいかな?」
「どう取ってくださっても構いません。ともかく、あなたには負けない。それだけです」

 ちょうどHR開始のチャイムが鳴る。僕は先輩を置いて、教室に戻った。
***

「と言ってもなぁ……」

 シャワーを浴びてすっきりしたはずなのに、頭の中はもやもやしたままだった。
負けないと豪語してしまったが、僕はどうすればいい? そもそも勝負って、何の勝負だ? 自分で受けておいて、具体的にどういう勝負なのかわからないという、何ともマヌケな自分に腹が立つ。

 まず考えたのは、先輩が『超能力』と言ったあのボールのトリック。それを暴けばいいのか?
それならネットで手品やマジックの類を調べれば出てくるかもしれない。ただ、それだけで先輩に勝ったことになるかが問題だ。

 明日のテストの予習をしながら考えていると、スマホが震えた。メール着信だ。相手は――。

「さ、三千院先輩……」

 恐る恐る画面をフリックすると、今日の勝負について書かれていた。

「う、嘘だろ!」

 僕はメールの内容に、思わず声を上げた。

『努力して超能力を身につけてみろ! それができないならオカ研に入部し、東中、いやの『一ノ坂高校のプリンス』として学園生活を送ること』。

「の、のおおおおおっ!」

 思わず僕は絶叫して、スマホをベッドに投げつけた。努力して超能力を身につける? そんなことできるのか? しかも、それができないとオカ研に強制入部&高校デビュー前の僕に戻れと? 

『期間は一か月。きみのキャラが立つ前に、結果を出してくれ。出せるもんならね』
「くっ、や、やるしかない……こうなったら努力でどうにかしてやる! ……けど、超能力って、どうやって身につけられるんだ?」

 僕はさっそくタブレットを取り出して、超能力の身につけ方を検索してみる。それでも出てきたのは『とりあえず修行しろ』だの『人間には無理だ』とか、終いには『○○教に入れば手にできますよ』なんて宗教勧誘しか出てこなかった。

「……詰んだか」

 さすがに正常な人間が超能力を身につけるなんて、非現実的だと思いかえす。それでも勝負に乗ってしまったんだ。勝たなくては、平和な高校生活を送ることはできない。
 僕はキッチンに移動した。これしか思い浮かばなかったからだ。すべての超能力の基礎の基礎。

「原点からの出発か……」

 引き出しからスプーンを取り出すと、僕は「はぁ」とため息をついた。

***

 一晩中、スプーンと格闘して次の日。スプーンを曲げることには成功した。ただし、力技でだ。一晩で超能力が身につくはずがない。
 ぼんやりしていると、チャイムが鳴った。テスト終了だ。

「答案用紙は後ろから前に送れー」

 試験監督の教師が指示する。僕は言われるがままに、答案を流していく。教師に渡すと、一瞬僕の解答を見て止まった。

「……ん、さすがだな」
「え?」
「いや、なんでもない」

 教師は意味深な発言をしたくせに、何も告げずに教室から出て行った。
 僕の目標は入学式から一気に変わってしまった。『目立たない生活』が第一ではあることは変わらないが、その一方で『超能力を努力して身につけること』も目標に加わってしまった。本当にくだらない。高校に入って何をやってるんだか。自分でも呆れてしまうが、僕は変なところが真面目だと昔から親や妹にからかわれてきていた。

(確かに、真面目かもな……。しかもただの真面目じゃない。『クソ真面目』だ)

 僕は休み時間になる度に、スマホで超能力関係のページを見るようになっていた。

(なになに、『超能力を発揮するには、まず自分に超能力があることを自覚する――自分に超能力があると唱える』? これ、大丈夫か? 精神的な面で……)

