1話完結

文字数 6,383文字

はあ、困った。困った。
 おカネがほしい。
 駅前商店街の人の波をかき分けながら、そうため息をついた。
 来月のスマホ通信料に窮しているとかじゃない。それくらいなら、親に泣きつけばいい。
 もうちょっと高い額だ。就活控えた、バイトしか糧がない大学生の僕にとっては、急にまとまった大金が必要になったんだ。
 詳しいことは聞かないで。そう、お互い野暮な事は聞きっこなしってことで。

 しかもタイミング悪いことに、まあまあ時給の良かったバイトも先月雇い止めになったんだよ。もう、ため息をつきながら、昨日面接した次のバイト先の結果を待っているんだよね。
 はあ、でも街は相変わらず活気に満ちている気がする。百円ショップもお菓子専門店も、相変わらず客でいっぱいだし。僕なんかとは関係なく世間の経済は廻ってるんだよな~。

 ちょっとのどが渇いたな。そういえば、数日前から久しぶりに缶コーヒーが飲みたかったんだっけ。
 にぎやかな通りの角につながっている、背後の住宅街に入っていく生活道路の奥の方に目が向いた。道の奥には自販機。’一本80円’のステッカーも見える。あそこで買おう。

 人通りのないその道路に入った。道沿いには、店は無く、住宅やアパートがぎっしり建ち並んでいる。目当ての自販機で80円の缶コーヒーを探し当てた。
そのときふと、古びた一軒家のような構えの店舗の出入口わきに、〇に「質」と書かれた、ぶ厚い桐製の板のごつい看板が目に飛び込んできた。そこは質屋だった。 質屋と言えば、そう、金目の持ち物を、そこに預ければ、その物の時価に見合った金を貸してくれる。そして、その預けたものを質物という。

 そして店先の出入口横にはショーウィンドウがあって、その中には、『貴金属、時計、家電製品…なんでもどうぞ。あなたのたいせつな思い出も歓迎。』
等と手書きのマジックペンで書かれたポスターが貼ってあった。僕は一瞬、目を疑った。
「思い出?」
 いくら大学生の僕でも、その文字に違和感を禁じ得なかった。僕、一応、これでも法学部生だ。動産でも、債権でも、まして不動産でもない『思い出』なんぞを質にとれるわけないだろう。思わず苦笑した。
 まあ、亡くなった祖父から相続分の代わりに譲り受けた、この今はめている腕時計を見てもらうかな。よく知らないし興味なかったけど、IWCっていう、スイス製の高い時計らしい。