 胡散臭いが、試してみるしかない。小さな声で「自分には超能力がある」と呟いていると、近くにいた女子が顔をひきつらせていた。

「ちょっと……鈴木ってやばいかも」
「なんか不気味だよね。いつも怪しいサイト見てるみたいだし」

 まあ、好きに言ってくれ。孤立するのは予想内だ。ただ、超能力絡みでっていうのは考えてもみなかったが。これも先輩のおかげか。

「自分には超能力がある……」

 体育のスポーツテストの時も、ずっと僕は唱え続けていた。しかし、こんなことを唱えるくらいで超能力が身につくなんて思えない。……やっぱり、他の方法が必要だ。

「お、おい! 鈴木、今の五十メートル走……」
「え? 何?」

 クラスメイトの男子が数人、僕に話しかけてくる。やばい、目立つ。

「ご、ごめん!」

 僕はみんなから離れると、遠いところでこっそりスマホをいじり続けた。
 超能力には種類がある。念動力、テレパシー、テレポート、予知、千里眼など。もし、三千院先輩の力が本物だとすると、念動力を使えるということになる。少なくても勝負に勝つには、念動力がないとダメってことか。

「あっ、ボールが!」
「ん?」

 女子が僕の隣にある木を見上げている。どうやらソフトボール投げをしていた男子が、ボールを木に引っかけてしまったらしい。

(これは、チャンスじゃないか?)

 自分に念動力が使えるかどうか、試せるかもしれない。僕は右腕をボールに向け、左手をそれに添える。

「はあああああっ!」

 クラスメイトが一生懸命木からボールを落とそうとするのを横目に、僕は集中する。

「……何してんの、あれ」
「うわ、痛……」

 周りのみんながどう言おうが関係ない。僕はボールに気を送り続ける。

「あ、落ちたぞ」

 ころんとボールが落ちてくる。やったか……? 見上げてみると、木の上には小柄な男子がいた。

「山田すごい!」
「へへっ」

 クラスメイトの山田がするすると木から降りてくる。それに比べて僕はというと。

「鈴木、やっぱ中二……」
「しっ、関わらない方がいいよ」

 結局僕にはまだ念動力は身についていないようで、僕は自分の手のひらを見つめるしかなかった。

 そのあとも色々自分の力を試してみた。テレパシーを送り続けて、教師に自分の念じた生徒を当てさせようとしたり、昼休みは相変わらずスプーンを曲げることに集中した。その結果。

「あいつ、やばいな」

 ……とクラスメイトから中学の時とは別の意味で目立つ人間だと認定されてしまった。

(でも、まあいい。変なやっかみがない分、楽だ)

 春の暖かい風に吹かれながら、スプーンを片手にスマホをフリックし続ける。

「そろそろ書き込みがある頃だな……」

 僕は巨大匿名掲示板にアクセスした。朝のうちにひとつ投稿をしていたのだ。内容は『どうすれば超能力が使えるようになりますか』。書き込みは予想していたものが多かった。半分茶化すような、それでも微妙に現実的に行動できてしまうような、そんなものだ。ふざけた内容でもいい。とりあえず、試すことができるものなら、なんでもやってみる。その中でも多かったのが、
『自分を窮地に立たせて、限界の力を引き出す』というものだった。

(窮地か……やってみるかいはあるな)

 僕は弁当箱をしまうと、屋上に走った。

 屋上のふちに立つと、ごくりと唾を飲み込む。窮地に立つこと――。つまり、この校舎から飛び降りれば、もしかしたら力を得られるかもしれない。

 僕は自然と笑みがこぼれた。こんなの正気の沙汰じゃない。この校舎は五階建てだ。ここから飛び降りたら、死ぬだろう。超能力なんて、身につくわけがない。頭ではわかっていても、どうしても試してみたいと言う欲求を押さえられずにいた。努力して、超能力も手に入れてやる。僕の頑なな意思でしかない。周りから見たら変人でしかないだろう。それか、精神的にヤラれちまったヤツか。でも、僕はやれるならどんな努力でもしたい。これで報われなかったら……死ぬしかない。

「行くぞ!」

 僕は目をつぶって一歩踏み出した。
 落ちる――。しかし、その感覚はいつになっても来なかった。

「くっ……何、やってんだよ!」

 僕の手を誰かが握っている。見上げると、黒髪の男子が、僕が飛び降りるのを阻止しようとしていた。

「今、引っ張り上げるからな!」
「余計な真似をするな! 僕は超能力を手に入れるんだ!」
「寝言は助かってから言え!」

 彼の力は強く、一気に僕は引き上げられてしまった。

「はぁ、はぁ……」

 助かってしまった僕は、無言でその場に座り込んだ。助けてくれたジャージ姿の男子も息を荒げている。

「これで超能力が身についたかも……はっ!」

 近くに置かれていた男子のカバンに気を送ってみる。が、当然持ちあがらない。

「さっきから何言ってるんだよ。超能力ってなんだ?」
「校舎から飛び降りることで、超能力が使えるようになるかと思ったが……そんなことなかった」
「当たり前だ! 超能力だ? バカじゃねーの! そんなものフィクションに決まってるだろ!」

 男子に首元をつかまれる。僕はそのまま反抗せずに、彼に身を任せていた。

「説明しろよ! なんで自殺寸前までして、超能力を手に入れたいなんてバカげたことを言うんだ?」

 無言。だんまりを決め込もうとしたが、男子はどうしても口を割らせようとしてくる。だけど、こいつには何の関係もないことだ。言う必要はない。

「ぐっ!」
「話さないんなら、首絞めてそのまま落とすぞ? 悩み事なら話して楽になることだってあるんだ!」
「ううっ!」

 僕は男子の腕をタップした。さすがに落とされては敵わない。それに、男子のジャージは三年の色。青だ。同じ学年じゃないし、高校三年なら学校のことよりも受験のことで忙しくなるだろう。僕の話をしても、そんなに興味をしめさないかもしれない。

「あんたになら、話してもいいかな……」
「よし」

 男子は僕を解放すると、その場にあぐらをかいた。
 同時に五時限目のチャイムが鳴る。しかし、目の前の彼はお構いなしのようだ。

「いいんですか? 三年生が新学期からサボッて」
「関係ない。ボクはもともとサボるために屋上に来てたんだから」
「はぁ……」

 調子、狂うな。見た目は男前ではあるけど、不良なのだろうか。彼の鋭い目が、僕を突き刺す。さっさと本題に入れと促しているようだ。
 僕はポツリポツリ話し始めた。中学の時のこと。目立たない高校生活を送るために、超能力を努力で身につけると約束してしまったこと。全部話し終わると、先輩はため息をついた。

「お前、バカだろ」
「え?」
「さっき自殺しようとしてた時点で、かなり目立ってた。ラッキーなことに、ボクしか見てなかったからよかったけど、教室から生徒が見てたら学校中が大騒ぎになっていた。これのどこが目立たない高校生活だよ!」

 言われて初めて、自分のアホさに気づく。超能力を手に入れることばかりに集中してしまって、危うく問題児になるところだった。まあ、もうある程度問題児であることは確かなのかもしれないが……。

「でも、お前が『タロくん』だったとはね。ボクと同じくらいイケメンだって話は統から聞いてたけど」

「統……? 先輩、三千院先輩と知り合いなんですか?」

 目の前の先輩は頭をかきながら自己紹介を始めた。

「ボクは三千院満(みつる)。三年で、統の姉だよ」
「……あ、姉ぇっ?」

 どう見ても美少年にしか見えない目の前の彼が女だって? しかも三千院先輩の姉だとは……。僕は驚いて絶句した。

 いやいや思い出せ。三千院満。……そうだ、いた。同じ中学に。だけど僕と同じように通り名があったはずだ。確か……。

「『東中のジャンヌ・ダルク』?」
「あははっ! その名前聞いたの二年振りかな?」
「あの時の先輩って、小柄でロングヘアじゃありませんでしたか? だけど性格だけはクールで潔癖。男にも厳しくて、フェンシング部の部長で……ついたあだ名が『東中のジャンヌ・ダルク』」
「どうもボク、成長期が遅かったみたいでさ。中三のときから身長も伸び始めて。髪も鬱陶しかったから高校入学を機に切ったんだよ。それから男に間違われるようになったんだよね」
「はは……」

 三千院姉弟は、どちらもある意味高校デビュー成功組なのか。まぁ、姉の方は紛らわしいことこの上ない。自分のことを『ボク』と呼んでいるし、相手を『お前』というところも、完全に毒されている感じだ。それが似合ってしまうから余計に困るだろうな、周りの人間は。

「さっき言った通り、タロくんの話は統からよく聞いてたんだ。顔色一つ変えずに、なんでも器用にこなす天才だってね。その上美形でモテるとか」
「天才、ですか。大間違いですよ、それは。才能なんてものは、努力があってこそ光るものなんです。それに美形でもないですし」
「面白いこというね。だから統がお前に固執してるわけか」
「どういうことですか」