 僕は店に入ろうと出入口の引き戸を開けた。そのとき、入れ違いに僕と同年代くらいの男子がうつむき加減に出てきて、すれ違いざまに肩がぶつかった。「すみません」と僕は言ったが、向こうは無言で立ち去った。まあ、別にいい。
僕は店の玄関ののれんをくぐった。店内には、まるで僕を待ち構えていたように、一人の、品のよさそうな中年男性がにこにこと、目を細めてカウンターの向こうに座っていた。店主なんだろう。
「いらっしゃいませ」
「あ、あのーお金借りたいんですけど」
「お待ちしてました。お金に困った顔してらっしゃいますね。お座りください。」
 カウンター越しの店主に向かい合って置いてある椅子に座った。
「これ、いくらくらいになります?」
 僕は時計をはずして、カウンターの上に置いた。店主は眼鏡を額に上げて。肉眼でまじまじ見つめた。
「お客さん、これウチじゃ質につけれませんよ。ちょっといいですか」
 そう言って店主は白い手袋を両手にはめて、座ったまま椅子を回転させて背後の引き出しの一つから腕時計を一個出して、僕の前のカウンター上に置いた。「ごらんください。こっちが本物のIWCです」
店主が時計の文字盤の’IWC’のブランドロゴを指さした。
「お客さんの’IWC’のロゴは、真ん中のWの文字の両脇のIとWの字の間隔が広がってるのわかりますか?」
 たしかに、言われてみれば、比べると、自分のは少し間隔が開いているような。こりゃないよ、天国のおじいちゃん。
「これではお金はお貸しできません」店主の目は笑っていなかった。
「そうですか・・・」僕はちょっぴりがっかりしたが、聞き返した。
「すみません、ウインドウには’思い出’もOKと書いてありましたけど」
「もちろんですよ。それがうちのウリですから。お客様はお若いようだけど、どんな思い出をお持ちですか。ただし、小中学校の遠足とか、修学旅行とか、行事系のものはダメです」
「質問なんですけど、思い出に価値があるんですか」心で眉に唾をつけてそう尋ねた。
「もちろん、あります。今出て行ったお客様も質流れになった良い思い出を探しに来られたんですよ。今はありません、と言ったら残念そうにしてましたが。なので、ぜひ良い思い出がありましたら質にどうぞ」
 質流れとは質に入れたけど金を返せない場合に、質物が質屋の物になってしまうことだ。
「そうですねー」
 僕は内心、馬鹿らしいと思いながら考えるふりをした。そのときは、どうせ思い出OKなんてのは客寄せのシャレだろう、さっき出て行った客も好奇心によるひやかしだろうと思っていたから。それにいい思い出なんて急に言われてもなあ。
 僕はそう考えつつ、ふと思いついて言った。
「じゃあ、実は、もう別れようと考えている彼女との思い出なんてどうでしよう。昨年、仲がよかったころ、東京ベイランドに行って、そこの中のホテルに二人で泊まったりもしたんですが・・・」思わずそう言いながら、我ながら少し照れちゃった。
「おお、それはうってつけだ。じゃあ、その思い出の査定をさせていただきたいですね」
 店主は席を立って店の左奥のカーテンを開けて、
「こちらにどうぞ」と入るのを促した。
「は、はあ・・・」
 シャレに付き合うのもかったるいな。理由つけて帰ったほうがよさそうかな。
店主は奥の部屋のドアを開けるや否や、店主はきつく言い放った。
「シャレなんかじゃないですよ! さ、こちらへどうぞ」
 え? 心を読んだの? 僕はあっけにとられ、すっかり店の空気は店主主導のものへ、ガラリ、と変わっていく音が聞こえるような気がした。僕は言われるままその薄暗い部屋に入れさせられた。
 六畳くらいの空間の室内には一人用のデスクと椅子と、向かい合う形で大きな一人用ソファが置かれていた。僕はソファに座るのを勧められて座り込んだ。椅子に座った店主は言った。
「それではリラックスして、昨年のあなたの彼女との東京ベイランドの思い出を、思い出せるところだけでよいですから、思い出してください。残りの部分はこちらで引き出せますから。では、いい、と言うまで眼を開けないでください」
 僕は目を閉じて、ソファに身を沈めて、彼女との、あの日の記憶をたぐり寄せ始めた。
 当時、考え方の違いで何かとすれ違うことが増えて、けんかばっかりするようになったんだ。しばらく会うのも億劫になっていた。もう、いいや・・・。

 思い出は、彼女との最寄駅での待ち合わせやら、電車内での他愛ないけど楽しい会話、ポップコーンのバスケットを首からぶら下げながらの園内の情景、人気で数時間待ちのアトラクション、レストランでの食事、そして、その夜泊まった園内のホテルでの甘美な一夜・・・

 僕は、はっと目をさました。そのとき、最初に入店して座ったカウンター前の椅子に座っていた。
 い、いつの間に。
 目の前にはカウンターの向こうで、店主がにこやかに肘をついて座っていた。そしてカウンターには厚くはないが、一万円札の束がトレイ上に載っていた。
「たいへん、良い思い出でした。さすがあなたはイケメンさんなだけありますね。あなたの思い出はこの金額となります」
 そう言って、店主は金額や返済条件などが書かれた紙も一緒に提示した。紙のオモテ面の上部には質権設定契約書と記され、僕の名前やら質屋の称号やらが記載されていた。そして、彼女の名前や年月日とともに、”~との思い出”と手書きで書かれていた。そして、その横には、日付の丸いゴム印とともに『質権設定』の文字のゴム印が押されていた。
「え、え?こんなに多く?」
 その額は自分にとっては十分な額で、必要だった額と比べても多少のお釣りも出るくらいだった。
「あ、ありがとうございます」僕はただ、金額の多さにうわの空であった。
「ただし、返済期限までに、計算書の約束の御利息もつけてこの金額を返していただかないと、この思い出はもうあなたからは完全に消えてしまいますよ。その点はご注意を」
「はい」