 満先輩は「統本人には言うなよ」と笑いながら釘を刺すと、僕の耳を引っ張った。

 ――三年前の話だ。当時新中学三年生になった統先輩は生徒会副会長の座についた。受験間際の三年生で、役職につきたがる人物がいなかったから、そのまま当選したらしい。そして、僕もその生徒会に入った。統先輩は僕のことを一方的に知っていたようだ。美形で成績優秀、運動神経抜群、美術センスもある天才児として。その頃先輩は、ガリ勉メガネと呼ばれ、勉強以外は全くダメだった。

「そこでお前に聞いたらしい。どうしたら運動もできるようになるかって。統のヤツ、完璧主義者だからね。他の教科が5でも、一個でも5以外のものがつくのが気に入らなかったんだ」

 思い返してみるが、僕にそんな思い出はない。ただ、多分こう返しただろうというのは予想がつく。『努力するしかないですよ』と。

「……それからあいつは運動音痴ながらも、毎日ジョギングしたり筋トレしたり、努力はしたんだよ。それでも結果は出なかった」
「数日努力するくらいじゃ変わりませんよ?」
「半年はやってたよ。たった半年、って言われたらそれまでだけど。だから、あいつは『努力より才能が大事だ』って思ったんだろうね。きみに超能力なんて見せたのも、きっとそのことを思い知らそうとしたんじゃないかな」
 満先輩が棒つきキャンディーを口にくわえる。
「ちなみに、満先輩。超能力って信じますか?」
「あはは、信じてるわけないだろ! お前に見せたっていう超能力も、多分鏡を使ったマジックだよ。でもね……」
 一旦区切って、口の中の飴玉を取り出すと、僕の方へずい、と身を乗り出した。
「『努力は才能に勝てない』。これ、ボクの持論。総とはちょ~っと違う意味でね」
 すっと離れると、満先輩はにっこり笑った。僕と正反対の持論に、僕は思わず彼女をにらみつける。
「なんで……そう言い切れるんですか」
「弟を見て。ま、それ以外にもあるけどね。例えば……生まれてからほとんど無勉でも名門高校に合格したり、運動も助っ人を頼まれたり、他にも色々」
「誰の話ですか」
「ボクのだよ。天才であるね」
 立ち上がると、ニヤリと悪い笑みを浮かべる。満先輩は指を二本立てた。
「『できる人間』には二種類ある。ひとつはきみみたいに努力して天才という領域に近づくもの。もうひとつは――最初から苦もなくなんでもできてしまうもの。ボクは、後者かな」
「嘘だ! 僕は認めませんよ! 才能なんて、努力でカバーできるものだ!」
「そうかな? 才能ある人間がいることを認めるのも、勇気だと思うけど? それとも……統の言う通り、努力で超能力を手に入れてみる? 無理でしょ?」
「……やってみますよ」
「あらら、頑固だな。次は助けないよ?」
「助けなんて必要ありません! あと二週間で……超能力、マスターしてみます!」
「せいぜい頑張ることだね」
 満先輩はカバンを持つと、屋上から去って行った。
「しまった、墓穴だ……」
 三千院姉弟には同じようにハメられている。自分の頑固さと、学習のなさにほとほと呆れ、結局五時限目が終わるまで、僕は屋上で空を見つめていた。

 チャイムが鳴り、教室に戻ると、クラスメイトが僕に注目した。確かに真面目そうな地味メガネが授業をサボるなんて珍しいのかもしれない。
 席につこうとした瞬間、隣の席の女子が話しかけてきた。
「ねえ、鈴木くん」
「何?」
「……実は学年首席だったって、本当?」
「えっ?」

 クラス全員がこちらを見つめている。その中で、ひとりの男子がスマホを手に近づいてくる。

「鈴木太郎。どこにでもある名前だけど、だからこそ憶えやすくもある。俺、覚えてたんだよ。全国一斉テストで一位獲ったやつの名前……それも鈴木太郎だった。ちゃんと調べたら、あったよ。証拠もほら」

 印籠のように、全国テストの過去のランキングを表示したスマホ画面をかざす。

「そ、それは偶然でしょ?」
「いや、違うね。さっき授業前の教師が呟いてたのも聞いた。『首席挨拶も断って、授業もサボるなんて何を考えてるんだ』ってな」
「他にもあるぞ」

 他の男子が僕に近づく。

「さっきの五十メートル走。五秒七だった。俺たちクラスの中で、ぶっちぎり一位だ」

 周りを見渡すと、クラス全員が僕の周りに集まっている。まずい、これじゃ僕の高校デビュー計画が……。

「えいっ!」
「あっ!」

 女の子たちに伊達メガネを奪われると、クラス全員が僕の顔に注目する。

「やだ、イケメンじゃん!」
「じゃ、あの噂の天才首席って、鈴木のこと?」
「でも、中二病なのはガチでしょ?」
「つーか、なんでお前目立たないフリしてたんだよ!」

 僕は黙ったまま、うつむく。もうお終いだ。また足を引っ張られ、やっかまれる日々が始まる。それに引きずり降ろされないように、トップをキープし続ける毎日が……。

「ちょっと待て!」

 廊下から聞き覚えのある声がした。振り向くとドアの近くには統先輩と満先輩がいた。

「そいつ、貸してくれない?」
「だ、誰? あのイケメン二人組……」
「いや待て。茶髪の方はさほどイケメンじゃねーだろ……あ、そうだ! 初日に鈴木のこと呼んでたやつじゃないか?」

 今がチャンスだ。みんなの注目が逸れているうちに、僕はクラスメイトのわきをすり抜け、外へと逃げた。

***

「ちょっ、待てよ!」
「イケメンのものまねはしない方がいいですよ。っていうか、僕からみたらあの人、相当お兄さんですし」
「やっぱ元・ネクラがイケメンにはなりえないんだな。これも才能か」
「それならボクの方がものまねうまいかもね」
「ね、姉さん?」

 追いかけてきた三千院姉弟が、中庭にいた僕を捕まえる。チャイムは鳴ったが、もう放課後だ。HRくらい抜け出しても、お咎めはないだろう。

「困ったことになったね」

 満先輩がいかにもカッコイイポーズを決め、手であごを触る。

「別におたくらが困ることはないでしょ」
「いや、困るって! きみの正体がバレてしまってるなら、賭けは成立しない。そこで提案だ」

 統先輩はズボンのポケットから、ブルーの石がついたペンダントが出てきた。それを僕に向かって放り投げる。

「おっと。何ですか。このいかにも中二的アイテムは」
「飛行石じゃないぞ。ずばり、『俺お手製パワーストーンペンダント』だ」

 そのままのネーミングに、呆れてものも言えない。満先輩も同じようで、軽く溜息をついている。

 パワーストーンと言っても、おもちゃみたいなものだ。五百円で一袋のエセ天然石に穴を無理やり開けて、それにタコ糸をつけたような……。

「これをどうするっていうんですか」
「俺も考えたんだよね。このままあと二週間、きみと勝負しても勝ちは見えてる。きみは努力で超能力を手にすることはできない」
「……努力を否定する気ですか」
「きみもバカじゃないだろ? 努力がどうとか言う前に、超能力を手にすることはできるわけない。フィクションの能力なんだから」

 僕が眉をひそめると、満先輩が笑う。確かに常識的に考えればそうだ。超能力自体があるわけないのであって。だけど、努力することを否定するわけにはいかない。これはもう僕の意地だ。