 僕は店を出て、にぎやかな駅前通りに戻っていた。
 何か狐につままれたようであったが、カバンのファスナー開ければたしかに、封筒の中に札束は入っている。
 それに思い出を質に出した。これって何のことなんだろう。試しに彼女との例の思い出を思い出そうとした。

“彼女の最寄駅での待ち合わせやら、電車内での他愛ないけど楽しい会話、ポップコーンのバスケット構えながらの園内の情景、人気で数時間待ちのアトラクション、レストランでの食事、そして、その夜泊まった園内のホテルでのぬくもりを分かち合った甘美な一夜・・・”

 あれ? ちゃんと思い出せるけど?
 なーんだ。やっぱりなんかのキャンペーンだったんだろうか。
まあいいよ。さっそくこのお金は役立たせないと。僕は銀行ATMに向かった。

 そして新しいバイトも受かっていた。これで一応、目下の心配事は消えた。もう、あの思い出のことはどうでもいい。そうさ。そうだよ・・・。
 というか、僕はベイランドのことをまだ思い出せるのだし。結局なんなんだろう?
 でも一抹のやるせなさや未練が残る。本当に彼女と別れてもいいのかな。

 しばらくして、その彼女からメッセージが来た。
“ねえ、あなたの部屋に私の水玉の折り畳み傘ない?”
“探してみる”
 僕は散らかった自分の部屋をひっくり返して探し回った。果たして見つかった。なぜか、昔のゲーム機の箱に入っていた。
“あった。渡すよ。いつも会ってたスタバはどう?”

 OKをもらって会えることになった。なんか嬉しい気分だった。やっぱりまだ未練があるんだな。よし、意を決した。

 少し昼下がりのオフタイムだったので、店は空いていたから先に待って席に座っていた彼女はすぐわかった。
「やあ、ひさしぶり。待たせた?ごめん」僕は、せいいっぱいの愛想をふるまった。
「大丈夫だよ」
 しかし彼女は素っ気なかった。
「これ、はい、君の傘」
 なんとはなしに彼女のふくよかな胸元に目がいってしまった。
「ありがとう。雨のシーズンも来そうだし、よかった」
 彼女は傘をそそくさとかばんにしまって、席を立とうとした。
「ああ、ちょっと待って」
「なあに?」
「あのさ、こんなこと言うのもなんだけど、僕が悪かった。また前みたいに付き合わない?」
 しかし彼女は少し困惑した表情で
「でもさ、今更、気持ち変らないし」
「また、去年みたいにベイランド行こうよ」
「え?ベイランド?なんのこと」
「何って、去年行ったよね。二人で。しかもベイランドホテルに泊まったよね。二人で」
 彼女は少し顔を歪めた。
「何言ってるのかしら。あなたと行ったことなんかなかったじゃない」
「そっちこそ、な、なに言ってんだよ」
 僕は彼女にその時の撮った思い出の写真を見せようと、スマホの過去の写真アルバムを探った。しかし、日の日付のがすっぽり消えてなくなっていた。
「え?な、ない」
 彼女は退屈そうに僕を、ぼおっと見て、
「どうせ別の子と言ったんでしょ。嘘つくんならもっとましな嘘にしなよ。じゃ帰るよ。ありがとう」
「ま、待ってよ」