「だからね。手っ取り早く多数決を取ろうと思うんだ」
「多数決?」

 それとこのガラクタと何の関係があるんだ。僕はてのひらの中にある石をもう一度見つめる。

「きみが超優等生ということがクラスで知られてしまった。それを利用するしかないだろ?」

 にやりと笑う統先輩を、僕はにらみつけるしかできないでいた。

「確かに僕は学年首席で、挨拶を辞退しました。全国テストトップを獲った『鈴木太郎』――。それも僕です」
「うわ、マジかよ」
「すげえな」

 クラスに戻ると、僕はすべてを告白した。さすがに自分で『東中のプリンス』なんてあだ名がついてたことは伏せたけど。

 ドン引く男子に、目をキラキラさせる肉食系女子。遠くから見てる地味なクラスメイトの視線も痛い。
 そして僕は、首にぶら下げていた例の物を取り出す。

「…‥すべては中学の時。三千院先輩にもらった、この『超人石』のおかげです」

 自己嫌悪に陥りそうだった。何が楽しくて、週刊誌の裏の怪しげな通販の売り文句を口にしているのだろう。なんだよ、『超人石』って。高校生が作った、実質数百円の工作だぞ? いや、もしかしたら今の小学生の方がよっぽどすごい工作をするかもしれない。
 クラスがざわめく。そりゃ当然だろう。しかし、一部の生徒は妙な期待を見せているのも感じる。

「それ、三千院って先輩に言えばもらえるのか?」
「あ、うん。今ならただでくれるって。入学祝いで」
「ちょ、超人石って、なんだそれ。ウケる。お前やっぱりそういうキャラか」

 内心は不満でいっぱいだが、腹を抱えて笑うクラスメイトにも苦笑いで対応する。そんな中教室にいた数人が外へ走って行ったのが見えた。……くそ。腹の中で小さく毒づく。

「ねえ、鈴木くん。その『超人石』を持てば、誰でも成績がよくなったりするの?」
「まあ、お守りみたいなものだけどね。これは持ち主の持っている『才能』を引き出すものなんだって。……欲しいならあげるよ」

 首にかかっていたタコ糸を引きちぎると、質問してきた女の子に投げた。彼女は受け取ると、他の女子と一緒に蒼い石を眺めていた。

「この放課後で、僕の元にきたのは五人。たった一時間もしないうちにこの数だから、明日はもっと増えるよ」

 屋上へ行くと、いくつものペンダントを持った統先輩がニヤニヤと僕を待っていた。その横で満先輩も結果に納得したようにうなずく。

「……みんな、努力して手に入れる力より、持って生まれる才能の方が大事ってことだよね」
「ちっ」

 結局勝負には負けた。統先輩が言いだしたのは、「才能を引き出す石をどのくらいの人間が欲しがるか」というものだった。努力してなんとかなるとみんなが思っているなら、五人も先輩の元を訪れたりはしなかっただろう。僕の努力論は、独りよがりでしかなかったということか。

「だけど、みんな間違ってるよ。才能を引き出す石を持ってても、その才能自体を持ってなきゃ意味ないんだからね」
「満先輩。あんたは黙っててください」
「怖いなぁ、努力くん」
「……そのあだ名は嫌いじゃありません。『プリンス』よりはマシだ」

 言い捨てて、その場を去ろうとしたその時。

「せっかくだから、これ持ってけよ!」
「っ……?」

 振り向いたとき、先ほどの石が目の前に飛んでくる。僕はすぐに目を閉じたが、鼻の辺りにこつんとぶつかった。

「な、何するんですか!」
「ちょっとだけ……ちょっとだけだけど、きみは本当に努力で超能力を身につけるんじゃないかって、わくわくもしたんだけどね」

 悪びれた様子もなく、統先輩はくすくすと笑う。それにつられてか、満先輩もくすりと笑みをこぼした。僕にはそれが不愉快で、石を拾うと小さく呟いた。

「努力しても無理なものは、無理ですよ。まさに『無駄な努力』ってやつでした」

 なんとも言い難い脱力感が僕を襲う。ふらふらしながらなんとか屋上の扉を開け、階段へ向かう。

「はぁ……」

 大きく溜息をついた、その瞬間。ずるっと滑って階段の一番上から落下する。

(やばいっ……受け身が!)

 落下してく感覚がする。身体で風を切るのがわかる。――まずい!

 ……。
 …………。

 ………………。何も起こらない。踊り場で身体を打ち付ける衝撃はまだない。ゆっくりと目を開けると、俺は自分で驚いた。

「う、浮いてる!」

 努力が報われた嬉しさと、ありえないはずの超能力に目覚めてしまったらしい自分に驚きながら、ゆっくりと体勢を立て直し、床に足を突く、

「最悪だ……」

 どうやら僕は努力で超能力を手に入れてしまったらしい。この時僕は、報われない努力もあった方がいいのかもしれないと、身を持って感じた。


 これからの高校生活、頭が痛い――。

                                       【了】
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