 結局、僕は一人で店を後にした。
 思い起こして、サラリーマンの兄に電話した。
「あのさ、昨年、俺が彼女とベイランド行った帰り、駅まで迎えに来てくれたじゃない?」
〈うーん、去年のいつ? いやあ、夜、駅まで迎えには行ったことなんてなかったぞ。そんなことめったにないから、あれば覚えてるはずだよ。ところで、お前、つきあってる子なんかいたんか?〉
スマホを切った。まさか。こんどは母に電話したんだ。
「あのさ、去年、彼女とベイランド行ったとき、お土産にぬいぐるみ買ってったじゃない」
〈えーと、そんなことあったかしら。なんのぬいぐるみ? 買ってきてくれたら、あるはずだし、覚えてるけど。やだよ。なにか勘違いしてない?〉

 なんてことだ。「思い出を質に出す」ってこういうことなのか。つまり自分からじゃなくて周りからその記憶が消えてしまうなんて。いやだ。どうしよう。これじゃあヨリを戻すなんて絶望的だろ。
 僕はカバンから質屋の質権契約書を取り出した。そこには返済期限として、あと一か月足らずの記載と金利が書かれている。
 この日までにこの額を返せばいいんだな。あの時質入れで受け取った金は使わなかった分がけっこう残っている。足りない分は工面すればいいんだろ!
 
 スマホで’高賃金バイト’をかたっぱしから検索した。
 その中に某製薬会社の『新薬被験者』のバイトがあった。二週間で〇〇万円・・・。
 これにするか。しかし、そのバイトの応募要項の注意書きには、”個人差で被験後に強い眠気や、だるさを感じることがあります”との記載があった。
 細かい注意書きには目もくれずに、応募の電話をして、面接も通り、そのバイトをした。

 バイト最後の日に高額の賃金を受け取り、自転車をこいで家に向かっていた。
「明日の返済日に間に合いそうだ。よかった」
 彼女との思い出を再び共有できれば、きっと、またきっと・・・。
 だが、急にめまいと眠気に襲われて、路上でふらつくとともに、脇を走ってきた車にぶつかり、そのまま倒れた。うーん。

 僕は目を覚ました。しかし見慣れないパジャマを着ている。ここはどこだ? 病院のようだ。
「おはようございます。気分はどうです」看護師さんが優しく聞いてきた。
「そうだ、車にぶつかって」
「ちょっと倒れたショックで意識を失っただけですよ。よかったですね。すぐに退院できますよ」
「今日は何日ですか?」
 看護師の答えた日は返済期限を一日過ぎていた。なんてこった。僕は焦った。

 僕は念のために質屋に向かった。一日過ぎたくらいならまだ店にあるだろう。彼女との、たいせつな僕の思い出。質に入れた僕がばかだったのさ。
 でも他人の思い出なんて誰が引き取る?
 いやしないさ。そうだ。まだ残ってるに決まってる。僕はのれんをくぐって質屋に入った。

「ああ、こないだのお客さん。ごめんなさいねー。期限の昨日来なかったんで、あなたの思い出は質流れにさせていただき、今日、買いたい方に売ってしまいました」
「ああ、そうですか」

 ショックだ。まさか、こんなに早く売れるとは。ていうか、期限切れたらだめだろ。法学部の俺!

 ちょっと気落ちしてスマホの画面を眺めはじめた。
 そうだ。とりあえず彼女にメッセージで連絡してみよう。どんな反応するんだろう。

“僕、やっぱり君じゃなきゃダメなんだ”
“なに、しつこくない?ごめんね。私好きな人ができそうなの。なんか好きなタイプじゃないし、いきなり私の前にあらわれたんだけど、初めて会う気がしなくて。自分でもよくわからないけど。これが運命の出会いなのかしら”
“だ、誰だよ、そいつは!”
“それが今日の午前中会ったばかりなの人に、その人とベイランドへ行ったことがあるような感覚になったの。どっかですれ違ったのかな。そゆわけで。じゃね”
メッセージは切れた。なんだって。

 スマホの写真アルバムには去年のベイランド訪園時の写真が復活していた。
 しかしズームしてみると、彼女と一緒に写っていたのは僕じゃなくて、質屋に最初に行ったときに肩がぶつかった、アイツだった。じゃあ、彼女の心の中では、あの日の夜の思い出の相手もぬくもりもアイツにすり替わったのか。
この写真のように。
これが思い出の質流れの効果か。
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